2-4 ミトラ教的な、あまりにもミトラ教的な(3)

イエスは、十二使徒と一緒に最後の晩餐を迎えた。予定が変わり、替え玉ではなく自分が処刑されることになってしまったので、ゲッセマネでは、「悲しみを催しまた悩みはじめられた(マタイ26:37)」


 イエスがゲッセマネの園で弟子達と話していると、ユダに案内された群衆がやってきた。イエスは弟子に抵抗しないよう告げた。奇跡を起こさない無名時代のムハンマドの弟子たちですら拷問に耐えたのに、奇跡を目撃した弟子達は、イエスを見捨て逃げた。


「ときに、ある若者が身に亜麻布をまとって、イエスのあとについて行ったが、人々が彼をつかまえようとしたので、その亜麻布を捨てて、裸で逃げて行った(マコ14:51-52)」


 イエスが大祭司の家に連行されていくとき、ひとりの若者がイエスについていった。その様子を不審に思った群衆が、捕まえようと服をつかんだが、脱ぎ捨てて逃げた。


 若者はイエスの替え玉だった可能性が高い。逮捕は深夜に起きた。ペテロ達も何度も眠ってしまったように、誰もが眠いはずだ。イエスの引き渡しはすり替えを狙って、わざと遅い時刻を選んだのだ。イエスが逮捕され、敵方の気の緩んだ隙に入れ替える。それで若者はイエスのすぐそばにいた。怪しまれてつかまりそうになり、それでは復活劇ができなくなるので、服を脱ぎ捨てて逃げた。


 最初から替え玉を引き渡す場合は、どのように計画されていたのだろう。

 替え玉を引き渡しても、神殿でイエスと会った祭司長や長老が、大祭司の家に集まっている。よほど似ていないと、イエス本人でないとばれてしまう。そこでモーセのときのように、替え玉にイエスの顔を投影する。


 当初の計画では、大祭司の家にユダが顔を覆った替え玉を連れて行き、屋内で覆いをはずすと、イエスの顔が現れる手筈だったと推測できる。敵方からすれば、そっくりの身代わりを渡されることを警戒したはずである。


 本人である確率を高めるため、祭司長たちは、イエスが他の弟子たちと一緒にいるところを、自分たちの手で捕まえると主張し、ユダは引き下がるしかなくなった。屋内での取り調べなら問題ないが、イエスが大きく動く場合は、替え玉と投影するイエスの顔がずれてしまうので、これはまずい。

 そこで天使たちは、逮捕時は本人で、連行中にすり替える作戦に切り替えたのだろう。かなり危険な賭なので、イエスはゲッセマネでおびえたのだ。


 イエスは死刑が決まった。ピラト官邸から、ゴルゴダの丘まで歩いた。朝の九時頃、手首に釘がうちつけられ、二人の強盗と並んで、十字架にかけられた。通りがかりの人や強盗は、神の子なら自分を助けてみろと罵った。その言葉に天使たちはプライドを傷つけられ、昼の十二時に辺りを暗くした。多くの人間はおびえて帰ったが、その程度では兵士は帰らない。


 三時にイエスは、エリ、エリ、レマ、サバクタニと大声を上げた。神よ、神よ、どうして私を見捨てたのかという意味だ。約束が違うと言いたかったのだろう。それからもう一度叫び、息をひきとった。


 イエスの遺体は金持ちの信者に引き取られ、亜麻布にくるまれ、岩を掘って作られた墓に納めた。入り口は大きな岩でふさいだ。復活劇を演じるため、信者が遺体を取り返しに来ることを危惧した祭司長らは、墓の前に番兵を配置し、墓を封印した。


 週の初めの日、信者の女性たちはイエスの墓を見に行った。マタイでは天使が岩をどけるのを目撃したとあり、マルコ、ルカ、ヨハネでは行くと、岩がどけられていたとあるので、実際は後者だろう。墓の中には輝く衣を着た人(ルカ、ヨハネでは二人、マタイとマルコでは一人)がいた。マタイでは番兵たちが、恐怖で死人のようになっていたとある。


 信者が奪い取りにくることを想定して、番兵を配置したはずである。そう簡単に素人に負けるようなローマ兵ではない。では、どうして中に遺体がないのか。


「イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばにはなくて、はなれた別の場所にくるめてあった(ヨハネ20:7)」


 どの程度離れていたかで意見が二つに分かれる。本来の頭の置かれていた位置にあり、体を包んでいた布とわずかであるが物理的に離れていたので、そう表現したとする説。これは復活したイエスが、幽霊のように布を通り抜けたと想定してのことだ。しかし、それでは岩をどける必要はない。

 わざわざ離れていたと書き残すくらいだから、それなりの間隔があったとする説。これは、復活したイエスが自分で体の布を外し、頭の布は放り投げたと解釈する。


 筆者は後者の相当離れていたというほうをとるが、イエスの復活はなかったと考えるので、解釈は異なる。番兵が天使に恫喝され、あるいは墓を提供した金持ちの信者に買収され、岩をどかし、遺体を運びだし、近くに埋めた。手足を持って遺体を運ぶので、体を覆っていた布ははずした。


 しかし、頭の布は外さずに運び出したので、天使から注意され、あるいは自分たちで気づいて、手で丸めて持って墓の中に持って行き、思慮が足りず、遺体を包んでいた布とかなり離れた場所に置いてしまった。


 復活したイエスは近くにいた。女性は最初のうち園の管理人と勘違いしたが、話をしてイエスだと気づいた。他の弟子達もイエスに会ったが、目が遮られていて最初はイエスと気づかなかった。違った姿とも表現されている。どうみても本人ではないということだ。


 天使たちは、身替わりに処刑されるはずだった青年に、イエスのふりをさせ、女性の前に登場させた。あるいは、青年では適正がないと判断し、全く無関係な人物をイエスに成りすませた可能性もある。


 最初は相手を墓守と思った彼女は、話をしてイエスとわかった。この作戦はいけると天使は判断し、弟子達の前にも青年を遣わした。青年は自分が幽霊でないことを証明するため、魚を食べ、身体に触れさせた。

 しかし、青年では役不足の場合もある。それで天使みずからイエス、あるいは偽イエスの青年の姿をとることもあった。


 弟子達が鍵のかかった家にいると、イエスが入ってきて手と脇腹の傷を見せた。生身の人間では、鍵のかかった家には入れない。イエスに化けた天使が、壁をすり抜けて弟子たちの前に立ち、傷のある手と腹を見せた。そのときトマスはいなかった。


「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない(ヨハネ20・25)」

 とトマスは言った。


 イエスから秘密を明かされたトマスは、協力者になっていた。次に天使が化けたイエスが鍵のかかった家に現れたとき、トマスは指をイエスの脇腹に当て、感触があるようなふりをした。イエスは、トマス以外の弟子に身体を触らせないように、

「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである(ヨハネ20:29)」と言った。

 味方の一人にあらかじめ敵の振りをさせ、敵から寝返って味方になると、味方全体の志気が一気にあがる。手の込んだ猿芝居である。


 替え玉と天使のコンビネーションプレイで、弟子を騙したこともある。二人の弟子が歩いていると、イエスが近づいてきた。


「しかし、彼らの目がさえぎられて、イエスを認めることができなかった(ルカ24:16)」


 二人の弟子は、相手がイエスだとは思わず、イエスが墓から消えたことについて、そのイエスらしき人物と話した。普通に会話をしたことから、二人の弟子には相手の姿が見え、声も聞こえていたはずだ。それなのに、イエスと認識しなかったのは、その人物がイエスとは異なる容姿と声の持ち主だったからだ。


 日が傾いていたので、二人の弟子はイエスを家に泊まるように引きとめた。食事をしているとき、イエスがパンを引き裂くと、

「彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった(ルカ24:31)」


 パンを引き裂いたのは、生身の人間である替え玉の青年だ。すぐそばに姿を消した天使がいて、その青年に本物のイエスの顔や姿を投影し、その隙に青年はその場から立ち去った。


 そのまま天使と替え玉の青年で、イエスの芝居を続ければいいが、それは演じる天使にとって負担が大きいうえに、替え玉ではイエスの代役を続けるのは無理だ。

 長期間弟子と一緒にいれば、おかしいと気づかれる。だからイエスは昇天させられた。昇天のときでさえ、弟子の中に「疑う者もいた(マタイ28:17)」そうだ。


 イエスの顔を知る祭司長や群衆からも、偽物と指摘される。計画では替え玉が処刑され、復活したイエスが、そのまま宣教活動を続けていく予定だった。それが不可能になったので、替え玉を本物のイエスと信じ込まされた、少人数の弟子の前で昇天するのだ。


 復活して四十日が経った。飾り気ゼロの事務的昇天だ。天使は替え玉イエスに化け、ベタニアのオリベト山に使徒を集め、地の果てまで宣教することを命じた。

 それから天使は空中に上がっていき、雲の合間にかくれると、姿を消し、地上に降りた。姿を天使の姿にもどすと、そこに待機していたもう一人の天使とともに、使徒たちの前に姿を現した。


「イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて言った、『ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう』(使徒1:10-11)」


 二人の天使は、後日、ガブリエルには次のように報告した。ユダヤの祭司長たちは、イエスの顔を知る者を逮捕の時に送り込むと告げました。偽物ではばれてしまうので、急遽、作戦を変更し、本人が逮捕され、途中で逃がし、自分がイエスの姿をとり十字架にかかりました。イエスは怖くなったのか、そのままいなくなりました。


 昇天後、役目の終わった替え玉の青年はどうなったのだろう。口封じのために消された。あるいは、それを察知してマグダラのマリアと駆け落ちした可能性もある。

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