4−3

 最初のお仕事はおばあさんの捜索だった。


 夕方、美百合さんからLINEが入る。

 放課後、わたしは一人で歌舞伎町の裏手を彷徨っていた。

 何しろ美百合さんの事務所は歌舞伎町の最深部にあるのだ。ヤクザの事務所やいかがわしい風俗店の前をセーラー服で歩くのには少々勇気がいる。

 わたしの背丈は一七五センチもあるからそうそう声は掛けられないが、それでもジロジロ見られる視線が周囲に感じられる。


 わたしは剣士だ。

 人の視線はすぐにわかる。


 いつもの警備員さんに頭を下げ、教わっていた暗証番号をパッドに打ち込む。


 美百合さんは冥界の詳細な地図を作っていた。

 地図をティーテーブルに広げ、行くべき場所をわたしに説明する。

「このおばあさんは一週間前に亡くなったんだけど、まだ成仏していないっぽいのよ」

 ひらりと写真を差し出す。

 七十歳くらいの上品そうな女性だ。

「でね、わたしの情報網を使って探してみたんだけど、どうやらこの辺にいるみたいなの」

 美百合さんが指し示したのは、川沿いを少し上流に行った街の中だった。

 Los Muertos。

 亡くなった人が生活する街だ。

 お師様は街に住むのを好まなかったが、多くの人は亡くなったらまるで導かれるかのようにそこに向かう。

 わたしもお師様のお使いで何回か行ったことがあるが、活気のない、どんよりとした街だ。

 前にも話した通り、冥界で物は朽ちない。でも、人は忘れられると消滅してしまう。

 そんなわけでここには空き家が多かった。新しく来た人はそうした空き家を適当に見繕って住み着いている。家具なども残っていることが多かったから、生活には支障がない。

 それに何も食べないで済むのだから、極端な話をすればお布団さえあれば外で寝ていてもいいはずなんだけど、やっぱり屋根がないと落ち着かないみたい。


 情報は重要だ。

 通貨もなければ食べ物もない冥界において、物を言うのは情報だ。


 その点、美百合さんは冥界に強力なネットワークを築いているようだった。

「そこでそのおばあさんを見つけて、カロンの船着場まで連れて行ってあげて。ああ、そうそう、『夢見の泉』のことをちゃんと教えてあげてね。そうしないとご家族が会えないから」

 じゃあ、逝ってらっしゃいと言いかけた美百合さんをわたしは慌てて片手で遮った。

「待って待って美百合さん、着替えてくる」

「着替えるの?」

 不思議そうに美百合さんが小首を傾げる。

「そんなに制服ダメにできないもの」

 わたしは処置室に飛び込むと、持ってきたメイド服に着替えた。

 黒いメイド服、ひらひらエプロンにヘッドドレス。

 メイド服に着替えたわたしを見て、美百合さんはお腹を抱えて笑いだした。

「なーにそれ、アリスちゃん。メイド服?」

「冥土・エスコートならメイド服かなー、なんて」

「やーねー、アリスちゃん、ベタじゃない」

 ひとしきり笑ってから、美百合さんはバッグからピストルを取り出した。

「じゃ、改めて、逝ってらっしゃい」

 パンッ。

 わたしは死んだ。


¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨


 次の仕事は若い男性のエスコートだった。

「この人ねえ、なんか鬱になっちゃったみたいで、月曜日の朝に電車に飛び込んじゃったのよう」

 と写真を差し出す。

「でね、ちゃんと成仏させてくれってご遺族から」

「バラバラになっちゃったんじゃない?」

 こっちでバラバラになったら、向こうではどんな姿になるんだろう。

「ああ、それは大丈夫。この人、間抜けでね、電車に跳ね飛ばされて駅の柱に頭を強打して亡くなったの。だから一応身体は繋がってるわ。さすがにこっちでバラバラになっちゃうとね、向こうで目覚めるのも難しいから……じゃあ、逝ってらっしゃい」

 パンッ。

 また死んだ。


¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨


 『夢見の泉』というのは、カロンに送ってもらった先にある、森の中の小さな泉だ。

 ここに行くと生きている人の夢に入ることができるんですって。

 よく亡くなった人の夢を見たという話を聞くけど、これはひょっとしたらその人が『夢見の泉』に行ったからかも知れない。


 今回の依頼は奇妙だった。

 とにかく、『夢見の泉』に行くように念を押してくれというご依頼だ。

「どうしてももう一回会いたいんですって。恋人同士だったそうよ」

 美百合さんは写真を差し出した。

 病室なんだろうか? 可愛らしい人が写真の中でVサインをしている。ただ、奇妙なことに頭にはターバンみたいにスカーフが巻かれていた。髪の毛はないみたい。

「ガンだったんですって。子宮ガン。もう手遅れだったみたい。気がついた時にはリンパ節や腹膜にも転移してて手の施しようがなかったらしいわ」

 はあ、と美百合さんがため息を吐く。

「その時に来てくれれば助けられたかもしれないんだけどね……まあ、こればっかりは仕方がないわね」

 でね、と美百合さんは言葉を継いだ。

「この人のフィアンセだった人がどうしてももう一度会いたいんですって。だから、『夢見の泉』に行くように念を押して欲しいって。随分調べたのねえ、普通の人は『夢見の泉』なんて知らないわ」

 お支払いも破格なのよーっと美百合さんはずいとティーテーブルに積まれた札束を差し出した。

「結婚資金を全部吐き出したみたい。三百万あるわ。これなら治療費を抜いても百万円くらいにはなるんじゃない?」


 確かに、美百合さんのお仕事の支払いは破格だった。毎回死ぬとはいえ、一回三十万から五十万、女子高生としては破格のアルバイトだ。

 だが、破格すぎるのも考えものだ。

 最初のバイト代をもらった時、わたしは少し考えて十万円をパパに差し出した。

「パパ?」

「なんだい、アリス」

 デニム地のエプロン姿のパパがキッチンで振り返る。いつものようにわたしのマトンステーキを焼いている。

 ママのいないお台所は少し、寂しい。

 だが、不思議とママがいなくなった気はしなかった。どこか、そこいら辺でわたしたちを見守ってくれている気がする。

「これ、お肉代。いつもわたし、沢山食べてるから」

「ってアリス、これ十万円もあるじゃないか? どうしたんだいこれ?」

 驚いたように、パパが目を見張る。

「バイト、したの」

「バイトってまさかアリス、なんか如何わしいバイトじゃないだろうね。下着を売ったりしちゃダメだからね」

 肉をひっくり返しながらパパが言う。

「もうパパ、いつの話をしてるの。そんなのずっと昔の話だよ」

 わたしは簡単に美百合さんのことを説明した。

「じゃあ、アリスはその美百合さんって先生のボディ・ガードをしているのかい?」

 オブラートに包みすぎたのか、話が正確に伝わっていない。


 まあ、いいや。


「まあ、そんなとこ」

「アリス、くれぐれも危ないことをしちゃダメだよ。アリスはパパに残された唯一の家族なんだ。身体を傷つけるようなことはしちゃダメだよ」

 肉を焼き終えたパパが心配そうにわたしの赤い瞳を覗き込む。


 ごめんなさい、パパ。わたし、毎回死んでます。


 そんなわけで、以降わたしは新しく作った口座にお金を全部流し込んでいた。お年玉口座を使っちゃうとパパに金額がバレちゃうかも知れないもの。

 銀行の人は毎週のように三十万とか五十万とか持ってくる女子高生に何の疑念を抱くこともせず、どんどんわたしの口座を太らせた。

 今ではもう貯金総額は二百万を超えている。

 わたしはその一部を使って、少しだけ贅沢をすることにした。

 毎回の食事に牛乳をつけるようにしたのだ。

 朝昼晩に五百㎖ずつ、最低でも一日一.五リットル。もしできればもっと多く。

 わたしは元々そんなに骨太な方ではないので今の骨格では鍛えられる筋力にも限界がある。これだけ牛乳を飲めばもう少しは骨も強くなるだろう。

 自分の席でお弁当を食べながら、ストローを挿した一リットルの牛乳パックから直接牛乳を飲んでいたら隣から理沙が話しかけてきた。

「それにしてもアリスはほんっとうに牛乳好きよねえ。あんた、まだ育つつもり?」

 購買で買ったと思しき三角サンドをもぐもぐしながら呆れたように言う。

「もう少し、骨が欲しいの」

「どんだけ鍛えたら気がすむのよ。お父さんから聞いたわよ、警察での話。岩田さんをボッコボコにしちゃったんだって?」

「ボッコボコにしたって……。面金が壊れちゃっただけだよ」

「あんたの竹刀も粉砕したんでしょ? あんな剣撃見たことないって呆れてたわよ。もうくれぐれも来ないでくれって。岩田さん、あの後二日もお仕事休んだんですってよ」


 ショックだったのかなあ。

 悪いことしちゃった。


 それにしても百万か。百万の札束を持って歩くのは少し、怖いな。

「じゃあ、準備はいい?」

 着替え終わったわたしを見て、美百合さんが言う。

「はい。大丈夫です」

「じゃあ、逝ってらっしゃい」

 パンッ。

 いつものように、わたしは死んだ。

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