第五話 月下のうたうたい

 二度三度の激突。

 刃の激突に、まとった霊力の飛沫がはじけて舞う。

 だが、明らかに一方の剣が不利だった。

 すなわち、

「無駄だ! おとなしく――喰われろ!」

「くそ――ッ」

 重力制御で直接の接触は防ぎ、『喰』のダメージは防いでいるものの、激突ごとに術式は摩耗し修復する必要がある。

 ファビアが動けない以上、拓人がこのアストラルドライバーを失えば、次はない。

「……ってぇ!」

〈インターセプトショット――コード・ドライブ〉

 故に拓人は、連続した鍔迫り合いを防ぐべくどうにか距離を取り、牽制射撃を打ち込む。

 だが、それも即座に喰われ、瞬く間に空けた距離を詰められる。

 逆袈裟に振り上げられる剣を、どうにか打ち払うが、 

「ふん!」

 それを見越したように、流れるような後ろ回し蹴りをくらう。

「く――!」

 拓人が体勢を崩したそこに、続けて遠心力でたっぷり力の乗った大振りの一撃。

「くそ!」

 とっさに身をひねり剣で受けるも、そのままの勢いで吹っ飛ばされる。

 地面を転がる拓人。

 だが、間髪いれず男の刀が追って放たれる。

「ッ――!!」

 避けられない。

 ならば、

 ……やるしかない!

 逆手に持ち替え、剣を地面に突き刺し、

〈仮設コード第三式一番――コード・ドライブ〉

 爆砕。

 衝撃に足元の地面が砕け、爆圧で大量の土砂と岩石が舞う。

「何っ!?」  

 ファビアの立てた仮説の一つ。

『喰』が霊的対象しか“喰え”ないなら、物理的妨害は効くのではないか――そこから、拓人が得た着想。

 それを戦闘支援OSが即席の術式として組み上げたもの。

 だが、

「その程度で――ッ!」

 コンクリートやアスファルトの上なら違っただろうが、所詮はグラウンドの土。

 青年をわずかに下がらせただけで深刻なダメージとはならない。

 けれどもそれで十分。

〈仮設コード第三式二番〉

 もう一つの仮説。

 “喰える霊力には、限界があるのではないか” 

 それを実証するには――

〈――コード・ドライブ〉

 高々と掲げられる剣。

 術式の起動とともに、そこから天に吐き出されるのは星の蒼光。

〈出力上昇。刀身生成75%〉

 ありったけの星霊力をつぎ込みながら、加速度的にその大きさを増し、

〈限界出力。刀身生成完了〉

 そして完成したのは、光の柱。

 無尽蔵とも言える速度で回復される星霊力で構築された、馬鹿でかい光の剣だ。

「な――馬鹿な!」

 拓人の意図を察した青年は、焦りとともに拓人へ肉薄しようとするが、遅い。

 剣先にファビアはいない。再度それを確認した上で、

「くたばれぇ!!」

 咆哮とともに、拓人は全力で剣を振り下ろす。


 光が、世界を薙いだ。

 


〈出力限界。刀身展開終了。星霊力急速回復中。残量16%、21%……〉

 その機械音声とともに、公園を薙ぎ払うが如き光芒が、ようやくその光を収めた。

「はぁっ……はぁっ……」

 収束するにも膨大な集中力を要するようで、相当な疲労が拓人を襲う。

 その負担の中、しかし拓人は自身が振った剣の先を見る。

 ……やったか!?

 剣の衝撃波で舞い上がった粉塵が晴れ、徐々に周囲が明らかになる。

 グラウンドの大地が抉れているさまが見え、

 その先に、


 そこに、


 立っていた。


「…………ッ!!」

 黒く、どこまでもどす黒い刀を構え、

 男は、そこに立っていた。

 その背後、周囲の構造物への被害は殆ど無い。 

 おそらく、“喰い尽くされた”のだ――拓人がそう理解すると同時、

「アイディアは、良かったがな――」

 青年は、ゆらりと構えた刀を振り、

「ウチの大喰らいをなめてもらっては困る!」

 直後、巨大な黒い塊が拓人めがけて殺到する。

 ……防御を―― 

 しようとして、判断ミスに気づく。

 アレは、膨大に増殖した――

「くっそ――!!」

〈緊急回避――コード・ドライブ〉

 術式も起動し、射線から直角に回避。

 ギリギリでかわすも、吐き出された呪いの残滓が拓人に取り付き、増殖する。

 ……しまった!

 慌てて、ファビアから受け取った防疫プログラムを起動。

 少量ゆえに幸いながら即座に対処できたが、

「そら、逃げないと喰われるぞ!?」

 すぐに次弾が放たれる。

 これは何とか回避するも、回避先を読まれ、更に追撃。

「こんの――!」

〈アストラルブラスター――コード・ドライブ〉

 回避しながらどうにか応射するも、

「無駄だ! ――怖いだろう!? とっとと逃げ出せクソガキ!」

 喰われるばかりで僅かな時間稼ぎにしかならない。

 ……くそ、後は――どうすればいい!?

 技術も、能力も、経験も相手が上。

 ファビアが改竄した結界のおかげで、星霊力だけは辛うじて潤沢ではあるが、放った先から喰われるだけでもある。

 そして同時に、それだけの力を相手に与えてしまい――

(勝利条件の達成は困難。緊急自己保存システムの起動を提言します)

 ……やるしか、ないのか!

 格闘戦はおろか、射撃戦でも勝ち目の無くなった今。

 選択肢は、そう多くはない。

 ならば、

 ……多少、身体がどうなったって構わねぇ。

 それよりも、今は。

 ……俺は、ファビアを助けたい!!

(契約主体の承認を確認。緊急自己保存システム起動)


 *


 その瞬間まで、青年にとって、眼前の敵は獲物にすぎなかった。

 ド素人の動き。

 その上に莫大な霊力を得て強化された『鬼喰正宗』。

 もはや手にした刀が少年を喰い殺すのは自明であると確信した、その時だった。

「消えた……?」

 突然のことにわずかに呆気にとられるが、すぐに精神を集中。霊的感覚で探せば、

 ……上――違う、背後!?

 瞬間に自分を跳び越え、背後へ着地していたのだ。

 着地のラグも僅かに、今までとは比較にならない速度で真っ直ぐ剣を構えて突っ込んでくる。

「ちっ――!」

 青年は冷静に刀を振り『喰』を放つも、そこには少年の姿はなく、

 ……後ろ――!?

“術師の常識としてもありえない速度”で動いた少年に、青年はさらに驚きを重ねる。

 焦るように、振り向きざまに、刀を横に薙いだが、それを読みきったようにギリギリのところで拓人は身をかがめ、

「…………!」

 手にした剣を青年の胴へ一閃。

 術式の載った一撃を、

「『水鏡』――!」

 青年は即唱の簡易術式と、懐に仕込んであった使い捨ての簡易防御符で、どうにか防ぎきる。

 衝撃で後ずさった青年に、

「…………!」

 追って無言で斬りかかる少年。

 それを『鬼喰正宗』で受けながら、底冷えするような恐怖を感じる。 

 その動きは明らかに異質。

 たどたどしい殺気にあふれた、いままでの動きではない。

 ……“あの人形”、いや、それ以上!?

 続いて間断なく放たれる連撃。

 どこまでも機械的な、……そして、“どう考えても人体の強度を無視したような動き”。

 ……これはいったい、どうなっている!?


 *


〈演算領域拡大――脳演算領域開拓88%。正常に進行中〉

 そして、拓人の思考らしい思考は消える。

〈生存確率56%、規定値不足。脳演算領域拡大を続行します〉

 もっと速く。

〈肉体強化・保護値上昇。耐加速限界値を更新します〉

 もっと強く。

〈戦闘経験更新――攻撃予測を更新〉

 もっと。

〈演算領域拡大――脳演算領域開拓91%。正常に進行中〉

 もっと。

〈肉体強化・保護値上昇。耐加速限界値を更新〉

 ………………。

〈肉体保護値、規定値到達。緊急挙動プログラム第7階層まで解禁〉

 …………。

〈生存確率62%、規定値不足――〉

 ……。


 *


「おおおおおっ!」

 もはや、青年から余裕は消え失せていた。

 叫び、逃げながら、必死で刀を振るい、黒いモヤをバラ撒く。

 拓人はそれを不気味なまでに正確にかわし、ほぼ隙もなく打ち込んでくる。

 それを必死に凌ぎながら、

「“喰らえ”、“喰らえ”、“喰らえ”――!!」

 青年はただひたすら、自らの身を守るために『喰』を放つ。

 それを拓人がかわし――幾度かそのやりとりが繰り返され、

 僅かに、拓人が打ち込むまでに間ができる。

 ……今だ!

 その一瞬にねじ込むように、

「重ねて四掛け、業火来来、烈火走狗!」

 言葉を繰り、呼び出すのは短い句で起動できる簡易式神。

 結ばれた言葉に、懐から人型を模した紙切れが四枚飛び出した。

 まっすぐに敵へと突っ込むが、瞬時に迎撃される。

 だが、式神は原型を失った瞬間、同時に爆風と衝撃をまき散らし、

「…………!」

 それにさらなる防御と回避に時間を取られる拓人。

 青年はその時間を失わぬよう、続けて懐へ手を入れながら、

「疾く在り、疾く駆け、疾く討たん――疾風迅雷! 急々如律令!!」

 引き抜くと同時、言葉を唱え終わる。

 加速。

 刹那に距離を取りながら得た時間に、続けて更に懐の符を手に、詠唱を重ねる。

「重ねて八掛け! 常立の、くにの震いし牙を穿たん――」

 ――これが、長い詠唱を要する陰陽術の、近接戦闘。

 詠唱の短い術で時間を稼ぎ、より詠唱の長い、効果威力の高い術を展開する。

 そこにおいては、

 ……術式の選択ミスは許されない――!

「――土竜牙! 急々如律令!」

 選んだのは、さらなる妨害。

 八枚の術を同時に起動。

 まず、拓人の四方を岩盤で取り囲み、石室と化した空間の中へ閉じ込める。

 残り四つを意識の制御下に置きながら、同時に次の術式の詠唱を開始する。

「――重ねて三掛け、千代の松葉が霊脈よ、猛きその気を我が身へ宿せ」

 石室をぶちぬいてきた拓人の眼前、その正面へ待機させていた土竜牙二つを展開。さらに岩盤で盾とする。

 その土竜牙の操作へ意識を向けながらも、同時にミスの許されない詠唱も続ける。

「魍魎たるその身、黄泉より出でて、我が従者とならん――」

 岩の盾をも破壊した拓人の正面、そこへ残った土竜牙二つを展開し――

「八式閻鬼招来――急々如律令!!」

 拓人が最後の岩壁をぶち抜くと同時、言葉を結びきる。

 呼び出すは、鬼。

 この戦闘において、何十と投入した。対星天術式特化型阻害術を積んだ鬼の式神。

「承前、連唱――八式閻鬼招来!」

 残った十八体全てを、

「承前、連唱――!」

 三体づつに分けてこの場へ呼び出す。

 拓人は紙切れを吹き飛ばすようにそれらの鬼を瞬時に切り刻むが、

「承前、連唱――!」

 続けて召喚。

 同じ術は連続して発動する際に短縮して喚び出せる『承前連唱』。

 その召喚速度に、拓人は徐々にその対応へ時間を取られ――手が回らなくなり始めたその瞬間、

「承前、連唱――転じて五式、鬼転轟爆!」

 背後。

 呼び出した瞬間に三体の鬼が自爆する。

「…………!!」

 鬼は衝撃波と同時に呪いをばら撒き

 拓人の術式処理に僅かな乱れが生じる。

 そこへ、

「承前、連唱――八式閻鬼招来!」

 畳み掛けるように、最後に喚び出した三体が飛びかかる。

 それでも、決定打にはなりえないだろうが、

 ……動きを、止めた!

「“喰らえ”――!」

 両手を刀の柄に添え、大上段から一気に振り下ろす。

 加速術も乗った、妖刀による必殺の一撃――

「…………!」

 回避不能と悟ったのだろう。拓人はその刀へ目をやると、


 無造作に、左手で掴んで、止めた。


 ………バカな!?

 驚愕に目を見開く青年。

 名にし負う妖刀を、素手で――

 その驚愕に、だが、そこに在ったその手は、人間の手ではなかった。

 術式回路――アストラルドライバーと同じ、蒼いクリスタル状。

 ……“左腕を造り変えた”だと!?

 変質したそれは、肉体にはありえない剛性と、術式親和性を備えた、一種の術式装備。

 なおも続く苦戦、拓人自身の適性の低さに、星天術式回路がさらなる対処を模索した結果だった。

「…………!」

 目前の危機を封じた拓人は、即座に次の対処を取る。

 自身に集った、鬼、それらを、

「あああああああ!!」

「なっ――!?」

 リアクティブフィールド――暴発に近い星霊力の放出によって一掃し、同時に掴んでいた刀ごと青年を吹き飛ばした。

 青年は受け身を取り、爆風の中辛うじて保持した刀を構え直して、

「――まだだ!」

 拓人目掛けて『喰』の呪いを振る。

 ……あれだけの術が侵食したなら!

 三体の鬼、そして『鬼喰正宗』の刀身そのものまで少年の体に触れさせた。

 なら、もうまともに動けないはず――という、青年の希望的観測は、

「な……!?」

「あああああああ!!」

 強引に地を蹴り、放った追撃をかわして突っ込んでくる姿によって裏切られた。

「まさか――」

 黒いモヤを引きながら、明滅する蒼い光。

 それは、相応のダメージを負ったことを表してもいるが、

 ……まだ動けるのか!?

 もはや、戦闘と生存にその頭脳のすべてを捧げた拓人は、戦闘術式処理に関してオリジナルたるファビアを凌駕する演算能力を手にしていた。

 故に、いかに強力な呪いであろうと、解析済みであれば戦闘と平行して処理が可能。

 星天術式回路はそう判断し――拓人は人間離れした速度をもって青年へ肉薄する。

「くそぉ――ッ!!」」

 そして放たれる斬撃は、応じるだけで精一杯。

 正確に、高速で放たれる斬撃。

 疲労が限界に達しつつある青年と対照的に、疲労など感じさせない機械のような連撃。

「――ぐぁ!?」

 不意に青年の腹部を襲う衝撃。

 間隙をついて放たれた強烈な突きは、青年が懐に忍ばせた簡易防御式をまたひとつ砕く。

 打撃は同時に青年を地に転がし、衝撃と回転で前後不覚に陥らせる。

 地を舐める不愉快な感覚を振りほどくように立ちながら、しかし、それを許さぬような容赦ない追撃が再び脳天を揺らす。

 ……そんな、まさか。

 必死で逃げるように立ち上がりながら、しかし無様に三撃目を受け……青年はついに目をそらしていた恐怖に浸される。

 即ち、

 ……殺され、る?

 死の恐怖。あるいは、生存の欲求。

 それに衝き動かされるように、

「ッ――!? 重ねて八掛け! 業火来来、烈火走狗!!」

 もはや戦術などない。

 悲鳴のような詠唱で、懐に残った簡易式神、自律型の自爆式を全て放出する。

 拓人に向かって一斉に飛び出したそれは、

「…………!」

 瞬く間に全てが撃ち落され、爆炎を咲かせる。

 だが、そのやぶれかぶれの一撃は、しかし場を一時的に停めた。

 故に青年は、拓人を視界に収めることに成功し、

 ……殺されて、たまるか!

「うわああああ!?」 

 ことばにならない咆哮。

 思考も欠落した衝動的な防衛行動。

 真正面からの、渾身の突き。

 単純ゆえに鋭いそれは、攻撃動作に移っていた拓人を捉えた。

「…………!?!?」

 拓人は咄嗟に術式武装化した左手でそれを掴むも、捨て身の一撃は止められない。

 肉を裂く手応えとともに、『鬼喰正宗』は、拓人を背まで貫いた。

 直後、歓喜に踊るように『喰』の呪いが一斉に拓人の全身に回る。

 黒いモヤが、拓人に集り、その霊力、術式回路、魂までも喰い荒らし始める。

 これだけの深手ならば、いかに強力な処理能力を持ってしても、対処は不能。

 ……勝った!

 故に、拓人――いや、『緊急自己保存システム』は判断した。

 それは次善策。

 呪いの根本を処理するという、至極シンプルなプラン。

 即座に、拓人の掌中で柄が回転。刃は瞬間に逆手に持ち替えられ、

「が……っ?」

 青年の背に深々と突き立てられた。

 アストラルドライバーは、一点突破の限界出力で残った簡易術式三枚分の防御を抜き、

「…………」

 同時に術式武装化した拓人の左手も手刀の型で青年の腹にえぐり込まれる。

「ぐ――げぶっ」

 内蔵が潰される感覚に、せり上がる血塊を吐き、

 ……死にたく、な――

 湧き上がる恐怖を、断末魔とすることもできず、

 拓人の、その身に残った全力によって、

 青年の身体は跡形も残さず消し飛んだ。



 ファビアは、満天の星空の下で、その意識を取り戻す。

 仰向けに身を投げ出し、瞳に映るのは全天の星空。

 ……私、は。

〈――外部脅威、侵攻停止。――防疫処理…………完了〉

〈――システム破損箇所の自己修復を開始。思考ユニット、セーフモードで再起動〉

 二度目の感覚。

 そう。外部からの侵入で、処理能力を封殺され、大半の機能が停止していた。

 ファビアはそこに至るまでの記憶から、現在の状況を確認。

 ……ここは、まだ、公園?

 周囲の風景、星座から即座にここが『あの公園』だと解る。

 自分が、『あのグラウンド』の上に倒れているということも。

 それは、自分が未だ敵に連れ去られてはいないということを示し、

 ……敵の反応が、消えている……

 その事実が、術者が死んだことで自身が再起できた事を示していた。

 つまり、

 ……拓人が、勝った……?

 ならば、すみやかに合流してここから離れよう――そう判断し、拓人とのデータリンクを復旧。

 起き上がりながら、そのステータスを確認し、

 …………!!

 ファビアは、自身の思考がノイズによって二秒間途切れたことを認識した。

 ……そんな。

 再度確認し、認識したのは、絶望的な数値の羅列。

「たく、と……?」

 論理回路の判断なく、発声が行われる。

 まったく自覚なく、反射的に拓人の現在地を探せば、そこには、


 虚ろに目を開き、刀に貫かれたままうずくまる少年の姿が、あった。


「たくと!」

 言葉とともに、ファビアは弾かれたように駆け寄る。

 即座に突き立てられた刀を抜き、呪いの侵食を止め、

 ありったけの星霊力を注ぎ込んで吹き出す血とその傷を塞ぎ、星天術式回路を修復するが、

 ……止まらない……!

 呪いは自己増殖を繰り返し、拓人を喰らい続ける。

 既に拓人の身体の星天術式回路は大半の機能を失い、増殖した呪いは魂の一部まで達している。

 もはや、外部から解呪をしたところで、間に合わない。 

 けれど、

「たくと――!」

 それを理解しながら、“人形”は、処理を止めることができずにいた。

「たくと、たくと、たくと――!」

 その口からは、名前がとめどなくあふれだす。

“それ”を知らない彼女は、他に“それ”を表すすべを知らないのだから。



 暗いもやのかかった拓人の意識に、わずかな光が差した。

 声だ。

 透き通るような高い声が、真っ暗な闇からわずかに拓人の意識を引き戻した。

 ……あれ、俺……何やってたんだっけ……

 記憶すら曖昧になった意識で、しかしその声だけは明瞭に思い出せた。

 自分に助けを呼んだ声。自分のために歌ってほしいと、惚れ込んだ声。

 ――たくと! たくと!

 薄れた意識で、ようやく自分が呼ばれていることに気付くと、目を開けて呼ぶ方へ目を向けた。

 だが、どうやら見えなくなっているらしいことに気付くと、すぐに諦める。

 ……ああ。ダメか。

 不思議と恐怖は感じなかった。

 感じるだけの余力も残っていないのだろう。どこか眠気のように、真っ暗に沈んでいく感覚だけがあった。

 痛みすら感じなくなったズタ袋のような身体と、ゆるやかに回転を落としていく頭。

 朦朧とした意識が聞くこの声は、ただの幻聴かもしれない。

 ……どうせ幻聴なら、歌がいいな。

 どうせなら、眠る前に彼女の歌が聞きたい。

 拓人は残った想いで無理やり喉を震わせる。



「う、た――」

 掠れた、小さなたった二音を、しかしファビアは聞き逃さなかった。

 それは、やくそく。

 ちっぽけな、けれども、たったひとつの大切な。

“――俺はお前を守る代わりに、絶対に俺のバンドで歌うって――”

 そしてファビアは理解する。

 これは、父の時と同じだと―― 

「……うん――」

 だから、彼女は歌った。

 聴いたばかりの、記憶領域に保存された“音と言葉の羅列”の再現。

 “音の連なりを利用した、文章表現”

 それは、ありふれた流行曲。

 月並みな歌詞を、伴奏もないアカペラで。

 透き通るような歌声が、少年を送るように響く。


 旋律に、少年はどこか満足気に表情をゆるめ、


 少女は、瞳からしずくを流しながら、

 

 煌々と輝く満月の下で、彼女は再び一人になり、


 うまれてはじめての、“かなしみ”を得た。

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月下の出来損ない 夕凪 @yu_nag

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