7−3

 ところで毎日警察で新聞を読んでいる間も、剣術の修練は欠かさなかった。


 とりあえずもっとコア・マッスルを鍛えないと。体幹がしっかりしないと斬り返しの速度を上げらえない。

 今までの方法では限界を超えられない。

 そこでわたしは一計を案じてパパにバランスボールをおねだりした。

 黄色い、かわいい色をした大きなボールだ。

 パパはわたしに甘々なので、ボールはすぐにアマゾンで届けられた。

 今まで使っていた椅子は全部撤去。

 ボールが届けられて以来、うちでの生活は全部バランスボールの上だ。

 最初はバランスの取り方がわからなかったが、すぐに慣れた。

 今ではボールの上に正座することも、ボールの上に立つこともできる。

 ボールに入っていたチラシによれば、これは軍隊でも採用されているトレーニング方法なんだそうだ。これできっと体幹は変わるだろう。


 もう一つ変えたのは素振りをするときの庭の足場だ。

 今までは庭の芝生の上で素振りをしていたのだが、わたしはこれまたパパにおねだりして園芸用の玉砂利をホームセンターで買ってもらった。

 一つはソフトボールくらい。これを二十キロ。

 わたしは買ってきた玉砂利を庭の片隅に敷き詰めると、素振り用にわざと足場の悪い場所を作った。

 足場の悪いところで素振りをすれば、嫌でも体幹は鍛えられる。

 ここでいつものように一日三千回、居合を千回。その他に斬り返しの形稽古をもう千回。

 新宿署を夜の九時に追い出され(高校生は深夜帯は働いてはいけないんだって。それにおうちには十時には着かないといけないらしい)、宇賀神さんに新宿駅まで送ってもらって家に着くのが十時少し前。それからたっぷり三時間以上、みっちり稽古する。

 おかげで睡眠時間は短くなってしまったけど、効果は劇的だった。

 体幹が安定し、素早く斬り返しても上半身がブレなくなった。

 上半身がブレなければ、さらに速い斬り返しが可能になる。

 もっと速く。

 もっと素早く。

「キェイッ」

 居合の抜刀の速度も上がった。

 これを組み合わせれば……

 わたしはキョウヤの連射を躱すことを想定しながら、ひたすら体幹トレーニングに没頭した。


¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨


「で、どうなんだい? 剣術の方は?」

 もぐもぐとステーキを咀嚼しながら、宇賀神さんはわたしに尋ねた。

 ここは西新宿の立ち食いステーキのお店だ。

 新宿署で調べ物をするようになってからお家でマトン・ステーキを食べられなくなってしまったので、わたしはいつも警察署からの帰り道にあるこのお店で、晩ごはん代わりにステーキを食べている。

 お金は宇賀神さんが払ってくれた。バイト代の一部だって。調べ物の方もちゃんと時給計算して月末にはお給料をもらっている。

 なんか、甘えてばっかりだ。

「いい感じです。体幹トレーニングを取り入れたんですけど、そうしたら斬り返しの速度を上げることができるようになりました。もっと速くできるかも」

 大きなギザギザ付きのナイフで五百グラムのステーキを切りながら答える。

 一方の宇賀神さんのステーキは三百グラムだ。

「それはいいな。銃撃を避ける練習はしているのか?」

「ほへは、ひてなひ、です」

 いけない。わたしってば、はしたない。

 口に物が入っている時は喋っちゃいけないんだった。

 思わず手で口を隠したが後の祭りだ。

「練習って言っても、何をしたらいいのかわからないので……」

「まあ、それもそうだなあ」

 宇賀神さんがステーキを嚥下してから答えていう。

 宇賀神さんの方がお上品だ。

「まあ、あとはせいぜい動体視力を鍛えるくらいか。見えていれば避けるのは簡単だろうしな」


 動体視力か。

 考えたこともなかったな。

 帰りの電車の中で、わたしは窓から外を眺めてみた。

 わたしの動体視力はそもそも高い。

 剣術を鍛錬しているうちに目も勝手に鍛えられたらしい。

 だが、最近は素振りばっかりで乱取り稽古をしていない。確かに、鍛えておいた方がいいかもしれない。

 とりあえずこれから毎日電車に乗っている時間は動体視力の鍛錬に使おうと心に決める。

 すれ違う電車の乗客の顔を見ていれば目も鍛えられるだろう。


 それよりも、と早速電車の外の景色を眺めながら考える。

 宇賀神さんが言っていた、現世での錬想。これがいつまでもまるで喉に刺さった小骨のように引っかかっている。

 毎日の鍛錬の最後に一応やっては見ているものの、何かを錬想できそうな気配はまるでなかった。

 地熱が集まらない。

 何かが集まる気配はあるものの、それが熱として形をなすところまでには至らない。

 これをキョウヤはできるという。

 一体、何をどうやって?

 もし、本当にキョウヤがそれをできるというのならそれは脅威だ。

 わたしはお師様の仰っていた錬想のコツを一つ一つ反芻しながら、現世では何が足りないのかを考え続けていた。


¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨


 いつもの退屈な新聞の調査。

 その日、わたしはなんとなくその記事に引き込まれるものを感じた。

『運転ミスか。軽自動車がコンビニに突っ込む』

 場所は東京の中野。

 そういえば、何日か前にも似たような事故の記事を見た。

 それも確か、中野だった。

 中野……

 そういえばたっくんのお家は確か中野にあった。

 携帯電話を取り出し、宇賀神さんを呼び出す。

「宇賀神さん、こっち来れます?」

 おう、今行くよ、という答え。

 サンダルをつっかけた格好で宇賀神さんが現れた。

「どうした? 何か見つけたか?」

「これ、何ですけど」

 と、わたしはその新聞の記事を宇賀神さんに指差した。

「少し前に、同じ区内で似たような事故があったと思うんです」

 四冊目の大学ノートのページを繰り、記事を探す。

「……あった。これです」

 この事故も、運転ミスかと書かれていた。だが、突撃したのは駐車場の向かいの家の壁。駐車場の反対側のお家の壁がそれで壊れたらしい。こちらの事故では運転していた主婦の人が亡くなっていた。

「これも、中野か」

「そうなんです。それに、中野には拓海くんのお家があるんです。なんか関連があるかも知れないと思って」

 宇賀神さんの目が鈍く光る。


 何か、考え事をしている。

 これが刑事の勘って奴なのかも。

やだ、ちょっと格好いい。


 やがて宇賀神さんは考えがまとまったのか、わたしにこんな指示を出した。

「アリス君、他に中野で何かなかったか、そのノートを調べてみてもらえるか? 俺はこれから中野区の警察から最近の事案書を取り寄せる」

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