3-3 主の日(2)

「その時あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ちあがります(ダニ12:1)」


 六日目。

 その日の朝、京都市上空には黒雲が出現しなかった。市街地の上空部分だけ、ぽっかりと大きな穴が開き、そこから陽光が燦燦と百万都市を照らしたのだ。神社仏閣の多いこの地を太陽が照らしたという事実は、俄然、分が悪くなっていた反対派を勢いづかせた。

 創造主にして唯一の神ヤハウェは、神道や仏教に屈服したのか。


 正午頃には市内だけでなく、近隣の地域からも陽の光を求めて、大勢の人々が集い、古都の通りは久しぶりの賑わいを見せた。

 太陽が現れたといっても、不安から完全に解放されたわけではない。ただでさえ季節は真冬のうえ、数日間闇に包まれていたのだ。道は凍りつき、家々の屋根には雪が積もったままだ。それでも人々は、こぞって神社や仏閣に参拝に向かう。


 その有名神社の裏参道も、大勢の参拝客でごった返していた。表参道に比べ道幅は狭く、赤い鳥居を潜ると左右に土産物屋や食事処が連なる。久しぶりの明るい話題を逃すまいと、地元のテレビ局のクルーが、行き交う参拝客の様子を取材している。

 黄色のジャンパーを着た三十代のお笑い芸人がレポーターを務め、人形店を覗き込んでいた若い女性の後ろから近づき、明るく声をかける。

「どうも、こんにちは。昼過ぎテレビです」

 女性は振り返った。番組を知っているようだ。

「え~、観たことありますけど」

「結構、おきれいですね。一人でいらしたんですか。彼氏と一緒じゃないんですね?」

「三ヶ月前に別れました」

「じゃあ、今フリーですね。僕なんかどうです?」

「ちょっとそれは……勘弁」

 女性は合掌して謝った。

「勘弁ってひどいなあ。せっかくの浮き浮き気分も台無し」


 日本全国が寒さと恐怖で打ちのめされているときだ。いくら明るさが売りのお笑い関係者とはいえ、質問が軽薄すぎる。そばに控えているディレクターが苦い顔で首を横に振ると、レポーターはまじめな質問に変えた。

「ここ数日、どうされてました?」

「家でずっとテレビ見てました」

「僕と一緒だ。ところで、今日は神様に何をお願いされます?」

「そうですね。雲が消えて無くなり……」


 返事が不自然な形で止まったので、レポーターは彼女の顔を覗き込んだ。

「どうされました?」

「あ、あれ……」

 女性の様子がおかしい。大きく目を見開き、前方を指差している。レポーターもその方向に視線を移した。


 参道の石畳のうえに、さらし首のように首だけがおかれている。中年の日本人男性のようだ。痩せこけた頬。大きく見開いた目は血走り、歯を食いしばったような苦悶の表情を浮かべている。目や口が動いているので人形ということはないが、長髪は乱れ、皮膚の色も死人のように青ざめている。


「これはどういうことでしょうか……」

 レポーターは目を疑った。番組を盛り上げるための演出の一種ではないかと考え、ディレクターの様子を伺うと、ディレクターも呆然として、地面の首を見つめている。

「え~これは、その~」

 レポーターは、まだ状況をはっきり理解したわけではないので、恐怖に押しつぶされることはないが、言葉が続かない。

「どうしましょうか?」


 次の瞬間、レポーターは自分の仕事も忘れ、ギャーと大声で叫び、その場から走り去った。

 首が少しづつ上にあがっていく。生首が中に浮かんだのではない。肩や首の下の胴体が、徐々に地上に現われていく。

「キャー、助けて」

 あちらこちらで悲鳴がする。


 不気味な地中人は一体だけでなかった。

 ぼろぼろの服をまとい、青白い顔をした大勢の男女が、突然、地中から出現したのだ。腕をだらりとたらし、うつろな目を見開いたまま、ゆっくりと参道を思い思いの方向に歩いていく。

 参道はパニック状態になった。

「ゾンビみたい」「ゾンビだ」などと参拝客たちが叫んでいる。

 それはまさに、ホラー映画に出てくるゾンビだった。


「また地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう(ダニ12:2)」

 ダニエル預言十二章のとおり、死者たちが目を覚ましたのだ。


「近づくな」

 腰を抜かしてしりもちをついた老人。

「待ってよ」

 我先に逃げた恋人を追う女性。 

「あっちいって」

 子供をかばう母親。

「こっちにもいる」

 人々は突然現われた怪物を避けようと必死だが、逃げた先でも同じような光景が続いていた。


 勇気を振り絞りゾンビに立ち向かう者や、恐怖のあまり身動きがとれず、ゾンビにつかまりそうになる者もいたが、殴りつけた拳はゾンビの体をすり抜け、ゾンビに触れられたはずの肩には感触がなかった。見た目は派手な地獄絵図そのものだったが、具体的な被害は無い。これではたちの悪いイタズラだ。

 ということは、ゾンビの出現は災いの前触れにすぎないのだろう。


 さほどゾンビが危険ではないと、人々が悟った頃。

「あ、あれは何だ?」

 人々は空を見上げた。

「天使?」


 青い空を背景に、白いローブをまとい、鳥のような白い羽を広げた巨大な天使が、京都の街を見下ろしている。ヨーロッパ系ともアラブ系とも見分けがつかない青年の顔は全くの無表情で、ロボットや人形のような不気味さを漂わせている。距離感がつかみにくいが、ジャンボジェット機を上回る大きさなのは間違いない。


 有翼の天使は、両手を上にのばし、自分の十倍はあろうかという超巨大レンズを掲げていた。参拝者たちのほとんどは、ゾンビの恐怖も忘れ、ぽかんと口を開けたまま、上空を眺め続ける。天使は、神社のある山のほうに向かってゆく。


「あの天使、お稲荷さん、守りに来たんやないかな」

 そう主張する者もいた。

 その言葉を裏付けるかのように、天使の出現と同時にゾンビ達は動きを止め、体の中心から光を放ちだした。光はどんどん強くなり、ゾンビの姿を隠してしまった。人々はまぶしさのあまり、目を細める。


「ゾンビが光っていくぞ」

「お~、ゾンビが浮かんでる」

 それぞれの光は、空中に浮かんでいく。

 地上の人々は、打ち上げ花火を見るようにうっとりとその光景を眺める。

「昼やのに、お星さまみたいや」


 光は上空に散らばり、幾千もの星のように空中で輝いている。その中心には、天使の巨体が身動きもせずに地上を見下ろしていた。


「賢い者は、大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は、星のようになって永遠にいたるでしょう(ダニ12:3)」


 星々は、天使の持つレンズの中央に向かって集まっていく。レンズに集まった光は、小さな太陽のようだ。すべての星が集まったとき、その太陽から一本の強い光の線が、地上に向かって伸びていく。光の先は神社境内にある竹林だ。


 朝から晴れ間が広がったとはいえ、雪はほとんど解けることなく残っていた。しかし、光が当たった木や竹では、一瞬のうちに雪が解け、その後すぐに火や煙が出てきた。

 太陽光はまぶしいだけの光ではない。強力な熱線(赤外線)でもある。それが物凄い割合で集積され、レーザー光線のように、対象物を燃やすのだ。


「火事だ」

 参道にいた人々も、煙の上がるのを見て、叫んだ。

 レンズから放たれた光は竹林を焼き尽くすと、地上の対象物を焦がしながら本殿のほうに向かっていく。本堂の壁に留まると、そこからすぐに火が燃え広がっていく。光は本堂を嘗め回し、全焼するのにそれほど時間はかからなかった。消防に連絡してもすでに手遅れで、目的を達成した天使は、次なるターゲットに向かい、大空をすごいスピードで移動していった。


 キツネを神聖視し、剣や鏡などの偶像を崇拝する稲荷信仰。キツネは神の使いであり、天使もまた神の使いである。御使いどうしの対決は、天使の勝利に終わった。中東でモロクやバアルを倒してきた唯一神は、極東で八百万の神々を葬ろうとしていた。神道の神々ばかりでない。仏像を本尊とする仏教寺院も、聖書で禁じられた偶像崇拝を行う邪教の巣窟である。天使は、市内の有名寺院などの木造建築物を次々と焼き尽くしていった。


「『見よ、わたしはアハズの日時計の上に進んだ日影を十度退かせよう』。すると日時計の上に進んだ日影が十度退いた(イザヤ38:8)」

 時は紀元前八世紀後半、ヒゼキヤ王の時代。太陽光はすでに十度屈折していた。凸レンズも光を内側に屈折させる。虫眼鏡で黒い紙の一点に太陽光を集めれば、紙は燃える。これは本来、ダニエル書の十一章から十二章にかけてほのめかされている、エルサレム神殿を荒らした大悪王アンティオコス四世を処罰するための作戦だった。それが二千年以上も後、改めて活用されたのだ。


 早朝から太陽が出たのは、前もってターゲット周辺の気温を上げておくためだった。街じゅうにサイレンの音が鳴り響いていたが、応仁の乱以来の大火災は消防署の対応能力の限界を超えていた。この光景が世界中に放映され、人類は映像にすぎない天使に恐れおののいた。

 この影響で、これまで反対姿勢を崩さなかった巨大宗教法人の多くは、表面上の改宗を受け入れた。日本政府は、その日の午後十時、非常事態宣言を出し、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を国教にし、全国民に対し一年以内に改宗を義務づけると発表した。


 十二月三十一日。大晦日の朝、東の空から日が昇った。出現以来始めて、黒雲は完全に姿を消した。人類は安堵と歓喜の声をあげた。


「暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った(イザヤ9:2)」


 ようやく一安心できる状況になった。肩の荷を下ろしたハルミは、ひさしぶりにぐっすりと寝た。正月の準備などしてる間もなかった。本来、休日の予定だった京は、数日分の遅れをとりもどしに会社に出勤したが、外の道路はまだ凍り付いていた。


 昨日まで災いにおびえていたのに、今は何事もなかったかのように、世の中は動いている。新年を目の前に、少なくとも表向きは、全ての国はヤハウェに従った。これで、主の怒りも収まり、人類は希望に満ちたニューイヤを迎えることができると誰もが思った。だが、現実は人類の想像を超えていた。主は、人類を大いに祝福したのだ。


 そのとき、例年のように世界のいたるところで、新年のお祝いが行われていた。そしてグリニッジ標準時間午前零時、主自らも人類に祝福のメッセージを送った。


「全ての国がヤハウェに従ったことを祝福し、全ての人間と家畜を神の国に送る」


 その円盤には、ヘブライ語でそう記されていた。五分後、そのメッセージは消えたが、円盤は残ったままだった。それは想像を絶する巨大な円盤だった。上空一万五千キロ。円盤の直径は地球のそれを上回り、常に太陽の光を遮る場所に位置した。そのため、地上に光がとどくことはなくなった。


 その円盤は、ヤハウェの荒布と命名された。みだりにその名をとなえてはいけないので、主の荒布とも呼ばれた。名の由来は、イザヤ書五十章三節、

「わたしは黒い衣を天に着せ、荒布をもってそのおおいとする」

 からとられたもので、ヨハネ黙示録にも、

「太陽は毛織の荒布のように黒くなり、月は全面、血のようになり(黙6:12)」

 とあり、模様のない黒一色の金属板のような円盤が、荒布と表現されることに異を唱える者は少数だった。荒布とは山羊の毛で作ったきめの荒い黒ずんだ布のことで、聖書では後悔や嘆きという意味を表している。

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