3-1  メギドの丘(2)

 翌日、小木はまだ若い副牧師の萬に、今回のことを明かすことにした。まずは教会内で意見をまとめる必要がある。そこで、牧師室に萬を呼び、何も説明せずに、萬をソファに腰掛けさせ、ノートパソコンの映像を見せた。


「うわっ」

 聖職に就いてまだ経験の浅い萬は、驚きのあまり体勢を崩し、黒縁メガネがずり落ちそうになった。彼はメガネの位置を調整し、「何ですか?」と聞いた。

 小木は一旦動画を止め、事情を話した。それから動画を巻き戻し、もう一度最初から見せた。


「たしかに映ってますよね」

「イタズラや妄想でないことわかってくれるよね」

「はい。でも、何なんでしょう」

「わたしにもわからない」


 小木は動画を止め、例のノートを副牧師に渡した。萬は声に出して読み始めたが、内容に憚られたので途中から黙読した。

 萬は読み終わるとノートをテーブルに置き、「これ、悪霊の仕業ですよ」といった。

「そうか、そう思うか?」


 萬の言葉で、年長の小木はほっとした。若いとはいえ、聖書を繰り返し読んでいる人間にこれまでの信仰を捨てずにすむと言ってもらえると、勇気づけられるのだ。

「この内容、ありえないですよ」

「そうだな。相手が悪霊なら、まともに相手をする必要はない。本部に報告する必要もないな」

「またやってくるんですよね。今度は僕も同席しましょうか」

「いや、相手を警戒させてしまう。まだ、結論を出すのは早いので、もう一度撮影して、様子を見よう」


 その夜は久しぶりに安眠できた。これまでなにかと頼りなく思っていた若い牧師は、聖パウロやステファノのように強い信仰の持ち主だった。

 三回目の啓示の日。できれば悪霊の偽啓示は避けたいが、向こうから来るものを拒むのは難しい。


 天使は六時きっかりに現れた。  

「帝国の民はミトラの神を信じた。我はコンスタンティヌスに啓示を授け勝利に導いた。それで主の教えは帝国中に広まった。しかし、主の僕にすぎないイエスが主と同じとされた。それでも寛大な主は人々をお許しになった。主の御心を知らぬ人々は、イエスやマリアの偶像を作り崇拝した。ついには、ローマ教会は煉獄なるものを作り上げ、主を裏切った。


 我は主の命令に従い、メッカの街に潜み、預言者を探した。ムハンマドは洞窟で瞑想をしていた。我はただそれだけの理由で、彼を預言者に決めた。ムハンマドは文字が読めず、啓示は短くするしかなかった。それでも伝えるべきことは伝えた。ムハンマドは異教徒から殺されそうになり、我は彼を逃がした。

 しかし、ムハンマドはメッカに戻らず、礼拝の方角をメッカに変え、自ら啓示を作り上げていった。彼がメッカに戻ったときには、全てが遅く、我は彼を称えた。以上で、主と御使いと預言者の物語であるクリュウアーンは終わる」


 主の御言葉クリュウアーンは、それで終わりのようだ。随分短いものだった。それでもその中身は衝撃的で、小木の我慢の限度を越えてしまっていた。しかし、彼はシャープペンを置くと、怒りを隠して、冷静な声で天使に聞いた。


「質問してよろしいでしょうか?」

「少しならいいが、この場で答えられないかもしれない。その場合、答えは来週になる」

「それでも構いません」

「では、質問せよ」

「あなたは本当はどなたなのですか?」

「主の御使いだ」と天使は即答した。


 相手のずうずうしい態度に、小木は感情を爆発させた。

「そんなはずはありません。あなたの言うことは全てでたらめです。主がそんな方を遣わされるはずがありません。あなたは天使のふりをした悪霊です。ここから立ち去り、もう二度と私に近づかないでください」

「汝は主の遣わされた御使いを疑うのか」

「あなたは偽物です」

「疑いたければ疑えばよかろう。だが、いずれ後悔することになる。というのも、間もなく人の子が雲に乗ってやってくる。我がここに来た本当の目的は、それを伝えることだ」


「人の子、主イエス様が……」

 イエスが来ると聞くと、小木の態度は百八十度変わった。

「ナザレのイエスは主ではない。主の僕にすぎない。イエスは、来る十月三十一日、宗教改革記念の日、カメイドの丘に降り立つ。そこで全人類にあることを告げる」

 十月三十一日は、プロテスタント系教会でマルチン・ルターの宗教改革を記念する祝日とされる。


「メギドの丘に……」

 小木は、カメイドの丘をヨハネ黙示録のメギドの丘と聞き違えた。

「メギドではない。カメイドだ」

「カメード? それはどこですか。エルサレムの近くですか」

「何のために我がこの国に来たと思う。カメイドの丘とは亀戸中央公園のことだ」


 イエスが降り立つとは、信者たちが二千年間待ち続けた再臨のことだ。そこで告げられることは非常に重大なことだろう。まさか主の日が来るということでは……。


「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす(マラキ4:5)」

 と聖書にあり、自分が預言者に指名されたということは、マラキ書のエリヤとは自分のことではないかと小木は思い至り、あまりの衝撃に言葉を失った。


 口を開けたまま呆然としている小木に天使は言った。

「汝、小木。汝は我を信じず、我のことを盗み撮りしていたであろう?」

「も、申し訳ありません」

 小木は素直に謝罪した。

 大天使はすべてお見通しだったのだ。


「それを世界中に公開せよ。そしてカメイドの丘に諸国の王を集めるのだ」

「は、はい」

 小木は深々と頭を垂れた。

 彼が顔をあげると、天使の姿はそこになかった。


 彼はすぐに萬を呼び、今起こった出来事を話したが、副牧師は信じようとしなかった。

「正体がばれた悪霊が追いつめられて吐いた、口からのでまかせですよ」

「そうかもしれない。だが、もしこれが真実なら、本部に報告しないといけないな」

「たとえ悪霊だったとしても、報告はあげるべきです。それにしても、メギドの丘が亀戸公園とは、冗談きついですね」 


 その日の午後八時。京がまだ仕事から帰っていない頃、ハルミはリビングで客と話をしていた。相手は教会に現れた天使だった。


「もう、もとの姿に戻っていいわよ」

 ハルミがそう言うと、天使は教会にいたときとは別人のようにくつろいだ様子で、

「言われなくてもそうするよ。変身してるのも疲れるからな」といった。

「自分の身体をイメージし続ける必要があるってこと?」

「ずっと集中し続ける必要はないけど、ときどきチェックしないと、元に戻ってる」


 天使は古代人の姿に戻った。男の姿をしているが、本人は天照大神のつもりらしい。偽物だから片仮名でアマテラスとする。幽霊が神の名を騙るのは、古代中東に限ってのことではないようだ。

 アマテラスは、古墳の付近で挙動不審なハルミを見つけ後をつけ、真夜中、ホテルの彼女の部屋を訪れた。二人はそこで意気投合し、アマテラスは彼女の家までついてきた。京にいたずらをしかけたり、教会に出現したのも、二人の計画によるものだった。


 アマテラスこと田崎茂雄は、昭和の終わり頃に亡くなったヤクザ者だった。殺されたことが原因で成仏できずにいた。幽霊のくせに姿がはっきりしすぎていて、意識して消さない限り、生きている人間と間違われるので、人目を避け、古墳公園に潜んでいたが、そこでも人に見つかり、噂になって野次馬が来るようになっていた。本人はそんなことは知らないので、このごろよく人に遇うと思っていたところ、ハルミが自分を訪ねてきていると判断し、尾行したのだ。

 彼女は、彼の幻術スキルは果心居士に匹敵すると考えていた。人間程度の大きさなら、イメージした姿を完璧に再現できる。


「そこまで苦労して、私の本の宣伝なんかしてくれなくて結構なんだけど」

 と、ハルミはアマテラスに向かっていった。

「たしかに、俺、勉強苦手だから、栗生案、暗記するの大変だったよ」

「発音が違う。クリュウアーン」

 ハルミは、アの音を口を大きく開けて発音した。


「だけど、天にある本物の栗生案が書店で発売されていますって、再臨したイエスが語ったら、世界中がずっこけるだろうな」

「今更そんなこと言うなよ。このアイデア自体出したのおまえじゃないか」

「あれ、ほんの冗談のつもりだったんだけど」

「今更遅い。もう、動画がアップされてる頃じゃないかな」

「それはまだよ。あそこの教会、本部はアメリカだから、本部が判断してからになる。だけど、結構大きい団体みたいだから、そこが大々的に発表したら、世界中に広まりそう」

「世界中のテレビ局が押し掛けて、ニュース番組でとりあげられて、大ベストセラーの誕生だな」

「でも、空から降りてくるとき、はっきり映るのかな?」

「まだ一月ある。練習するよ」

「あまり、気乗りしないんだけど」

「心配するなよ。でも、幽霊がテレビの生放送ではっきり映ったら世界中がびっくりするだろうな。俺の生きていた時代からテレビはあったけど、自分が死んで幽霊になっても、そんなこと考えてもみなかったな」

「もし、中東の天使集団が今の時代に活躍していたなら、預言者に啓示なんて非効率なやりかたじゃなくて、自分が直接映像に映って、語ればいい。いいたいことがある幽霊はテレビジャックすればいいのに」

「俺もそうだけど、一旦幽霊になるとテレビに映ろうなんて頭が回らないんだろうな。なんか死んだ途端、ぼうっとして。だけど、俺は自分が殺された事情を知りたくて活動しはじめたら、また前みたいに意識がはっきりしてきた。体も幽霊とは思えないだろう?」

「近くでも見ても本物の人間。それなら亀戸中央公園でのリハーサルも大丈夫よ」

「メギドの丘がカメイドの丘って変えすぎだろう」

「仕方ないでしょ。メギドに似た地名が見つからないんだから。でも、スカイツリーに近いから条件がいい」

「スカイツリーって東京タワーより高いあれだろ。それが何の関係あるんだ?」

「出来ればスカイツリーの頂上から颯爽と登場して欲しいんだけど」

 墨田区にある東京スカイツリーは江東区の亀戸に近く、中央公園からでも良く見える。ハルミはアマテラスにそこから公園まで飛ぶようにねだった。


「遠すぎるし、高すぎる。俺、高所恐怖症なんだ。東京タワーの倍だろ? 正直、隣のマンションでも怖いくらいだ」

 アマテラスはイエスに扮し、公園のそばのマンションの屋上から登場するつもりだ。

「キリスト教徒が二千年間待ち望んだイエスの再臨なのに、隣のマンションからってしょぼくない?」

 ハルミの指摘にアマテラスは、

「派手にすればいいってもんじゃない。こういうのは、威厳が大事なんだ」

 と、訳のわからない言い訳をした。

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