6−5

「ツッ、グゥ……」

 目覚めた時、そこはどこかの空き家の中だった。

「あ、起きた! 光ちゃん、有栖お姉ちゃんが起きたよ!」

 枕元にいた結菜ちゃんが大声をあげる。

 すぐにバタバタと足音を立てて残りの三人が集まってきた。

「有栖お姉さん、大丈夫?」

「有栖お姉ちゃん!」

 口々に名前を呼びながらわたしの枕元にぺたんと座る。

「……たっくん、は?」

 わたしは脇腹の痛みに耐えながら布団の上に起き上がった。

「たっくん、あのおじさんについてっちゃった」

 結菜ちゃんが無邪気に答える。

「少し探したんですけど、見つかりませんでした」

 と樹くん。

「……子供だけで行動するのは危ない、わ。たっくんはわたしが探すから、あなたたちはじっとしていて」

 わたしの声は弱々しい。


 まだ、心が弱い。

 精神の世界で怪我をしてしまうとは。


「それよりも、ここは?」

 わたしは周囲を見回した。

 古い家だ。よろい戸もないし、窓の格子は壊れている。廃屋寸前だ。

「近くにあったんです。みんなで有栖お姉ちゃんを運びました」

「そう……。重かったでしょう、ありがとう」

「そんなに重くなかったです。大和と二人で運びました。有栖お姉さんの刀は枕元に置いてあります」

 しっかり者の樹くん。やることにソツがない。とても小学校二年生とは思えない。

「それよりも……」

 わたしは窓越しに外を見てみた。

 日が昇っている。常に曇天のこのあたりだが、さすがに今が朝なのか昼なのかくらいはわかる。

 そろそろ日は昼に近づいているようだ。

「わたしはどれくらい眠っていたの?」

「だいたい、まる一日です」

 樹くんはわたしの枕元に正座すると答えて言った。

「有栖お姉さんをここに寝かせてからちょっとたっくんを探して、夕方になったので昨日はここで一緒に寝ました。起きてもうしばらく経ちますからそろそろお昼頃だと思います」


 頭の中で素早く計算する。

 お師様のところでまる一日、Los Muertosでもう一日。昨日から一日寝ていたとするともう八十時間くらい使ってしまった。

 あと、十時間でカロンの船着場に着かなければならない。

「……こうしてはいられないわ」

 わたしは無理やり立ち上がった。

 クラッと立ちくらみがする。

 精神の世界なのに、立ちくらみ?

 まったく、忌々しい。

「みんな、出かける準備をして。カロンの船着場に向かうわよ」


 急いで身支度をしてみんなで出発する。

 わたしの左手を握る結菜ちゃんが心配そうだ。

「有栖お姉ちゃん、大丈夫?」

「大丈夫よ、結菜ちゃん」

 カラ元気を出して結菜ちゃんの頭を撫でる。

「結菜ちゃんは優しいね」

 街を抜け、土手に上がる。

 大人の足なら五時間程度の道のりだが、この体調ではどれくらいかかるかわからない。

 すでに額には脂汗がにじみ始めている。手のひらもびっしょりだ。

 わたしはベルトから『西瓜割』を鞘ごと引き抜くと、これを杖代わりにすることにした。

 子供たちの方が歩く速度が速い。

 こちらはついていくので精一杯だ。

「有栖お姉さん、大丈夫ですか? 休憩しましょうか」

 これじゃあどっちが保護者だかわからない。

「そ、そうね。じゃあ、そこの木の根元で少し休憩しましょう」


 休憩している間は瞑想に努めた。

 瞑想して、なんとかして傷を癒さないと。

 この怪我はあくまでも精神体に与えられたもの。本当の傷ではないと自分に言い聞かせる。

 だが、本当の傷ではないと思い込もうとすればするほど状況は悪化した。

 かえってそれが意識されてしまうのだ。

 熱まで出てきたようだ。

 こんなところで失神するわけにはいかない。

「じゃあ、ゆっくり休んだし、行きましょうか」

 わたしはよろよろと立ち上がった。

「有栖お姉ちゃん、大丈夫? もう少し休んでも……」

「大丈夫よ、光ちゃん。先を急ぎましょう」


 結菜ちゃんに手を引かれ、半分朦朧とした状態で歩き続ける。

 この土手の先にカロンの船着場がある。

 そこまで行けば……


 歩きながらわたしは夢を見ていた。

 時間切れになってしまって、子供たちをここに置いて現世に戻ってしまう悪夢。

 あるいは力尽きてそこに倒れてしまう悪夢。

 傷が悪化して動けなくなってしまう悪夢。

 これはすべて、わたしの覚悟が足りないせい。

 わたしの覚悟が足りないために、子供たちを危険に晒してしまった……


 その度に背筋が凍り、ハッとして意識を取り戻す。


 顔は脂汗でびっしょりだ。

 ハンカチをポケットから出して顔を拭う。

 途中何回休んだだろう。

 カロンの船着場が見えてきたときには日はとっぷりと暮れていた。

 遠くの方にカロンの船着場のカンテラが見える。

 もう、火を灯す時間だった。

「もう少し、もう少しだからね。みんな、頑張って」

 半分自分に言い聞かせるように、子供たちに声をかける。

 子供たちも疲れた顔をしている。

 時間は八時? ひょっとしたら九時を回っているかも知れない。

 気がついたときはみんな無言になっていた。


 これはいけない。


「さあ、みんな、お歌をうたおう?」

 結菜ちゃんに優しく微笑みかける。

「♪ あっるっこー、あっるっこー」

 わたしたちはみんなが大好きな歌を歌いながら暗い土手の道をカロンの船着場目指して下って行った。


 周りをホタルが飛んでいる。

 虫の鳴き声が妙に響く。

 やがて、風の匂いが変わってきた。

 どこか湿っぽい冥界の匂いとは違う。

 青い草の匂い、花の香り。

 心が安らぐ匂いがカロンの船着場の方から香ってくる。

 わたしたちはようやく船着場に着くと、川面に張り出したデッキの上に乗った。

「カロン、渡しをお願い」

 船着場に佇む、黒い人影に声をかける。

「……五人、か?」

「いえ、四人よ。わたしは乗らないから」

「お前、ひどい様子だぞ。……俺はてっきりお前も向こうに行くのかと思った」

「わたしはまだ、死ねないの」

「……そうか」

 カロンが鈎のついた長い棒で渡し船を引き寄せる。

「そういえば、渡し代がないの。これで勘弁してくれない?」

 わたしは『西瓜割』をカロンに差し出した。

「……刃物は好かん。ツケにしておいてやる」

 暗いローブの中で、それでもカロンが少し微笑んだ気がした。


「ここで、お別れなの?」

 結菜ちゃんが泣きそうな顔でわたしの膝に抱きついた。

「そう。あなたたちはね、ここから天国に行くの。……いらっしゃい、みんな」

 四人を集め、ひざまづいて強く抱きしめる。

「この人についていけば大丈夫。ちゃんと向こうに渡してくれるから。それからたっくんのことは心配しないで。わたしがちゃんと見つけるから。たっくんが来るまで、みんなは「夢見の泉」で待っていて。そんなに広いところじゃないみたいだから、そこで待っていてくれればすぐにたっくんに会えるわ」

「有栖お姉さん、ありがとう」

 樹くんも涙ぐんでいる。

「樹くん、男の子は泣かないのよ」

「でも」

「うわーん」

 ついに結菜ちゃんが泣き出した。

「ヤダ、結菜は有栖お姉ちゃんと一緒にいる」

「結菜ちゃん……」

 もう一度結菜ちゃんを抱きしめてあげる。

「結菜ちゃん、わたしを困らせないで。それに、わたしもきっといつかはそっちに行くわ。それまでお願い、待っていて」

「嫌だよう、一緒にいたいよう」

「……光ちゃん、結菜ちゃんをお願い」

 わたしは光ちゃんに声をかけた。

 でも、光ちゃんも涙を流していた。

 無言のまま、?を涙で濡らしている。

「どうもありがとう、有栖お姉ちゃん」

「船の準備ができた。乗ってくれ」

 とカロン。

「さ、みんな、行きなさい」

 わたしは四人をカロンの方に押し出した。

「……有栖お姉ちゃん」

 名残惜しそうに結菜ちゃんが何度も振り向く。

 わたしは無理に笑顔を作ると結菜ちゃんに手を振ってあげた。

「いいこと? 『夢見の泉』よ。そこに行けばパパやママにも会えるし、たっくんもすぐに来るから」

「……出すぞ」

 舳先にカンテラのついた、イタリアのゴンドラみたいな形をした船が船着場を離れた。

 カロンが長い棒を操作するにつれ、船が沖に漕ぎ出していく。

 わたしは船が見えなくなるまで、いつまでも手を振り続けた。

 船が夜霧の中に消えていく。

 やがて、カロンの船の舳先のカンテラは見えなくなってしまった。

「これで、半分任務、終了」

 気が抜けて、その場にへたり込む。


 その時。


 ドスンッ


 胸を張り裂く強烈な衝撃。


 美百合さんが呼んでいる。

 本当にギリギリだった。

 しばらくしてもう一発。

 二発目の衝撃でわたしは完全に意識を失った。

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