第8話 超強揉み男来襲
こういうマッサージ屋には、だいたい普通の力で施術して、満足していただけるんだけれど、たまにもっと強くやってくれ!と、要求される事がある。
その為に、プラス100円で男性指名や、女性にしてもらいたいという方には、女性指名というのがある。
でも中には、その100円を払いたくないが為に、強引にチェンジを要求するお客様もいる。
まぁ、サービス業だから、仕方ない事ではある。
だから、同じ時給なので、出来れば強揉みのお客様は避けたい。
何故なら、親指がメチャメチャ痛くなるからだ。
しかも、男性指名料の100円も施術者には入らない。
何のメリットもない。できれば避けたい。
理想はめっちゃ綺麗な、超弱揉みの女性が理想だ。
しかし現実は、ほとんど男性のお客様が多い。
そんな綺麗な女性は、訳のわからない男性になんか揉まれにこないのが現実。
遅番だった私は夕方6時からラストまでの勤務だった。
その日は、夜9時くらいまではお客様も入らず、順番が4番目だった私は休憩室で3番目の同僚とたわいもない話をしていた。
「いらっしゃいませ!」
店にいた男性スタッフの声がして、お客様が入ったんだなと分かった私は、便所がてら様子を見に店内に行った。
「じゃあ、120分で。」
それとなく、座っているお客様の隣を通ると、中年の男性だった。
私は休憩室に戻り、同僚に120分コースだったと伝えた。
私の働いているところは、完全歩合制なのでお客様につかないとお金にならない。
時給が1800円なので、2時間にお客様1人できればひと安心みたいなかんじだった。
だけど、正直、2時間揉みっぱなしというのはキツイ。できれば60分コースがポンポンポンと入るのが理想だけれど、そうそううまくはいかない。
休憩室に戻り、同僚とたわいもない話のつづきをしていた。
「すいませんっ!変わってもらえますかっ!」
5分ほどしたら、お客様についていたスタッフが血相を変えて休憩室に入ってきた。
話を聞くと、お客様から「もっと強く、もっと強く!」と言われ、とてもじゃないけど、2時間もたないと思って助けを求めてきた。
その日は私を含め男性スタッフのみ4人だった。
順番からいくと2番目のスタッフが行くところなのだが、男性スタッフが助けを求めるというのは相当な強者だとわかっていたので、2番目と3番目のスタッフがダチョウ倶楽部のように「どうぞ!どうぞ!」と譲り合っていた。
「・・・・・・・・・・。」
その押し問答を数回繰り返して、ふと静かになり2番目と3番目のスタッフが同時に私を見た。
「やっぱりここはエレジーさんしかおらんな!」
「うん、やっぱりここはエレジーさんやろ!」
2人は声を合わせて、うなずきながら言った。
薄々はこうなるんじゃないかと予想はしていた。
体格も4人のなかでは筋肉もあり、1番力がありそうといわれたらしょうがない。
というのも、私は昔プロボクサーだった。
やめてからも、ちょこちょこは自主トレーニングしていた。
よく引退したボクサーが、きつい減量から解放された反動からか、無様な体型になってしまう人がいる。
私は、そうはなりたくなかった。
だから、それなりには維持していた。
ボクサーの頃はスパーにしろ、試合にしろ誰と組まれても逃げることは許されないという世界で生きていた。
アントニオ猪木じゃないけど、「いつ何時、誰の挑戦でもうける!」みたいなところがボクサーにはあると思う。
「・・・・・わかりました。僕が行きましょう。」
「さすが!エレジーさんっ!やっぱ、元ボクサーは違うわっ!」
まったく・・・勝手なものだ。
内心は正直嫌だった。
誰がわざわざ、あっちあちの栗拾いにいかなアカンねん!と思っていた。
意を決して、私はそのお客様の元に向かった。
そして、それは想像を絶する戦いの始まりだった。
「お客様、お待たせいたしました。エレジーが担当させていただきます。」
まずは足から掌底で押し始めた。
「もっと強くやってくれるか?」
いきなりMAXでやると、こう言われた時に困るので、いつも自分の力の5割、7割、MAXと段階を上げていく。
しかし、このお客様の場合、かなりの強揉みが予想されたので、初っぱなは7割からいっていた。
つぎの1回で満足させないと、残りの時間が地獄になる。
私はMAXの更にMAXで押してみた。
「ちょっと届いたかなって感じやな。」
私の地獄がこの時点で確定した。
「そこをもっと、グィっといってくれるかな?」
お客様のこの言葉が、これから残りの時間、私を苦しめる事になる。
親指ばかりでやると限界なので、肘や掌底で指を休ませたりする。
しかし、そのお客様は肘や掌底を私が使っていると、「それじゃ効かないな。やっぱり指じゃな。」と悪魔の一言。
さらに、腰を親指で押している時も、「そこをもっと、グィっと。」の悪魔の一言。
私は、こういう業界で15年やっているけど、初めてベッドの上のお客様に股がって立ち、押している両手の肘の辺りを両膝で圧迫して押した。
「ペキ、パキ!」
親指からは今まで聞いたことのない音が関節からした。
始まって20分ほどで、私の指は限界だった。
ただ唯一の救いだったのは、そのお客様も自分が特異体質というのがわかっている事だった。
聞けば、どこのマッサージ屋にいっても自分が避けられているのがわかっているそうだ。
お客様自身も、施術者が困っているのを楽しんでいた。
そして、なんとか苦しみながらも、タイマーの残りが20分になった。
私は最後の力を振り絞った。
すると、お客様が上体を起こして私に発した言葉で、さらなる地獄をみることとなった。
「ここ、一番長いコースは何分?」
嫌な予感・・・
「は、はい。ひゃ、ひゃ、180分です。あとは任意で30分の延長がございます。」
や、や、やめてよ・・・
「じゃあ・・・」
お、お願い、神様・・・
「180分に変更してくれるかな?」
やめてーーーっ・・・
「は、はい。分かりました。ありがとうございます・・・。」
口ではお客様に対して、真逆の事を言っている自分が滑稽に思えた。
タイマーは100分になろうとしていた。
これから、80分・・・
深い井戸に落ちて、一本のロープをよじ登っていて、やっと光が見えてきたところでロープを切られたような感覚・・・。
絶望感しかなかった・・・。
実は、残りの80分の記憶がない・・・。
ただ、覚えているのは、指が痛すぎて、ハイになり、お客様と話していて、私自身の笑い声のボリュームがおかしくなって、全開で笑ったりしていた。
タイマーが179分48秒を過ぎ、残り10秒になったら、まるで年越しのカウントダウンのように心の中で、叫んでいた。
(10、9、8、7・・・)
もう、無心だった。
(3、2、1・・・0・・)
♪チャラララ~ラ~ララ~ララララ~♪
私の頭の中では、ロッキーのエンディングテーマが流れていた。
底なし沼のような地獄がようやく終わった・・・。
店内は私とお客様の2人きりだった。
お客様がお帰りになり、休憩室に戻った私。
「エレジーさん、ようやった!」
「さすがエレジーさん!」
残りのスタッフたちが立ち上がり拍手で迎えてくれた。
まるで、スタンディングオベーションのようだった。
この感覚・・・以前にも感じたことがあった。
そう、ボクサー時代、いい試合をした時、感じた感覚。
どうでもいいけど、あのお客様、3日に一度はマッサージ受ける言うてたけど、指名されたらどうしよう・・・。
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