第七話 フライ・キャッチャー

7−1

「ガハッ」

 美百合さんのマンションの処置室で目覚めた途端、わたしは大量に吐血した。

 着ていた患者着が吐いた鮮血で真っ赤に染まる。

「なになに、どーしたのよ!」

 さすがにびっくりしたのか、美百合さんが血相を変える。

 すぐに寒気が来る。

 それにお腹の中が妙に熱い。焼けるようだ。

「む、向こうで撃たれました」

「えー、怪我持ってきちゃったの? しょうがないわねえ」


 肉体は精神に追従する。

 精神が肉体に帰ってきた瞬間、精神が肉体に影響を及ぼしたらしい。


「とにかく診せなさい」

 美百合さんは手術台に横たわったわたしのお腹を触診した。

「あー、これね。ちょっと背中も見せてちょうだい」

 コロンと身体を回される。

「貫通したみたいね。盲管はしていないと。これはラッキーだったわ」

 美百合さんはわたしの身体を元の体勢に戻すと両手をわたしのお腹の上に乗せた。

「これはちょっと手術が必要ね。アリスちゃん、お腹の中をちょっといじるわよ」

 そう言いながら美百合さんがわたしの上にシーツをかける。

 これは手術するときに術野だけを露出させるためのシーツだ。テレビドラマとかで見たことがある。

 美百合さんも緑色の手術着に着替えると、ブラシと石鹸を使って手を消毒し始めた。

「じゃあ、始めるわよ」

 まるでドラマの外科医のようにわたしの横に立つ。

「じゃあ、まずは少し痛みを取りましょ」

 そう言うと、美百合さんはさっそく両手をわたしのお腹に乗せた。

 すぐにお腹の熱が引いていく。

 これが心霊外科の力。

 すごい。


「じゃ、ちょっと中を見せてもらうわよ」

 ズブズブズブ……という嫌な感触。

 さすがに怖くて見られない。


 何かがわたしのお腹の中をまさぐっている。これはおそらく美百合さんの両手だろう。

「あーもー、グチャグチャじゃない。腸管にも肝臓にも傷が入っちゃってる。これは大変」

「あ、あの、麻酔は」

「今はそんな贅沢言ってられないわ。腸管の中身がこれ以上漏れだす前に傷を閉じないと。手が空いたら笑気ガス使ってあげる」

 何かでわたしのお腹が押し広げられる。お腹の上が重たい。金属製の何かで傷口を開いて固定しているようだ。

「あなたのね、大腸が裂けてるの。今から縫うからちょっと待って」

 どうやら大変なことをされているようだ。なんかお腹の中を整頓したり引っ張ったりしているみたい。

 でも不思議なことに痛くはない。

「……これでよしと。患部を洗浄しまーす」

 生ぬるい感触。何かが注ぎ込まれている。

「肝臓も縫うわよ。こっちは小さい傷だからすぐに済むわ」

 心配させまいという気遣いなのか、何をするのかを事細かに説明してくれる。

「お腹の中はね、外からじゃあ判らないから縫っちゃった方が無難なの。一応は手で触るだけで治せるんだけど、念のためにね」

 でも、それがかえって不安をあおる。

「大丈夫、なの?」

「大丈夫、三日もすれば元通りになるわ。私を信じて」


 いえ、疑うわけじゃないんだけど。

 何度も撃たれては治してもらっているし。

 でも、三日も待てない。


「美百合さん、三日じゃダメなんです。今すぐじゃないと」

 身じろぎしないようにしながら、それでもわたしは美百合さんに反駁した。

「どういうこと?」

「たっくんを探しにすぐに戻らないと」

「あなた、何を寝言言ってるのよ!」

 緑色のマスクをした美百合さんの口調は怒っていた。

「それは無理。今心臓止めちゃったら確実にあなたは戻ってこれないわ」

「でも、美百合さんに撃たれた時はすぐ……」

「私のピストルは小さいし、それにすぐに治るところを撃っているからあれで済んでるの。あんなのとは比較にならない大怪我なのよ! あとで詳しく聞くから、今はおとなしく三日間休みなさい!」

 不意に言葉が優しくなる。

「……わたしもね、心霊外科でも何でも医者は医者なの。わたしの患者は絶対に死なせないわ。無茶は駄目」

「……はい」

 わたしは観念すると目を閉じた。


…………

……


「じゃあ、少なくとも四人は救出に成功したのね」

 手術が終わると、わたしは美百合さんのマンションの客間に寝かせられた。

 わたしの枕元に置かれた高級そうな革のスツールに腰掛け、美百合さんが優雅な動作で膝を組む。

「はい。たっくん以外は」

「で、拓海くんはキョウヤに連れて行かれたと、そういうこと?」

「そうです」

「うーん、困ったわねえ」

 美百合さんはスツールの上で腕組みをして考え込んだ。

「今から戻ったところで何十年も経っちゃうし、そもそもそこにいる保証もないから探しに行くのはどう考えても悪手ね」

「でも、他に方法って」

「そうねえ」

 少し考え込む。

「こちらで網を張りましょう。ハンターの出番ね」

 いつものバッグから携帯電話を取り出す。

 ウサギの尻尾のストラップがいつの間にかにハリネズミのぬいぐるみに変わっている。

 美百合さんにそんな趣味があるとは知らなかった。

 早速電話で誰かを呼び出す。

「……ああ、宇賀神さん? わ・た・し……やあねえ、そんなに嫌そうにしないでよ。あなたにお仕事よ。……そう、ハンターの出番みたい」


 この前と同じく宇賀神さんは少しくたびれた様子で現れた。

「で、何よ、ハンターの出番って」

「あなただって一応はハンターでしょ?」

「そりゃそうだけど、俺は現世専門だぜ。現世で仕事か?」

「そうなの。アリスちゃんがね、キョウヤと殺り合って今度は負けちゃったみたいなのよう。それで今はこの体たらくなの」

 と、わたしが寝ているベッドを片手で示す。

「しかもね、救出しないといけない子を一人キョウヤにさらわれちゃったみたいなの」

「アリス君がこんなにズタボロに負けたのか? そりゃすごいな」

「一回に四発撃たれたらさすがにかわせません。一発、お腹に当たっちゃいました」


 それにしても美百合さんの治療はすごい。

 大怪我をしているのに普通に話せる。これなら本当に三日で元通りになるかも。


「一回に四発。ファニング・ショットか。あいつ、いつの間に……」

「ファニング・ショットってなんです?」

 本筋には関係なさそうだったが、興味がある。

 ひょっとしたらキョウヤ攻略のカギになるかも知れない。

「ああ、ファニング・ショットってのはな、西部劇の時代によく使われた連射方法なんだ」

 宇賀神さんは説明してくれた。

「あいつが使っているのは構造がシンプルなコルトSAAって銃なんだがね──たぶん、錬想が簡単なんだろう──、構造が単純だからトリガー引きっぱなしで撃鉄を引くだけで弾が発射できるんだ」

 宇賀神さんの説明に熱がこもる。

 ひょっとしてこの人、ガンマニア?

「でな、それを複数の指でやるのがファニング・ショットだ。最大で五発は打てる。手のひらも使って六発っていう奴もいるけど、俺はそれは無理だと思う。四発でもかなりの高等芸だと思うね。あいつ、修行やり直しやがったな」


「エッヘン、オッホン」

 頃合いよしと見たのか、美百合さんが咳払いをして話の腰を折る。

「で、どう? キャッチできると思う?」

「ああ」

 宇賀神さんが無精髭の生えた顎をなでる。

「たぶん、できると思う。まあ、事件が起きる前か後かは置いておいても、何かが起れば捕まえることはできるだろう。だが、そのためにはアリス君が俺と一緒に行動する必要があるな」

「でもそうしたら、冥界に行けない」

「その時は俺が撃つさ」

 ことも無げに宇賀神さんはわたしの言葉に答えて言った。

「後のことは美百合さんに任せればいい。確かに、俺たちが見つけたらキョウヤは冥界に逃げるだろう。そうしたら俺が君を撃つ。俺の銃は警察のチンケな銃だからそんなに酷いことにはならんだろう……あとで美百合さんにどこを撃てばいいのかだけは教わっておくよ」


 そんなので本当に大丈夫なのだろうか?

 今度こそ、本当に死んじゃいそう。


「まあ、美百合さんの言う通り、三日は養生するんだな。元気になったら行動開始だ」

 宇賀神さんは背中越しに手を振ると、わたしの即席病室を後にした。


 パパには美百合さんが上手に言い繕ってくれた。

 ちょっと長いお仕事になるので三日ほど娘さんをお借りします。もちろん大丈夫、危ないことはありません。

 その間、わたしは美百合さんの献身的な看護と治療でメキメキと回復した。

 朝夕のおかゆ、お昼はパン粥、それにリハビリと心霊治療。

 治療している間、美百合さんは色々なことを話してくれた。

 自分が子供を産めない身体だということ、目の色でどれだけ苦労したかということ、それにこの仕事が美百合さんにとってどれだけ大切なのかということ。

 宇賀神さんも毎日様子を見にきてくれた。

 もっとも、こっちはいつから活動開始できるかを探ってる感じだったけど。


「ハンターにはね、冥界専門のハンターと、現世専門のハンターがいるのよ」

 宇賀神さんいない時、美百合さんは説明してくれた。

「宇賀神さんは現世のハンターね。現世の事件を辿って、犯人を捜すの。冥界のハンターは冥界に逝ってキョウヤみたいなリクルーターを始末してくれるんだけど、数が少ないし、それにお高いのよ」

 と、美百合さんは右手の親指と人差し指で丸を作った。

「その点、宇賀神さんだったら公務員だから何しろタダだし、今回みたいなケースだったら冥界で探すよりは現世で網を張った方がいいと思うわ。宇賀神さんに任せてみましょう?」

 美百合さんはにっこりと笑うと、わたしの布団を掛け直してくれた。

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