57 曇天の下

 俺はグラウンドを抜け、部室棟へ走った。


「エレクトラ、拡張オーグメンテーションの準備!」

「……」

「エレクトラっ!!!」

「……わかりました」


 エレクトラは嘘をついた。

 和は下校していると言った。

 なぜだ?


「今あるお供えパワーをすべて突っ込む。時間短縮も防具もなしだ!」

「……っ! ですが……」

「いいから、やれ!」

「たぶん……必要ありません」

「……どういう意味だ?」


 俺は部室棟に着くと、女子テニス部の部室を探す。

 1階にはない。

 2階へ上がり、「女子テニス部」を発見した。


 すりガラスの向こうに女子生徒の白い背中が見える。

 俺はドアを手荒に開けた。

 部室にいた女子生徒たちが驚いた顔で振り返る。


「……和っ!」


 部室の椅子に和が座っていた。

 他の生徒とは違い、俺が来るのを予想していたようにその顔は落ち着いている。


「柴田……」


 和の前に座っているのは、宮原さんだった。


「ここでなにしてるんだよ」


 俺が問うと、宮原さんが答える。


「……話を聞いていただけよ」

「話って……」

「本当です」


 和が言った。

 それはいつもの和の顔だったが、今まで俺に向けたことのないものだった。他人行儀な、静かに拒絶する視線。


「だ、だけどっ……」

「出ていってくれない?」


 和はなにも言わなかったが、それは無言の同意だった。


「……わかった」


 俺はドアを閉めると、部室棟から離れた。



☆★☆★



 部室棟からテニスコートを抜け、階段を登る。

 俺は池のベンチに座った。

 ここに来るのは久しぶりだ。

 スマホに耳を当てる。


「もう一度、確認するけど。……本当に柴田君じゃないのね?」

「……むしろ私のことを心配して、早く取り下げろと」


 宮原さんと和の声が聞こえる。


「……わかった。じゃあ、尊くんには私からも言っておく」

「お願いします」

「でも期待しないで。私の話なんか────」

「そんなことありません」

「……尊くんは誰よりもあなたのことを心配してる。それだけは本当だから」


 まだ会話は続いていたが、十分だ。


「……エレクトラ、もういい」

「はい」


 音声が切れる。

 俺はスマホをポケットに仕舞った。


「エレクトラ、どうしてさっき嘘をついた」

「……いまお聞きになったとおり、柴田さんが行かなくても大丈夫だと思ったからです」


 いつも俺の周囲をウロウロしているエレクトラだが、珍しく横に座った。

 

「……お前は俺を行かせたくなかったんだろ」

「いま柴田さんが和さんに関わっても逆効果になるだけです」

「逆効果って、なんだよっ? 俺は和を助ける、それ以外はどうでもいい。和が俺のことをどう思うかも関係ない」

「……本当に柴田さんは和さんを助けるおつもりですか?」

「お前、なに言ってるんだ?」


 エレクトラを見つめると、エレクトラはつらそうな顔をして目を背ける。


「……真実を知ったら、和さんはどう思うでしょうか」

「知らせるつもりはない。知らなくていい」


 自分も知らない願望が、人を傷つけたいだなんて和が知ってしまったら、いまより辛くなる。これ以上の痛みを感じる必要なんてない。


「和さんが柴田さんのやり方を望まないと分かっていて、このまま続けるのですか?」

「他に方法はない」


 俺は立ち上がると階段を降りた。

 下から和が登ってくるのが見えた。

 走ってきたのか、息を切らしている。


「先輩……!」

「……生徒会選挙。立候補するのか?」

「……はい」

「どうしてだ?」

「先輩が立候補したのと同じ理由です」

「……鳴子になにか吹き込まれたのか?」

「いいえ。私の考えです」

「取り消してくれないか? ────もう他のことはなにも言わない。変なことに巻き込んだりもしない。つきまとうのも辞める。俺のことを軽蔑してるだろうけど、お願いだ」


 俺を見つめる和の顔が崩れそうになる。

 それを耐えるように唇を噛みしめると、和は首を振った。


「……和。このままだと大変な事に巻き込まれてしまう」

「大変なことって……。あのときみたいなことですか?」

「次は和がああなるかもしれない」

「それを防ぐのが先輩の目的ですか?」

「……そうだ」

「エレクトラっていう人と?」

「……和、もう時間がない。俺よりキミが目立っちゃダメなんだ! 立候補を、取り消してくれ」

「……」

「頼む」

「……わかりました」


 よかった。

 これでなんとかなる。


「そのかわり、約束してください。私のためではなく、自分のために選挙を戦うと。そして……二度と私に関わらないでください」


 俺はすぐには答えられなかった。

 覚悟はできていたはずなのに。

 いや。これが俺の目的だ。始まりのゴール。

 他のものは捨てろ。すべてを捨てろ。なにかを得ようとするな。


「わかった」


 俺が言うと、和はしばらく黙っていた。

 真っ直ぐに俺を見て。


「ありがとうございます」


 そう言うと階段を引き返していった。

 俺はその背中を見るのが辛くて、天を仰ぐ。

 空は低く重く、薄曇りだった。



☆★☆★



 俺はATMで50万円を引き出した。

 その足でバイトへと向かう。


 バニャはあいかわらず俺に腹を立てていて、ろくに話そうとしない。今日もまたティッシュ配りを押し付けられた。

 俺は念の為、封筒に入った50万円を丸めてポケットに入れていた。

 これだけの金額だと、さすがにかさばる。

 ペットボトルを突っ込んだみたいに、ズボンが無様に膨らんでいた。今まで手にしたこともない大金だったが、俺のイメージする「札束」よりは少ない。縦にして立つほどの厚みもない。

 それでもこの金は力になる。


 俺はティッシュを配り続けた。


「……雨が降ってきました。柴田さん、戻りましょう?」


 横でエレクトラが言ったが、俺は無視した。

 これを配り終わるまで戻るつもりはない。


 傘の波の中で俺は配り続けた。

 雨だと言うのに人がこんなにも多い。みな傘を指している。

 どうして俺は天気予報を見なかったのだろう。みんなのできることが出来ないのだろう。

 ティッシュはちっとも減らなかった。


「くれよ」


 立ち止まった傘から手が出る。

 俺はその掌にティッシュを乗せた。

 それでも立ち去らないので顔を上げる。


「よお」


 山崎だった。


「……メール、ありがとうございました」

「見かけたもんで余計なことかもと思ったが、あんなことがあったしな」


 やはりあれは山崎だったのか。


「なにもありません。大丈夫ですよ」

「……そうか」

「……」

「明日から休んでた連中が登校してくる」

「……」

「頼める立場じゃないが、もう眉村妹にもお前にもちょっかいは出させないと約束する。だから勘弁してやってくれ」

「……できません」

「眉村妹は、そうは言わなかったが」

「俺とはもう関係ありません。縁を切りました」

「……このあいだ、俺のところにも話しに来た。お前と何かあったら、自分に言って欲しい。全部責任を取るから、お前を許して欲しいって」

「……」

「お前はなにか恐ろしい力を持ってるんだろ。詮索するつもりもないし、できれば関わり合いたくない。あんなおかしなこと、人生で2度も起これば十分だ。────こうやって、お前に頼むしかできないが」


 山崎はそう言うと、傘を置いて膝をついた。


「許してやってくれ。普通の学校生活に戻してやってくれ」


 手をついて頭をアスファルトにつける。

 通り過ぎる人が次々と振り返った。

 いままで土下座をされたことなんて無かったが、気分のいいもんじゃないな。バカバカしくて、滑稽で。


「じゃあ、選挙での協力をお願いします。空手部のです。それと和の立候補を仕組んだ張本人、教えてください」

「……協力はするが、そいつらにも手を出さないでくれないか? あんな目に遭ったら……とてもじゃないがまともでいられない」


 山崎は思い出したのか、呼吸が早くなって苦しげに肩を上下させている。


「虫のいい話ですね」

「それは分かってる。でも……でもな、俺たちはただの学生なんだよ。ただ楽しい学校生活を送りたい。ただ仲間を守りたいってだけで……」

「あのとき俺は山崎先輩にお願いしたけど、聞いてくれましたか?」

「悪かった……。この通りだ」


 いまさらガキだから許せと?

 ただ土下座をしたぐらいで、自分たちの世界が戻ってくると思っているのか?


 こいつを踏みつければ気が済むだろうか。

 蹴りつければいいのか。


 たぶん、そんなものは土下座と同じだ。

 なんの価値もない。

 もう俺には……。


「わかりました」

「助かる……」

「名前とアドレスをメールで送ってください」

「わ、わかった」


 山崎が立ち上がるとメールで二人の女子生徒の名前を送信してきた。

 俺は確認するとスマホを仕舞う。


「なにもしないと約束してくれるんだな?」

「手加減はしますよ。……殺さない程度に」


 山崎の顔は青ざめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る