80 ヒビハシル

 確実に眉村陣営にはヒビが入り始めていた。

 陸上部に続き、野球部が眉村の支持を辞めるという内部情報が空手部の山崎を通して俺に知らされた。

 陸上部と野球部はグラウンドの使用でサッカー部と確執があったからだ。


 ここにきて人数のいる部活が支持を辞めるという意味合いは大きい。とくに陸上部は男女混合の部活だ。俺にとって、体育会系の女子生徒から支持を得られるとしたら、価値はある。

 さっそく俺は山崎に斡旋してもらい、両部活の部長と話し合いをした。

 部費のこと、グラウンド使用のこと、遠征時の学校所有バスの使用などを話し合い、始終和やかな雰囲気で「密会」は終わった。


「山崎先輩」


 俺は二人の部長が去ったあとのファミレスで、山崎に尋ねた。


「まだ抜ける部活は出てきそうですか?」

「出るだろうな」

「なら様子を見て空手部は正式に支持の取りやめを宣言して、後援会から抜けてください。タイミングは先輩に任せます」

「柴田の支持をすると言えばいいのか?」

「それは言わなくていいです。サッカー部と眉村を支持できないってのを強調してください。それを呼び水に、ほかの部活の脱退を促します」

「なら陸上部や野球部も誘ったほうがいいな」

「それが理想っすね。有利なほうに乗り換えるというより、泥舟から逃げるといった感じでいってください」

「焦らせるわけか」

「そうです」


 俺はスマホを覗いた。

 エレクトラが地図を出し、GPSの位置情報を見せた。

 さきほどいかにも俺を支持するようなそぶりを見せていた陸上部と野球部の部長は、華子と会う場所へ向かっている。

 俺と華子を両天秤にかけようって魂胆だろう。どうせ誰に投票したかは追跡のしようがない。勝ったほうに良い顔をすればリスクはないわけだ。俺や華子がそれを知らなければだが。


「初めは冗談かと思ったが」


 山崎がアイスコーヒーのグラスを持ちながら、俺を見つめた。


「だんだんとお前が勝つんじゃないかと思い始めてる」

「どうですかね。俺は人の本心なんてわからないんで、自信はないですよ」


 吹奏楽部の大石先輩からメッセージが来た。

 後援会で何やらカラオケに集まっているらしく、顔を出しに来いとのことだった。

 俺はしばらくしたら行くと返事を送る。


「お前がタイマンしろといったとき、頭に来た」

「……でしょうね」


 俺は笑うしかなかった。

 クソザコが調子に乗ってケンカを売ってきたんだから、当然と言えば当然だろう。


「しかしな、同時に面白いヤツだと思った」

「俺はすぐ後悔しましたよ」


 腹を殴られたときの苦しみは地獄だった。あんな痛みは今まで味わったことがなかった。


「……眉村の妹とは、あのあとどうなったんだ」

「……」


 いきなりの問いかけに、思わず俺は黙り込んだ。

 一瞬、和の顔が脳裏をよぎって、言葉にならなかった。


「よけいなお節介だとは分かってるが、俺にぶん殴られる覚悟で守ったんだろ?」

「そういう成り行きだっただけですよ。特別なものはないっす」

「……選挙ポスター、眉村の妹が撮ったんだよな?」

「ありがたいですね」

「いや、他にも何か感じただろ?」

「才能があるな、と」


 俺がぽつりと答えると、山崎は困ったように頭をかいた。

 それから独り言のように、


「……こりゃ俺には無理だぞ」


 そう言って席を立った。


「余計なおせっかいだったな。気にしないでくれ」

「はあ……」


 山崎は伝票を取ると、店を出て行った。

 俺は氷が解けて薄くなったコーラを飲み干し、ぼーっとテーブルにできた水滴の集まりを見つめた。



☆★☆★



 俺は後援会の面々が集まっていたカラオケ店に顔を出したが、なんとなく気乗りしなくて早々に抜けることにした。みな気遣ってくれたので、ばつの悪い思いはせずに済んだ。

 文化系だのオタクだの言っても、やはり部活をしようという連中は陽キャなんじゃないだろうか。


 身体が重い。

 感覚は研ぎ澄まされているのに、意識が鈍い。

 気づいていても思考が動かない。


「柴田さん、ちょっと過労気味ですね。美味しいものでも食べて、今日はゆっくり休みましょう」


 後ろで漂っているエレクトラがそう言った。


「……甘いものが食いたいな」


 考えてもいなかったのに、ふと口に出た。

 疲れていると身体が糖分を求めると言うし、やっぱりそういうことなんだろうか。


「あっ! 柴田さん! 柴田さん!」


 エレクトラが指をさすさきに、女子受けしまくりそうなクレープの移動販売車が止まっていた。


「お前が食いたいだけじゃないのかよ」

「甘いものとおっしゃったじゃないですか。私はそれに便乗したまでですよ!」

「便乗してんじゃねえか!」


 ああいうピンクのお花やら可愛らしい雲が描かれたポップでファンシーなのは、オタクの自意識を殺しにかかってると思う。一人で買いに行こうものなら、「ぷっ、キモオタが一人で来やがった」って陰で笑われている被害妄想を掻き立てられることは間違いない。


「生クリームは重いんだが……」

「中年みたいなこと言ってないで、早く買ってください! 一度食べてみたかったんですよ! あっ! トッピングも忘れないでくださいよ! ナッツとあのカラフルなチョコをお願いします!」

「お前メインになってるんだが!?」

「早くしないと売り切れたらどうするんですか!」


 涎を垂らすエレクトラ。

 なんだ、この女神……きったねえ。


「分かったって」


 俺は遠巻きにメニューを確認し、移動販売車に近づくやいなやすぐ注文。クレープ生地が焼かれているあいだ、わざとらしくスマホを見てモブに徹し、イチゴクレープにトッピングを乗せたものを手渡されると、逃げるようにその場から離脱した。


「よく考えたらコンビニのアイスとかで良かったんだよな」


 公園の噴水のそばに座って、俺は遅まきながら気づいた。

 が、そんなことをこの女神は聞いちゃいねえ。


「はやく! はやくしてください! はやく! は! や! く!」

「はいはい!」


 急かされて俺はお供えする言葉を言い、クレープをかじる。


 ……あっま。

 イチゴの酸味で中和されるとはいえ、あっまい。

 これ全部食いきれるだろうか。


「はああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」


 かたやエレクトラは一口食べて、顔を輝かせている。

 なんかちょっと後光みたいなのが出てるんだが、神だからなの?

 そんなことで出ちゃうものなの?


「あっ、これ、あっ、これは、あっ、なんというか、あっ」

「感想を言うか、食うか、どっちかにしとけ」


 完全に興奮でおかしくなっている。


「なぜ私は柴田さんを氏子にしてしまったのでしょう……」


 速攻でクレープを平らげたあと、エレクトラがしみじみとため息をついた。

 俺は手にまだ残ったクレープを持て余しながら、冷ややかに視線を送る。


「えらく根本的なとこに疑問持っちゃったな、おまえ」

「そうだ。柴田さん! 今からでも遅くはありません。女の子になりましょう!」


 口の端にクリームを残しながら、かなりガチめの表情で俺の説得にかかるエレクトラ。


「はあ? お前のスイーツのために、後戻りできない選択をしろと!?」

「いっそ名前も柴田獅子しこに改名されてはいかがでしょうっ!」

「間違いなく変なあだ名がつくだろ、それ!!!」


 すでに俺は「ションベンタイガー」という忌まわしい呼ばれ方をしたことがある。ましてその名前じゃ、悪意のない人でも思わず心の中でつぶやいてしまうだろう。


「……!」


 俺がクレープを何とか食べきって、夕飯をスキップする決断をしたとき、エレクトラが背後を振り向いて鋭い目つきに変わった。


 噴水の向こう、人通りもまばらな公園の歩道に一人の少女が立っていた。

 いや……。

 精巧にはできていたが、その肌は生き物の血が通っているようには見えないほど白かった。青い瞳はじっとこちらを見つめているが、あまりに透き通っている。

 そしてなによりの違和感は、顔に一筋の大きなヒビが走っていることだった。


 それは──少女の姿をした大きな人形だった。

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