第4話

 会場を出たはいいものの、だからと言ってどこへ行く宛があるわけでもなく、わたしは近くのソファへ身体を預けた。

 しばらく窓の外に広がる景色を見ていると、ホテルのスタッフと思しき女性がこちらに気付いて声を掛けてくる。

「具合でもお悪いのでしょうか?」

「あ、いえ……」

 どう答えていいか分からず、口ごもってしまう。それでも子供ではない以上、ちゃんと答えを返さなければいけないので、わたしはとりあえず繕った笑みを浮かべてこう答えた。

「えっと……あんまり、こういう場は得意ではなくて」

「お祝いの場ですから」

 微笑んだスタッフの女性が、「何かお飲物でもいかがですか」と言ってくれる。好意に甘えて、烏龍茶を一杯頼んだ。

 手渡された烏龍茶のグラスを片手に、再びぼんやりと窓の外を見る。しかし新郎新婦がお色直し中なので、いつまでもこうしているわけにはいかないなと思う。

 今の心情的に、二人にこの状況を見られると非常に気まずい。邪魔をしたくないし、あまり悪目立ちもしたくない。

 手早く喉を潤すと、空になったグラスをソファ近くのテーブルへ置き、とりあえずお手洗いに向かう。特に何をするわけでもなく個室へ籠り、わたしはそこでしばらくぼうっとして過ごした。

 出るタイミングを間違えると、お色直しを終えた二人と本当に鉢合わせてしまうだろう。お色直しってどれくらいで終わるのかなぁと考えながら、携帯で時計を見る。

「……そろそろ、いいかなぁ」

 十分ほど籠ったところで、いい加減退屈さにしびれを切らしたわたしは、そっとお手洗いを出る。会場の出入り口の辺りを覗くと、どうやら新郎新婦と鉢合わせるなんてことはないようなので、ホッとして足早に会場へ戻った。

「あ、凛。どこ行ってたの。もう翔馬兄さんたち戻ってきたよ?」

 椅子へ腰かけると、兄が声を掛けてくる。彼の視線の先を追うと、お色直しを終えたという二人が目に入った。

 翔馬兄さんはいわゆる銀のタキシード姿で、ピシッと決めていた。髪形も、何だかさっきと違ってふわふわしている。一見柔らかそうだけど、多分触ったら固いんだろうなぁと、とてつもなく的外れなことを思った。

 その横にいる佐都さんは、ピンクのウエディングドレスを着ていた。薔薇の花のようで、とても華やかで綺麗だ。わたし自身は別にそうでもないけれど、きっと女の子がすごく憧れるような格好なのだろう。

 ちょうど視線の先では、ブーケ抽選が行われていた。佐都さんの友人と思しき女の人たちが、四人ほど集まってキャーキャー言っている。

「あ、ブーケトスじゃないんだ……抽選なんだ」

「変に現実的だよね」

 わたしの呟きに、兄が呆れたように言った。

 佐都さんがブーケを持っていて、四人の女性がそれぞれ紐を持っている。どうやら四つの紐のうち、一つだけが佐都さんの持つブーケに繋がっていて、それを当てた人にブーケが渡されるという仕組みになっているらしい。

 特に何の感情もなく見ていたら、四人のうち一人が驚いたような表情で口に手を当てた。当たりを引いたようだ。

「ま、まさか私とは思ってなくて……どうしよう、すごく嬉しいです」

 司会の人によるインタビューに、彼女はそう答えた。わたしよりずいぶん年上だろうに、あの喜びようは何なのだろうか。大して結婚願望のないわたしには、とうてい理解できそうもない。

 それとも、三十近くなったらわたしもあんな風になるのだろうか。何かに縋ってでも、結婚したいと思うのだろうか。

「……なんてね」

 呟きながら、テーブルへ視線を戻す。オードブルとスープだけは何となく食べたけど、メインディッシュのスペアリブに手を付ける気は起きなかった。

「フォアグラって、あんまり美味しくなかったですね。ねぇ、お父さん」

「そうだなぁ。俺たち貧乏人には、到底手の届かない代物だからな」

 兄と父が、そんな会話をしている。そういえば、オードブルで何か焼いた豆腐のような味のする、小さいステーキ的なものを食べた気がするが、もしかしてあれがフォアグラだったんだろうか。

 運ばれてくる料理に、それ以上手を付けることはなく、わたしはぼんやりとしていた。

「新郎新婦のお二人が、各テーブルを回られます。記念写真を撮影しますので、御準備の方よろしくお願いいたします」

 司会の人が、何か言っている。……あぁ、二人がここに来るのか。まぁ、別にどうでもいいことだが、写真を撮るらしいから一応わたしもいた方がいいだろう。

 わたしたちのいるテーブルは後ろの方だったので、二人が来るまでには少し時間がかかった。ようやくやって来た二人を、お酒の入った男性陣が陽気に歓迎している。

「ささ、二人ともこっち来て」

「佐都さんのドレス、みんな踏まないようにね」

 わたしたちは全員立ち上がり、新郎新婦の近くへ並ぶ。フリルがふんだんにあしらわれたピンクのドレスは、間近で見ると非常に圧巻だ。

 床についている佐都さんのドレスを踏まないように注意しながら、わたしはとりあえず佐都さんの近くへ――そこしか場所が空いていなかったのだ――並んだ。

 写真を撮り終え、二人は慌ただしく次のテーブルへ向かう。多分、時間が圧しているのだろう。

「さっきね、すごかったんだよ。凛もいればよかったのに」

 席へ座り終えると、兄が何か話しかけてくる。いわく、先ほど――お色直しを終えた二人が再入場してきてから、わたしがここに戻ってくるまでの間だ――翔馬兄さんのお友達が三人、近々結婚するとかで、それに対するサプライズが行われたらしい。

「三人も結婚するんだ。すごいね」

「あと、今月お誕生日だっていうお友達のお祝いも、サプライズでやってたよ。今は四月だからね……惜しいなぁ。凛の誕生日は五月だから、来月だったらお祝いしてもらえたのに」

「別にいいよ……わたしがそういうの嫌いだって、知ってるでしょ」

「まぁね」

 肩をすくめる兄は、残念そうというよりは内心でものすごく面白がっているような顔をしている。普段は優しくて温厚なのに、兄にはこういう意地の悪い面があるから困る。

 わたしは溜息をどうにか呑み込むと、誰かと話すわけでもなく、だからといって料理や飲み物に手を付けるわけでもなく、再びぼんやりと遠くを見つめた。

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