81 人形の神
なんだ、あいつは。
噴水からあがる涼しげな水しぶきの向こうに、子供ぐらいの大きさの
赤い巻き毛で頭は大きく、青い瞳はガラス玉なのか陽光を反射してキラキラと光っている。……誰かがバカでかい
「う……」
人形がパチリと瞬きをした。
作り物の瞼がシャッターのように下りてガラスの目玉を覆い、そしてまた上がる。
すぐ横を通り過ぎた子供連れの夫婦はまったく人形に気付いていないようだった。
エレクトラに聞くまでもなく、あれがこの世ならざる者──
いったいなんの目的で俺たちの前に現れたのか。
「……エレクトラ、あいつはなんだ」
警戒しながら横のエレクトラに聞いたが、無言しか返ってこなかった。
「おい、エレクトラ」
俺がちらりと目をやると、今までに見たことがないほど青ざめたエレクトラの顔があった。
「……柴田さん、逃げてください」
人形を見つめたまま、エレクトラがそう一言絞り出す。
「お前はどうするんだよ」
「アレとやり合うとなれば、今の私たちに勝ち目がありません。せめて……足止めします」
勝ち目がない?
そんな強力な
「なら、なおさら逃げられないだろ」
今までだって
「いえ、私の新しい力の一つに
「格上って……」
なんの格が上なのか。
エレクトラが言うのなら、それが意味するのは。
「──あれは神です」
「……!」
あれが……?
ホラーにでも出てきそうな人形が
「
「……私が視える限りで300以上です」
たしかエレクトラの
300以上ってことは500かもしれないし、1000の可能性だってある。
「私が前に出ます。柴田さんは後ろへできるだけ早く、遠く……!」
エレクトラは人形を見つめたまま、そう言った。
できればギビョウやスイキョウのように友好的でいてほしいが、すぐに攻撃してこないということは少なくとも敵対的じゃないと思いたい。
まして神ならば……リョウメンのように話せるんじゃないのか?
「様子を、見よう」
「ダメです! 今すぐ逃げるんです!」
「でもお前が!」
俺はためらった。
その刹那の間にすべてが始まり終わった。
「柴田さん!」
エレクトラが叫ぶ。
人形が腕を上げた。
一瞬で人形から影が伸び、空を覆った。
俺は塗り固められた暗闇のなかへ突き落された。
☆★☆★
そこはいままでに見た「影世界」ではなかった。
色も形もない。距離も高さもない。自分自身すら見えることのできない無明の闇だ。
「エレクトラっ!!!」
声を精一杯に張り上げたが、頭の中で響くばかりでどこにも届かなかった。
黒い泥の中に閉じ込められてしまったように何もなく、どこもない。
これはなんだ。
ここはどこだ。
あの人形が
かすかにどこからか歯車の回る音ギリ、ギリという音が聞こえる。
耳を澄ませてみたが、それは向こうから聞こえているようでもあり、俺の心臓がたてる音のようにも聞こえる。
わからない。
どうなるかもわからない。
どうすればいいのかわからない。
恐怖が心を蝕み始める。
闇と同じどす黒いものが胸の内に広がっていく。
脳を食い破り、胸を突き破っていまにも飛び出してきそうな。絶叫で耳をふさぎ、狂気で震えを打ち消すしかない、この暴力的な獣を俺は知っている。この毒の味を知っている。容赦なく付きまとう残虐な影──絶望だ。
闇に焼かれて俺の身体が縮んでいく。
指先から、つま先から、髪の先から、焦げて崩れ落ちていく。
逃げ場を失った心が胸へと追いやられ、破裂しそうになる。声にならない声が喉の奥でとぐろを巻いた。
なぜこんな目に遭わないといけない。
ただ生きるだけで辛い思いばかりしなければならない。
この世界を叩き割ってやりたい。
不条理を押し付けてくるすべてを呪ってやる。
身を焦がしながら俺は歯噛みした。行き場のない力が歯へと集まり、歯茎へと食い込み、さらに力を加えられて折れる。
それでも折れた歯を砕き、呑み込み、喉を鳴らす。
「──
声。
誰。
☆★☆★
「柴田さん! しっかりしてください!」
声が聞こえた。
俺は目を開けようとしたが、光がまぶしくて開けられない。
何度か試したが、刺すような光の痛みで涙が出てとても無理だった。
「……俺は」
「もう大丈夫です」
俺の額に柔らかい手が触れる。
「……エレクトラ?」
「はい、ここにいますよ」
「どうなったんだ?」
真っ暗なところへ落とされて、俺はひどく興奮したような気がする。
だが夢のように思い出そうとするとなにもつかめない。尻尾がするりと指の間を抜けていく。
「なんとか
ああ、でかい人形の影世界に引き込まれたんだったか。
それでひどい目に遭ったんだっけ。
「……あの人形は?」
「すでにいませんでした」
「そうか……」
生徒会長選挙にばかり気が向いていたが、エレクトラと俺が目立てば目立つだけ、
ましてエレクトラと同列──いや格上の
「ふー……」
ようやっと夏の強い日差しに慣れきた目を開けると、俺はベンチの上で寝ていた。すぐ横にエレクトラの覗き込む顔が見える。
俺と目が合って、下がっていた眉が上がりほっとしたような表情になった。
「ん?」
上に目を動かすと、エレクトラの掌が俺の額の上に載っていた。
「……」
俺は手を上げるとエレクトラの顔の前でパーに広げる。
「はぃ……?」
首をかしげるエレクトラのおでこに手を思い切り打ち付けた。
バチン!といい音がした。
「あいとわぁ!」
間抜けな叫び声をあげて、エレクトラが両手で額を押さえる。
俺はその反応を見ながら、上体を起こした。
「な、なにするんですかー!!! 心配していた私に対して、暴力で応えるなんてとんだ恩知らずですよ!!!」
「……お前よく見たらデコ広いよな。いっそ、エデコトラとかに改名したらどうだ?」
「そんな電飾がいっぱいついていそうな名前はイヤです!」
涙目になりながら抗議するエレクトラ。
「てか、お前いつから触れるようになったんだ?」
「えっ!? はて? ──いつからでしょう?」
「自覚なしかよ」
「つい最近の気もしますが、これはゆゆしき事態ですね。柴田さんのセクハラから逃れるすべがなくなってしまいます」
「いつもやってるみたいな言いぐさはやめろ」
ちんちくりんで完全に俺のストライクゾーン外のくせに、その自信はどこから出てくるんだ。
「──それで。あれは神なのか?」
家に帰って自室に戻り、ジャージに着替えてようやく人心地ついた。
「確実にとは言えませんが、恐らくはそうです。
「てことは、女神か」
「人形ごときと同じにされたくありませんね」
「でも格上なんだろ」
人形の神、か。
「悔しいですが。ステータスを走査できませんでしたから」
「そういう能力とか、特性とかの可能性は?」
「ありえますが──あの
「マジかよ」
金額も驚きだが、それだけ格差があるってことだろう。
「……すいません」
しょぼんとするエレクトラ。
「いや、仕方ないだろ。ほかに手はなかっただろうし……ただ、お前もいい加減観念しろよ」
「えっ……そんな、身体で詫びろとか言われても……正直、柴田さんは生理的に無理です」
「まてまて! お前! ちょっと、まて! 『生理的に無理』ってどういうことだよ!!!」
思春期に一番言っちゃいけないワードだぞ!?
「いえ、あの、縁浅からぬ仲ですし、柴田さんのことはとても好きですが……それはLoveではなくてlikeであってですね……」
「やめろ! 持って回った言い方で俺を気遣うのやめろ!!! すでに十分致死量だからなっ!? ──じゃなくて、まず俺がお前の身体を狙ってるみたいな思い込みをなくせ!」
「どちらかといえば家族的な愛はありますけど、恋愛関係としてはこれっぽっちもときめかないと言いますか、オスとして魅力ゼロですよね」
「続けるんじゃねえ! しかもさらっとエグい!」
俺はバンバンと机を叩いた。
「そうじゃなくて。いい加減お前の上司に会わせろって言ってるんだよ」
「あっ、そちらでしたか」
「そちらしかねえよ! もうここまで来たら、俺たちだけで手に負えるレベルじゃないだろ。お前の上司に助けてもらうしかない」
「そう、ですね。連絡はしているのですが、返事がないと言いますか、どうやって返事をもらうのでしょう?」
「お前、どういうことだよ!? メールとかSNSとかないのかよ?」
「そのあたりは私も初体験でして、要領が分からないんですよね」
「はー。つっかえねえ。まあ、とにかく思いつく手段を全部試せ。なんとかしないと、終わりだぞ? わかっとるのか?」
「そうですね。……わかりました! なんとかやってみます!」
ビシッと背筋を伸ばして敬礼するエレクトラ。
こりゃ他の対策も練っておかないとだな。
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