3−5

 気がつくと、わたしはセーラー服のまま賽の河原の石の上に座っていた。


 また、来ちゃった。


 だが、ここに来れたのであれば、行くべき場所は一つしかない。

 お師様のお屋敷だ。


(わたし、今度こそ死んじゃったのかしら)

 ふと、不吉な考えが胸をよぎる。


 確かに、わたしはピストルで胸を撃たれた。

 弾が当たる感触、胸から噴き出る赤い血液。

 全てがわたしが死んだことを示している。


(ま、しょうがないか)


 死んでしまったにも関わらず、なぜかわたしは楽観的だった。

 ひょっとしたら現世にはあまり執着がないのかも知れない。


 それよりも今はお師様に会いたい。


 わたしは立ち上がると、お尻についた埃を両手で払った。そのままお師様のお屋敷に向かって歩き出す。


 いつも見てきた見慣れた風景。


 曇天の空の向こうには霞んだ山が見える。周囲には灌木が生え、お師様の屋敷のある方にはこんもりとした森が見える。


 徐々に歩みが早くなる。

 お師様に会いたい。早く会いたい。

 翌朝起きればお師様がいると思っていたのに、突然わたしは現世に引き戻された。

 あんな風に別れが来るとは思ってもみなかった。

 いつもわたしを見守ってくれていたお師様。

 小さかったわたしを鍛え抜いて、こんなにも強くしてくれたお師様。

 どんな話でもちゃんと聞いてくれたお師様。

 ずうっと会いたかったわたしのお師匠様。

 大好きなお師匠様。

 だから……


 気がつくと、わたしは息急き切って走っていた。

 河原の土手を越え、ひたすらお師様のお屋敷へとひた走る。

やがて、お屋敷の開け放たれた門が見えてきた。

 お師様はどうやら薪を割っているようだ。上半身をはだけ、斧を振るう姿が門の向こうにかすかに見える。

「お師様ー」

 わたしは思わず叫んでいた。

 大声で叫び、大きく右手を振る。

「お師様ー、わたしです、有栖です」

 驚いた様子で、お師様が斧を振るう手を止める。

 ふいに涙が溢れ出る。溢れる涙に目の前が滲む。

「お師様!」

 わたしが門から飛び込むと、

「おお、有栖か!」

 とお師様は斧を足元に落とし、両手を大きく開いた。

 そのままお師様の胸に吸い込まれる。

「お師様、お師様」

 言葉にならない。

 両目から涙が流れる。

 何しろ七年ぶりなのだ。

 胸が詰まって、何を言っていいのかわからない。


「わあーッ」


 わたしの想いの丈が叫び声になって溢れ出す。

「おお、有栖や、有栖。よう来た。よう来たのう」

 お師様はわたしを優しく抱きしめてくれた。

「うーッ」

 わたしの大泣きは止まらない。

 頬を伝う涙が鼻の先や顎の先からぱたぱたと滴り落ちる。


「お師様、わたし、わたし……」


 お師様は腰から抜いた手拭いの端で優しくわたしの涙を拭ってくれた。

「これ、有栖、もう泣くのをおやめ。洟まで出ているじゃないか。わしの着物が汚れてしまう」

 冗談めかして言うのもお師様のいつもの癖だ。

「……思えば主と初めて会うた時も主はそうやって大泣きしていたんじゃったなあ」

「……お師様」

 ようやく落ち着き、少し離れる。

「ただいま、戻りました」

 深く頭を下がる。

「うむ。よくぞ戻った」

 お師様は感慨深げだ。だがすぐに、

「しかし有栖よ、主はもう死んでしもうたのか? ここに来るには少し急ぎすぎじゃあないかえ」

 と怪訝そうにわたしに尋ねた。

「そう、みたいです」

「有栖、ちょっと目を見せてみい」

 お師様は膝立ちになったわたしの頬を優しく両手で挟むと、わたしの赤い瞳を覗き込んだ。

「……これは、魔眼じゃないか。主は魔眼持ちになったのか」

「ここから帰った時にはこんなになっていました」

「それに眼にまだ力がある。主はまだ死んではおらぬようじゃ。有栖、どうやってここにきた……まあ、茶でも淹れるか。ゆっくり話を聞こうじゃないか」

 わたしはお師様の後を追うようにして縁側から囲炉裏端に上がった。


¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨


 お師様と囲炉裏端に座ると、わたしはかいつまんで事のあらましをお師様にお話しした。

 美百合さんのこと、美百合さんに洗いざらい冥界でのことを話したこと、魔眼のこと、そしてピストルで撃たれたこと。


「”ぴすとる”というのは、要するに短い種子島のようなものかな?」

 お師様がわたしに尋ねる。

 種子島とは火縄銃のことだ。お師様は今も現世からやってくる死者から話を聞いたりして、ある程度は現世の様子を理解していた。

「はい。もっと洗練されていますけど、まあ、そんなようなものです」

「で、主はそれで美百合なる女性に撃たれて絶命したと、そう申すのか」

「わかりませんが、あれで生きていられるとはとても……」

「ふーむ……」

 お師様が考え込む。

「しかし、その美百合なる者は主があちらとこちらを自由に往復できるかも知れぬと言ったのだろう? それなら、無下にただ殺すとはとても思えんがなあ」

「それは、そうかも知れませんが……」

「その者は『仲介人』なのかも知れんのう」

 お師様は考えながら重い口を開いた。

「有栖よ、主には話していなかったが、こちらにも現世と同じく表と裏の世があるのじゃ。美百合というその女性は裏の世の住人なのかも知れぬ」

 よく聞きなさいと前置きをしてから、お師様はゆっくりと話し始めた。

「どの世にも常に裏と表がある。わしらが暮らしているのは表の世じゃ。だが、こちらにも裏がある」

 裏社会? 死んでしまった人が集まる冥界に裏社会があるというのはにわかには信じられない話だった。

「我らは現世の住人では亡くなってしまったことを受け入れ、そしてここにいる。あるものはカロンの船着場から来世に行くし、それが嫌なものはここにいる。だが、それを良しとしないものもおるのだ」

「それは、ここから現世に戻るということですか?」

「いや、必ずしもそうではない。ある者は現世に残した恨みを晴らすために現世に害を為そうとする。あるいはただ単に破壊を為さんがためにこちらの住人をたぶらかす者もおる。美百合なる者はそうした裏の世にも通じている気がしてならん」

「じゃあ、美百合さんは悪い人なのでしょうか?」

「いや、それはわからん」

 お師様は再び深く考え込んだ。

「現世にはそうしたこちらからの干渉を良しとせず、それを阻止せんとする者もいると聞く。その者はそちら側の者なのかも知れぬな。主の力は強い。その力を己が武器として使おうとしているのかも知れぬ」

「武器、ですか」

「そうじゃ。主は強い。それに冥界と現世を往復できるとなれば武器としてはうってつけじゃろうが。有栖よ、わしの考えが正しければ主はすぐに現世に引き戻されるじゃろう。だが、そうしたら気を許さない事じゃ。聞く限りその美百合なる者はまだ底が知れん。もっとも」

 不意にお師様は笑顔を見せた。

「主がいつまでもここにおるというのであればそれはそれで大歓迎じゃ。有栖よ、好きなだけここにおいで。何しろ主はわしの最後の愛弟子なんじゃからのう」

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