9−4

「たっくん、いらっしゃい」

 わたしはキョウヤが身動きできないことを確認してからたっくんを呼んだ。

 たっくんはすくんだようにそこに立ち尽くしている。

 キョウヤが動けないのは確認済みだ。

 胸板を『西瓜割』でブチ抜いたのだ。それに手足も切断した。

 これでは動きたくても動けないだろう。

「たっくん?」

「うん……」

 おずおずと、たっくんがこちらに歩いてくる。

「大変だったね」

 わたしはたっくんを抱きしめてあげた。

 髪の毛からかすかに子供の匂いと埃の匂いがする。

 この調子ではろくにお風呂にも入れてもらえていなかったのだろう。

「ごめん、有栖姉ちゃん……おれ、おれ」

 そのあとは言葉にならなかった。

「うわーん、ごめん、ごめんよう」

「大丈夫、もう大丈夫だから」

 優しくたっくんの髪を撫でてあげる。

「うわーッ」

 大泣きするたっくんの涙と鼻水でわたしのエプロンドレスはすぐにびしょびしょになった。

 でも、気にしない。

 たっくんが戻ってきてくれてよかった。

 見つかってよかった。

 わたしはたっくんが落ち着くまで、いつまでもたっくんの頭を撫で続けていた。


¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨


「じゃあたっくん、少しお手伝いしてくれる?」

 ようやく少し落ち着いたたっくんにわたしは優しく話しかけた。

「お手伝いって?」

「そこの河原に乾いた木が落ちていると思うの。集めてきてくれる? わたしも一緒に行くから」

 うまい具合に河原には流木が散乱していた。

 手頃な流木を拾い、両手いっぱいにして広場に積み上げる。

 何回か往復すると、そこには腰の高さくらいの流木の山ができた。

 焚付けに細い枝を積み上げ、そこに地熱から集めた熱を移す。

「さあ、焚き火をしましょう」

 最初チロチロと燃えていた焚付けの火が、やがて流木に燃え移る。

「な、何をする気だ」

 胴体だけになってしまったキョウヤが怯えたように言う。

「……」

 わたしはそれには答えず、燃え始めた焚き火にさらに地脈の熱を送った。


 ボンッ


 すぐに焚き火は炎上する火柱に変わった。

 燃え上がる炎は渦を巻き、その様子はまるで紅蓮の地獄の炎のようだ。

「こうするのよ」

 わたしは手頃な石に腰を下ろすと、断ち切られたキョウヤの右腕を炎の中に投げ込んだ。

 すぐに炎が腕のシャツに燃え移り、腕が黒く燃え始める。

「お、おい、やめろ! 再生できなくなる」

「だからいいんじゃない」

 ことさら残酷な笑顔をわざと作る。

「脚も燃やさないとね」

 右脚をブーツごと炎に投げ込む。

 火力が足りない。

 わたしはさらに地脈の熱を送った。

 今では三メートルくらいの火柱が立っている。

 中の温度は相当だろう。

「あなた、成城の事件を覚えてる?」

 ふと思い出し、わたしはキョウヤに訊ねた。

「成城? なんのことだ」

「大昔に、成城学園の駅前で親子がトラックにはねられたの。あなた、何か知ってる?」

「……知らん。何を言っているのか全くわからん」

「そう。それならまあ、それでいいわ」

 わたしはそこに転がっていた左腕を指先でつまみ上げた。

「どちらにしても、あなたには死んでもらう」


 その時きっと、わたしの瞳は昏い光を帯びていただろう。

 意識しなくても口元に酷薄な笑みが浮かぶ。


「やめろッ」

「やめるわけないじゃない。あんたが今までしてきたことを反省して消滅なさい」


 心が折れればそいつは勝手に消滅する。


 お師様は冥界の理をそう仰っていた。

 ならば、できる限り残虐に殺してやる。


 わたしはつまんだ左腕、ついで左脚を燃え上がる炎にくべた。

「ほら、ちゃんと見て?」

 わたしはしゃがみこんで両肩に手を置くと、隣のたっくんに話しかけた。

「あなたをいじめたキョウヤはもういないの。だから安心して」

「……」

 憑かれたように、たっくんが燃え盛る炎を見つめている。

 たっくんをキョウヤの呪縛から解いてあげないといけない。

 残酷なようだが、これだけはちゃんと見せておきたかった。

 キョウヤはもういない。

 たっくんを縛るものはもう存在しない。


 すぐに腕と脚は燃え盛る炎の中で消滅した。

 黒い粒子が炎の中に溶けていく。

 胴体だけになってしまったキョウヤが小声で、

「やめろ、やめろ……」

 とだけ呟いている。

 もう眼には光がない。

 心が折れている。

「じゃあね、キョウヤ」

 わたしは最後に首根っこを掴んでキョウヤの胴体を炎の中に投げ込むと、さらに火力を強くした。

「……よう、ねえちゃんよう」

 ふと、炎の中からキョウヤがわたしに話しかける。

「……これであんたも人殺しだな」

 次の瞬間、キョウヤの身体は黒い粒子となって消滅した。


 流木がチラチラとした燠火になった時、そこには何も残っていなかった。

 骨も、服も何もかも。

 キョウヤは心が折れて消滅した。あれだけ完膚なきまでに叩き潰したのだ。心が折れないわけがない。


 キョウヤが言う通り、わたしはこれで人殺しだ。

 でも、不思議と何も感じなかった。

 どのみち剣術は殺しの技術だ。


 これが剣士の覚悟。


 キョウヤを生かしておくわけにはいかない。

 これ以上、たっくんのような子を作るわけにはいかない。


 流木が完全に燃え尽きるのを待ってから、わたしはたっくんに声をかけた。

「じゃあ行こうか、たっくん。今日は疲れたから街で休んで、明日カロンの船着場に行こう?」

「わかった」

 たっくんがうなずく。

「ねえ、有栖姉ちゃん?」

 と、たっくんがわたしのスカートを引っ張る。

 そのまま答えるとわたしが見下ろす形になってしまう。

 わたしはしゃがむとたっくんに尋ねた。

「なあに? たっくん」

「これ、どうしよう」

 それはキョウヤが残していったコルトSAAと弾丸の残りだった。

 どうしよう。

 こんなもの、持っているだけで穢らわしい。

 不意に思いつき、たっくんに答える。

「明日、カロンにお願いしてみよう? 川の真ん中ら辺で捨ててもらえばもう誰も使えないから。さあ、行こう?」

 言いながら無意識のうちにたっくんの左手に手を伸ばす。


 しかし、すぐにわたしの右手はその場で止まった。


 わたしの両手は血に塗れている。

 たっくんの手を取る資格は、わたしにはない。


 わたしは、人殺しだ。

 わたしはキョウヤを殺した。

 キョウヤの心をへし折り、そして燃やした。


 ひとごろし。


 わたしはもう、以前のわたしではない。

 わたしは、変わってしまった。

 心の底になにかが蟠る。


 ふいに叫び出してしまいそうな不快感に身体が痺れる。


 だが、たっくんは嬉しそうにわたしの右手を握ると明るく微笑んだ。


 そうか。たっくんは赦(ゆる)してくれるんだ。


 二人で手を繋いで土手の道を街へと戻る。


 つと頬を何か温かいものが流れていく。

 いつの間にか、わたしはボロボロと涙を流しながら泣いていた。


「……有栖姉ちゃん、なんで泣いてるの?」

 たっくんが心配そうにわたしの顔を覗き込む。

「なんでも、ないわ。ちょっと目にゴミが入っただけ」

 わたしはたっくんの手を強く握りなおすと、Los Muertosへと戻って行った。

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