第8話

 死んだ。百合子が死んだ。

 未だに信じられない。手に握られた紙切れが、嘲笑うようにくしゃくしゃと音を立てている。


 百合子の葬儀には沢山の人が溢れかえった。その誰もが、間抜けのように彼女の収まる白い棺を見て呆然としている。泣いていたのは、喪主である彼女の父親だけだ。

 母親はずっと昔から心を病んでいた。夫と実の娘が恋愛関係にあるという妄想に取り憑かれ、あの可愛らしい顔立ちを強く憎んでいた。表立って騒ぐのもプライドが許さず、服で隠れる場所を狙って日頃から過剰な体罰を加えていたそうだ。

 その日の深夜、遅い時間にも関わらず何処か傷付いた様子でぼんやり俯いている百合子を心配し、父親が彼女の部屋で相談に乗っていたらしい。友人が亡くなった時もショックから体調を崩していたので、日頃から気を配っていたと言う。

 すると突然、激昂した母親が包丁を手に部屋へ乗り込んできた。あんたなんか産まなきゃよかったなどと叫びながら、抵抗する間も無く百合子に刃を振るう。娘を守ろうとした父親も腕を四針縫う怪我を負っていた。騒ぎから近所の人に通報され警察が駆け付けた時、既に百合子は多量の出血で事切れていた。

 背後から滅多刺しにされた百合子の身体には、それ以外にも古いものから新たな傷まで、沢山の執拗な体罰の痕があったらしい。もし母が言うように父親と肉体関係を結んでいたのなら、すぐ気付く筈だ。それに仕事が忙しい父は平日も休日も関係なく職場におり、深夜に帰宅するという生活を送っていた。そういう訳で、密会する暇も、妻の虐待を察知する時間も父にはあまりない。会社の職員からの証言もあり、結局父親は何の罪にも問われる事はなかった。


 すすり泣き、彼女の名を呼ぶ声が聞こえてくる。愛していた、最愛の娘だったと、仕立てのいい喪服に身を包んだ百合子の父親が大きく肩を震わせて泣いている。

 その愛とやらは、果たして本当に実の娘に向ける種類のものであったのだろうか。百合子の死が公になり、瞬く間に広がった噂では父は何も知らない被害者である。

 嘘を吐くな。

 白けた眼でこの男を見詰めているのは僕だけではない。何人かのクラスメイトが、侮蔑の視線を彼に投げつけていた。

 百合子の言う通り、彼女の秘密を知る者は大勢いたのだ。父親を睨む僕等は誰もが彼女の特別になり損ね、誰もが彼女を守れなかった。

 今度は、激しく矢本が羨ましくなった。死をもって百合子の中に親愛と後悔の念を刻みつけていた。僕等は、それすらもうできない。

 棺の中で眠る彼女は、薄っすらといつもの微笑を浮かべている。最後に母から存在を否定され、殺される事に納得して死んだのだろう。あれから彼女から名前の挙がった彼等から話を聞き、皆で全てを理解した。結局彼女が欲しがったのは、母からの愛だけだったのかもしれない。その母は此処にいない。病院で檻に守られてのうのうと生きている。あれ程再会を願った橋田もいない。

 百合子は、まるでこの田舎に訪れた春の嵐のように過ぎ去ってしまった。冷たくも激しく、皆の心の何かを破壊して通り過ぎていく。

 何とも言えない虚脱感に涙すら出ない僕等は、ただ彼女の亡骸との別れを惜しんで唇を噛むしかなかった。百合子の為に、一体僕は何をすれば良かったのだろうか。

もう二度と触れられない華奢な姿を思い出す。あの時、せめて抱き締めれば何かが変わっていたのかもしれない。




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