3-5 義の太陽(2)

 アマテラスの眼前に荒布が再び出現したとき、伯爵の姿はなかった。荒布は、巨大な天井のように上を塞いでいた。下を見ると、闇に包まれた巨大な地球があった。太陽光が当たらなくても、地上の灯りでおぼろげながらその姿がわかる。

 特に先進国の都市部は、普段にまして明るい。どうせもうすぐみんな死ぬのだから、省エネルギーをこころがけることなく、滅亡までの間、少しでも明るい気分ですごそうということだろう。


「なんてきれいなんだ」

 視界一杯に広がる滅びゆく惑星は魅力的だった。何もすることのない彼は、うっとりと見つめた。その一方、どうしても自分のいる超高度を意識してしまう。

「東京タワーの何十倍どころの高さじゃないな。自分がこんなところに浮かんでるなんて信じられねえ。落ちたら全身バラバラで、一巻の終わり。だけど俺は幽霊だから平気なはずだ。重さがないんだから、落ちるわけがない。大丈夫だ。絶対に落ちない」

 そう自分に言い聞かせてみるが、少しずつ地球に近づいているような気がする。

「まずいな。落ちてるぜ。でも、ずっと宇宙にいるよりまし。せめてゆっくり落ちてくれないかな」

 彼は、自らが思い描く重力のイメージに負けて、地上に引き寄せられていく。

「ウワー」


 体重はゼロ、あるいは限りなくゼロだが、浮力もゼロだ。落下速度は公式どおり時間に比例して加速していく。

「死ぬ! 死んじまう」

 すでに死んでいるが、パニックのあまり死んだことも忘れて、死ぬことを恐れた。

「気絶したほうが楽だ」

 意識が遠のいていく。「死ぬってこういうことか」


 走馬燈は死に直面したとき体験する。唯物論的な考えでは、危機に際し、過去の体験から参考になることがないか、猛烈な勢いで脳内の記憶を調べているということになっている。状況により起動しない場合もある。

 アマテラスこと田崎茂雄は、その死の際も走馬燈らしき現象を体験せず、気が付くと自分の遺体を見下ろしていた。ハルミは自分が二度走馬燈を見たことから、時間が経過した後でも、何らかの危機体験があれば、走馬燈が起動する可能性があると考え、彼に走馬燈の操作方法を伝授しておいた。


 気が付くと、目の前一杯に、生家の外壁が映し出されている。トタンではなく板張りだ。視線は壁づたいに玄関口に向かう。引き戸が開いている。中には大勢の人がいる。懐かしさで、恐怖は消えた。


 ギャーギャーと、赤ん坊の泣く声がする。

「やったよ。生まれた」

「男の子だ」

 中には産婆とまだ若い両親の他、何人かの親戚もいる。

 視線は家の中に向かう。


 しかし、何故、昔の家が目の前にあるのだ。

 思い出した。これは、ハルミの言っていた走馬燈というやつだ。彼女の言うとおり、かなり前に死んだ俺でも、まだ見ることができるんだな。映像に心を奪われてはダメだ。後で繰り返し見ればいい。彼は視点を下げた。


 きめ細かすぎてわからなかったが、映像はすぐ目の前で再現されていた。たしかに、これなら手がとどきそうだ。彼はハルミから聞いていた操作方法を思い出しながら、走馬燈を自在に操作していく。彼が生きていたとき、パソコンは販売すらされていなかった。それでも、ビデオデッキは持っていたので、走馬燈の操作は感覚的にわかる。


 通常再生に切り替え、巻き戻しや先送りを多用し、己の人生を振り返った。

 昭和二十年八月十五日。彼はまだ這うこともできない赤ん坊だった。小さな蒲団の上で仰向けになって手足をばたつかせている。そのそばには、ラジオの前で正座をし、玉音放送に聞き入る若い頃の両親。日本が戦争に負けた日だ。

 数年後。駄菓子屋の前でかけっこをする子供達。


 ――俺は戦後の混乱期の中で、子供時代を過ごした。

 昭和三十年代。高度成長期。リーゼントの少年が、同じような格好の少年からタバコをもらって、むせている。

 不良少年時代を経て、いわゆるチンピラになった。ヤクザから小遣いをもらって、使いっ走りをしている。

 カーキチという俗語が流行った昭和四十年代。モータリゼーションの最中、マイカーを手に入れた。流線型とは呼べない形の車。

 付き合う女を次々に変えていった。どの女も化粧が濃く、衣装も派手だった。

 その中のひとりヤスコと、結婚した。

 まだ若いけどこの頃が人生のピーク。

「オマエも所帯持ったんだから、街のごろつきじゃ格好つかねえだろう?」

 とアニキに言われ、正式に杯を交わし、組員となった。

 ここからはあまり見たくない――。


 当時、急速に勢力を伸ばした他の組との抗争に巻き込まれてゆく。彼の組の人間も何人か犠牲になった。いい加減、どちらの組も命のやりとりに嫌気がさしてきて、手打ちにすることが決まりかけていた頃。

 彼は、商店街を舎弟の卓治と一緒に歩いていた。卓治にタバコと酒を買って来るように言いつけ、電柱にもたれかかっていたときだった。脇に鞄を抱え、グレーのスーツを着た、勤め人と思われるオールバックの四十前後の男が近づいてきた。


 ――あいつだ。俺を刺した奴。こんな顔をしていたんだ――。

「あの…、道をお聞きたいんですか」と、相手は慇懃に話しかけてきた。普通に考えれば、ヤクザに道を聞くなんておかしい。だけど、そのときはなんとも思わなかった。

「ああ、いいよ。おれ、この辺じゃ、顔きくから」

 身振り手振りをまじえ、相手の行き先を熱心に説明する。

 男は、その間に鞄に右手を忍ばせ、油断した隙にナイフを取り出す。

 彼はまだ気づいていない。


「いけない。ストップ、ストップ」

 彼は停止ボタンを押した。最後まで見てしまっては、一度きりの走馬燈が終わってしまう。彼は停まったままの妻を指で押さえ、空いている手で選択ボタンを押した。


 ――妻の走馬燈を観る。おかしな気分だ。

 誕生は昭和二十三年だから戦後の混乱期。

 母親は娼婦で、父親は誰かわからない。

 主に祖父母の手で育てられた。

 中学で不良グループの仲間に。高校はいかず、今でいう援助交際のようなことをしながら、ぶらぶらすごしている。

 いよいよ俺との出会いだ。話は何度も聞いている。友だちとその彼氏といたときに、ほかの不良たちから喧嘩を吹きかけられ、友だちの彼氏はびびってしまい、彼女と友だちが困っていたところに、颯爽と俺が登場する。


「おまえら、女の子相手に何やってんだよ」と怒鳴る俺。

「なんだよ。おまえ、関係ないだろ」

「黙って通り過ぎるわけにはいかなくてね」

 相手は三人。俺ひとりで簡単に片づける。

「覚えてろ!」と言い残し、三人はその場から逃げていく。

 なんて格好いいんだ。それで彼女はひとめぼれ。

「よかったら、家まで送っていくよ」

 彼女を送っていく。まるでドラマを観ているみたいだ。

 俺と彼女がいなくなった後。友だちと彼氏の周りをまた悪ガキ三人が囲んでいる。戻ってきたのか。

 しかし、様子がおかしい。

「うまくいったね」

「ヤスコも自分で告ればいいのに」


 俺がここを通ることを知っていて、あいつらは一芝居売ったのか。俺はあいつに騙されたということか。まあいい。これも俺に惚れた彼女が、仲間に頼んだ狂言なんだ。

 それからすぐに結婚。子供はできなかった。


 ん?

 産婦人科に入るヤスコ

 あいつ、俺の子供を堕ろしてたのか。

 まあ、いい。これも生まれてくる赤ん坊が、ヤクザの子供じゃかわいそうだと思ったんだろう。


 保険の契約書。印鑑を捺す。

 あの男だ。俺を殺したやつ。きちんとスーツ着てる。

 ん? 

 そいつが書類を確認してる。何の関係があるんだ。

 ヤスコと一緒にいる。

 どういうことだ。


 俺の死体。卓治が「アニキ、アニキ」と叫んでいる。

 また、ヤスコとあいつ。ヤスコは封筒から札束を取り出し、それをそいつに渡す。


 あいつは組の者じゃなく、保険会社の人間で、ヤスコと組んで、俺を殺し、謝礼を受け取った。

 組どうしの抗争にみせかけた保険金殺人。


 俺はまんまと騙されたのか。

 観なきゃよかった。


 もう、こうなったら、あの女がどんな末路を辿ったのか見届けないと、気がすまない。


 あぶく銭を派手に使い、一文無し。

 またあの保険屋とあって、よからぬたくらみをしている。保険屋とヤスコ、それに初めてみる中年男が、高級レストランで妙にかしこまって食事をとっている。


「お互いにバツ一どうしで、うまくやれると思いますよ」と保険屋。

「失礼ね。私も斉藤さんもバツ一じゃなくて、相方に死なれて、」

「それは失礼」

「よろしくお願いします」と中年男。

 男やもめと未亡人の結婚。おきまりの生命保険契約だが、夫婦揃ってる。

「これでおあいこね」とヤスコが言ってる。疑われないように、二人とも相手を受け取り人にして、保険に入ったというわけだ。

 保険屋と酒を飲む。帰りは酔いつぶれて、千鳥足だ。

 橋から落ちた。たぶん、亭主か保険屋に突き落とされたんだろう。

 保険屋と亭主が、楽しそうに酒を酌み交わしてるじゃないか。

 亭主を殺して保険金を受け取るつもりが、逆に亭主が受け取る保険金のために殺されたってわけか。

 うまい話しをもってきた今度は騙されて こういうのを自業自得というんだ。

 俺もとんでもない女にひっかかったもんだ。きっと前世は小ずるい悪人だったんだろう。

 生きてるときは無鉄砲そのもの。神も仏も信じなかった俺だけど、いざ自分が死んで幽霊になって、おまけあんなもの見せられては、さすがに罰とか何かあるんじゃないかと思って、自分の前世を知りたくなり、画面を切り替えた。     


 前世一覧。姿格好からしておそらく全員日本人。

 モノクロじゃなくカラー写真だけど、いかにも昔の人間って感じ。ひとつ前の人生は、明治辺りだろう。その前はまげを結っていて、侍だろう。

 堅物の明治男は後回しにして、前々世の江戸時代から観てみよう。


 侍みたいだな。

 下級武士といったところみたいだ。

 子供の頃から剣道の稽古。寺子屋通い。家の手伝い

 戦争だ。

 敵側の男から銃で撃たれる。弾は当たらなかった。今度は俺が槍で相手を刺す。相手はその場で絶命。

 戦争終わったようで、

 ちょんまげ、切って、ざんぎり頭に。

 老人になる前に死亡。

 侍らしく、なかなか筋の通った人生だった。


 人殺してるじゃないか。それで生まれ変わった俺はあいつに刺し殺されたのか。

 次は明治男。

 いいところの坊ちゃんって感じ。

 この時代で大学まで出てるということは、相当のエリート。

 銀行員。建物は瓦屋根の洋風木造二階建て。そろばん使ってるところが時代を感じさせる。見合い結婚。

 表情が暗い。左遷されたのか。

 銀行のことはよくわからないけど、どうも出世コースから外れたみたいだ。

 取引先企業のライバル企業から賄賂を受け取り、取引先企業を騙し、資金難で倒産させてる。前世は立派な侍だったのに、        

 客の預金を横領して逮捕。獄中死。あわれな末路。

 前々世で人を殺し、前世で人を騙した俺は、今世で、騙されて、殺された。これも自業自得ってやつ。


 ハルミがこう言ってたな。

「贈答品をいただくとお返ししたくなったり、相手から受けた仕打ちに復讐したくなるのは、運命における作用に対する反作用。物理的衝突のように同時に反作用が働くことはないけど、作用を起こした側に、その行為が記録され、反作用を起こす機会を伺ってる。つまり、同じ性質の作用を起こしてくれる相手を捜している。たとえば、人を殺した者は、自分を殺してくれる者を引き寄せる。

 相手がいない場合は、事故死や過失死ですませる場合もある。生物には寿命があるので、来世になる場合もある。あなたは、幽霊になって人を怖がらせてるから、次に生まれ変わったら、幽霊を見て、怖がることになる」

 彼女の言いたいことが、ようやくわかったぜ。


 それにしても、侍、詐欺師の銀行員、ヤクザ。どんどん悪くなってるじゃないか。

 次は何に生まれ変わるのかわからないけど、あまり期待できない。

 俺の前世はこのくらいにしておいて……たしか、ありとあらゆる生き物の体験が出来るってハルミは言ってたな。動物とか昆虫とかはいいから、若くて大金持ちで女に持てそうなにいちゃん見つけていい思いしよう。え~と、どうやるんだったかな――。


 結局、アマテラスは操作法がよくわからず、アブラゼミの一生を最期まで見届け、走馬灯プログラムは終了した。


 目が覚めると、着地点は山の中だった。どこに落ちようと怪我をすることはないので、すぐに体を起こした。

 緑鮮やかな木々の枝葉は、真っ白な雪で覆い尽くされていた。


「葉っぱや雪の色がはっきり見えるということは……」

 彼はそうつぶやき、空を見上げた。青い空に太陽が輝いている。

「助かったのか? でも、円盤は復活したんじゃないのか。そうか、俺が走馬灯を見てる間に、伯爵とハルミがガブリエルを倒したんだ。すげえぜ、あの二人!」

 彼は草に覆われた斜面に腰を下ろし、しばらくの間、どこの国のどの地方かわからないが、その場の景色を楽しんだ。


 一月の初旬のはずだが、太陽は真夏のように熱く照りつけ、木々の雪から溶けた水が勢いよく滴り落ちている。

「なんか、変な太陽だな。目が慣れてないせいか、いつもよりまぶしいけど。ひょっとしてここは南半球か? 帰るの大変だな」

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