7−2

 三日目の夕方。

 予定通り、わたしは美百合さんのマンションから退院した。

 体調はバッチリ元に戻っている。寝ていた期間が短いので筋力の衰えも感じない。

「どう? 調子は」

「バッチリです。元気になりました。ありがとうございます」

「じゃあ、治療費は後で請求するわね。今回はちょっとお高いわよ。入院付きだから」


 あ、やっぱりお金は取られるんだ。


「わかりました」

「大丈夫、たっくんが見つかれば残りの百万も頂けるから、ちゃんとお釣りはくるわよ」

 美百合さんがパチンッとウィンクする。


 美百合さんのマンションを後にしてのち、わたしはまっすぐ新宿警察署に向かった。

 退院したら宇賀神さんと会うことになっていたのだ。

 事前に電話をしておいたので、宇賀神さんは警察署の前で待っていてくれた。

「やあ。もう身体はいいのかい」

「バッチリです」

「それは良かった……じゃあ、早速取り掛かろうか。君の部屋も準備してある」

 その部屋は会議室の一つをパーティションで区切った小さな部屋のようだった。

「さすがに刑事部屋にJKを入れるわけにもいかなくてね、ここで勘弁してくれ。ここを準備するのだって大変だったんだ。何枚も書類を書かされた」


 でも、ここで何をするんだろう?


 クエスチョンマークが顔に出たのか、宇賀神さんが言葉を継ぐ。

「君にはここで資料を探して欲しいんだ。ここに日本中の新聞が届くようになっている」


 日本中?

 うそん。それってどれだけの量なの?


「まあ、キョウヤは東京を中心に活動しているから、他の地方に来るとは思えないんだがね、だが、一応念には念を入れようということなんだ。ここで毎日、新聞をチェックしてそれらしい事件がないか探して欲しい。何、見るのは一面と三面記事だけでいいんだ。政治とか経済とかのところは読み飛ばしていい」

 それでも大した量だ。

「……わかりました」

 不承不承頷く。他に手がないのでは仕方がない。

「並行して、俺は警察部内の事案リストを洗う。こうやって手わけすればいずれ尻尾をつかめるはずだ」


¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨


 思ったよりも大変な作業だった。

 日本中の新聞ってすごい量。結構たくさん新聞って発行されてたのね。

 毎日、学校が終わると新宿警察署に赴き、グレーの事務机の上に山積みになった新聞を見てため息を吐く。

 最初のうちは沖縄の新聞とか面白がって読んでいたんだけど、すぐに飽きた。

 毎日書いてあることはだいたい同じ。

 どこで誰が死んだ、とか、どこそこで交通事故があった、とか。

「あー、飽きたよう」

 思わず両手両足を伸ばし、足をジタバタさせて叫んでしまう。

 でもたまにそれらしい事件もあった。

 例えば高層パーキングから自動車が転落したとか、暴走した軽自動車がコンビニに突撃したとか。

 わたしはそういう事件を見つけるとハサミでチョキチョキ切り抜いて大学ノートに貼り付ける。横には日付と新聞の名前、それに場所の名前。

 1冊目はあっという間にいっぱいになり、今は三冊目だ。

 見つかるたびに宇賀神さんに電話をかけ、記事を見せる。宇賀神さんはそれを持って刑事部屋に戻るとコピーを取っているようだ。


 いつの間にかに春が終わり、梅雨が過ぎて初夏が近づいてきていた。

 今年は空梅雨だとかでほとんど雨が降らなかった。おかげで快適だったけど、お野菜が高くなっちゃいそう。


 宇賀神さんは思ったよりも気配りの人で、何かと理由をつけてはわたしの様子を見にきてくれる。

「どうだい、そろそろ飽きてきただろう?」

 宇賀神さんは冷たい缶コーヒーをわたしにくれると、自分もプルタブを引っ張って美味しそうにコーヒーを飲んだ。

 わたしのはカフェオレ、宇賀神さんはブラックだ。

「うん、飽きました」

 にっこりと答える。

 本当に飽きた。

 でもおじさんたちは毎朝電車の中で新聞を読んでいる。

 新聞を読んでいる人って本当にすごい。

 よく飽きないなあ。

「パターンが見えてくればいいんだがなあ、まだよくわからないんだ」

 宇賀神さんは内ポケットから折り畳んだコピーを取り出した。

 どうやら地図の縮小コピーだ。東京の地図に小さな矢印が沢山書かれている。

「これは東京の地図なんだが、日本の地図も作っている。こうやってマークしていって、一定のパターンが見えてくればその中心にキョウヤの巣があるはずなんだ。前回はそうやってもう一歩のところまで追い込んだんだが……」

 右手でガリガリと後ろ頭を掻く。

「すんでのところで冥界に逃げられた。でも今回はアリス君がいるからな、冥界に逃げられても追えるはずだ。今度こそ仕留めよう」

「はい」

 漫然とした作業だと思っていたんだけど、ちゃんと意味があったんだ。


「ところでな」

 と、宇賀神さんは話題を変えた。

「俺なりにキョウヤ攻略法を考えてみたんだが」

 と、違う紙を取り出した。

 開けてみると、ピストルの絵が描かれている。設計図みたい。分解したところも描かれている。

「これを見て、何か気付かないかい?」

 気づく?

「いえ、ピストルだなー、くらいしか」

「そうか、女の子には判らんか。……いいかい、よく聞いて欲しいんだ」

 と、宇賀神さんはピストルの蓮根みたいなところを指差した。

「これをな、シリンダーっていう。警察式には輪胴だな。キョウヤの使っているコルトSAAにはこれのスイングアウト機構がないんだ。古い銃なんでね。これの意味がわかるかい?」

 わかるわけがない。

 何が何やらさっぱりだ。

「いえ……」

 曖昧に答える。

 ポーっとしててもバカみたいだし、どんな顔をしていいのかわからない。

「そりゃそうか」

 宇賀神さんが困ったように言う。自分の言葉で説明できなくて困っているようだ。

「スイングアウトってのはこの部分が外に出てくる機構のことなんだ。そうすると銃弾の交換が素早くできる。でも、コルトSAAはそれができない。一発ずつしか弾を交換できないんだ。だとすればだ」

 宇賀神さんはコーヒーを飲み干すと、空いた缶をゴミ箱に投げ込んだ。

「六発全部撃ち尽くしてしまえば、この銃は文鎮以下のただの鉄の塊になっちまうのさ。リロード、じゃねえ、再装填には時間がかかる。その間にズタボロに斬ってしまえばこちらの勝ちだ」

「!」


 やっと宇賀神さんが何を言おうとしているのかわかった。

 要するに、キョウヤが弾を撃ち尽くしてしまえば隙ができるんだ!


「わかりました! 撃ち尽くさせればいいんですね」

「ご明察」

 宇賀神さんがにこりと笑う。

「前回、アリス君は一発避けきれなかったって言っていただろう? それでも三発はちゃんと刀で防いでいる。君は剣士だから刀で受ける癖が付いているんだろうけど、銃撃ってのは線じゃない。点の攻撃だ。最初から避けてしまえばいいのさ。弾は見えるんだろう? 刀で受けるのは最小限にして、こっちも動いて避けてしまえば無駄弾を撃たせることができるはずだ」

 じゃあ帰る時間になったら迎えに来るからと言い残し、宇賀神さんが部屋から出て行く。

 だが、すぐに戻ってくると再びドアから顔を覗かせた。

「そうそう。言い忘れた」

「?」

 何を言い忘れたのかしら? 遅刻しちゃダメとかそうこと?

「あのな、キョウヤはどうやら現世でも君らが言うところの『錬想』ができるようだぞ。練習しておいた方がいいかも知れん」


 現世で錬想? ゾッと背中が寒くなる。

 そんなことが本当にできるのだろうか?


 宇賀神さんが行ってしまった後も、わたしはずっとその事を考えていた。

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