84 鏡面のポピュリズム


 水川苺花いちかがこらえきれないと言った顔で言った。


「天王寺先輩っ! そのう巻き、すっごく美味しそうですね!」

「ん? そうか?」

「切り口もすごくきれい! 私の鳥のチーズ焼きと交換しましょう!」

「あ、ああ。構わないが……」


 天王寺彩葉いろはが躊躇いがちに、和風の高そうな弁当箱を傾ける。

 間髪入れず水川がう巻きを奪い、眺めて目を輝かせる。


「カワイイ~」


 う巻きだぞ?

 天王寺彩葉も俺と同じ感想だったらしく、困惑顔だ。


「あっ、私のもどうぞ!」

「ああ……」


 水川はファンシーな自分の弁当箱から鳥のチーズ焼きを天王寺彩葉の弁当に移し、う巻きを口の入れる。


「ん~~~、上品な味」


 無邪気に感動する水川の様子に、天王寺彩葉は苦笑いを浮かべている。

 ──とまあ、これはほんの一角での出来事で、似たようなやり取りが俺の周囲で繰り広げられている。

 あちらでは演劇部と空手部がケンカでの身体の動かし方で熱く語り、こちらでは吹奏楽部と動画研究会アニ研がアニソン話で盛り上がり、そちらでは料理部と陸上部が栄養計算の情報を交換したりといった具合。


「だけどな、成績と引っ張っていく力は違うんだよな……」

「だからって私情は入れちゃだめよ」


 向こうでは吹奏楽部部長であり、俺の後援会会長である大石先輩と空手部の部長である山崎が、なにやら部活のことで真面目に話し合っている。


 ともかく、だ。

 にぎやかなことこの上ない。──俺は後援会の面々と食堂で昼飯を摂っていた。

 人数でみればもはや昼食会といったレベル。

 これもまた宣伝活動の一環だ。「人は人に寄せられて集まってくる」という、弁論部部長井筒先輩のアドバイスで始めた。

 ただし、空手部や陸上部の「指定席」は使わなかった。ただなんとなく、空いている場所に集まった感じだ。


 正直なところ、こんな自然に和気あいあいと行くとは思わなかった。この和やかかつ騒がしい雰囲気を作り出したのは、大石先輩や山崎はもちろん、動画研究会アニ研の君島先輩はじめ3年生の各部長たちだ。部を引っ張ってきただけあって、みな人をまとめるのが上手い。

 俺とたった1年の歳の差なのにな。……いや、俺は今まで同級生がやってきたことすらできなかったわけだから、それどころの差じゃないな。


「立場が人を育てるって言いますからねえ」


 エレクトラが後援会の連中の弁当をあからさまに覗き込んで物色している。


「行儀悪いことするな」

「まあ? そういう意味では柴田さんも格段の進歩ですよね。──そうだ、さらに貫禄をつけるため、いっそ柴田百獣王とかに改名されてはいかがでしょう?」

「そんな合体してギブアップを強要させるような名前はイヤだ!」

「まったく。イヤイヤばっかり言ってれば、可愛いと思ってるんですか?」

「目指してねえよ!」


 今日の放課後、二回目の演説会がある。

 徹夜して原稿を覚えて来たから大丈夫だとは思うが、それでも不安は消えない。こういう緊張は、人の期待に応えられないんじゃないかという恐怖が原因だと言うが、俺は「期待に応えられる」ふうに見せかけなければならない。気にしないなんて無理だ。


「……男衾おぶすま、お前大丈夫だろうな」


 横で菓子パンの袋を開けながら男衾が、


「任せとけー! バリバリ!」


 と相変わらずの無表情で言う。


 こいつも今日は演説する。

 推薦人演説というやつだ。本人の演説の後、推薦人が応援の演説をすることになっている。立候補順だから演説は、華子、眉村、俺。つまり男衾が一番最後のトリを務めるわけだが、見る限り緊張の欠片もない。いつも通り、何を考えているのかわからないメガネだ。


 オンラインで俺が書いて文芸部が修正した原稿の読み上げを聞いていたが、淡々としてはいるがかなり上手かった。こいつの場合、声がよく通る。井筒先輩も褒めていたぐらいだ。

 ただその才能は、ろくでもないネットスラングを読み上げることにしか活用されていない。完全無駄。

 まあ、この調子なら失敗することはないだろう。ときおり、とんでもなく突拍子なことをしだすから、注意は必要だが。

 それより俺のほうが心配だ……。


「……柴田さん、これちょっと!」


 そんな俺の気分はお構いなしに、エレクトラが俺に肩を揺さぶる。


「うおっ!」


 今まで接触できなかったから、まだエレクトラのボディータッチには慣れない。思わず声を上げたが、幸い騒がしくて誰も気づいていない。


「びっくりさせるなよ!」

「これ、これ見てください」

「はあ?」


 エレクトラが出したスマホの画面には、一枚の画像があった。

 白いシャツに、白い太ももがあらわになった女子生徒。黒い線が引かれて目は隠されているが、口は笑顔。手にはスカートを持っている。

 長いストレートの黒髪。画面端には部室棟にあるトイレが入っている。

 そしてその女子生徒の前には背中を向けた男子生徒。


 言うまでもない。

 女子生徒は院華子。そしてもう一人は俺だ。



☆★☆★



 華子の半裸画像は瞬く間に学校内SNSで拡散していった。

 修正されてはいるが、すでにそれが華子であるという触れ込みで回っている。

 当然ながら一緒にいる男子生徒にも話題が向いたが、背中と後頭部が辛うじて写っているだけなので、これで特定は無理だろう。明らかに意図的な構図だ。

 昼休みの時に新聞部や放送部の部長に訊いてみたが、心当たりはないそうだ。山崎も知らなかった。


 誰だ?

 誰がこれをやったんだ?

 可能性としては、あのとき遭遇した現生徒会長・鳴子なるこさかきと書記・稲森野乃花だが、こんなことをするメリットは? というか直接会っていてこれをやったのだとしたら悪意そのものだし、リスキーだ。


 それに画像が鮮明過ぎる。

 かなり拡大しているようだが、これをスマホで撮るとしたら、専用の望遠レンズでないと無理だろうと写真部が言っていた。そんなものをいつも学校に持ってきているヤツなんているのか? ……教師や中等部まで含めれば4000人を超える人間が学校にいるわけだから、ゼロとは言えないだろうが。


「出元、探ってみます?」

「できるか?」

「時間を頂ければ。あとお供えパワーも」

「……わかった、頼む」

「じゃあ、私は引っ込みますね! 演説頑張ってください! あっ、それから次は弁当のおかず貰ってください!」


 エレクトラがせわしなく消えていく。


「……」


 べつに華子のためにやるわけじゃない。

 気の毒だとは思うが、あいつの壊れっぷりを知っていると遅かれ早かれと思わなくもないし、俺が心配するようなタマじゃないだろう。

 悪意に対する嫌悪感はあるが、怒りというより困惑が正直な気持ちだ。得体が知れない。

 このタイミングでばら撒かれるなんて、なにが目的なんだ?

 これ一枚きりで俺の特定が不可能というなら、華子を引きずり落とすつもりなのかもしれないが……。

 言いようのない気持ちを渦巻かせたまま、放課後の演説会が始まった。


「こんにちは、皆さま。このたび生徒会長選挙に立候補いたしました、いん華子です」


 緊張で見落としているかもしれないが、華子に動揺は見られない。いつものごとく落ち着いた笑みとともに口を開く。

 どうやら「流出画像」は完全無視で行くようだ。

 前回と同じく、学校の伝統を語り、健全で明るい学校生活をといった紋切り型の演説……。


「あえて名を挙げて申し上げますが、柴田獅子虎君。彼の言っていることは大衆迎合主義ポピュリズムです」


 自分の名前を呼ばれてはっとする。

 華子は俺に背中を向けていた。

 それでも俺に華子の強い感情が向けられているのは感じる。


「不安を煽り、不満に付け込み、聞き心地のいい言葉を連ねて人気取りをしているにすぎません。実際に生徒会運営に携わっていた立場からすれば、あまりに実情を知らないと言えます」


 ひょっとして、あの画像で多少は堪えているのか。

 もしこのまま俺の批判を続けてくれるなら、願ったりかなったりだ。おっしゃる通り、俺がやっている批判は生徒たちの持っている感情を焚き付けているが、華子の言っていることは正論でしかない。


「仕事ばかりが人生じゃないんだから」と、疲れているサラリーマンに甘い言葉を投げかけているのに、「勤労は国民の義務だ!」と冷や水を浴びせるようなものだ。


 正しくても共感は得られない。

 それに──俺のほうが「後出し」できるからな。討論会ならまだしも、演説じゃどうしようもない。それは華子もわかっているはずだ。


「彼の言うことは悪魔の囁きです。誰のことも考えていない。自分すら破滅に向かっているというのに」

「……!」


 それは、俺だけに見えていた。

 華子のスカートの下から、白いぶよぶよとした物体がどろり、どろりと垂れ落ちている。それは足元に広がり、蠢く。──けきだ。


「上辺で人に接し、綺麗事で済ます。心の底にわだかまる醜いものを隠したままで──」


 わざわざ俺にケンカを売ってきたのは、自信なのか──いや、けきが出てきたってことは、感情が動いたんだな。怒りか、喜びか、俺にはわからないが。


「この学校の伝統、そして未来を見ているのは私しかいません。目先の小さな嘘に惑わされてはいけません。正しく見詰めてください。──以上で、私の演説を終わらせていただきたいと思います」

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ワールドアップデート! ~コミュ障ボッチの俺が神々を殺す話~ 百里 @sawya

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