第5話
青色の花は、わたしの想い出の一つ。
十年前の、ある一つの記憶――今でもはっきりと覚えている、あの日の出来事を呼び起こさせる。
さて、今になってそんなことを思い出したのは、目の前にちょうど青い花があったからだ。テーブルの真ん中に置かれた、筒状になったガラスケースの中に、デルフィニュームみたいな形の青くて長細い花――詳しい名前は知らない――が入っている。
「茉希の結婚式の時は、ここにキャンドルがあったんだけどねぇ」
見るなりそう言ったのは、祖母だ。
一、二年ほど前に行われたという茉希姉さんの結婚式には、わたしは行っていない。ただ、兄から茉希姉さんの花嫁写真が送られてきたことで、その模様を知ったのみだ。ちなみにその時の茉希姉さんはキリスト教式だったらしく、それこそよく見るような真っ白いウエディングドレスを着ていた。
そして茉希姉さんの時にはキャンドルサービスがあったらしく、それ用のキャンドルが事前にテーブルの真ん中に置かれていたのだという。今――翔馬兄さんたちの場合は、どうやらそうでないようだが。
翔馬兄さんたちに、他意はないだろう。ただ、見栄えを良くするためとか、二人の好きな色が青だからとか、大方そんな理由でそうしたにすぎないのだと思う。
けれど、わたしにはちょっとした個人的な感情を呼び起こさせた。
「――さぁ、楽しい時間はあっという間に過ぎていきますね。今回の結婚披露宴も、いよいよ終盤になります」
司会の人の声がする。兄にさりげなく促され、わたしはみんなが見ている方へと身体ごと向けた。
出入り口になっている扉の近くに、叔父と叔母、それから佐都さんのご両親と思しき夫婦がそれぞれ並んで立っている。新郎新婦は座っていたところから立ち上がって、そちらの方面へ揃って身体を向けていた。
佐都さんがご両親に宛てた手紙――だいたい、これまでお世話になりましたとか、これからもよろしくとか、そんな内容のことだ――を読んだあと、司会の人の指示で二人がそれぞれの両親のもとへと向かう。
花束と、何やらプレゼントのようなものを渡したあと、二人はこちらへ向き直る。スタッフさんにマイクを手渡された翔馬兄さんは、照れ臭そうにしながらもスピーチをした。
「これから二人で力を合わせて、社会の一員として貢献できるように尽くしてまいります。未熟者な僕たちではありますが、どうかお力添えのほど、よろしくお願いいたします」
その後、新居のアパートが空いているから遊びに来てほしいとか、明らかに私情の含まれた言葉を付け加え、マイクは翔馬兄さんから叔父――春生さんに手渡された。
「本日は、息子の晴れ舞台にお越しいただきまして、ありがとうございます」
年を取ると涙もろくなるのだろうか、春生さんは時折言葉を詰まらせ、うつむきがちにスピーチを終えた。こういう雰囲気は、図らずもこちらまでジーンとしてきてしまうのだから不思議だ。
そうして会場中に大きな拍手が起こったあと、新郎新婦が退場し、無事に披露宴は終わりを告げた。
会場に再び電気が灯り、それぞれ帰り支度を始める。その時にスタッフさんがやってきて、ちょっとした花束を手渡された。祖母も貰っていたから、多分女の人に渡しているのだろう。
「ホテル行ったら、花瓶貸してもらえるかなぁ」
どうやら生花らしいそれを覗き込みながら、意外と花好きな祖母が嬉しそうに言う。わたしも倣って花束を覗き込み――あ、と声を上げた。
「これって……」
「もしかして、テーブルにあった花じゃない?」
兄の声にテーブルを見れば、なるほど、先ほどまで中央にあった青い花がなくなっている。
「こうやって、貰えるんだ」
「まぁ、飾るだけ飾ってあとは片付けるって、味気ないからねぇ」
兄の感心したような声に、祖母が納得したようにうなずく。何となく見かけた花嫁のブーケはピンクと白が基調の華やかな様相だったけど、参列者にプレゼントされる花――装花、というらしい――は妙に落ち着いた色をしていて、その違いがちょっと気になった。
二人の好みなのかなぁ、と思ったのだけれど……。
「ブーケなんて貰う年じゃないけど、こうやって花を貰うのは、いつになっても嬉しいものだね」
若かりし少女のように、無邪気に笑った祖母には、何やら花に関する祖父との想い出でもあるのだろうか。
余談だが、祖父はわたしが生まれる前に亡くなっているので、わたしは祖父がどんな人か知らない。時折祖母や、父に話を聞くことはあるのだけれど……ちなみに兄も、祖父のことは知らないらしい。
祖父についての話は非常に気になるところだが、あとでホテルに着いたら、祖母に聞いてみることにしよう。きっと嬉々として、わたしが求めた以上のことを答えてくれるだろうから。
それはさておき、冒頭でちょっと述べた通り、わたしも花には――特に青い花には、特別な想い出がある。きっと、祖母のような甘酸っぱい想い出じゃないんだろうけど。
翔馬兄さんが、そのことを覚えていて、あえてわたしの目につく装花を青色にしたのか。それは分からない……というか、おそらく十中八九違うだろう。ずっと歳の離れた、しかもずいぶんと長いこと会っていない、ただの従妹でしかないわたしとの間に起きた出来事など、翔馬兄さんはいちいち覚えていないに違いない。
覚えていたにしても、きっと翔馬兄さんにしたら些細なことだっただろう。わざわざわたしに教えるようなことでもない。
わたしだけが、知っていれば……覚えていればいいことだ。
「親族の方から、順番に出てください」
司会の人の言葉で、わたしたちは立ち上がる。忘れ物がないかの確認を簡単に終えると、そのままぞろぞろと、わたしたちは会場を出た。
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