2−2
あれから一体どれくらいの時が経ったのだろう。
笹の葉が動くようになった時、わたしの背は大分高くなっていた。
最初に貰った着物はつんつるてんになってしまった。新しいものをお師様に貰ったが、これも今では、少し短い。
毎日の修行の後わたしは河原に出てママを探し続けたが、ママはついに見つからなかった。
そのうちわたしはママのことを諦め、いつの間にかに修行に集中するようになっていた。
後になってわかったが、こちらでは現世の三千六百倍の速度で時間が経過する。
簡単に言えば現世の一秒間がこちらでは一時間、一日は約十年間だ。
精神は肉体を超越する。
わたしの背が高くなったということは、わたしの精神がそれだけ鍛えられたということ。
そして、肉体は精神に呼応する。
こちらで剣術を鍛えるうちに、向こうで昏睡している身体も勝手に鍛えられているのだ。
現実の世界では到底到達できないほどの高みにわたしは今まさに上り詰めつつあった。
今では剣圧で笹の葉を揺らすのなんて簡単だ。気合を込めれば斬ることだってできる。
そしてわたしの剣技は時間が止まっているお師様の剣術にも迫りつつあった。
お師様との打ち合いも今では単なるウォーミングアップにすぎない。本気で打ち合ったらどちらかが確実に怪我をする。
今ではわたしがお師様の一番弟子だ。
お師様の必殺技、『燕返し』。
燕返しは背負った『物干し竿』を振り下ろしすかさず切り上げる二連撃だが、わたしは居合の修行と掛け合わせてこれを三連撃に昇華させた。
居合を放ち返す刀で上から斬り込んで二連撃、そこからさらに斬り返して三連撃。
「フンッ」
女の子とは思えない気合が口元から漏れる。
放たれた剣撃は向こうの笹の葉をバラバラに切り裂いた。
「ほ、見事じゃ」
縁側でお師様が手を叩く。
「主ほどの上背がなければ成り立たん技じゃ。いや、見事」
「恐れ入ります」
左手を木刀に添え、深く礼をする。
「どれ」
お師様は縁側から降りると草履を履いた。
「有栖、ちょいと、目を見せてみい」
「は、はい」
素直にお師様の両手に顔を委ねる。
お師様は両手でわたしの頬を優しく挟むと、静かにわたしの瞳を覗き込んだ。
「……うむ、予兆が出ておる。そろそろ別れが近いようじゃ」
少し悲しそうにお師様は言った。
「これは急がねばならん。有栖よ、明日からは『錬想』の修行に入ろうかの」
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
『錬想』とは、自分の勁と地脈のエネルギーを利用して、何もない空間から自分の想う何かを錬りあげ物質化する能力だ。
これは誰もが出来る訳ではない。習得するためには卓越した師匠の助けが要るし、精神の強さ、想いの質が物を云う。
「まずは、地脈の呼び出しからやってみようかのう。有栖、そこに裸足で立ってごらん」
「はい」
わたしは素直に草履を脱ぐと、敷石の敷かれた庭の真ん中に立った。
「地脈はどこにでも走っておる。だが地脈は気まぐれでの。すぐにどこかに行ってしまう。だから、こちらから呼びかけて地脈を集めなければならん」
お師様は両手を使って説明した。
「有栖、発勁はもういつでも出来るじゃろ。今ここで勁をためてごらん」
「こ、こうですか?」
わたしは音を立てて両手を合わせると臍下丹田に力を込めた。
「ゥウンッ」
無意識のうちに気合が漏れる。
どんどんお腹のあたりが熱くなる。
「さあ、ここで震脚して」
「はい」
ズンッ。
勁を込めたまま、右足を思い切り地面に叩きつける。
……と、わたしは足の裏に何かもぞもぞするような感覚を覚えた。
何だろう、これ?
くすぐるような、何か細いものが足の裏に集まってくる。
「お、お師様?」
たまらず、わたしはお師様に声をかけた。
「な、何かがわたしの足の裏をくすぐってます。こ、これはミミズ?」
「続けなさい、有栖。それが、地脈じゃ」
何が嬉しいのか、お師様はニコニコと笑いながら答えて言った。
「最初から地脈を呼び出せるとはのう。有栖、主にはやはり才能がある」
もじょもじょ動く何かはやがてわたしの足の裏を通り抜け、脚に沿って上に這い上がってきた。
「お、お師様?」
「何じゃ、有栖」
「な、何かが脚を撫でています。何か、変です」
「地脈が主の勁の熱を求めて這い上がってきたのじゃ。案ずることはない」
「で、でも」
脚から上がってきたもじょもじょは今ではお腹に充満していた。
身体が、熱い。
燃えるようだ。
それでもしばらく我慢したが、耐えきれずわたしは再度お師様に助けを求めた。
「お師様、身体が、とても熱いです。も、燃えちゃいそう」
さすがに異変に気付いたのか、ガバッとお師様が立ち上がる。
「いかんッ!」
駆け寄ってきたお師様がわたしのお腹に右手を当て、大きく深呼吸をする。
「熱ッ。有栖、しっかりせいッ」
お師様の右手から熱が逃げていく。
お師様はわたしの熱を全て吸い込むと、
「ムゥンッ」
と両手を合わせた。
ドゥンッ
お師様が両手を開いた瞬間、手の中で何かが爆発する。
黒い光。赤い稲妻を帯びている。
「とんでもない熱量じゃ。有栖、主は一体、何者じゃ?」
お師様の手を背中に感じて、身体から力が抜けていく。
「有栖、しっかりせいッ」
呼びかけるお師様の声を遠くに聞きながら、膝から砕けたわたしはその場で失神した。
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
目覚めた時、お師様はわたしの枕元にあぐらを組み、頬杖を突いてうたた寝をしていた。
わたしが目を開けた瞬間にお師様も目を覚ます。
「目覚めたかえ、有栖よ」
お師様の表情は優しかった。
「主の力量を読み違えた。すまなんだ。わしの過ちを許しておくれ」
優しくわたしの額に手を添える。
「許すも何も」
わたしは起き上がると、落ちてきた額の手ぬぐいを両手で受け取った。
「わたしに何が起こったのですか、お師様」
「地脈の熱量が集まりすぎたのじゃ。普通はあそこまで大きくはならん。せいぜい身体が少し熱くなる程度なんじゃが……」
お師様が少し考え込む。
「有栖、主は特別なのかも知れぬ。あれほどの熱量はわしでも集めるのにしばらくかかる」
「特別?」
「そうじゃ。これほどの才能は見たことがない。主はとんでもない剣士になるかも知れんぞ……今宵は眠りなさい、有栖。主が寝入るまでわしが側にいてやろう」
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