3-2 死ねない男(3)
予告された十月三十一日がやってきた。亀戸中央公園には、数日前から世界中の取材クルーがおしかけていた。警備もものものしく、公園内は立ち入り禁止とされ、近くの道路は野次馬でごったがえしていた。しかし、世界中が見守るなか、日が暮れても何も起こらず、騒動は人騒がせなイタズラだったという論調が、キャスター達によって語られていた。
日本では二つの民放テレビ局が、七時から二時間の特番を組んでいた。伯爵との打ち合わせで、八時から計画を実行する手筈なのでちょうどいい。
事の首謀者であるハルミは、仕事をきりあげ、大学を出ると、そこに待機していたベンツに乗った。運転手はジェイコブだが、伯爵はいない。公園付近でアマテラスと最終調整に入っているはずだ。
伯爵のアジトは某国大使館だった。表向きの顔というか、ジェイコブの本職はそこの職員だ。彼女は、これまた結社のメンバーである大使と挨拶を交わし、応接室に入った。大型テレビが用意されていて、ジェイコブと二人、大画面で再臨劇の中継を観るのだ。
公園の中央広場にある時計塔は、四本のコンクリートの柱で四角錐を作り、頂点にキャップをかぶせたものだ。キャップの四方向に丸時計があり、四方のどこからでも時間を知ることが出来る。柱の中程に、地面と水平にコンクリートのぶ厚い板があるので横から見ると、A字に見える。偽イエスの降り立つ場所は、その板の上の予定だ。時間が一目でわかる時計塔は中継ポイントとして最適で、多くのマスコミが周りに陣取っている。ハルミはスカイツリーを希望したが、イエスと天使は、すぐ傍のマンションの屋上からそこに降臨する。
時計の針がまもなく八時を指そうという頃、大きな歓声が起きた。
「いよいよね」
ハルミは、期待と不安に胸をふくらませている。
「はい」
ジェイコブも興奮している。
しかし、二人の予想とは異なり、テレビカメラはいきなりスカイツリーを映し出した。それも亀戸公園から撮影している。たしかにスカイツリーの様子がおかしい。ライトアップの様子が異常だ。あそこまで強く輝けるはずがない。
「スカイツリー? 打ち合わせと違うけど、これって私へのサプライズってこと?」
「おそらくそうでしょう。伯爵ならあのくらいはできると思います」
強い光に囲まれて、スカイツリーの輪郭がわからなくなった。光が収まったとき、そこにあったのはバベルの塔だった。轟音とともに塔の上部が崩れ去り、中から巨大な獣が出てきた。墨田区の音が、そこまではっきりと聞こえるのはおかしい。映像と音を操る天使は、すぐ近くにいるのだ。
獣は羊に似ていたが、はるかに獰猛である。獣は、地上に降り立つと、すぐさまもの凄い勢いで公道を東に進んでいく。蔵前橋通りの賑わいを中継していたカメラが、その様子をとらえた。ドライバーや歩行者が騒然とする中、獣に踏みつけられたはずの車には何らの被害もなかった。
「やってくれるね、伯爵。センスいい」とハルミは言った。「伯爵に任せてよかったわ」
「リベレーション、黙示録がテーマのようです」とジェイコブ。
公園の隣の川からも、恐竜を思わせる巨大な獣がはい出てきた。頭が七つで、角が十本ある。ネコ科の猛獣のようだが、四つ足は熊のように太く、ふさふさとした毛で覆われている。スカイツリーから来た獣も加わり、公園は大パニックだ。撮影クルーの中には、機材を放り出して逃げる者もいた。しかし、獣に踏まれた者達は、不思議そうな顔をして、そのまま仕事を続けていた。
そして、ついに人の子が登場する。ただし、隣のマンションの屋上ではなく、遙か上空からだ。黒い雲にまぎれて、小さな白い雲が光った。それがゆっくりと地面に降りてくる。遠方からの撮影で、雲の上に輝く人間がいるのが確認できた。まだ上空だが、その明かりで公園全体が明るくなった。
降臨場所は予定されたA地区の中央広場ではなく、すぐ北にあるB地区のようだ。中央広場にいた報道陣は急いでそちらに移動してゆく。二匹の獣も一緒だ。B地区には人工池と芝生がある。池はごく浅い。池の一角には東屋があり、そこでは教会関係者が祈りを捧げている。獣たちは人の子を見上げ、激しく吠えた。すると、人の子の乗る雲から、二匹の獣に強烈な稲妻が落ち、獣たちの体から放電した。二匹の獣は断末魔の叫びをあげ、その場で消滅した。
光り輝く人の子は、人工池の上にゆっくりと、雲とともに降りてきた。雲の厚さは二メートルほどあり、雲は池の水に浮かんでいる。白い服を着た人間らしき存在が雲の上に立っている。その顔はあまりにまぶしすぎて、どんな顔をしているのかわからない。服装は白いローブだったが、帯は金色で、ローブの先から出た脚が真鍮色なのは、多くの人間が想像するイエスと違っていた。
報道陣は、池をものともせず、雲の周りに殺到した。欧米メディアは宗教心から、遠慮がちだったが、日本のメディアは、無理にでも人の子に近づこうとする。すると、先頭グループの何人かが目を押さえ、その場にしゃがみこんだ。ものすごい光が彼らの目を貫いたのだ。それを見て、報道陣は人の子から距離を置いた。
彼は何か語った。機械で合成されたような男性の声で、聞いたことのない言葉だ。
その声は人の口から語られているにもかかわらず、遠く離れたマイクでも充分拾えた。スタジオの女性キャスターが、
「何かを話しています。英語ではないようです。おそらく、ヘブライ語かアラム語ではないでしょうか」
と様子を伝えている。
いくつかの欧米メディアは、あらかじめヘブライ語とアラム語のわかる人材を用意していた。日本のテレビ局は地元で取材しているのに、英語メディアの報道を伝える形で、同時通訳が人の子の語る言葉を日本語に訳した。
「世界のみなさま、私はナザレのイエスです。二千年前の約束通り、再臨しました。私がこうしてここに来たのには、理由があります。世の乱れに、天の父は嘆いておられます。次のクリスマス、十二月二十五日、天の父は裁きを下します。
それは大洪水より重い、かつてない罰になります。そこから救われるには、天の父に従うことです。私はそれを言うためにここに来ました。もう一度繰り返します。十二月二十五日、天の父は人類に裁きを下します。それから救われるには天の父に従ってください。
特にアジア諸国のみなさまは、即刻、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のいずれかに改宗してください。決して、偶像を崇拝してはいけません。私の言うことは嘘ではありません。みなさまが救われるには、天の父に従うほかはありません」
ユダヤ系の記者が、人の子に質問を投げかけた。
「すでにユダヤ教の信者の場合は、どうすればいいのですか?」
「あなたがユダヤ教徒なら律法を守ることです。あなたがキリスト教徒なら、安息日に教会に出かけ、祈ることです。あなたがイスラム教徒なら、決められた礼拝と断食を守ることです。あなたが多神教徒や無神論者なら、三つの宗教のいずれかに改宗することです。それからキリスト教の教会で、私や私の母マリアの偶像を置いているところは、即刻撤去してください。決して偶像を崇拝してはいけません。私の伝えたいことはそれだけです」
そこまで言うと、人の子を乗せた雲は上昇を始め、天の彼方へと飛び去っていった。
打ち合わせとあまりにも違う。書籍の宣伝が一切ない。ハルミは、伯爵が自らの組織のために再臨劇を利用したと思い、ジェイコブを責めた。
「約束が違うじゃないの。あなたたちは私を騙したの?」
「私は何も聞いていません。あれは伯爵ではないかもしれません」
言われてみれば、宗教を拒否している伯爵が、一神教への改宗を勧めるのはおかしい。
「伯爵ではないって? 何者かが再臨劇を乗っ取ったってこと?」
ジェイコブは何も言わずにうなずいた。ハルミもその何者かに心当たりはあった。まぶしくてよくわからなかったが、あのイエスはヨハネ黙示録に出てきた天使に似ている。
「ガブリエル本人が、自分の偽物の登場を知って、それで……」
それ以上、口にするのは憚られた。あまりにも恐ろしかったからだ。
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