4−4

 Los Muertosはいつものように澱んだ空気の漂う、陰鬱な場所だった。


 とりあえず美百合さんが目星をつけた街の中心を目指す。Los Muertosの中央街には十文字状に太い道が走り、住人はその周りにまばらに住んでいた。


 ゆかりさん(それが今回のターゲットの名前だった)が亡くなってもう五日。こちらでは約五十年間の時が経っている。

 ゆかりさんのような若い人が五十年もの間、無為に過ごしているとは思えない。

 きっと何かをしていると思うんだけど。

 わたしだったら退屈で死んじゃう。

 もっとも、ここに来た人は結構無為に過ごす人も多かった。

 ただ毎日、ぼんやりと過ごす。

 そうしているうちに徐々に現世への執着や記憶も薄れていき、ある意味心穏やかに過ごせるようだ。

 五十年や百年、あるいは千年もの間、人々が無為に過ごしているこの街がどんよりとした雰囲気に包まれるのもわかる気がした。


 左腰にはいつものように『西瓜割』。武器だけは携帯するようにと美百合さんに念を押され、わたしはいつもここに来るとすぐに『西瓜割』を錬想するようにしている。

 それに、そうすればお師様の床の間からは『西瓜割』がなくなるから、わたしが来ていることをすぐにお師様に伝えることができる。

 途中見かけた空き家の位置を忘れないように記憶しながら、先を急ぐ。

 空き家情報が何かの役に立つかどうかは判らなかったが、情報は集めておいた方がいい。


 周囲の人にゆかりさんの特徴を伝えたり、美百合さんに教わった情報屋(ちなみに情報は物々交換だ。ただ、相手が有用な情報を持っているとは限らないので交渉には神経を使う)から話を聞いたりしてゆかりさんを見つけた時にはだいぶん時間が経っていた。

「ゆかりさん?」

 古民家作りの家の軒先で足をぶらぶらさせているゆかりさんに声をかける。

 彼女は亡くなった時と同じ、スカーフを頭に巻いていた。

 でも、髪の毛は伸びてきたようだ。

 黒い髪がスカーフからはみ出でいる。

「はい?」

 うすぼんやりとゆかりさんが顔を上げる。

 こちらに来た人の特徴だ。

 目的もなくここにいると、誰でもこんな表情になる。

 なんとなく気の抜けた、魂を抜かれたような表情。

「ゆかりさん、お迎えに来たよ。天国、行こう?」

「あら、あなた、天使さんなの?」

「それは違うんだけど……」

「待ってね、一人では行けないの。一緒にいる人がいるから」


 一緒にいる?

 それって、同棲?


 おかしいな、ゆかりさんにはフィアンセがいたはずだけど。その人は今も現世で生きている。

「ねえ?」

 ゆかりさんが家の奥に声をかける。

「おう」

 奥の方から野太い声が聞こえた。

 男の人だ。それに声に張りがある。

 わたしの勘がこれが普通の状況ではないことを伝える。

 無意識のうちに左手が鯉口を切り、右手が『西瓜割』の柄を握る。


 土間にぶらりと出てきたのはテンガロンハットをあみだに被ったカウボーイ姿の大男だった。

 チャップスっていうんだろうか、腿を覆う皮のズボンみたいなものや皮のベスト、それにブーツまで身に纏っている。

「この子がね、わたしをお迎えに来たんだって。どうしようか」

「どうしようかって、お前、ここに俺と一緒にいるって決めたんだろう?」

「そりゃ、そうなんだけどね。天国に行こうって誘われちゃった」

「……ああん?」

 胡乱げにわたしの顔を撫で回すように見る。

「あんた、エスコートか。しかしすげー美人なエスコートだな。見たところ若いし、こりゃいいな」

「…………」

 わたしは無言のまま、その男の背後を見てみた。

 禍々しい黒と紺の渦。

 こいつには邪悪さしか感じられない。


 ゆかりさんからこいつを引き剥がさないと。

 一緒にいたら何をされるか判らない。


「ゆかりさん、こいつ、危ない」

 油断なく男から目を離さないように、背後のゆかりさんに声をかける。

「ゆかり、ちょっと離れてな」

 男は言うなり、腰の拳銃を抜いた。


 ドゥンッ


 蓮根みたいな弾倉を備えたクラシックな銃を腰だめにいきなり発砲する。

 居合を放つ間すらなかった。

 放たれた銃弾はわたしの頬を細く切り裂くと、どこか彼方へと飛んで行った。

「ビビったら帰りな」

 テンガロンハットを片手で直しながらニヤニヤと言う。

「いえ、引きません」

 わたしは大股に構えると、静かに鯉口を切った。

 発砲されてからでは間に合わない。

 スラリッ……と『西瓜割』を抜き出し、脇構えに構える。

 男がゆらりと土間から歩み出る。

 たぶん、弾を斬ってはダメだ。弾を斬ったところでおそらくそれは二つに分かれてこっちに飛んでくるだけだろう。

 刀身で弾かないといけない。

 弾は、見える。それはさほどの問題ではない。

 だが、身体がそこまでの速度で動いてくれるだろうか?

「うるせえ小娘だな。怪我させないようにって大人の配慮がわからないのか、よ?」


 ドンッ


 男は再び発砲した。

 オレンジ色の火花を散らしながら、衝撃波を帯びた弾が銃口を蹴り出す。


 銃声よりも早くわたしは『西瓜割』を身体の前にかざすと、弾道を割るようにして『西瓜割』の刀身で銃弾を受けた。


 ギィンッ


 嫌な音を立てて弾が明後日の方向へ弾き飛ばされる。

「うお?」

 さらにもう一発。同じ要領で弾を受ける。

 これなら、行ける。

「ウォォッ」

 雄叫びがわたしの口から漏れる。

 わたしは思い切り後ろ足を蹴ると、『西瓜割』を背負いながら男に向かって殺到した。


「フンッ」


 振り下ろした『西瓜割』が狙い違わず男の右腕を肘から斬り落とす。


「グワッ」


 ドサリ。

 断ち切られた腕は重い音を立てて、握った拳銃ごと地面に転がった。


 だが……


「あーあ、斬れちゃったじゃねえかよ。何するんだよ」

 男は、斬り落とされた右腕を平然と左手で拾い上げると、わたしに言った。

 傷口からほとんど血は出ていない。

 輪切りになった傷口から骨や筋肉、皮膚が層になって見える。

「やるな、姉ちゃん」

 男は拾い上げた右腕を脇に抱えると、右手の指を開いて取り出した銃を左手に構えた。

「しっかし、美人のくせにひでーことするよなあ。ま、そういうのも嫌いじゃないけどな」


 目が昏い。

 わたしは『西瓜割』を八双に構えた。


 初めての実戦。


 心の底で、初めてわたしは剣術の怖さを感じていた。

 あんなに簡単に腕を落とせるなんて。

 心の芯が冷たく冷える。


 西瓜割なら、おそらく相手をスイカのように二つにできる。

 わたしの剣術に死角はない。

 だが、心は違う。


 人の命を奪う覚悟。


 人は死ぬ。それもいとも簡単に。

 今、わたしは人を殺すことができる。

 生を奪うことができる。


 その事実に、わたしは初めて恐怖を感じていた。


 男はしばらくの間、険しい目つきでこちらを睨んでいたが、やがて急に銃を降ろした。

「あーあ、ヤメだ、ヤメ。興が削がれちまった」

 言いながら不自由そうにホルスターに銃を戻してしまう。

「今日のところは引いてやる。ゆかりは連れてけ……姉ちゃん、名前は?」

「有栖。黒川有栖」

 まだ油断はならない。


 ジリリ。


 摺り足で間合いを調整しながら男を睨む。

「姉ちゃん、どこで修行した?」

「…………」

 わたしは答えない。

「まあ、いい。せっかくいい飯のタネを見つけたと思ったのによう……ゆかり、あの姉ちゃんについていきな。お前は自由だ」

「……え?」

 ゆかりさんがその場に立ち尽くす。

 だが男はそんなゆかりさんに見向きもしない。

無言のままくるりと背を向け、ゆったりと歩き出す。

男は右腕を抱えたまま、ひらひらと残った左手を振りながら街の中へと姿を消していった。


¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨


 カロンの船着場はLos Muertosや賽の河原とは違って明るい場所だった。

 河原には芝のような柔らかい草が生え、川岸には日向ぼっこをするには手ごろな木々が生えている。

 日差しが明るい。

 ここが天国の入り口だからなのかも知れないけど、他の場所とは全く様子が違う。


 ゆかりさんはわたしに手を引かれて素直に船着場についてきた。

 でも相変わらず無気力な感じ。

 きっと自分でも何をしたらいいのか判らないのだろう。

 わたしはカロンに渡し代の小銭を渡しながらゆかりさんに言った。

「いい? この船を降りたところからしばらく歩いたところに『夢見の泉』って場所があるはずなの。わたしは行ったことがないからわからないけど、方向はカロンに聞けば教えてくれるから」

 カロンは長く黒いフードを被った、痩身の男の人だ。フードの影になってしまって表情は判らない。

「カロンさん、お願いしてもいいかしら」

「……この女を『夢見の泉』に連れて行けばいいのか?」

「うん」

「……わかった。引き受けよう」


¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨


 カロンの船着場からの帰り道、わたしはまっすぐお師様の屋敷に向かった。

「おお、有栖か。『西瓜割』がなくなったから来ていると思うておったよ」

 縁側から囲炉裏端に上がり、刀置きに大切に置かれたお師様の『物干し竿』の下に『西瓜割』をしまう。

 

 お師様と囲炉裏を囲むと、わたしは今日あったことをお師様に説明した。

「それが、裏の者よ」

 キセルを燻らせながらお師様が言う。

「おそらくそいつは、そのゆかりという者を使って何かを企んでいたんじゃろう。何をするつもりなのかは知らんが……」

「でも不思議なんです。腕を斬り落としたのに平気にしているの」

「そりゃ、平気じゃろう。主だって小さい頃は毎日アザだらけだったじゃないか。でも翌日には治癒していたじゃろ?」

「……そう言われてみれば、そうかな」

 そんな、百年以上昔のことを言われても正確には思い出せない。

「ここに現世の理は通用せん。さすがに頭を吹き飛ばされたらどうなるかはわしにもわからんが、腕程度であれば一日もあれば治ってしまう。何しろ精神の世界じゃ。生身の肉体とは違う。……現に、主の頬につけられたという傷ももう治っているじゃないか」

 わたしは思わず左頬に手をやった。

 確かに綺麗に治っている。

「しかし、主はなぜそやつを始末しなかった? 前にも申したであろう、遺恨は残すな、と。なぜ止めを刺さなんだ?」

 珍しくお師様の語気が厳しい。

 いつの間にか、お師様は怒っていた。

「それは……」

 お師様のお叱りに、わたしは思わず口ごもる。


 遺恨を残すな。

 これがお師様の教え。


 思えばお師様が亡くなった原因も、つまるところ細川家での遺恨が事の始めだった。お師様はそれを繰り返すなと仰っているのだろう。


 周囲の空気が冷たい。こんなことは修行中にもめったになかった。


 敵対したら必ず倒せ。殺さなけばいつかはそいつに殺される。


 仰っていることはわかる。でも……


 正座して俯くわたしを見つめるお師様の視線が針のようだ。

「……まあ、よい。これは有栖の剣士としての覚悟の問題じゃ。主の剣にはまだ迷いがある。今日の失敗を噛み締めてさらに精進せい、有栖よ」

「はい……」

 わたしは頷くのがやっとだった。


 剣士の覚悟。

 相対したら殺すか死ぬか。

 引き分けはあり得ない。


 小さくなるわたしをお師様は無言のまま見つめていたが、やがて相好を崩すといつものお師様の表情に戻った。

「主は優しい娘じゃ。しかし、剣士として生きていくためにはいつかはこの壁を越えなければならんぞ」

「はい、でもわたしに人殺しができるかどうか……」

「覚悟を決めなさい、有栖。主は剣士じゃ。人も殺せないような剣士では到底人を救うなんてこと出来やせん。何しろ主はわしの最後の弟子なんじゃ。つよくなりなさい、有栖」

 お師様は立ち上がるとわたしの頭を優しく撫でてくれた。

「でも、ならばどうやって……」

 わたしは思わずわだかまっていた疑問をお師様にぶつけてみた。


 今日の『キョウヤ』とかいう男の傷口からはほとんど血が流れなかった。そんな相手、どうやったら殺せるのだろうか?


「ここでモノを言うのは心の靭さじゃ。心が強ければ、どうってことはない。相手の心を折るのじゃ、有栖。敵意を刈り取る、それが巌流の極意よ。圧倒的な剣技で敵を制圧しなさい。巌流の剣の前では相手が化けて出るなぞということはあり得ない」


 またいつか、わたしはあの男と相対する。

 その時にはあの男を殺さなければならない。そんな気がした。

 これはわたしの剣士としての勘だ。


 でも、そんなことがわたしにできるのだろうか?


 人を斬り殺す。

 敵の殺意を刈り落とす。


 どちらもやったことがない。

 考えただけでお腹の中が氷のように冷たくなる。


「お師様……」

 正直言ってとても怖い。


 その時、きっとわたしはすがるような目をしていたのだろうと思う。

 そんなわたしをお師様は優しく見つめていたが、やがてふっ、と笑うともう一つヒントをくれた。

「ふむ、有栖は少し難しく考えすぎかも知れんのう。なに、無理に殺す必要はない。殺すのは相手の殺意、有栖は全力でそやつの心を折れば良いだけじゃ。何しろここは冥界、心が折れれば勝手に消えるわ。それなら殺すよりは簡単じゃろうて」

 お師様はこともなげに仰るが、それは途轍もなく難しい芸当のように思えた。


「心を、折る……」

 わたしの懊悩がさらに深くなる。

 そんなわたしの内心の苦悩を知ってか知らずか、

「さて有栖、夜も更けた。ちとわしは湯を頂くとするよ。有栖、湯加減を頼めるかな?」

 とお師様は軽い調子で仰った。

 そうだ、お風呂の湯加減。五右衛門風呂の火加減はいつでもわたしの仕事だ。

 だが、お師様がお風呂に向かった後もわたしは立ち上がることができないでいた。


 人を斬る。


 人を殺す。


 ひとごろし。


人殺しになる覚悟はまだわたしの中にはなかった。

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