3-2 死ねない男(4)

イエスの再臨に対し、世界各地で様々な反応が起こった。日本人による不謹慎なイタズラだという論調が多く、それに対し、トリックでは説明がつかないことや、一神教徒の少ない日本で、一神教への改宗を勧めるはずがないなどという反論も起きた。警察も一応捜査を進めるということだったが、調べようがなかった。


 イエスがユダヤ教やイスラム教への改宗を勧めるはずがないという理由で、キリスト教関係者は一様に偽物だと表明した。特にイエス像やマリア像を祭壇に置く、カトリックの反発はすごかった。イスラム教徒も、アラーの僕イーサーなら、イスラム教以外の宗教に改宗を勧めるはずはないと主張した。


 伯爵とアマテラスは消息を絶った。

 ハルミはネットで亀戸中央公園界隈の噂を調べ、気になる情報を三件見つけた。


 公園内のテニスコートを、黒いアイマスクをつけた外国人紳士が歩いていた。目撃者が注意すると、紳士の姿は消えたが、アイマスクだけが宙に浮かんでいた。

 亀戸中央通り商店街を、古代人の服装にサングラスという、ちぐはぐな出で立ちの男性が歩いていた。通行人がおかしな格好を指摘すると、相手はスーツ姿に変わった。

 公園沿いの丸八通り。人の顔の高さ辺りの空中を黒い布きれのようなものが、不自然に移動していた。目撃者が声をあげて驚くと、布は空に上がっていった。


 これらの目撃例から、伯爵とアマテラスは、目の前に幻を張り付けられ、視力を奪われていることがわかる。幻の種類は布やアイマスクなど様々で、TPOに合わせて変化するようだ。

 パウロの目が見えなくなったとき、目の前に何かがあったという従者の証言はないのに、今回そのような物が存在するのは、相手が生身の人間ではないので、姿を消された場合でも、術者が追跡できるようにする目印、かつデコレーションだと、ハルミは推測した。

 彼女は、それほど心配することはないと考えた。パウロの目が見えなかったのは三日間だ。術をかけるほうも大変なので、数日もすれば解放されるだろう。


 しかし、三日間がすぎても、二人は現れない。彼女はジェイコブと連絡をとって、次の休日に二人で公園付近を捜索することにした。目が見えないのなら、まだ二人とも公園付近にいるはずだ。


 当日午前九時。公園のすぐ手前、東武亀戸線の亀戸水神駅で降りると、小さな駅舎の外の自販機の横に、黒色の皮ジャンパー姿のジェイコブが立っていた。

「ジェイコブ、体大きいから、皮ジャン着ると怖い外人みたい」とハルミが言った。

「今日はプライベートです」

「そうね。この場所から二人を探しましょう。まずポイントの説明。向こうは目が見えないから、私たちを見つけられない。こちらは目が見えるけど、向こうは姿消してるかもしれない。でも、サングラスやアイマスクは消えないから、注意すれば見つかる可能性はゼロではない。視覚は頼りにならないから、音で向こうに知らせる。つまり、二人で話し続けないといけない。それもできるだけ大きな声で。とりあえず、ジェイコブの趣味でも話題にしましょう」


 二人は話しながら公園に向かった。公園に入ってからも話し続けた。意識して話し続けるのは神経を使う。ときどき会話がとぎれそうになる。

「何か話さないと……。そうね。好きな日本料理は何?」

「餃子です。いくらでも食べることができます」

「あれは日本料理じゃなくて中華。この辺り、餃子おいしいから後で食べましょう」


 公園内をくまなく巡ったが、収穫はない。中央通り商店街を明治公園通りまで向かう。ハルミの暮らす小岩と同じく、小さな商店が密集している典型的な下町だ。あれだけのことがあったのに、いつもと同じ人通りで、隣にジェイコブがいなければ、イエスの再臨もサン・ジェルマン伯爵の登場も全て嘘のように思えるだろう。


 伯爵やアマテラスが本気でどうにかしようと思ったら、通りがかりの人に声をかけることもできるはずだ。別に探さなくてもいいのかもしれない。そんなことを考え、次第に目的を忘れ、普通に買い物をしたりもした。


 生花店の前を通りかかったとき、近くにいた若い制服警官の無線通話が耳に入った。

「ホルモン店ですね。アイマスクをしている外国人の中年男性。すぐに向かいます」

 それを聞いて、ハルミはジェイコブと顔を見合わせた。二人は、早足で歩き去っていく警官の後を追った。


 昼時で飲食店はどこも忙しそうだ。目的のホルモン焼きの店は、行列ができていた。警官は店の前で立ち止まった。行列先頭の三人の男性が引き戸を開けて店に入ろうとしたとき、警官は客の後ろに隠れるように入っていった。ハルミとジェイコブは、仕方なく最後尾に並んだ。店内から漏れる肉の焼ける臭いが食欲を誘う。


「さっき餃子が好きって言ったわよね。残念だけど、ホルモン焼き注文することになりそう。伯爵のことが優先だから、食べられないかもしれないけど」とハルミが言った。

「わかります。食べるためではなく、伯爵を見つけるために店に入ります」

「最近はホルモン焼きも亀戸の名物みたい。激戦区だって」

 とハルミが言ったとき、サングラスをした強面で体格のいい男性が行列を無視するかのように、入り口の前で立ち止まった。


 それを見たジェイコブは憤慨して、

「並ばないなんて卑怯です」と言った。体格ならジェイコブも負けていない。

「相手に聞こえるようにもっと大きい声で言ってあげてよ」とハルミ。

 ジェイコブは、「並ばないなんて卑怯です」と、もう一度大声でいった。

 ハルミも、「聞こえない振りしないでよ」と、男性に向かって声を張り上げた。

 すると、男性は無表情のままこちらに近づいてきた。二人の前で立ち止まると、

「その声はハルミだな。探しに来てくれたのか」とアマテラスの声で言った。


「アマテラス? 別人に変装してるの?」

 ハルミは、相手がアマテラスと違った姿なので驚いた。

「自分の姿じゃ恥ずかしいからだよ」

「サングラスしてるってことは、少しは見えてるってこと?」

「そっちからすればサングラスだろうけど、俺からすれば全くの暗闇。マンションの屋上に伯爵といたら、おかしな空間に迷い込んじゃって。しばらくしたら目が見えなくなって。手の感覚がないから手探りもできやしない。

 適当に歩き回っていたら、変な格好とか言われて姿変えてた。することなくてつまんないから、通行人の声を頼りに商店街をぶらついたりした。いろいろと食い物の臭いがするから、それだけが楽しみでな。いい臭いがしたんでここに来たら、おまえらの声がした。焼き肉のおかげで助かったぜ」

「焼き肉のおかげか……あっ、そうか」


 そのときハルミは、聖書のレビ記などに記されている祭事や贖罪に動物を捧げる理由がわかった。主は、罪を犯した民に祭壇で肉を焼くよう、また家畜の脂肪は食べないで焼き捨てるように指示している。これは、食べる楽しみを失った主が、臭いを楽しむためだったようだ。


「食べられないのが残念だけどな」とアマテラス。

「食べたくなくても一緒に店に入りましょう。それより、伯爵と会ってないの?」

「おかしな空間で一緒に大変な目にあったけど、それっきり」


 三人が店内に入ると、隅のほうで警官が無線通話をしていた。あまり部外者には聞いて欲しくない内容のようで声が小さい。ハルミはアマテラスに、

「姿を消して、左に五歩。そこに警官がいるから、無線の内容を聞いて」と頼んだ。

 言われるまま、アマテラスは姿を消し、警官のすぐそばで聞き耳を立てた。

「本当です。声をかけたら姿が消えて、アイマスクだけになって、それが店の天井に吸い込まれました」


 アマテラスは、元の位置に行き、男の姿に戻り、ハルミに内容を報告した。

「逃げられたみたいね。一時あきらめて、ここでたくさん食べましょう」

「俺、金払わないからな」

 とアマテラスが冗談を言った。

「私が二人分食べます」

 と、体の大きいジェイコブが笑いながら言った。

 ハルミとジェイコブの二人は話し疲れていて、アマテラスひとりがしゃべり続けた。


 空腹を満たすと、三人で公園の芝生広場に入った。木陰に木製のテーブルとベンチがある。ハルミとジェイコブは向かい合わせに座り、目が見えないのでうまく座れないアマテラスは、テーブルの横に立ち、自分の姿に戻った。


「アマテラスは見つかり、伯爵は逃亡。彼、放っておいても、通行人の会話や駅のアナウンスだけで、大使館にたどりつけるんじゃないかな」とハルミが言った。

「アイマスクしてたら、恥ずかしくて人に話しかけられません」とジェイコブ。

「アマテラスはサングラスなのに、どうして道を尋ねなかったの?」とハルミ。

「目が見えない状況で、道がわかっても役に立たないぞ。結局、手つないでもらうしかないけど、俺、手つなげないから、道聞いても無駄」

「そこは頭の使いようよ。伯爵がサングラスなら、今頃大使館にいると思う」

 ハルミがそう言うと、

「私はここにいます」という声が聞こえた。伯爵の声だ。


 アマテラスの顔の近くに、一匹のアゲハ蝶が、不自然な格好で空中に静止している。


「聞き覚えのある声がしたので、後をつけて来ました」と蝶がしゃべった。

 三人が公園に向かう途中の会話を、運良く聞きつけたようだ。

「どこで私たちに会ったの?」とハルミは聞いた。

「おそらく公園の中だと思います。警官に質問されたようなので、姿を消して空に上がり、方角もわからないまま移動しました。降りた場所は静かで、誰もいないようです。人目に付きたくはないですが、場所を知りたいので、適当に歩き回り、人声がする方を探しました。そしたら、あなたがたの声がしたのです」

「それならたぶん公園ね。それより、早く姿を見せて」

「いいんですか?」

「何が?」

「突然、人が出てきたら誰でも驚きますよね」

「大丈夫。近くに警官がいるけど、今むこう向いてる」

 とハルミが言うと、顔に蝶を張り付けた伯爵が姿を現した。仮面舞踏会のマスクのように華麗なものではなく、巨大なアゲハ蝶が目の前に張り付いているだけなので、ジェイコブは笑った。


「笑うなよ、ジェイコブ。見てる分にはおかしいけど、本人からすればたまったもんじゃないぞ」 

 と、アマテラスは伯爵の気持ちを察して言った。

「ソーリー。すいません」

 ジェイコブは伯爵とアマテラスに対し、素直に謝った。

「ジェイコブは悪くありません。悪いのはガブリエルです」と、伯爵は部下をかばった。


「伯爵も昔、パウロに同じことしたんじゃない?」とハルミ。

「私はパウロの担当ではありません。アズラエルは三日間、片時も離れませんでした」

「三日間も大変ね。でも今回はその倍の期間。それも二人同時。別々に動き回るから、凄い技術。今なら近いから、二人同時も簡単だけど」

 ハルミがそこまで言うと、アマテラスは怯えたように小声で、

「ということは、ガブリエルが今近くにいるんじゃないの?」と言った。

 それを聞いて、伯爵は何かに気づいたようだ。そして、大声で何かを叫んだ。

 すると、アマテラスのサングラスと伯爵の蝶が消えた。


「あっ、見える。見えるぞ」

 と言って、アマテラスが周囲を見回した。

「目から鱗ならぬ、目から蝶々です」

 と伯爵も言って、自分の手の平を見つめている。


 二人が喜ぶのはわかるが、ハルミはガブリエルが近くいると思うと気が気でない。ジェイコブも大声で喜んでいるので、近くで警備に当たっていた若い警官がこちらに近づいてきた。どう見ても怪しい四人組なので、警官の立場からすれば仕方がない。警官は伯爵の前まで来た。最年長だから選んだのか。いや、そうではなく、最初から伯爵に用があった。


 警官は伯爵に職務質問をした。おかしい。明らかに日本語ではない。伯爵の表情も真剣だ。それに帽章が鳥になっているなど、警官の制服姿も異様だ。

 二人は一分近く話をし、そのあと警官は突如として消えた。

「何だ、今のおまわり?」

 と言って、アマテラスは不思議がった。

「ガブリエルです。私たちに自分の計画を邪魔しないように警告しに来たのです」と伯爵は言った。

「へえ、たいしたことないな。あのくらい俺でも変身できるぜ」

 と言って、史上最高の幻術使いの凄さを知らないアマテラスは笑った。

 ハルミは何も言うことができなかった。ジェイコブも緊張した面持ちで、黙ったままだ。


 アルファであり、オメガである者は、千四百年のファトラを経て、再び活動を始めたのだ。ムハンマドが最後の預言者になってしまったので、彼はもう人間の預言者に啓示を授けることができない。人類に何か伝えたいことがあれば、残された手段はイエスの再臨しかない。

 そのたった一度きりのチャンスをああいった形で使ったということは、それが最終メッセージということだ。天の父の裁きは生半可なことではすまないはずだ。そんな彼らの心配とは別世界のように、公園には穏やかな秋の日差しが降り注ぎ、カメイドの丘は平和そのものだった。


 アマテラスは、伯爵から引き続き魔術を習うことになった。あれだけはっきりと自分の姿を映しだせるなら、もう少し訓練すれば、太平洋を真っ二つにできると、伯爵はお世辞を言った。

 当事者というより事の発端を作った張本人のハルミは、心配のあまりまともに睡眠がとれなくなっていた。それでもなんとか日常生活を送ることができたのは、アマテラスや伯爵といった超自然的な存在と関わっていたからだろう。しかし、裁きの予告日、十二月二十五日の直前には、完全にふさぎ込んでしまっていた。


 クルアーン雌牛章97節「誰がジブリール(ガブリエル)に敵対するのか」というアラーの問いかけが、彼女への直接の言葉に思えてならない。自分はガブリエルに敵対してしまったのかもしれない、という思いが拭いきれないまま、その日を迎えることになった。


 その日とは、すなわち主の日。


 それは、この世の終わりを意味していた。

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