3-5 義の太陽(3)

 ハルミの目の前に、太陽に照らされた青い地球が現れていた。その光景を見ると、思わず涙が出てきた。これまで映像で繰り返し見てきた光景だったけど、こうして実物を見てみるとその美しさに震えが走る。久しぶりの陽光だったから、その感動はひとしおだ。太陽の光に照らされて初めて、地球は生き物の住める星になるのだ。


 彼女は、天使のほうを見た。

 すると、その姿は黙示録の時と変わっていた。白い服を着た黒髪の男性。背中の翼は、白い鳥のような羽根だった。ムハンマドは、天から降りてきた天と地を占める巨大な身体をガブリエルの本当の姿だと思っていたようだが、信者を装ってムハンマドに近づいた黒髪の男こそ、生前の彼の姿だったのだろう。慈愛に満ちたその瞳は、彼女の顔をじっと見つめている。


 天使が彼女に微笑むと、宇宙空間は天の国へと姿を変えた。


 彼女は白い雲の上に立っていた。

 空も雲に覆われていたが、ところどころ天から光が射し込み、天と地の間を妖精を思わせる小さな白い天使達が何百、何千と飛んでいる。

 そのうちの一人が、彼女の目の前に来て、ラッパを取り出した。


 最初の天使がラッパを吹いたが、音は聞こえない。彼女は遊園地にいた。

 二番目の天使がラッパを吹くと、野生動物が駆け回るサバンナが現れた。

 三番目の天使がラッパを吹くと、一面に広がる砂漠が現れた。

 四番目の天使がラッパを吹くと、摩天楼の夜景が現れた。

 五番目の天使がラッパを吹くと、西洋の古い街並みが現れた。

 六番目の天使がラッパを吹くと、ジャングルの中に探検隊と一緒にいた。

 七番目の天使がラッパを吹くと、ロックコンサートのステージに立っていた。


 天使が彼女のアドバイスに対するお礼として幻を見せてくれているとわかっていても、彼女は生まれて初めての体験に興奮した。でも、神の国の後にリアルな遊園地という格が落ちるような流れなのは何故。きっと、彼女に人間世界を懐かしんでもらおうとしているのだ。大気圏を越えた彼女が、永遠に人間世界とおさらばすることを知っていて。


 気がつくと幻は消えていた。目の前の天使は彼女に近づき抱擁した。

 天使は顔を彼女の目の前に持ってきて、何かを告げた。その口のうごきは、日本語の「さようなら」だった。

 そして、天使は彼女の身体を勢いよく前に押しやった。彼女は天使から離れて飛んでいく。地球から遠ざかる向きにだ。もの凄いスピードなので、手足を動かしても無駄だった。慣性の法則に従い、彼女は地球とは異なる天体に向かっていく。いや、慣性の法則だけではない。どこからか別の力が加わっているのかしらないが、明らかに加速していた。


 どこに向かっているのだろう。比較的近距離の惑星に、光速で長旅をすることになるのか、彼女の三次元座標の値が直接変更され、何百万年光年も離れた天体に一瞬で移動することなるのかわからない。そこで知的生物として転生し、新しい一生が始まる。不安はない。宇宙は全て神の創造物だと知ってるから。


 地球は、もう豆粒のように小さくなっていた。自ら光を放つ恒星ではないが、今の彼女の目には、どんな星よりも輝いてみえた。

 かつて、宇宙飛行士のジェームズ・アーウィンは言った。 

「地球は暗黒の宇宙に浮かぶクリスマス装飾を思わせた。それは遠ざかるにつれ、ちいさくなり、ついにはビー玉のサイズになった。想像できる最も美しいビー玉だ。その美しく、暖かく、すぐ壊れそうなデリケートな物体は指でつまんで放り投げることもできそうだった。だが、この光景をみれば、人は神の創造と愛を称えるようになるだろう」

 今の彼女も同じ気持ちだった。


 そして、地球から離れるにつれ、より強く神の愛を感じるようになっていた。

 全ては愛なのだ。

 全ては神なのだ。

 オールインゴッド。全ては神の中に内在している。善も悪も、思考も物質も、あらゆるものが神の中に存在するのだ。いや、神は全てを越えている。神イコール万物ではなく、神は万物を含み、なおかつそれを越えている。


「物質宇宙は個々の意識を育てる子宮である。私はそこに生命の種をまく(バガバッド・ギーター14:3)」


 仮想現実空間での身体が滅びようと、魂は存在を続ける。その魂も永遠ではない。完璧な存在に至ったとき、全体である神に吸収されるから。彼女が臨死体験で見た、ゼリーの中に満ちていた光は愛なのだ。超巨大な球は、限りなく神に近づいた生命だった。

 あの球の生命は、愛が限界まで満たされ、爆発することで全体に愛を供給し、その役目を終える。家畜が肉を増やし、人に食べられるように、生命は愛を作り出し、自らの消滅と引き替えに、神に愛を供給する。ということは、あの球の生命は、間もなく自我が消え、神になるということだ。


 神は愛を造るため、自らの一部を、微小サイズに切り分け、それを種として蒔いて、実った頃に刈る。生命は、愛という実を収穫するために、神が宇宙という畑に蒔いた種だった。人間と同じように神も自ら蒔いた種を刈るのだ。

 ――私たちは神が蒔いた種。それこそがまさに神の子。わたしたちすべての生き物は神の子だった――


 きっと、無数の宇宙の至る所で、静寂を獲得した知的生命体は、穏やかな心で運命を司るルールを観察し、それに従い、やがて愛に満たされ、神へと戻っていくのだろう。言い換えれば、悟りを完全に開いた者だけが神へと還っていく。悟りを開いた者とは仏のことだ。悟りを開き、仏になった瞬間に、神に吸収され、個としては消滅する。従って仏は存在しない。存在するのは、仏を目指して修行を続ける者たちだけだ。


 生命の目的が愛を獲得し神に還ることなら、全ての生命が仏を目指しているといえる。キリスト教徒もイスラム教徒も、プランクトンのような微小な生物でさえ、全ての生命は、仏道修行を続けているのだ。宇宙とは愛を育むゆりかごであると同時に、仏を目指して修行を続ける道場でもある。

 しかし、果てしない苦行の末にようやく目的の仏になろうとした瞬間に、個は消滅し、仏になる夢は無惨に崩れ去る。なんと皮肉なことだ。だが、それは少しも問題ではない。仏になることはできないが、神になれるのだから。個が神になるのではない。個は全体に吸収され、個としての記憶を失い、最初から神だった意識に統合されるのだ。


 ――本当の意味で、私が亡くなるときは、神に吸収されるとき。そのとき、私は神になる。それは私という記憶が消えて、自分が神だったことを思い出す。いや、そうじゃなくて、


 私は最初から神だった。

 最初なんかないから、

 私は神である。

 私というのは自我だから、

 神である。

 文章としておかしい。

 神はある。

 そう、神は存在する。

 これが理論物理学者としての結論――。

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