第5話

 高校生活の一年目が終わりを告げようとする時期に、またしても教室内で事件が起こった。

 今度はイジメなんて生易しいものではない。矢本が、首を吊ったのだ。

 第一発見者はクラスメイトの葛谷という、同級生達の中でもあまり目立たない部類の男子生徒である。彼は朝早くに登校し、教室へ入った所でばったりと倒れてしまったらしい。

 矢本は出入り口の上にある小窓のサッシに縄をかけて無理矢理吊ったようだ。なので、そのドアを開ければ酷い形相の死体とこんにちはというわけである。その後通り掛かった他クラスの担任教師が矢本の死体と泡を吹いている葛谷を発見し、慌てて立ち入り禁止にしたそうだ。おかげでその日は登校したにも関わらずに教室へは入れず、体育館へ放置され、結局は自宅待機になった。

 葛谷はドアに設えられた磨りガラスに映る人影を見て、誰かが悪戯で扉を押さえていると思ったらしい。しかし横に扉をスライドさせようとしても何かが寄りかかっているような軽い抵抗しかない。わざわざ後ろの出入り口までいくのも面倒で、とりあえず開けた。そしたら、あの有様だ。発見したのが自分じゃなくて本当に良かった。


 遺書があったので、自分達は特に取り調べを受けるような事もなかった。よくわからないカウンセリングを受けて普通にあの教室で授業は再開されたが、遺書の内容は決して告げられていない。

 けれどやはり人の口に戸は立てられないようで、母親と喧嘩した末の暴挙であったらしいという噂が女子生徒を中心にまことしやかに流れている。通夜に出た矢本と仲の良かった女子が、あまりの母親の取り乱しようを見て興奮したように触れ回っていた。授業後の短い休み時間は、もうずっとその話題で持ち切りである。


「わたしが悪かったってずっと泣き叫んでて、もう可哀想で見てらんなかったよ。要らない子だって言っちゃったんだって。でもわたし、そんな事ぐらい何回も親と喧嘩の度に言われてるんだけど」


 訳知り顔で話す彼女の周りに噂好きの女子生徒達が集まっていた。斯く言う僕も、席が近いのがいい事に教科書を確認するフリをして耳をそばだてている。気にならない筈がない。クラスメイトの自殺だなんて、それなりに大事件だ。


「うちの親もよく言う! でさ、その後泣いて謝られたりするの。おまえの為を思って叱ってるけど言い過ぎた、みたいな感じで。あれぶっちゃけ面倒臭さくない?」


「わかる! 勝手にキレといて親心理解しろよみたいな押し付けがましい空気出してさ、だったら最初から言わなきゃいいじゃん。それにそんな事言われちゃこっちだって謝るしかないよねぇ、もやもやするけど一応波風立てたく無いし。グレたらどうするつもりだよって感じ」


 なにやら話の流れが親への不満にすり替わっている。普段は百合子に遠慮して親を口悪く言う事はないが、彼女は矢本の事件以来学校を休んでいた。なので、日頃の鬱憤を晴らしているのだろう。

 百合子は自分の両親を尊敬しているのだ。露骨にひけらかす事はしないが、言葉の端々に家族を尊ぶ気持ちが漏れ出している。その姿が、つい先日まで親相手に見苦しく駄々を捏ねていた自分達にはとても大人に見えた。だから自然と家族の悪口はタブーとなったのだ。皆、彼女と同じ舞台に上がりたかったから。


「うちの親も百合子ちゃん家みたいに立派な人だったら良かったのになぁ。お父さんはエリートだし、お母さんはお花の先生だったんでしょ? レベルが違うよね」


「そういえば百合子ちゃんも矢本さんのお通夜に来てたよ。ほら、矢本さん橋田が学校来なくなってから百合子ちゃんにべったりだったじゃん。髪型とかスカートの長さとか真似してさぁ。ちょっと……痛かったよね」


 すっと、声の調子が低くなる。


「橋田の腰巾着の時は超ミニだったのにね。脚太いからそれも似合わなかったけど、長くするのはもっとダメだよ。百合子ちゃんみたいに華奢だと上品に見えるけど、ししゃも脚で膝丈はねぇ」


 ひそひそと、今度は死んだばかりの同級生を貶し始めた。

 確かにこの頃の矢本は百合子の機嫌を取ろうと必死であった。昔から強い者に従う性格ではあったが、あれは媚を売ると言うよりも傾倒である。僕や、他の生徒と同じだ。この俗物的な話題で盛り上がる彼女達もそうだろう。


「変わり身早いよね。わたし、橋田に言われて矢本さんも嫌がらせに参加してたと思うの。だってやりそうじゃん?」


「わたしも思ってた! それがいけしゃあしゃあとさぁ、あれこれ付き纏って一番の親友ですみたいな顔して。百合子ちゃんここに来たばっかりで小中学を知らないから、親切にして貰えて嬉しいなんて言ってたんだよ。少しは良心が痛むとかないのかなぁ」


「百合子ちゃんすっごい泣いてたんだよ。笑顔しか見た事無かったから、そっちの方が心苦しかった。最後まで人に迷惑かけてさ、これ見よがしに教室で首吊りってどういう神経してんだろうね」


 自分勝手な人だよねぇと言葉を締めた途端、予鈴のチャイムが鳴り響く。わたわたと解散する彼女達を視界の端で見て、思わず溜め息が漏れた。

 授業が終わってもまたあの場所に戻り、想像からの陰口を囁き合うのだろう。まるで魔女会だ。


 予想通り、退屈な授業を終えた次の瞬間にはもう同じ場所へ集合していた。

 飲み物を買いに行こうと言う友人の誘いを眠いからと断り机に突っ伏す。休み時間に寝るのはいつもの事だ。特に疑問を抱いた様子もなく友人はそうかと告げ、一人で自販機へと向かう。あそこまで聞いてしまったら、陰口だろうが余計に気になる。ざわざわと教室内に流れる喧騒に紛れるようにして、少々勿体ぶったような物言いが僅かに聞こえてきた。


「ねぇねぇ、わたし授業中ふと思いついたんだけどさぁ……もしかしたら矢本さん、本気で死ぬつもり無かったんじゃないのかな」


 やっぱりそうだよね、と驚く間も無く同意の声が上がる。


「あんな出入り口の窓枠じゃ、足着くし。それに朝早くって言っても校門開くの七時くらいでしょう? タイミング計れば吊った瞬間に誰かに見つけてもらえるよね」


「先生だって通るし、委員会とか部活とかで早くに来る人結構いるもんね。あとさ、矢本さんリスカ跡あるよね。長袖とシュシュとかで隠してたけど、事ある毎にわざとうっかり見せてくるの。あれ凄い面倒臭さかった」


「あ、わたし親に貰った体を自分で傷付けるなんてって百合子ちゃんに心配されてるの聞いた事あるよ。じゃあ、構ってちゃんがうっかり死んじゃったって事?」


 うわあぁと嘲罵じみた溜め息が一斉に漏れた。あながちこじつけとは言い切れない。好かれる為ならなんでもやる人物だったと思う。

 もしかしたら、百合子に見つけて欲しかったのかもしれない。親を尊敬する彼女に、自分は両親との関係で此れ程悩んでいるのだと同情されたかったのだろうか。それ位やらなきゃ百合子と一番の親友と言えるような親密さを築けないと焦ったのだろう。百合子は博愛主義者だ。なんにせよ、後味が悪過ぎる。

 百合子はいつ頃登校するのだろうか。葛谷は、暫く病院に通うらしい。ちらりと顔を上げ、件の窓枠に目を向ける。なんだか首元がひやりとして、忘れようと再び机に伏せた。なんと言ったらいいのかわからない、どろどろとした罪悪感。全く、酷い置き土産を教室に放り込んでくれたものだ。

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