9−5
キョウヤの住んでいた家はなんとなく嫌だったので、以前に子供たちと泊まった空き家を訪ねてみることにした。
まだ、誰も住み着いていないといいんだけど。
あの物件はなかなか条件がいい。
「有栖姉ちゃん、どこに行くの?」
手を繋いだたっくんがわたしを見上げながら尋ねる。
たっくんはキョウヤと過ごしている間に少し大人になったようだ。
前のように走り回らなくなってしまった。
心に傷を負ったのでなければいいんだけど。
「前にみんなとお泊まりしたお家よ」
わたしはたっくんに答えて言った。
わたしにはあとどれくらい時間が残されているのだろう?
美百合さんが新宿から中野ブロードウェイに駆けつけるのに十分以上はかかるだろう。
あるいは宇賀神さんが救急車を呼んだかもしれない。
AEDが使われた可能性もある。
仮に心臓がまた動き出すまで最短で三分かかるとすると、わたしがここに居られる時間は約一週間。
もしたっくんの心の傷を癒せるのであれば、たっくんと何日か一緒に過ごしてもいいかも知れない。
でもそうしたらきっと別れが辛くなる。
それに早くお友達に合わせてあげたい。
結菜ちゃん、光ちゃん、大和くんに樹くん。
みんな、『夢見の泉』でたっくんを待っているはずだ。
きっとお友達と遊んだ方が早く傷も癒えるだろう。
やっぱり出発は明日にしよう、とわたしは決めた。
そして残った時間はお師様と過ごそう。
我ながら良いプラン。
「お家、誰も住んでいないといいね」
わたしはたっくんに話しかけた。
「うん」
角に家が見えてきた。
よろい戸が閉まっている。
引き戸も最後に戸締りしたとおりだ。
まだ誰も住み着いていないみたい。
よかった。
わたしはこの前と同じようにたっくんと手分けしてよろい戸を開けると、家の中を換気した。
なんだか埃くさかったので再びほうきもかける。
わたしは裏から薪を持ってくると、これを囲炉裏に組んで火をおこした。
外はもう薄暗い。
それにしても今日は疲れた。
あれだけの死闘の後だ。疲れないわけがない。
身体中の筋肉が痛い。
銃弾が掠めてできた傷はもう治り始めていたが、筋肉痛はそういうわけにはいかないらしい。
全く、精神体なのに。
思い込みの力というのは恐ろしい。
「ふわぁ」
思わずあくびが漏れる。
「あのな、有栖姉ちゃん」
と、おずおずとたっくんが話しかけてきた。
「何? どうしたの、たっくん」
わたしは子供と話すときはできる限り膝まづくようにしている。
そうすれば目の高さが一緒になるから。
「おれ、この服もう嫌だ。他のを作ってくれないかな」
たっくんが着ているのは以前にわたしが錬想したカウボーイのコスチュームだ。
きっとキョウヤと同じなのが嫌なのだろう。
「いいわよ。どんなのがいいの?」
「半ズボンとTシャツがいい。やっくんといっちゃんが着てたみたいなやつ」
「絵は描く? 色は?」
「色は水色がいい。有栖姉ちゃん、自動車、描ける?」
やっぱり自動車かあ。
「わかったわ。でも下手でも笑わないでね?」
「ん」
たっくんは素直にうなずいた。
「わかった」
服の錬想は簡単だ。勁を練って地熱を少し借りるだけですぐにできる。
ズボンは簡単、問題はTシャツだ。
自動車かあ。
タクシー描いてもしょうがないし、トラックなんて問題外だ。かえってトラウマを刺激するかも知れない。
かといって格好いいスポーツカーはよく知らない。知らないのではイメージできない。
ふと、わたしは宇賀神さんが乗っているパトカーを思い出した。
あれだったら何度か見ているし、イメージできそうだ。
「ふんッ」
両手を開いたところに現れたのは青いTシャツだった。真ん中に白と黒のパトカーが描かれている。
「うわーッ」
初めて、たっくんの目が輝いた。
「有栖姉ちゃん、ありがとう」
着替えてくると言い残し、隣の部屋に入ってしまう。
以前だったらその場で着替えていたのに。やっぱり少したっくんは変わった。
でもきっとこれは良い変化。向こうに行ったら前よりもみんなと仲良く一緒に遊べるようになっている気がする。
「格好良いよ、有栖姉ちゃん!」
たっくんが小躍りして隣の部屋から現れた。
「でも、これ、どうしよう?」
今まで着ていた服をまるで汚らわしいもののように指でつまんでいる。
「燃やしちゃいましょ? そこの囲炉裏に入れて? すぐに燃えるから」
錬想したものは地脈に返す。
そうして地脈はいつまでも地熱を宿す。
きっと現世ではそれがうまくいっていないのだ。だからあれだけ地熱を集めるのに苦労するのだろう。
「あとな、おれ、暗いのが怖い」
と不意に、それまで楽しそうにしていたたっくんが急にまたしょぼくれてしまった。
暗いのが怖い。
暗いところでキョウヤと色々あったのかも知れない。
「そうかあ。おいで、たっくん」
わたしはたっくんを膝の上に乗せてあげた。
「じゃあ、行灯を一個作りましょう。行灯をつけておけば安心でしょ」
「うん。ありがとう、有栖姉ちゃん」
「行灯を点けたら今日は早く寝てしまいましょう。たっくんも色々あって疲れたでしょ」
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
その日の夜は二人で布団を並べて寝た。
手を握っていて欲しいと言われたのでたっくんと手を繋いでいる。
「なあ、有栖姉ちゃん」
遠慮がちにたっくんが話しかけてきた。
「おれ、そっちに行ってもいいかな」
「いいわよ」
わたしは繋いでいた手を離すと、布団を半分めくってたっくんが入れるようにした。
すぐにたっくんがわたしの胸元で丸くなる。
「おれ、なんであんなおっちゃんについて行っちゃったのかなあ。ごめんね、有栖姉ちゃん」
「いいのよ」
たっくんの頭を優しく撫でてあげる。
夕方一緒に髪を洗ったので子供の匂いしかしない。
「ほら、またこうやって会えたじゃない。男の子はくよくよしないのよ」
「うん……」
やっと安心したのか、気がつくと、たっくんはスースーと安らかな寝息を立てていた。
翌日は少し遅く出た。
たっくんはわたしの左手を決して放そうとしない。
棒を振り回すこともしないし、走り回ることもない。
たっくんはすっかり大人しい子供になってしまっていた。
二人で歌を歌いながらゆっくりと土手の道を歩く。
「♪ あっるっこー、あっるっこー」
みんなが好きな歌。
たっくんも大きな声で歌ってる。
「じゃあたっくん、あそこの木まで競争しよっか。そうしたら休憩にしましょう?」
わたしはたっくんに提案した。
「いい。おれ、こうやって歩いている方が好きだ」
意外な答え。
でもかわいい。
「じゃあ、そうしましょう」
その後三回ほど休憩して、カロンの船着場に着いたのは夕暮れ時だった。
「……二人か?」
川面にせり出したデッキに乗ると、早速カロンが話しかけてくる。
「いえ、一人よ。この子だけ。わたしはまだ行けないの」
「……そうか。そういえばお前はこの前よりは元気そうだ」
相変わらず大きなフードで影になっているカロンの表情は見えない。
「この子をくれぐれもお願い。『夢見の泉』まで案内してあげて」
「……わかった。引き受けよう」
小銭入れから五百円玉を取り出し、口に挟んでカロンに渡す。
「この前のツケがあったから」
「……律儀だな」
「どういたしまして」
と不意に思い出し、わたしは手に持っていた布袋をカロンに渡した。
「あとあなたにもう一つお願いがあるの。これを川の真ん中らへんに捨ててくれないかしら」
「……穢れたものではなかろうな」
「こちらで錬想されたもののはずだから、多分大丈夫だと思う」
「……中を見ていいか」
「どうぞ」
「……これは、拳銃ではないか。汚らわしい。引き受けよう。絶対に誰にも拾えない深瀬に捨てておく」
それまでカロンとのやり取りを黙って聞いていたたっくんが不意に口を開いた。
「有栖姉ちゃん、また、会えるんだよな」
「会えるわよ。いつになるかは判らないし、わたしはおばあさんになっちゃってるかも知れないけど」
「わかった。じゃあ待ってる」
たっくんは泣かなかった。
「おれ、男の子だから泣かないんだ」
不意にたっくんはわたしの腰に抱きついた。
「でも寂しいよ、有栖姉ちゃん」
「大丈夫よ」
わたしは跪くとたっくんをぎゅっと抱きしめてあげた。
「向こうに行けば結菜ちゃんや光ちゃん、大和くんや樹くんが待っているわ。みんなで遊べば寂しくなんかないわよ」
「うん」
たっくんはわたしにしがみついたままだ。
泣かないと言っていたのに、いつの間にかわたしの首筋はたっくんの涙で濡れていた。
「待っていてね、たっくん。わたしもいつかそっちに行くから……あ、そうだ」
そうだ。『夢見の泉』。
「『夢見の泉』に行くとね、好きな人の夢に入ることができるんだって。だから、みんなと一緒になったら一度わたしの夢に遊びに来て」
「わかった。約束する」
たっくんが小指を差し出す。
「♪ 指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ーます」
「……出すぞ」
いつものようにイタリアのゴンドラみたいな船の上でカロンが待っている。
「じゃあね、たっくん。またね」
長い棒を操作し、カロンが船を漕ぎだす。
川面には夕霧が漂っていた。
わたしはカロンの船が見えなくなるまでいつまでも手を振り続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます