83 缶詰の中

「やりましたね、柴田さん! ついに尊さんの起点マーカーレベルを抜きましたっ!」

「そうか……」


 投票日まであと3日。

 選挙前から現時点の起点マーカーレベルはこうなっている。


俺:580→1680

華子:2000→2220

眉村:1200→1570


 俺を支持するだろう層については、文化系部活動のほとんどと、いくつかの体育会系部活、そして一般生徒の一部だ。──支持率は慎重に見て25%~30%ぐらいだろうか。

 眉村尊の支持母体である体育会の崩壊は止まらない。何もなければ35%~40%は行けただろうが、山崎の空手部が抜けると宣言したのに続くようにして、脱退が増えている。いま確実な情報だけで2割。支持率は7%落ちる計算になる。


 すでに体育会の内紛は表ざたになっていて、SNSでは困惑する部員たちの会話も少なくない。とくにマイナーな部活は眉村の生徒会長就任でおこぼれを狙っていただけに、主導権争いでにらみ合う大手部活をしり目に沈み始めた船からどちらに移ろうか品定めをしているといった様子だ。

 眉村と同様に実績主義の華子に付いて細々とやるか、俺に付いて一定の底上げを取るか。どうやらこれは山崎の感想を聞く限り、俺のほうに分がありそうだ。


「そりゃ熱心に部員勧誘して猛練習に励んでも、試合で負ければゼロよりは、何もしなくても部費が増えるほうを選びますよねえ」


 エレクトラが腕組みしてうなづく。

 試合成績はそう簡単に上げられるものじゃないだろう。個人競技ならまだしも、チームスポーツではなおさらだ。

 それに部長や3年生は夏前後で引退する。後輩たちのことを考えれば、予測できない賭けより確実な安定を選ぶだろう。──もちろんそれは俺と華子が拮抗しているって前提だが、少なくとも「もしかして」という錯覚は、空手部の支持によって起き始めている。

 もう眉村陣営が持ち直すことは無理だろう。


 となると、あとは華子だが。

 分裂する体育会を取り込んで35%ぐらいまで積み上げれれば、なんとか華子と勝負ができるだろう。やはりキーになるのは一般生徒の浮動票だが、華子人気を崩すのは難しい。どれだけ俺がウケを狙ったとしても、あいつの持って生まれたカリスマ性には勝てないだろう。同じことをやっても、巻き起こる「波」が違う──ずっとボッチだったんだから、それは嫌というほど思い知らされてきた。


 だから俺は「票を作る」。

 過去の平均で言うなら、投票に行かない35%を取り込む。その中で一番大きいのは、3年生だろう。

 以前も言ったように、夏が過ぎれば3年生は受験準備のため、ほとんど学校に来なくなる。選挙には関心が薄い。だからこそ、引き込みたい。


  俺との握手のあと、天王寺彩葉は早くも「風紀委員会を望む会」というのを立ち上げた。朝の遭遇から昼休みの対面を経て、放課後にはそこまでやる行動力はさすがというべきだ。苦悩が大きかっただけに、その反動なのかもしれない。

 ともかくも天王寺彩葉の決意は心強い援護射撃だ。内部進学のうち3年生の票は見込めるだろうし、その影響は小さくない。

 文化会の3年生たちもクラスメートに勧誘をしてくれている。俺への支持より、まず投票へ行くのを優先するよう頼んだ。


「余裕を見せるなんて、柴田さんらしくないですねえ」

「見せてねえよ。そういう受け身の奴らって、押し付けられるのを嫌がるだろ」

「はあ、そんなものですか」

「だからその気にさせるのが先決だと思ったんだよ。あなたの一票で未来が変わるとか言われたら、気分良いだろ」

「ふむ。道理ではありますが、それでは敵に塩を送ることになりませんか?」

「人に言われて行く主体性のない連中なら、誘ったやつと同じのに投票するだろ」


 俺がため息をついていうと、エレクトラが首をかしげる。


「なんだかよく分からないですね。やれと言われるのは嫌だけど、やってほしいと頼まれればそれでいいんですか」

「同じ選択をするにしても、人が決めるより自分が選んだって体裁のほうが気持ちいいんだよ」

「まあ、神として分からなくもありませんが」

「それに。自分のことより、選挙に協力的なほうが好印象だろ。俺の『全校生徒のために学校を良くしたい』って建前とも合致する」

「あざとい」

「偽善だからな」

「……なんだか柴田さんをボッチコミュ障と呼ぶのは無理がある気がしてきました」

「いや、変わんねえよ。俺は自分のことを当てはめただけで、他人の気持ちなんてわからない」


 大石先輩や天王寺彩葉が好例だ。

 俺が出せるのは偽善や損得勘定だけで、ああいう人種が何を考えているのかは理解できない。意志が強いというか、器がでかいだけに動きもダイナミックというか。


「あっ、柴田センパーイ! お疲れ様ですっ!」


 この水川苺花だってそうだ。

 俺の人生で一番縁のないタイプだし、あんなことがあっても憎悪する関係にしかならないと思っていたのに。


「よお……」


 水川苺花は登校し始めたガリガリのころと比べれば、だいぶふっくらとしてきた。それでも十分に細いが。──ためらいの色が混じっていた笑顔も、今じゃバカっぽさ全開だ。

 この無邪気な顔とあの予備教室での陰険な顔が同一人物だと思うと、俺は困惑する。


「今日も広報活動頑張りました~! さっきまで配布用の公約、コピーしてたんですよ!」

「そうか、助かる」

「もう、そっけないなあ。もっと褒めてくださいよ!」

「お、おお……よくやった。偉い」

「やったね!」


 水川苺花は一緒にいる女子生徒とはしゃぎ合う。

 その女子生徒も俺は知っている。

 睡蓮の池で、俺と和に泥をぶっかけた二人だ。選挙が始まって早々に二人は水川苺花に連れられて、俺に謝りに来ていた。そこから協力してくれている。


 水川苺花とこの二人は元チアリーディング部だったが、俺を支持するという態度を取ったため部を辞めざるを得なくなっていた。チアリーディングは女子部活動のなかでもとくにサッカー部と仲がいいので、裏切りは許されないというわけだ。

 俺に謝罪をさせようとして、西野ミリアとも言い争いになったらしい。

 水川や山崎は何も言わないが、エレクトラの情報網で俺は知っていた。


 俺には、わからない。

 わざわざ自分のいる世界をぶっ壊してまで、俺に協力する価値があるのか。それを守るために和をイジメたんだろう? あの事件でより大きな暴力に打ちのめされたから、俺に靡こうとしているのか?


 敵対すれば、それは人間関係の終わりだ。

 壊してしまえば、二度と戻らない。

 俺が思っているそんなものを乗り越えていける水川苺花や山崎は、人付き合いがうまいのだろう。俺にはできない。そんなこいつらを受け容れることもできない。

 やはり俺は──コミュ障ボッチだ。



☆★☆★



「柴田さん、私は不満なのですが?」


 帰り道、エレクトラがぶーたれる。


「なにがだよ」

「柴田さんはファミレスに行っても、ドリンクバーしか頼まないですよね!」


 連日、大石先輩はじめ文化部会の面々とファミレスで会議をしているわけだが、他のみんなが食事を頼んだり、デザートを注文するのがうらやましいのか?


「金がもったいないだろ。それともお供えは食べ物がいいとか、わがまま言うのか?」

「わがまま言ったっていいじゃないですかあ! 女神なんですから!」

「俺の辞書にある女神という単語は、とうに死語だが?」


 俺が冷たく言うと、エレクトラが涙目になる。


「私は、ハンバーグが食べたいです」

「なんだよ、唐突に」

「ふあふあのジューシィなのがいいです。柴田さん、作ってください?」

「今からスーパーなんて行きたくねえよ」

「じゃあ明日ですか?」

「明日は料理しない日だから無理」

「明後日ですか?」

「明後日は宗教上の理由で無理」

「いつならいいんですか?」

「3日以上未来は、俺考えるの無理だから」

「ずっと無理なんじゃないですかー!!!」


 キャンキャン吼えるエレクトラと連れだって帰宅。


「ハンバーグは無理だけど……」


 地下への階段を覗くと、真っ暗だ。

 俺は明りのスイッチを入れて、下りる。


「今日はとっておきのやつ出してやるから、それで我慢しろ」

「とっておきと言って向かう先が地下シェルターって、いつもと同じじゃないですか……」


 分厚い二重扉を押し開け、また電気を点ける。


「おや、お父様は今日もいらっしゃらないのですね」

「出かけると何日かは帰ってこないからな」


 サバイバル感覚を鈍らせないために、親父はわずかな手荷物だけでふらっとどこかへ行ってしまうことがある。山だったり都会のど真ん中だったりと、いろいろ想定しているようだ。


「親父がいない間にできる贅沢といえば、これだ」


 棚から高級缶詰や美味しいレトルトを引っ張り出す。

 親父は常に在庫をチェックしているのでどうせ後でバレるのだが、不在の時は何を食っても目を瞑ってくれる。


「結局、保存食なんですね……」

「そう捨てたもんでもないぞ? 手作りハンバーグとまではいかないけど」

「スイーツも欲しいですが?」

「はいはい」


 俺がモモとパイナップルの缶詰を出すと、エレクトラは目を輝かせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る