72 笑顔カリグラフィ

 期末試験が終わった。

 本来なら土日を挟んで試験休みが4日ほどあるのだが、今年はあの事件の休校のせいでなしだ。

 さっそく試験休みがないことへの不満が学校系SNSで愚痴られまくっているが、休校で2週間休んだだろうに。

 まあ、おかげで授業が遅れたし、教師陣も試験範囲の設定に頭を悩ませていたようだから、気の毒だとは思うが……。


「じゃあ、よろしくお願いします」

「まあ、任せておいてよ」


 俺はネットカフェ「ソロプレイヤー」のオープンスペースでの密談を終え、二人の3年生を入り口で送り出す。


「ありがとうございました」


 ──つくづく思うのだが、選挙活動って頭を下げてお願いするのが仕事みたいなもんだな。とにかくペコペコしっぱなし。

 あと絶え間ない笑顔。これ大事。

 自覚してやってみようとすると、これが思ったより難しい。声とか、しゃべり方はいくらでも柔らかくできるが、肝心の表情筋が動かねえ。


 しょうがないから、ネットで「好感度の高い笑顔の作り方」みたいなのを調べて、鏡の前で実践してたらエレクトラに見つかるし。

 あいつ、何とも言えない「見てしまった」感出してたな……。相変わらずチビのロリっ子姿なので、察知が遅れたのが敗因だ。大人の姿でいるならそれなりの服も買っていいつってんのに。遠慮してるんだろうか。


 ともあれ。

 グッドスマイル化計画最大の障害は、俺の羞恥心ってのは分かってるから居直るしかない。それどころじゃないって自覚しないと。

 今日も家に帰ったら、風呂場で笑顔の訓練とか考えると悶絶したくなるが。


「んで。いまのダレよ?」

「……うちの学校の弁論部と電算部の部長」


 俺が戻ってくると、カウンターの千羽せんばなな──バニャが頬杖を突きながらチロリとこちらを見る。

 試験が終わったということで、バイトも復活。


「ふ~ん。頭良さそうな顔してると思ったわ」


 納品されたファッション誌をめくりながら、バニャがつぶやく。

 一時期、やたらと俺に冷たく当たったバニャだったが、最近は元に戻っている。男衾によれば、VRMMOだけでなく現実世界リアルでもやまととよく遊んでるらしいので、べつに俺を許したってわけではなさそうだけど。


「……お前、なんつーか。いいヤツだな」

「ん? なん?」


 怪訝そうな顔をするバニャ。

 こいつは試験期間中も毎日バイト入ってたらしい。どれだけホーム愛強いんだよ。


「いや。普通、お前みたいなイマドキオシャレJKなら、ああいうの『オタくせぇ!』とか言うだろ」

「オシャレは楽しむものであって、見下すためじゃね~し。だいたいバニャもオタだし、見た目で人なんて分かんねだろ」

「まあ……確かに」


 ここ最近で知り合った連中を思い返すに、実感が沸く。


「キモいこと言うから、選挙のためのホメゴロシ練習かと思た」

「なんでだよ! 俺が褒めたら気持ち悪いのかよ! それこそ見下してるだろが!」

「いや~、だってさぁ。……ギルドの初オフ、覚えてっか?」

「覚えてねえよ。めっちゃ前じゃねえか」

「ぷっは! ダメだ……」


 バニャが思い出したのか、吹き出す。


「ゲームじゃ口は悪いけど熱いヤツだなーと思ってたのに、リアルで会ったらガッチガチで顔も引きつったヒョロガリが、『あ、あ、あ、バニャ……さん?』って……ぶひゃっ」

「え。……そ、そうだったっけ?」


 やばい。

 ぜっんぜん覚えてないんだが!


「バニャが『ほっせえなぁ! もっと食え!』って腕とか胸触ったら、『そういうのやめてください!』だって、乙女か! うちの女子高でもそんな女いねぇ~!」

「……い、いや、だってね? 初対面で若い女がだ、そういうボディタッチしてくるのはだな、いかがなものかと──」


 新たな黒歴史の一ページが開かれるのを阻止すべく俺は口火を切ろうとしたが、バニャが声を上げて俺の顔を指さした。


「あ~! 思い出した! そんときも言ってた! 『お、女の子がそういうのすると、誤解されますよ……』つって! んでんで! そのあとなんつったと思う?」

「……答えたくないです」

「答えろよ、おるぁ!」

「まじで、お、覚えてねえしっ!」


 でも、なんとなく分かる!

 だって俺だもん!

 

「『じ、自分を大切にしたほうがいいですよ』」


 爆笑するバニャ。


紳士ジェントルメンかっ!? 紳士ジェントルメンなのかっ、お前!?」


 くぅ~、死にたい。今すぐ寿命が来てほしい。


「あんな内気な少年が、生徒会長にねぇ……。嬉しくて涙出て来た」

「ウソつくんじゃねえ、笑いすぎただけだろが!」

「ま、何かやらかすとは思ってたし驚きもしねえけどな」


 やらかすって。


「そいでぇ。あんなふうに人と会うつ~ことは、ただの思い出作りじゃないんだよなぁ?」

「まあな──そうだ。ちょっと参考意見を聞きたいんだが、お前って帰宅部だよな?」

「いんや。書道部」

「えぇ~……」

「いま金文の臨書してるけど、めちゃ楽しいが?」


 どうやって部活とバイト両立させてんだよ。

 こいつが多趣味なのは知ってるが、それでも見た目とのギャップ。そのド派手なグラデーションカラーのロングヘアとマニキュア塗った手で筆握ってんのかよ……。


「──でもバイトと部活って大変じゃないか?」

「部によんじゃね? みんなと仲良い~し」

「コミュオバケが……」

「うちのガッコ、バイトしながら部活やってるのけっこういるぞ」


 そんなものか。

 部活によっては部員数を増やしたい、生徒としても興味はあるがバイトだなんだと忙しくて無理だと諦めてるってパターンもあるのかもな。2年になれば、いまさら新人で入るのも気恥ずかしくなるし。

 だから部活勧誘は4月に集中して新入生を狙うわけだが、そういう機会が他の時期にあってもいいのかもな。


「ふうむ」


 俺が思案してると、バニャが馴れ馴れしく肩に腕を回してくる。


「ちょお! なんだよ、やめろよ!」

「凛々しい顔しやがってぇ~。こりゃ分からんでもないかぁ」

「なにがだよ!」

「ふっふ~ん──あ、いらっしゃいませ~!」


 ちょうど客が来たので、バニャが応対。

 いつまでもくっちゃべってないで、俺も仕事再開で気合入れないとな。バイトして、それで高校卒業したら就職しよう。いつになるかわからないが、母さんの預金をもとに戻したい。



☆★☆★



「今日はどうだった」

「なんのことです?」


 帰り道。

 エレクトラと連れだってのいつもの会話だ。

 それなのに、エレクトラはいつもトボけやがる。


「……異常はなかったか聞いてるんだよ」

「華子さんは体育会系の部長と何人か会った以外、とくには。眉村たけるさんも動きはないです」

「そっちじゃねえ」

「んん~? 誰のことでしょう」

「……もういい」

「柴田さ~ん、スネないでくださいよー。和さんは普段通りですよ。平穏無事です」


 エレクトラが俺の顔を覗き込むように、ふわふわと浮遊しながら回り込む。

 俺はうっとうしいと言ってやろうかと思ったが、家の前から聞こえた怒鳴り声で口を閉ざした。


「帰れっ!」


 親父だった。

 あんなに大きな声を出すのを見たのは、いつぶりだろう。学校での事件でごたついたときすら無関心だった親父があんなに感情を露わにしたのは、ずいぶん前の気がする。


「でもね、柴田さん」


 親父の前で男が尻餅をついている。

 もしかして親父が突き飛ばしたんだろうか。

 坊主頭でラフな格好だが、いい歳に見える。


「帰れ!!! 話すことはない!」


 あっけにとられて、少し離れたところで棒立ちになっていた俺に坊主頭の男が気づいた。


「あ、息子さんすよね? 大きくなりましたね」


 それに応えることなく親父が玄関へと引っ込んだ。

 訳が分からなかったが、俺はともかくも家に入ろうと男の視線を避けるように早足で歩いた。


獅子虎ししとらくんだよね?」


 男が慌てて立ち上がると、俺の前に割り込んでくる。ちょうど門の前なので、立ち止まるしかない。


「ちょっとだけ、話がしたいんだけどね」


 男の顔には笑みが浮かんでいるが、なんというかふてぶてしい印象だ。笑顔ってのも、全部が良いわけじゃないな。


「……なんですか」

「いま高校の生徒会長に立候補してるんだってね」

「はあ」

「それで事件のことなんだけど、犯人──」


 そのふてぶてしい笑顔も急転直下、なにか言いかけた男の顔が引きつる。

 俺の後ろに、ゴルフクラブを握った親父が立っていたからだ。


「……」


 親父は無言で俺の肩を掴んで玄関のほうへ押しやると、前に立ってゴルフクラブを振り上げた。

 男は慌てて後ずさり、


「ちょっと! それはダメでしょ!」


 そう言いながらも距離を取るだけで去ろうとしない。


「こんなことでいいんですか? 被害者の──うわぁ!」


 親父が追っかけて行くとようやく逃げていった。


「……事件」


 そのあと親父はなにも説明してくれなかった。

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