2−4

 それからしばらくの間は毎日『西瓜割』を錬想した。

 反復しなければ身につかないし、これがなければどうにもならない。何しろこれがわたしのライフラインなのだ。


 いつか、ママを殺したあいつを切り刻むため。

 いつか、ママの仇を討ち取るため。


 『西瓜割』を錬想するための「殺意」。

 わたしが殺意を思い出した時、何もかもが繋がった気がした。

 なぜ、わたしがここに迷い込んだのも。

 なぜ、わたしがカロンの船着場へ向かわなかったのも。

 そしてなぜ、わたしがお師様に拾われて剣士になったのも。

 全ては単なる予定調和、そんな気がする。


 『西瓜割』を作れるようになってからは、さらに剣術の修行にも熱が入った。

 何しろ『西瓜割』は重い。材質が何なのかはお師様も判らないとおっしゃっていたが(見たこともない金属だそうだ)、四尺の黒い直刀はとんでもなく重かった。

 お師様はこの重さをわたしの『覚悟の重さ』だと仰ったが、そんな覚悟をした覚えはとんとない。

 ともあれ。

わたしはそれまで使っていた木刀を捨て、新たに練習用の木刀を錬想した。長さは同じ、四尺。ただ、刀身を太く作って重さを『西瓜割』よりも少しだけ重くした。

 この重い木刀を簡単に振れるようにならないと、到底『西瓜割』は使いこなせない。


「フンッ」


 以前にも増して腰を入れ、丹田に力を込めて振り下ろす。

 これを毎日三千回。その他に居合の打ち込みを千回、新しい木刀を使ったお師様との乱取りを日が暮れるまで。


 乱取りをする時、子供たちはいつも庭の外で遊ばせていた。

 そばにいると危ない。巻き込んでしまったら撲殺してしまう。


「嫌な形の木刀じゃのう」

 最初にわたしの新しい木刀を見たとき、お師様は眉をひそめた。

「わしの最後の決闘を思い出す。奴もそんな無骨な木刀を構えておったよ」

 まあ良い、とそれでもお師様はわたしの乱取りに付き合ってくれた。

 こちらの木刀が重いため、今度はお師様の長い木刀が押し負ける。

 勢い、お師様も本気にならざるを得ない。


「キェイッ」

「ムゥンッ」

 本当の殺し合いのような気合が二人の口元から漏れる。

 何しろ木刀だ。下手をすれば骨折する。


 達人のお師様と剛剣を振るうわたしとの乱取りは、撃ち込む剣撃を紙一重で躱し躱される、文字通りの死合の様相を呈してきていた。


 そんなある日のこと。

「主との乱取りはほんに骨が折れるわい。いずれ本当に骨を砕かれそうじゃ」

 乱取り稽古が終わるといつものようにお師様は縁側に腰を下ろし、上半身をはだけて夜風に吹かれながら美味しそうに煙草をふかした。


 キセルで縁側を叩き、中身を捨てる。


 お師様の肌はピンと張って、下には筋肉が漲っていた。贅肉はかけらもない。まるで若者の身体のようだ。

 次の煙草をキセルに親指で詰めながら、お師様はしみじみとわたしに言った。

「有栖よ、精進したのう。あとしばらくでおそらく主はわしから一本取るようになるじゃろう」

「まさか」

 お世辞かと思って笑う。

「真面目に聞きなさい、有栖。主はわしが今まで見てきた弟子の中でも頭ひとつ抜きん出ておる。もうわしが教えられることはそう多くはない。だが有栖よ、これからが肝心じゃ」

「…………」

 いつになくしんみりとお師様は話し続けた。

「いずれわしでも主には敵わなくなる。これは確信じゃ。いつか、必ずそんな日が来る……。そうした時、主が目標を見失いはせんか、それが心配でのう」

「わたしは、お師様の弟子です。これからもずっと、いつまでもわたしはお師様の弟子です」

 見捨てられちゃうのかと思ってわたしはお師様に思わず縋り付いた。

「それは、かまわん。それに、もちろんじゃ」

 嬉しそうに笑う。

「だが追いかけ続けてきた者に追いついた時、得てして人は目標を見失ってしまうものなんじゃ。有栖よ、だがそこからが肝要じゃぞ。そこで立ち止まってはいかん」

「はい」

「目標を見失ったら、そこからは自分を目標にしなさい。今日よりも明日、明日よりも明後日。毎日精進せい。さすれば、目標を見失うこともなかろうよ……よっこらせっと」

 と、お師様は立ち上がると、

「わしはちと汗を流してくる。主は錬想の修行を続けなさい」

 言いながらはだけた着物を元に戻した。

「はい」

 素直に頷く。

「有栖、……精進せい」

 お師様は目を細めてわたしに言った。


 お師様が縁側の先のお風呂場に行ってしまった後も、わたしはその場でしばらく考えていた。

 お師様はなんでこんなことを急に言い出したんだろう。

 なんか弱気になっちゃったのかしら?


 わたしは長い髪をお師様と同じように高い位置で結った頭を振って考えを切り替えると、庭に降りていつものように錬想を始めた。

 殺意を込めながら臍下丹田に勁を貯め、踵で地面を叩いて地脈を起こす。

 勁を練って強く震脚。地熱を臍下丹田に集め、殺意を乗せながら両手の間で折りたたむ。

 何度か折りたたんで錬った想を押しつぶし、念を込める。

 想を開くとき、両手を回すと念が篭ることは経験で知った。

 合わせた両手の右手を下に捻り、想を強めながら両手を開く。


 ズォー……


 いつもの妙な虚脱感と共に『西瓜割』が現れた。

 長さ四尺。重さも二キロくらいはあると思う。


 不思議なことに、『西瓜割』はいつも必ず同じ重さ、大きさで現れる。

 一度違う形に錬想しようとして頑張ってみたんだけど、何度試しても『西瓜割』は形も大きさも変わらなかった。

 違うのは刃の鋭さだけ。

 気が乗っている時は鋭利な刃が、どこか気が緩んでいる時には緩んだ刃付けの『西瓜割』が現れる。


「さて」

 わたしは巻藁を持ってくると、それを丸太の上に乗せた。

『西瓜割』を帯に挿し、下緒を締めて固定する。

 巻藁の前に立ち、居合の姿勢で腰を低く構える。


「チェイッ」


 抜刀一閃。

 巻藁はしばらくそのままの形で丸太の上に乗っていたが、やがて上半分がズルズルと滑りだすと真っ二つに切れた。


「うん」

 今日の『西瓜割』はいい出来だ。しばらくはこれを使おう。


 そのあとネズミを二十匹くらい作ってから、わたしは今日の稽古を切り上げて囲炉裏端に上がった。

 珍しく、お師様がお酒を飲んでいる。

 もう子供たちは居室に戻ってしまったようだ。

 今は五人ほどの子供たちがお師様の元に身を寄せていたが、彼らは大人と関わることはあまりせず、好き勝手に遊んでいた。


 お師様は囲炉裏にかけた鍋の中からお銚子を一つ摘み出すと、小さなぐい呑みにそっとお酒を注いだ。

「酒を錬想するのは大変だったんじゃ」

 わたしの視線に気づいたのか、お師様が口を開く。

「何しろ中の液体と外の入れ物を同時に錬想せねばならん。できるかな? 有栖」

「できるも何も、わたしはお酒の作り方を知りません。飲んだこともないですし。知らなければ錬想はちょっと……」

「うむ、まだわしにもお主に教えることがあったか。有栖、飲むか?」

「いえ、まだわたしにお酒は早うございます」

「つまらん奴じゃのう」

 お師様はぐいとお酒をあおった。

「最初に作った酒は酢のような味じゃった。そのあとも砂糖水やら味醂やら、妙なものばかりが出来てのう。ようやく最近になって満足のいくものを錬想できるようになったよ」

「それよりもお師様、今日のネズミです」

 わたしは両手いっぱいのネズミの根付をお師様に差し出した。

「うむ」

 ぐい呑みを傍らに置くと、わたしの作ったネズミを一つ一つ、丁寧に調べ始めた。

「……ようできとる。大きさも揃うようになったのう。紐もちゃんと錬想できとる。これならもう何でも作れそうじゃ」

「ぐい呑みでも作りますか? ぐい呑みならわたしでも錬想できます」

 ふと思いついてわたしはお師様に提案した。

「ほう、面白いの。今ここでできるかな?」

「はい、多分」

 あの程度の大きさのものなら震脚して地脈を呼び出すまでもない。

 錬想にはイマジネーションが大切だ。

 頭の中でぐい呑みの姿を想像する。

 胴は白、縁は黒くしようかな?

 わたしは勁を練ると少しだけ地脈の熱を借り、その場で両手をパチンと合わせた。

 ぐいっと開いた両手の間で小さく黒い光が凝集する。

 できた。これなら楽勝。

「どうぞ」

 わたしは左手に乗せたぐい呑みに右手を添えてお師様に差し出した。

「ほ。皮鯨を錬想するとは」

 お師様が驚いた顔をする。

「皮鯨とは何ですか?」

「知らんで作ったのか。有栖、お前という奴は……」

 呆れ顔で、それでも矯めつ眇めつぐい呑みを調べている。

「よう出来とる。有栖、皮鯨とはこの文様のことよ。唐津焼の意匠じゃ」

「どこかで見たことがあったのかも知れません」

「では、早速」

 お師様は今作ったばっかりのぐい呑みにお酒を注ぐと、旨そうに一息に飲み干した。

「……うむ、旨い。これはありがたく頂いておこう」

 お師様は袂から取り出した手ぬぐいに歯を当てて裂を作った。

 裂で大切そうに皮鯨のぐい呑みを包み、袂にしまってしまう。

「もう、使わないのですか?」

「これは大切に使うことにするよ。何しろ有栖の初ぐい呑みじゃからのう。勿体ない」

 どうやらお師様は少し酔っ払っているようだった。

 頬が赤い。

「おお、そうじゃ」

 不意に思い出したように言うと、お師様は右腰の帯に挟んでいた煙草入れを取り出した。

 蓋についている根付の紐を丁寧に解いてネズミを煙草入れから外す。

 お師様は、

「ほれ、これはもう主のものじゃ」

 とネズミをわたしの手の上に乗せた。

「頂いて、よろしいのですか?」

 見るからに高級そうな根付だ。最初に見た時も思ったけど、象牙か何かでできているみたい。

「ぐい呑みのお礼じゃ。それに、ネズミをちゃんと錬想できるようになったらやると言ってあったしの」

「ありがとうございます。大切にします」

 わたしは頂いたネズミの根付を大切に懐にしまった。


 そのあとも他愛のない話やお師様の武勇伝をしばらく聞いたりしていたが、やがて眠くなってきたのか、お師様は肘枕をして囲炉裏端に横になってしまった。

「うむ、少し飲みすぎたかも知れん。有栖、すまぬが上掛けを持ってきておくれ」

「はい」

 わたしはお師様の部屋に入り、押入れから上掛けを取り出した。

 上掛けを持って囲炉裏端に戻った時、すでにお師様はいびきをかいて寝入っていた。

「しょうがないなあ」

 お師様に上掛けをかけてあげる。

 囲炉裏に近すぎると燃えてしまうかも知れないので少しお師様の身体を動かしたのだが、それでもお師様は起きなかった。

「わたしも寝よう」

 傍らに置いた『西瓜割』を掴み、自室へ戻る。

 布団に入ってから、わたしは頂いたネズミを眺めてみた。

 可愛い顔をしている。一心にドングリを齧っている。わたしが錬想するネズミよりも少し可愛い気がする。

「今日より明日、明日よりも明後日、か」

 布団から少しにじり出て、枕元の行灯の灯りを消す。

 修行の疲れもあってか、夜の薄明かりの中、ネズミを見ながらお師様の言葉を反芻しているうちに、わたしもすぐに深い眠りに吸い込まれていった。


¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨


(あれ? これは、どこ?)

 目覚めた時、見えた天井はいつもの見慣れた木の天井ではなかった。

 白い天井。

 天井が明るく光っている。

(あれ? あれ?)

 いつもよりも身体が小さい。しかも身体中が痛い。


「うわああッ」


 びっくりして飛び起きた。

 身体中に管が刺さっている。

 パニックを起こしたわたしは身体中から管を引き抜いた。

 だが、びっくりしたのはわたしだけではなかったようだ。

 同じ部屋に控えていた看護婦さんが座っていた椅子から飛び起きる。

 彼女は走って部屋の隅のボタンを押すと慌てた様子で話しかけた。

「に、二〇三号室の患者さんが意識を取り戻しました。早く、ドクターを呼んで!」


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