3−6
難しい話の後、わたしは思いっきりお師様に甘える事にした。
何しろ七年ぶりの再会なのだ。それくらいのことで罰は当たらない気がする。
「お師様、乱取りをお願いしてもよろしいでしょうか」
話がひとしきり終わった後、わたしはお師様に早速甘えてみた。
「なんじゃ、打ち合いたいのか。それは構わんが、有栖、主はその面妖な装束で打ち合うつもりか?」
「これはセーラー服というものです。現世の女学生が着るものです。動きには支障ありません」
「ふーむ、世の中も変わるものじゃ。よかろう。だが、一本だけじゃぞ。主との乱取りは骨が折れる」
わたしは再び靴を履くと、お師様に相対した。
お師様はわたしの『西瓜割』と木刀を大切に床の間にとっておいてくれた。
馴染んだ木刀を握り、脇構えに据える。
「ほう、初撃を変えたか、有栖」
八双に木刀を構えたお師様はわたしに言った。
「この方が速うございます」
「まあ、見せてもらおうか。いざ」
「イヤーッ」
わたしは両足を思い切り蹴って駆け込み、間合いを詰めると脇構えの姿勢をさらに低くし、下から胴に打ち込んだ。
「なんの」
お師様が素早く下ろした木刀でわたしの初撃を去なす。
わたしはそのままお師様の木刀を撫でるように木刀を振り上げると、下から籠手を狙った。
だが、これもかわされる。
切り換えされたお師様の面を受け流し、横面。だが、面は素早く下がったお師様の鼻先を掠めるにとどまる。
ここで、局面は拮抗した。
再び、今度は正眼に構え隙を探す。
だが、もちろんお師様の構えに隙がある訳がない。
「フウッ」
わたしは気合を放つと正面から面を放った。
「ムッ」
両手で木刀を支え、お師様がわたしの重い面を受ける。
だが、わたしの面は悪手だった。
すかさず切り返したお師様の木刀が下からわたしの胴に迫る。
(しまっ……)
柄で受けようとしたが、一瞬遅かった。
お師様の木刀がわたしの胴に触れた瞬間、際どく止まる。
「これで、一本じゃな」
お師様はにこりと笑うと、それでも真剣な表情でわたしに言った。
「参りました」
わたしは素直に木刀を収める。
「何の。腕を上げているのう、有栖。あの横面は危なかった」
お師様は再び笑うと、自分も木刀を収めた。
その後は縁側に座ってお茶を飲みながらおしゃべりをした。
現世での生活、わたしが帰った後のお師様の生活。
ぴとっと隣に座り、縁側で足をぶらぶらさせながらお師様とお話しする。
肩から伝わるお師様のぬくもりが心地よい。
とっても楽しい。
「お師様?」
「何じゃ、有栖」
「わたしの後は弟子を取らなかったのですか?」
「うむ、取らなかった」
お師様は頷いた。
「子供たちに剣術の真似事はさせておるが、ちゃんとした剣士として育てたのは主が最後じゃよ。これから先もおそらく、弟子はとらん」
「でも、なぜ?」
「有栖ほどの逸材にはいつまで待っても会えなんだからのう」
お師様が薄く笑う。
お師様の背中に見える色は明るい桃色。愛情の色。親愛の色。
わたしの背中にはどんな色が見えるんだろう?
ふと、気にかかる。
鏡で何回か見てみたけれど自分の色は見えなかった。
暖かな感情はある。
でも、これはきっと恋とは違う。これはもっと深いもの。父娘の情に似た感情。純粋で、そしてもっと深く澄んだ敬愛の情。師弟の情。
ふと思い出し、わたしは話題を変えた。
「ところでお師様、『西瓜割』は二振り錬想することはできるのですか?」
「何じゃ、藪から棒に」
「そこに」──とわたしは床の間の『西瓜割』を指差した──『西瓜割』があるじゃないですか。今、『西瓜割』を錬想したらどうなるのでしょう?」
「やってみるがいいさ」
事もなげにお師様は答えた。
「やってみれば判る」
「わかりました。では」
わたしは靴と靴下を脱いで裸足になると、庭に立った。
勁を練り、震脚して地脈を呼び出す。わたしの殺意を想に乗せ、手の中に熱を練り上げる。
ズォーッ
右手を下に捻って両手を開くと、手の中から黒い直刀が現れた。いつもの不思議な虚脱感。切れそうになる殺意を維持して最後まで開く。
出来上がった時、右手の中には鋭利な刃を備えた『西瓜割』が握られていた。
「有栖、床の間を見てご覧」
面白がる様子でお師様がわたしに言う。
「あれ?」
床の間に飾られていた「西瓜割』はいつの間にかに鞘だけを残して姿を消していた。
「あれ? なんで?」
「殺意を込めた武器は何個も作れないようなんじゃ。同じ殺意を帯びた武器は二つは作れん。二つ目を作ったら、一つ目は消滅してしまう。特に有栖の殺意は一つだからの。殺意を無数に持つものならわからんが、少なくとも有栖の場合、『西瓜割』を二振りは作れんよ。そういうことわりになっておるようじゃ」
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
「お師様?」
新しく錬想した『西瓜割』を床の間にしまってから、わたしは別の質問をしてみた。
「なんじゃ」
「先ほどお師様が仰っていた『仲介人』とはなんなのですか?」
「仲介人とはの、」──とお師様は袂から煙草入れを取り出した──「言ってしまえばこちらとあちらの橋渡しをするものじゃ」
丁寧にキセルに煙草を詰める。
お師様は火口でキセルに火をつけると、うまそうに紫煙を吐き出した。
「大概は主のような魔眼持ちか、あるいは何らかの能力者じゃ。何しろ人をこちらに送り込んだり、こちらの住人を現世に呼び戻したりしてしまうんだからのう。しかも、殺すのではなくてじゃ。主も、すぐにその美百合とやらに引き戻される事じゃろうよ」
「わたしは、こっちの方がいいんだけどな」
足をぶらぶらさせながら、小声で呟く。
ここにしては珍しく、空が夕焼けに染まっていた。
こんなことは本当に珍しい。
「そう言うな、有栖。生を受けた以上、主にも何か成さなければならない事があるはずじゃ。こちらに来るのは、その後でもよかろうよ。わしはいつまでもここにいる。いつでも待っているから安心するのじゃ。しかし、珍しいのう、夕焼けとは。これは、何かの兆しなのかも知れん」
遠くの方でカラスが鳴いている。こちらにも動物はいる。どうやら冥界は人間だけのものではないらしい。
「……おお? 言っているそばから呼び戻されたようじゃぞ」
つと、お師様はキセルでわたしのつま先を指し示した。
確かに、何かが変だ。
あれ? 何だろう、これ。
何となく、つま先から身体が透明になっているような……
同時に、身体の芯が暖かくなっていく。
「あれ? あれ? やだ、なにこれ?」
言っているそばからも、どんどん身体が透明になっていく。
「良いか、くれぐれも気を許さんようにな。気をつけて行っておいで」
お師様がニコニコと笑う。
「あ、ちょっと待って。あ、お師様?」
もうわたしの身体はほとんど見えなくなっていた。
「お、お師様もご壮健で」
最後にシュワン……と小さな音を立て、わたしの身体は消滅した。
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