第6話
途中で更衣室に寄り、荷物を回収した後、わたしたちはスタッフさんの案内で施設を出るべく並んで歩いた。
「おめでとう、幸せにな」
「かっこよかったよ、翔馬」
「ありがと。辰巳伯父さん、おばあちゃん」
出入り口のところでは、翔馬兄さんと佐都さんが並んで待っていた。律儀にも、何やら手渡してくれているらしい。
「翔馬くん久しぶり」
「悟! また飲もうな」
翔馬兄さんが、兄の――悟の肩をぽんぽんと親しげに叩く。いくら年が離れているからと言っても、久しぶりに会うからと言っても、なんだかんだでお酒さえあったら男同士は分かり合えるようだ。そのことが、なんだかちょっぴり羨ましい。
わたしも、男だったらなぁ……なんて。
今更どうと言うこともないし、こればっかりは仕方ないけれど。
「凛!」
翔馬兄さんが、わたしに気付いて声を掛けてくれる。「久しぶりだなぁ」と向けられた笑顔に過剰反応して、わたしは慌てて深々と頭を下げた。
「あっ、お、お久しぶりで!」
挙動不審になってしまうのは、わたしだから仕方ないと思って欲しい。
抱えていた花束をぎゅっと握りしめていたら、翔馬兄さんがそちらを見て、ふわりと笑った。
「受け取ってくれたんだ、それ」
ありがとう、と優しい声色で言われて、顔が熱くなる。
何で、そんなこと……。
「また、機会があったら話そうな」
ふわりと頭を撫でられて、わたしはとうとう顔が上げられなくなってしまった。その横で兄が、フォローするように佐都さんへ声を掛ける。
「ごめんなさいね、うちの妹が翔馬くん取っちゃったみたいになって」
「ふふ、いいんですよ」
翔くんの、大切な子なんだもんね。
穏やかな声で応対する彼女は、ずいぶん余裕がある。わたしをすでに、妹か何かとしか見ていないような口調だ。……まぁ、事実だが。
兄に肩を抱かれ、わたしはその場を後にする。去り際、佐都さんに手渡されたのは、色とりどりの金平糖が入った袋だった。
その後、テラスでしばらく足止めを喰らうことになった。わたしは今夜泊まる予定のホテルに早いとこ行きたかったのだが、何でも道が分からないため、「みんな揃って行った方がいいじゃないか」ということで、他の親族を待つことになったらしい。
談笑に花を咲かせる親戚たちを尻目に、特にすることもなく手持ち無沙汰になったわたしは、柱に凭れかかってぼんやりと景色を眺めていた。
四月ということもあり、日の暮れかけた外は少し肌寒い。コートを羽織っていてよかったと、心から思う。
手元で抱えたままのブーケを弄んでいたわたしの横に、ふと誰かが並んだ。とはいっても、気配で誰だかは予想がつく。
「……お兄ちゃん」
兄の悟が、立っているわたしの横に腰を下ろした。下は砂利になっているので、兄のように座っても大して汚れはしないと分かっているが、わたしは同じようにする気になれず、そのまま立っていた。
「凛、今日変だよ。本当にどうしたの?」
声のする方を見下ろせば、兄が心配そうに眉を下げながらわたしを見ていた。いつもなんだかんだでわたしを気に掛けてくれる兄の優しさは、本当にありがたい。
その顔を見ていたら、何だか急に泣きそうになった。
顔を逸らしたわたしは、誰に聞かせるつもりもなかったのだけれど――もちろん、兄にも他の誰にも、打ち明けるつもりなど毛頭なかったのだが――ポツリ、と本当の気持ちを口にしてしまっていた。
「……好きだったのよ」
ずっと、あの人が好きだった。
幼い頃から後を追って、手本にしてきたのは間違いなくこの、目の前にいる兄だ。ずっと傍にいたのだから、当然だろう。
けれど、それでも、わたしが心を向けていたのは……。
「凛はさ」
答えるように、兄が言う。横目で見ると、兄は遠くを見たまま、懐かしそうに微笑んでいた。
「覚えてないかなぁ。昔から、春生叔父さんたちがうちに遊びに来たときはいつも、凛は翔馬くんにべったりだった」
ぼんやりと思い出すのは、昔のこと。まだ、わたしたちが四人で一緒に集まっていられた時のことだ。
そういえばわたしには、茉希姉さんと二人で遊んだ記憶がほとんどない。兄とは一緒に暮らしていた家族なのだからそういう記憶があって当然だし、翔馬兄さんとも一緒に遊んでいた記憶が、おぼろげながらも何度かあるのに、だ。
茉希姉さんのことを思い出そうとすると、いつも兄と一緒にいた光景しか思い出せない。
それは、つまり……。
「翔馬くんと茉希ちゃんが来ると、いつも凛は翔馬くんを独占していた。翔馬くんにくっついて、何をするにも一緒で。まるで、二人の方が兄と妹みたいだった」
僕は素知らぬ顔で茉希ちゃんと遊んでたけど、内心ちょっと寂しかったんだ。凛は、僕の妹なのに、って。
「茉希ちゃんだって何も言わなかったけど、多分僕と同じ気持ちだったよ。翔馬くんを取られて、寂しかったんじゃないかな」
知らなかった。わたしの無邪気な言動が、兄や茉希姉さんにそういう気持ちを抱かせていたんだってこと。
血が繋がっているのだから、それは当然のことなのかもしれないけれど……二人とも今まで、わたしに何も言ってくれなかったから。
ごめんね、と謝ると、こっちを見た兄は「今更、気にしてないよ」と言って、あっけらかんと笑った。それは、今日茉希姉さんがわたしに向けてくれた笑顔と似ている気がした。
今度、茉希姉さんと話したいな。緊張なんてしないで、ちゃんと。
「凛の翔馬くんに対する感情は、年上のお兄ちゃんを慕う、っていうくらいの、幼くて単純な気持ちだと思ってた」
ふ、と兄が目を伏せ、座り込んだ自分の足を見る。ちょっと切なそうな横顔に、わたしはどきりとした。
「凛が席をはずしている時に、茉希ちゃんも言ってたんだ。そういう意味で『大好き』なお兄ちゃんが結婚するから、今日の凛は元気がないんだろうって。僕も、そうなんだと信じて疑っていなかった」
気づいてあげられなくてごめんね、と兄は自嘲気味に笑う。
「凛は、翔馬くんに恋をしていたんだね」
「……」
そうはっきりと口に出されると、気恥ずかしいものがある。確かに事実だし、恋だったと断定しても何ら差支えないんだけれど、でも。
「でも、お兄ちゃん」
兄の方を見て、わたしは告げる。今まで誰にも言ったことのない、素直な気持ちを……全ての、きっかけを。
「わたしが小さい頃、翔馬兄さんに懐いてたのは本当よ。でもお兄ちゃんの言う通り、初めは単純な気持ちでしかなかった」
「きっかけが、あるんだね」
兄が立ち上がって、まっすぐにわたしを見る。わたしは兄の目を見つめ返したまま、笑みを浮かべて、ゆっくりとうなずいた。
「ずっと、翔馬兄さんが好きだった。……たぶん、あの日から」
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