58 カミキルタチ

 50万円を灰にした。

 舞った火の粉が少しのあいだ、路地裏を照らす。


「……いくぞ」

「……」


 エレクトラを連れて俺は歩き始めた。

 ここは住宅街だ。

 俺が山崎たちに拉致され、逃げた時に迷った場所。


「あれだ」


 崩れかけた家屋。

 前の時はその塀にずらっと小型の魔鬼フラクがいたのだが、今夜は姿がない。

 土壁と瓦が落ちるのを防ぐためか、亀甲の金網が張り巡らされている。さび付いた古めかしい門も、門柱ごと板が打ち付けられて針金が何重にも巻かれていた。

 人は住んでいないだろう。


 俺は足のかけやすそうな場所を見つけると、よじ登る。


「柴田さん、やめておきましょうよ」

「人が来ないか見といてくれ」


 塀の上から見ると、中は真っ暗だった。

 伸び放題の草と庭木の向こうに、屋敷の白い壁がぼんやりと見える。

 思ったより広い敷地だ。

 暗がりへ飛び下りるより、金網を伝って降りたほうが安全だろう。


「っ……!」


 降りたとき、金網の針金で少し手を切った。

 もう金網自体が錆びている。

 俺はズボンで血をぬぐうと、草むらをかき分けて進む。


「うわっ」


 いきなり段差があって、つんのめる。

 靴が泥に埋まっていた。

 どうも池だったらしい。

 水もほとんど干上がっていて草だらけで見えなかった。


「……」


 俺は足を引っこ抜くと、スマホで足元を照らしながら進んだ。


外津神とつがみじゃ」

「外津神じゃ」

忌み子いみごもおるぞ」

「忌み子じゃ」

「外津神が忌み子を連れて来おった」


 屋敷の縁側にずらりと赤い目が並んでいた。

 土群ツチムレとかいう魔鬼フラクだ。


「よお」


 俺が手を上げると、土群どもがざわざわと揺れる。


「なにをしに来た」

「なにを」

「我らの神域と知っての狼藉か」

「狼藉」

「狼藉者め」


 俺はエレクトラに合図する。


「こないだはよくもやってくれたな。人が困ってる時に──エレクトラ、始めるぞ!」


 エレクトラはスマホを取り出すと、タップして掲げる。


拡張オーグメンテーション!」


 世界が影に沈む。

 それでも現実世界よりずっと視界がいい。

 いや、よく見える……!


 俺はエレクトラが作り出した朱鞘の刀を引き抜くと、踏み込んで土群たちを横なぎにする。

 2,3匹を胴ごと斬り飛ばすと、残りが悲鳴を上げながら散った。


「ヒィ」


 屋敷の縁側に足をかけ、逃げたやつの背中を斬る。

 猿のような、鳥のような悲鳴を上げ、そいつは倒れた。

 真っ二つになった胴のあいだから、血がだらだらと流れ出した。


「……血は赤いのか」


 刀の血を払って、板戸を蹴り倒す。

 まるで時代劇だ。


「この間の鬼ごっこの続きだな!」


 朽ちた畳の上を走って土群の中に飛び込むと、刀を振り回す。

 土群の首や手足が飛んだ。


慮外者りょがいものめ!」


 血の道を引きながら這いずる土群が絶叫する。


「古臭い言葉使ってりゃ、神様っぽいとでも思ってんのか?」

「ただでは済まさぬぞ」

「あーはいはい」


 俺は刀を両手で握り、そいつの顔に突き立てる。

 瞼のない眼球がぴくぴくと痙攣した。


「うぷっ……」


 気持ち悪くなって俺は吐いた。

 この世界でもこんなんになるんだな。


 そのあとも一方的だった。

 たまに反撃してくるやつをいなしては切り捨て、残りをまた追いかける。

 手こずるようならギビョウとスイキョウを呼ぼうと思ったが、必要なさそうだ。経験値の配分も不明だしな。


「エレクトラ、あれで最後か?」

「……はい」


 最後の一匹は部屋の隅で、壁に頭を打ち付けていた。


「かしこみぃ かしこみぃ」


 ごつ、ごつ、と頭を壁に打ち付けるたび、血が飛び散って土群の頭が変形していく。


「かしこみぃ かしこみぃ もうす かしこみぃ かしこみぃ もうす」


 錯乱してるのか?

 たぶんやつの仲間を30匹は斬っただろうから、そりゃそうなのかもしれない。


「……あ!」


 横でエレクトラがハッとしたように声を上げる。


「柴田さん、あれを止めてください!」

「……わかった」


「かしこみぃ かしこみぃ もうす わがちにくを にえとせもうす」


 俺が刀を振り下ろす前に、土群の身体が破裂した。

 花火のように四散した肉片と血が壁や天井に貼りつく。


「なんだっ?」

「新手が来ます!」


 俺は部屋の中央に戻って、刀を構えなおした。

 どこだ?


「したです!」


 畳みを突き破って、なにかが飛び出た。

 俺はとっさに前宙返りをして、それをかわす。


 それは巨大な手だった。

 毛むくじゃらの汚い爪を持つ腕が、床からにょきりと生えている。


「でかいな、おい」

「あれは土妖どようです。あれ以上、こちらには出てこれません」

「ふーん。──なら!」


 俺は距離を詰めると、下から斜めに斬り上げる。

 それに反応して、土妖がぶんと腕が回転させた。

 俺は斬撃を当てたまま、後ろ向けに倒れ込む。

 その鼻先を丸太のような腕がかすめた。


 家の中にあった古い家具が暴風に遭ったように叩き壊され、ばら撒かれる。

 跳ね起きると屋敷を飛び出た。

 でかいだけに、手ごたえがないな……。


 俺のあとを土妖が追いかけてくる。

 畳を押し分け、床を割りながら迫って来るさまは、サメ映画のようだ。


 土妖は俺を叩きつぶそうと、手のひらを広げた。

 俺は腰に差した小刀を引き抜き、投げつける。

 それが手の甲を突き抜けて、刺さった。

 痛いのか、土妖がのたうつように暴れまわる。


 石灯籠が弾け飛び、庭木がへし折れた。

 腕だけだが、まるで獣だ。

 見境なく手に触れるものを握りつぶし、叩き壊す。


 俺は塀の上まで退いた。

 現実世界だと下りるのすらもたついていたのに、この世界ならひと跳びだ。

 

「エレクトラ。あの小刀、分解してこちらで再構成できるか?」

「……それもできますが、招けば返ってきます」

「まじか」


 俺が手を上げると、小刀がカタカタと鳴って引き抜かれ、回転して俺の手にすっぽりと収まる。


「これいいな」

「ですが、柴田さんの手を離れると威力は落ちますし、戻すのにもお供えパワーを使いますよ」

「まあ、奇襲用ってとこか……」


 俺は刀を引っ提げて塀の上を走る。

 土妖は爪を一本一本倒していくと、掴みかかるような形にさせて俺に襲い掛かった。

 俺は塀の上から跳躍すると、土妖の上を飛び越えながら斬撃を叩き込む。

 太い指を切り落とした。

 ばっと血が噴き出す。


 着地すると、そのまま腕の生えている根元へ駆け込む。

 大小二本の刀をハサミのように左右から叩き込んだ。


「ぐうっ……重ぇ!」


 刃が途中で止まってしまう。

 土妖が棒倒しになって俺を潰そうとする。

 刀を引っこ抜いて横に回避。

 今度は左右ではなく、二本揃えて同じ箇所に打ち込む。


 ぶるっと震えながら皮のついた大きな肉片が削れた。

 土妖が血を流しながらのけ反る。

 俺はさらに同じ場所に刃を叩きこんだ。

 斬り取った大きな肉塊の断面には血管や繊維質が見える。

 そうやって肉を削り、骨を断った。

 まるで木こりだ。

 噴水のように流れる出る血を頭から被りながら、俺は巨大な腕を文字通り切り倒した。


「はぁ……はぁ……」


 音を立てて土妖が倒れ、しばらく痙攣したあと動かなくなった。

 俺はまた嘔吐したあと息を整え、ようやく刀を鞘に納める。

 もう刀の血を拭う意味もないほど、全身が土妖の血で染まっていた。


「エレクトラ、いまのでお前の神格ゴッドランクはどうなった?」

「……41になりました」

「よし。この調子で上げていくぞ」

「ですが柴田さん。お供えパワーも5万以上消費しています」

現実世界リアルに戻ろうぜ」

「……」


 エレクトラが目を伏せてスマホをタップする。

 影が晴れて世界がもとに戻った。


 虫の鳴く声が聞こえる。

 草の青臭い匂いと、湿った土の香りがする。

 俺は草むらの中で倒れていた。


「……はぁ」


 立ち上がるのも身体が重い。

 お供えパワーさえあれば、あっちの世界のほうが快適かもしれない。VR空間以上に物理演算がリアルで、身体は小気味よいほど思い通りに動く。


「やっぱリアルはクソだな」


 俺は重い足取りでまた塀を上ろうとしたが、痛みで手を引っ込めた。

 さっき金網で引っ掛けた傷だ。

 傷だって、こっちじゃすぐに治ったりしない。


 俺はポケットをまさぐってハンカチを出した。

 茶色にグレーと紺のラインが入ったオシャレなハンカチ。

 ……和がくれたものだ。


 俺はハンカチを手に巻いて、胸の奥から湧き出るなにかを掌で握りつぶした。

 塀を上って、外に飛び降りる。

 外灯に照らされたハンカチは、血が滲んでいた。

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