2−3

 翌日。

 お師様は腰の帯から煙草入れを取り外すと、蓋についていた根付を取り外した。

 ネズミの根付。象牙か何かでできているみたい。白い根付がかすかに琥珀色に染まっている。

「有栖、この形をよーく覚えるのじゃ」

「はい」

 わたしはネズミの根付を受け取ると、紫色の紐のついたネズミを眺めた。

 小さなネズミが抱え込んだドングリか何かを一心に齧っている。

「地熱を勁に乗せたら、臍下丹田に集まった熱を手のひらに移動させて、この形に錬ってごらん。何、怖いことはない。わしが見ているから大丈夫じゃ。危なくなったら熱は抜くから安心して錬想してごらん」

「はい」

 わたしはお師様を信じて再び庭で発勁すると、震脚して地熱を足元に集めた。

 二度目だから何となく要領はわかる。

 コントロールしながら、ゆっくりと地熱を脚からお腹へ。

 集まった熱を手元に移動させる。

 この熱が物質化することに関してはかなり半信半疑だったけど、お師様の言うことに間違いはない。

 わたしは手のひらで丸くした熱を両手で潰した。


「フンッ」


 頭の中でネズミの根付の形を思い出しながら、ゆっくりと両手を開く。

 バチバチと赤い火花を上げながら、黒い塊が凝集する。

 やがてそれは、白いネズミの彫り物になった。

 だが、とても大きい。両手で抱えられるくらい。とってもびっくり。何にもない空間からこんなものが出てくるなんて。


「ほ、でかいのう。それではとても煙草入れには付けられんわいなあ」

 目を丸くしたわたしを見ながらお師様が笑う。

「それに有栖よ、紐を忘れておるぞ」

 大きな白いネズミの裏側には紐を通すための穴が開いていたが、確かに紫色の紐はついていなかった。

「あ、本当だ」

「有栖」

 お師様が目を細める。

「主の力はとても強い。だが、それを制御できるようにならなければな。まずは小さいものを作れるよう修行しなさい。このネズミを作れるようになったら、わしのネズミは主に授けよう」

 お師様はわたしからネズミの根付けを受け取るとにっこりと笑った。


 それからは毎日『錬想』の修行だった。

 ネズミの根付を小さく作る自信はなかったから、簡単なものから作ることにした。最初は草履。形をよく覚えて、構造も理解できていないと変なものができてしまう。

 なんとか草履を作れるようになったところで今度は着物。着物が作れるようになったら今度は袴。帯、下緒、なんでも手当たり次第に作ってみた。

 帯や下緒は簡単だ。糸が編みこまれるさまをイメージして、頭の中で編んでいけば勝手にできる。着物は最初から反物をイメージして、これを縫い合わせて作る。

 正確にイメージできれば、どんなものでも作ることが出来る。

 でも、複雑なものは作れない。

 お師様の居間には大きな柱時計があるのだけれど、これはどうやっても作れなかった。

「そりゃそうじゃ、有栖」

 お師様が笑う。

「これは時計職人が錬想したものじゃ。中の構造を完全に理解していなければ到底作れん。これは主には無理じゃよ。わしにも無理じゃ」


 毎晩、修行の最後には必ずネズミを作るのだが、小さく作るのは難しかった。

 どうやっても大きくなってしまう。


「熱が大きすぎるようじゃのう」

 大きなネズミを囲炉裏の焚きつけに投げ込みながら──そうやってエネルギーは地脈に戻すものらしい──お師様がため息をつく。

「熱が足りなくて練るという修行は幾度となくやってきたが、熱が多すぎて制御できないということは初めてじゃ。さあて、どうしたものか」


¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨


 もう一つ、作れないものがあった。


 それは、刀。


 お師様は自分の刀、『物干し竿』を大切そうに床の間に飾っていたが、これはどうしても同じものが作れない。

「ははは、刀の錬想は少々勝手が違うからの。そう簡単にはいかんぞ」

 うまくいかないと相談したら、お師様は楽しそうに笑って言った。

「刀の錬想には殺意が必要じゃ」

 キセルの灰を炉端に落としながらお師様が言う。

「有栖、主には絶対に殺したい相手がいるのかえ?」

「います。わたしをここに落とした人。交通事故を起こした人」

「ならば、其の者を殺すために錬想するのじゃ。殺意がなければ武器は作れん。……じゃが、今日は遅い。さ、有栖、ネズミを作ってごらん」


 その日、わたしは朝早くから刀の錬想に取りかかった。

 わたしに瀕死の重傷を負わせた人。ママと一緒にわたしを轢いた人。

 顔はちゃんと覚えている。

 あの顔は絶対に酔っ払っていた。虚ろな瞳を覚えてる。

 歩道に乗り上げてきた青いトラックはわたしたちを跳ね飛ばすと、そのままわたしたちの身体をビルの壁に叩きつけた。

 そのあとわたしはここに来ちゃったから判らないけど、きっとママは死んだと思う。

 最後の瞬間にママはわたしを庇って身体の上に覆いかぶさった。

 あれだけ探しても見つからなかったのだ。ママはきっとすぐにカロンの船着場に行っちゃった、そんな気がする。


 殺意を練り上げ、そこに勁を乗せる。

 あいつは、絶対に許さない。

 ズタズタの細切れになるまで斬り刻む。

 バラバラになって、地獄の苦しみを味わうまで斬ってやる。

 殺意がわたしの瞳に宿る。

 わたしの背中から、殺意が湯気のように立ち上る。


 ドンッ、ドンッ


 踵で地脈を起こし、さらに震脚する。


 ズズズズズ……


 周り中から地脈の熱が集まってくる。

 わたしは臍下丹田に集まった熱を両手のひらに集めると、その圧力をものともせずに、無理やりエネルギーを小さく折り畳んだ。

 畳んだエネルギーを一度広げ、それを再び折り畳むという作業を繰り返す。

 殺意が地熱にさらなるエネルギーを与える。

 触れなくなるほど熱くなった地熱を手のひらに込め、わたしはゆっくりと両腕を開いていった。


 ズオーッ


 なんとも言えない虚脱感とともに、手のひらの間に刀が現れる。

 殺意が切れないように注意しながら、わたしはさらに両手の間に力を込めた。


 肩に強い負担がかかる。

 両腕が重い。


 気がついた時、わたしの右手には長く、黒い刀が握られていた。

 黒い刀身には読めないルーン文字が赤く輝いている。

 読めないはずのルーン文字。だが、その意味は頭に勝手に響いてきた。

『死者に久遠の平穏を』

 ルーン文字が勝手にわたしに話しかけてくる。


「……死者に、久遠の平穏を?」


「ほ、もうここまで来たか」

 いつの間に起き出してきたのか、お茶を啜りながらお師様が言う。

「しかし、長い刀だのう。しかも直刀とはなあ」

 お師様は再びお茶を啜った。

「有栖よ、その面妖な文字はなんじゃ」

「わかりません。でも、……『死者に久遠の平穏を』と書いてあるようです」

 頭に響いてきた言葉をそのままお師様に伝える。

「なるほどの」

 お師様は深く頷いた。

「有栖、今一度ネズミを作ってごらん」

 突拍子もないことを言う。

 だが、お師様の言うことに間違いはない。

「はい」

 もう一度発勁して地熱を集める。


 いつもとは違う感覚。今度は地脈が暴れる感覚がない。


 穏やかな感覚で、わたしはネズミの根付を錬想した。

 出来るだけ小さく。紐もちゃんと連想して。

 小さな黒い炎の中から手のひらにぽとりと落ちた根付は小さく、ちゃんと紫色の紐が付いていた。

「身についたようじゃのう、有栖。その刀と根付を見せてごらん?」

「はい」

 わたしは根付と刀をお師様に差し出した。

「……うむ、良く出来ておる。この刀には銘がいるな。『西瓜割』はどうかな? スイカを斬る包丁にはちょうどよさそうじゃ。西瓜の鍔でもつけたらどうじゃえ?」

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