第一話 星影の逃亡者
「くそっ……くそっ……くそぉ……ッ」
音楽に取り憑かれ、狂ったようにバンドに打ち込み――真摯に音楽と向き合い、ただひたすらにその本質に手を伸ばそうとしていた。
けれども、中学生の『熱病』に周囲は無理解だった。熱病のようでも、少年にとって紛れもない真実の世界を、しかしそれが熱病にすぎないと知っている両親は否定した。
それは一時の気の迷いだ、と。
プロになるなど夢物語。時間の無駄だ――そんな言葉に、やってみなければわからない、と抗うも「結果は見えている」と一蹴され、
拓人がやっとの思いで買った大切なギターを捨てられたと知った瞬間、拓人は家を飛び出していた。
「クソオヤジが……」
だが、そうして抵抗の意思を示してみても結局自分は無力なままだった。
家出をすれば何かが変わると思ったわけではない。一時の勢いに任せて飛び出しただけ。
……逃げただけだ。
バイトでもして一人で暮らそう、そう思って飛び出してから、それがいかに浅はかな考えだったか。
夜の街で、早々にカツアゲに遭い、僅かな手持ちすら失い。
自らの愚かしさを自覚し……自己を否定されたショックと、夢を認められない悔しさの狭間で、押しつぶされそうな気持ちで街の隅で膝を抱えていた ――そんな時だった。
拓人の目の前に、その少女が現れたのは。
*
「たす、けて」
金髪碧眼。
唐突に現れた、お伽話から迷い出たような少女を前に、拓人は驚き立ち上がる。
幽霊か、とも思ったがその輪郭、存在感は人間そのものだった。
……外人の、女の子?
「たす……けて……」
力のない表情で絞り出されるようにぽつりと出るのは助けを求める声。
その身体はふらりふらりと頼りなくよろめきながら、ゆっくりと拓人の方へと歩み寄る。
「お、おい!」
今にもバランスを崩しそうなその少女に、拓人は思わず駆け寄り、その身体を支えた。
受け止めた身体は、華奢なその見た目通りに羽根のように軽い。
「大丈夫かよ? 」
「う……」
少女が身につけている白いワンピースには、ところどころが破れて赤黒い斑点のように血が飛んでいたが、
……怪我、じゃない?
血は付いているが、そこに傷口は見当たらない。
「たす……けて……」
なおも苦しげに助けを求める声。
だが、拓人には少女を助けるための方法が思い当たらなかった。
……どうしたらいい?
今の拓人には何もできない。
……とりあえず警察……交番?
でも、家出の身で警察なんかに行けば一発で家に連れ戻されるに違いない。それだけは嫌だった。
どうすればいいのかまったく見当をつけられないまま、ただ混乱しながら少女を見つめていたとき。
異変は起こった。
*
「ひっ……!」
拓人が抱きとめていた少女の体が、引きつるように身じろぎして苦しみ始めた。
「お、おい、ちょっと!?」
「や、ぁ……」
しきりに首を掴み、振り払うようにもがく少女。
それは何かを引き剥がすような仕草に見え、
……黒い塊?
はっきりと見ることはできないが、ボヤつくような、おぼろげな……闇としか言いようのない黒いモノが、這い上がるように少女に絡みついている。
少女の手はそれから逃れようと力なく振るわれるが、一向に効果はなく、
「たす……け……」
苦しむ声が途切れ途切れになり、徐々に力を失っていく少女。
蝕むように“黒いモノ”が少女の身体に広がる光景に、
「やめろ……」
拓人は思わず、“黒いモノ”へ手を伸ばし、
「……やめろよ!」
掴んだ。
瞬間、ネバつくような不快感が拓人の手のひらに広がった。
「――ッ!?」
これは、およそ人間が触れてよいものではない――そう拓人の本能が警告を発する。
逃げろ、こんなものには関わってはいけない、と。
だが、触ることができた。そのことに一抹の勇気を振り絞る。
ソレが“触ることのできるモノ”であるのならば、
……なら、引き剥がせるだろ……ッ!
拓人はもう一度、恐怖を湧き上がる恐怖を抑えてそれへ手を伸ばし、
「離れろ、よ!!」
――ぐちゃり、と。
掴みとって、引き剥がした。
手にした“ソレ”を、思い切り放擲すると、地面の上を何度かバウンドして止まった。
「この! ……このッ!」
もう二つの大きな塊も、勢いのまま引き剥がしぶん投げる。
それらも同じように弾み、動きを止めたように見えた。
だが、それも僅かな間で、“黒いモノ”はまた少女に向かって這い寄ってくる。
「くそ――!」
このままじゃ駄目だ。
……とにかく逃げるしかない!
決断は一瞬。
拓人は抱きとめた少女の脚に手を回し、
「ちょっと、ゴメンな!」
「…………!」
そのまま少女の身体を抱き上げ、拓人は路地裏を飛び出した。
一歩出たそこは夜の明かりに溢れる繁華街。
酔っぱらいが溢れるその場所において、中学生の少年と金髪の少女という明らかに異様な二人の姿に、幾人かの目が向く。
走りながら拓人も視線を集めていることに気づくが、止まることはできない。後ろからはあの“黒いモノ”が追いかけてきているはずだからだ。
……何やってんだろうなぁ、畜生!
どうしようもないそんな思いのまま、拓人は胸の内でそう毒づく。
何も考えずにこうしてしまった自分に、どうしようもない愚かしさを感じる。多分、衝動的に家出を決断した後に感じたものと、同じ類の。
……でも。
でも、と拓人は思う。こうするしかなかった、と。
あのまま少女を見殺しにできるほど、拓人は冷静で冷血でなんていられない。
くたくたに疲れきって、焦点も朧な目で「たすけて」なんて言われたら――
(たすけてくれるの?)
唐突に、声がした。
*
〈――外部脅威、侵攻停止。――防疫処理…………完了〉
〈――システム破損箇所の自己修復を開始。思考ユニット、セーフモードで再起動〉
処理限界を超えた外敵の侵入が止まり、ようやく彼女は自我の大半を回復した。
最初に知覚したのは振動と温もり。
自閉モード時の知覚記録をロードし、現状の判断をするに、
……今、自身は男性に抱えられて運ばれている。
それは、自分を運んでいる男性が判断し行なっている行動で、
……私を、助けてくれた?
その容貌、気配から判断するに、彼は術者ではない一般人。
ならば彼は、利害計算ではなく純粋な善意で、自閉モード時に発していた救助要請に応えてくれたということだと、 少女は判断する。
そして、
〈――星天術式回路適合率38.77%〉
システムがはじき出した数値は、その男性が魔術――星天術の素養を、限定的ではあるが備えていることを告げていた。
……なら、交渉の価値はある。
現地語は十分に習得できていないが、念話による意思疎通ならば可能。
判断と同時、彼女は即座に行動に移した。
*
(あなたは、私を助けてくれるひと?)
拓人の頭に直接響く声。
テレパシーというものがあるのなら、きっとこういうものを言うのだろう……拓人は率直にそんな感想を抱いた。
「……何だ? この声は君が?」
(うん。……あなたは、私を助けてくれるひと?)
その問いかけに、拓人はわずかばかりの躊躇。だが、
……ここまで来たら、なるようになれ、だ!
どうせもう首を突っ込んでしまったのだ。毒を食らわば皿まで。とことんまで付き合おう、と半ば自棄にそう決め、
「ああ、そうだ!」
自らの中の躊躇を振り捨てるように力強くそう答えると、
(なら)
背負われた少女は拓人の左胸――ちょうど心臓のある位置にその両手をピッタリと添え、
(その手に、力を)
「――contratto」
少女が言葉を放った。
「なっ――」
瞬間。
拓人の五感が消失し、その視界が極彩色に染まった。
〈生体導脈接続を確認。スレイヴユニットへ星天術式回路群の複製を開始します〉
「なっ――」
突如脳裏に走ったのは、事務的な機械音声。
だが、それに驚く間もなく、拓人の脳裏は膨大な情報の奔流に支配される。
〈
電撃が走るように猛烈な勢いで流れこんでくるのは言語と数値、そして図形の羅列。
意味の分からないそれらは、しかしその根源の意味を伴って脳へ流れ込む。
〈――完了。
膨大な情報を強引に叩きこまれると同時に、その処理が可能なように身体が、脳髄が造り替えられていく。
暴力的なまでに苛烈なそれらの奔流は、眼前の少女を通じ拓人の中へ流れこんでくる。
〈――完了。回路の活性化及び最適化を開始〉
「
原理も理屈もすっ飛ばし、ただ感覚として理解する。
……これは、力だ。
拓人の身体が、心が自覚した。
まどろみから叩き起こされたように鮮烈に、しかし確実に身体が適応していくのが解る。
暗闇から一気に視界が晴れるような感覚。
自分に植え付けられたモノが何か、背後から追ってきているモノが何か、まるで見てきたかのように理解できた。
〈星天術式回路の全複製プロセスを完了〉
そして、
〈――ようこそ、世界へ〉
*
情報の奔流から我に返ると、拓人は足を止め、道の真ん中に立ちつくしていた。
少女はいつの間にか拓人の正面に立って向き合っている。
(あれは、敵)
そう言って少女が指差すのは、背後から追ってきた“黒いモノ”……否。今なら拓人にもハッキリと知覚できる。
その容貌は、鬼。
大きなものでない、子犬ほどの大きさの小鬼。
悪趣味な醜さを人為的に与えられたかのようなそれは、
……『式神』。
“書き加えられた”とでも表現すべきだろうか。拓人はあの一瞬のうちに膨大な量の知識を得ていた。
しかもそれらは全てこの世ならざる世界の知識。
科学の裏に脈々と生き延びてきた、神と魔と霊の世界の知識だ。
(あれはわたしを狙う敵)
決然と、真っ直ぐに少女は言葉を紡ぐ。
(だから、助けて)
無力を認め、助力を乞う言葉を。
「助ける……」
そんなのどうしたらいいんだ、と、数秒前の拓人なら言うだろう。逃げる以外に方法なんか、と。
だが、拓人は識ってしまった。
……力を。
助ける力を。
助ける術を。
それの意味することは、一つ。
「この力で、あいつらを倒せってか」
(できるよ。あなたなら)
少女の言葉を裏付けるように、拓人の脳内に大量の情報と、取るべき選択が提示される。
〈敵性存在確認。東洋式の霊的使役物『式神』五体〉
〈交戦記録より、魔術を発する対象に取り憑き、霊的ダメージと障害を与え機能不全に追い込む機能を持つ種別と推測。射撃戦用の術式を用いた遠距離での交戦が有効〉
〈星霊力充填中、パワーセル内残量41%。彼我戦力差は二倍の優位と推定。マスターユニットの戦術機能回復まで約3577秒。ASDの貸与を受け、単独での外敵の排除を推奨します〉
視界の端に踊る文字と図形、そして脳内に響く合成音声。訳の解らないはずのそれらの言葉がすんなりと理解できる。
つまり、
……敵は五体。接近を許さず、遠距離から攻撃を叩きこめば、勝てる。
そう言葉は拓人に教えてくれていた。
「なら、使うのは飛び道具的な魔法……とかだよな?」
脳に焼き付けられたイメージの中には、そういった魔法のような術の使い方もある。
……だが、本当に使えるのか……?
(できるよ)
拓人の疑問を読んだかのように少女は頷く。
そして、
「Call――Be activated, the 5th circuit」
高らかに言葉を謳い上げる。
「Load the object――Astral driver Type3」
少女が手を重ねると、そこに光が集まり、形を成す――それは、銃砲。
ゆうに拓人の身の丈を超える巨大なそれは、直線的なラインで装飾され、魔術的と言うよりも近未来的、機械的ですらある。
「……これは」
〈認証。アストラルドライバー・タイプ3。第三回路に接続します〉
手にすると、図体と見合わぬほどの軽さで、驚くほど拓人の手に馴染む。
まるで自分の体の延長であるかのようなそれは、自らが手にした力を最速、最善の形で顕現させる為のツール。
――星霊力を効率よく収束、放出させる“砲”である、と知識はそう拓人に教えている。
「……すげぇ」
その砲を手に、拓人は改めて敵を視る。
人混みの道の中、こちらに向けて真っ直ぐに突っ込んでくるのは、五体の敵。
だが、それを撃つためには障害物が多すぎる。
……なら広い空間におびき寄せる!
システムの補助を得て下した判断とともに、拓人は左腕で少女を抱え、
「ちょっち、飛ぶぞ」
(うん。任せる)
〈基礎回路「身体強化」アクティヴ〉
少女を抱えたまま、一息に跳躍。
その高さは軽く 三階建ての建物を越え、拓人を歓楽街の建物、その屋上へと運んだ。
……すげぇ!
人間業と思えぬ自らの動きに、内心で驚嘆を覚えつつ、しかし動きは止めず一気に距離を取る。
小鬼どもが屋根の縁を這い上がってくるのを見て、屋根伝いに跳び、距離を取りつつ引きつける。
「こっちだ! ついて来い!」
一足飛びに十メートル近い距離を稼ぐその力に、拓人はささやかな陶酔と快感を覚えながら、システムの指示に従って敵を誘導する。
そして、
〈安全圏に到達。チャージ可能〉
舞台は整った。
……なら、後は!
拓人は跳躍の中で振り向き、二度、三度のバックステップを経て減速。
立ち止まった視線の先には、建物の屋根を伝ってこちらを追ってくる五体の式神。
向き直り、立ち向かう意志に呼応するかのように手にした砲が唸りを上げて臨戦態勢へと移行する。
〈アストラルドライバー・タイプ3、エネルギーチャージ、砲身展開〉
拓人の脳内に響く合成音声と同時、跳ねるように砲身が開き、周囲に光を帯びた文字列がリング状に展開。
〈コード:アストラルバスターカノン、射撃準備。星天術式第三回路『
展開し、三本のレールで構成された砲身は星霊力の波動を収束させ、放熱板のように開いた部分からは蒼白い光の粒子を吐き出し始める。
〈チェンバー内、エネルギー収束45%〉
足を止めた拓人に好機と見て一気に接近する式神たち。
だが、
「そうは――」
〈チェンバー内、エネルギー収束87%。射撃可能〉
五体同時に飛びかかってきた瞬間。
「いくかっての!」
拓人は、真上に飛び出した。
人の限界を軽く超えた跳躍力で夜天の中へ身を踊らせ、振り下ろすように砲口を下に向ける。
月光を背に、拓人が見下ろす先には目標を見失った五体の式神たち。
そして、
〈エネルギー収束100%〉
「……まとめて吹き飛べ――」
トリガーに指を掛け、
「アストラルバスターカノン!」
〈コード・ドライブ〉
砲口から、閃光が迸った。
*
瞬間、閃光が視界を灼き、光芒が直下に撃ち込まれた。
反動。
空気が揺れ、引き裂かれる。
物理法則と霊魔法則の双方へ強烈なエネルギー放射をもって干渉し、触れた対象を熱量と星霊力で貫徹し引き裂く、何者の存在も許さぬ必殺の光。
光の柱に飲み込まれるやいなや、五体の式神はたまらず消し飛ばされ、勢いの衰えぬ光はそのまま真っ直ぐに建物に突き刺さった。
その熱量は木造2階建てだったらしい店舗をあっさりと貫通。瞬間に衝撃波と熱量で発火させ、――遅れて強烈な閃光。
続いたのは、轟音と衝撃。
それは、着弾した光がその熱量をもって地盤を融解させ、地下のガス管を爆発させたことを物語っていた。
*
「あ……え……?」
〈敵対存在の消滅を確認。状況終了。ASDの存在構築を解除〉
機械音声とともに拓人の手にした砲は消滅し、拓人の身体は少女を抱えたまま重力に引かれて落下する。
拓人が受け身を取る様子がないことを見て、少女は術を発動させ落下速度を減衰。そのまま緩やかに着地させた。
近くの商店の屋根に膝をついた拓人は、ただ眼前の炎を見つめるしかなかった。
「ちょっと、待てよ……」
黒煙を上げ、勢い良く燃え盛る炎を前に、少年は呆然とし……そして自問する。今、自分は何をした?
家を吹き飛ばした。いや、商店だったか?
……中に、人はいたのか――
(……ありがとう)
そんな拓人に、言葉を掛けるのは金髪の少女。拓人に力を与えた、根源たる存在。
華奢なその体が触れるも、そんなことは拓人の意識に入ってこない。
「あ、ああ……」
未だショックから立ち直れずにいる拓人に、少女は静かに問う。
(これから、どうしたらいい?)
「どうしたら……って」
それは拓人が聞きたいくらいだった。
自分のしでかしたことに戸惑う拓人に、少女はなおもまっすぐに拓人の目を見て、
(わたしは、生きたい)
自身の意思を伝え、そして問う。
(どうしたらいい?)
と。
「そんなこと言われても……」
少女の問いは混乱の中にある拓人には、とても答えの出せない問いだった。
……どうしたら――
恐怖と混乱、戸惑いに、まだ上手く思考がまとまらない中、
〈警告〉
畳み掛けるように無機質な声が拓人に告げる。
〈周囲の非術者の意識集中レベルが隠蔽限界に近づいています。守秘規定遂行のため、退避を勧告します〉
……火事に気づいて人が集まりだした!?
そして、このままでは見つかるのも時間の問題だと、システムは告げていた。
……まずい、よな。
他人の家の上にいる、金髪の少女に家出少年。彼らは変な術を使う上に、家を吹き飛ばした犯人で――
……見つかったら、まず間違いなく大変なことになる。
そう判断した拓人は、再び少女を抱え上げて周囲を見渡し、
「とにかく、まずはここから逃げるぞ!」
(うん)
頷く少女に、了承を得たと判断し、
二人は夜の闇に跳び出した。
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