21 缶詰ブルネット

「エレクトラ、聞きたいことがある」

「怖いのはナシですよー?」

「返答によっては、怖い思いさせるぞ」

「お手軽に脅迫はやめて下さい」


 昼間にお布施の力を使い果たしたため、エレクトラとはチャットだ。

 焼け石に水かもしれないが、とにかく俺の夕飯をお供えする。


「それより。このミルク、生ぬるいんですが……」

「常温保存できるロングライフミルクだからな」

「はあ。……ん、あれ、コクがあって美味しいですね」

「好きなだけ飲め。しばらく続くから」

「これ、アンパンとか欲しくなりますね」

「お前は張り込みでもするのか。まあ、アンはないが、パンならあるぞ」


 俺はパンの缶詰を開ける。もちろん、これも保存食だ。


「まず、眉村やまとのことだ」

「おっしゃったとおり、できるだけ集めましたよ? かなりの量でしたけど」


 眉村和はイジメを受けている。

 その証拠──クラスメートにとっては記念──が彼女たちのスマホにはたくさん残されていた。心ない嘲笑の言葉とともに。ずぶ濡れの持ち物や、捨てられた物、壊された物、傷つけられた物、隠された物……。

 眉村和自身には、水をかけるのがほとんどだった。初めて会ったときも、今日も。そういうことだったんだろう。


 画像を見ている俺でさえ、一枚一枚開くたびに心が痛んだ。自分の身の回りの物、思い出の品、お気に入りを壊され、捨てられて、そのたびに眉村和の心はどれほど傷ついたのか。



☆★☆★



 俺は放課後の生徒会室で、最後にいん華子はなこに訊いた。


「それは眉村和さんが弱いからではないでしょうか?」

「いやっ、そういう意味じゃなくて……経緯っていうか」


 こいつ、なんなんだ。

 俺がイライラした様子を見せても、平然としている。


「きっかけは、彼女の入学前のことです」

「入学前? この高校に入る前?」

「そうです。人は期待する生き物です。その期待が裏切られた時、いともたやすく憎しみを向けますから」

「……いや、分からないですよ。なぜ、眉村さんに期待を?」

「彼女にはすこぶる人気者の兄がいたからです」

「は、はあ? 眉村たける?」

「血を分けているのだから、兄のように美形で人当たり良く、趣味も合うに違いない。好ましい人物がやってきて、自分たちの学校世界はより完璧になる。そんな新しい偶像アイドルがやってくると妄想したわけです」


 兄がリア充勝ち組だから、妹も同じに違いない。

 自分たちの仲間が増える。

 そうでなくてはならない。


「なんだよ、それ……」

「残酷ですね、人は。勝手に期待して押しつけて。相手の気持ちなどかえりみない。迷惑だと断ると、お前は何様だ思い上がるなと怒り出す」


 院華子の目の奥に、暗い陰が見えた気がした。いいようのない不安を呼び覚ます色。やっぱりこいつ、どこかおかしい。


「そりゃ兄妹で似てないなあ、と俺も思ったけど……」

「和さんはお兄さんにも引けを取らない美貌を持っていますよ。柴田くんも分かっているのではないですか?」

「そ、それは、まあ……でも感じが違うってか」


 眉村と和は、動と静、火と水のように正反対だ。


「和さんはそれを誇ろうとしなかった。隠した。生徒会風紀である私は、入学前に彼女から一枚の書類を受け取りました」

「……書類って?」

「地毛証明書」

「え? 地毛、証明書?」

「生まれ持って黒髪でない生徒が、髪を染めていないという証明です。もっとも、我が校は髪の染色について禁止していませんけれど」

「いや、でも眉村さんの髪って……」


 真っ黒だ。


「彼女の本来の髪は、金髪ブロンドです。栗毛のお兄さんよりも遥かに明るい」

「えっ……なんで、そんな……」

「日本人と西洋人のハーフで瞳や髪に明色が出ることは、ほとんどないそうです。金髪碧眼で生まれたとしても、成長するといずれ黒か茶色──濃い色に落ち着く。でも、ごくまれに明るい瞳や髪がそのまま残ることがあると。和さんの申し出で、私も初めて知りました」

「じゃあ眉村さんは……」 

「注目されることを嫌って中学生の頃から黒く染めていたようですね。もしかしたらその頃からイジメを受けていたのかも。この高校に入学したのも、染髪を禁じる校則がないからでしょう」

「いやでも、そんなあべこべな話」


 地毛証明書で金髪が自然のものと証明されたなら、それで過ごせばいいわけで。

 わざわざ金髪だと説明して、黒に染めるってどういうことだ?


「黒ければ誰も何も言わないでしょうけど、和さんは根が真面目なんでしょう。学校側も目立つことを避ける行為には理解を示します。原理原則の前に、情緒があるということです」

「たったそれだけが……イジメの理由?」

「彼女は期待を裏切った。兄の代理を断った。社交的でもないようですから、すぐ孤立したのでしょう」

「なぜ、生徒会や教師は嫌がらせを分かっていながら止めないんですか?」


 いや、これは俺にもわかった。


「──眉村さんが否定したから……か?」

「被害者がいなければ、私どもにはなにもできません。疑わしきは罰せず。それに学校とは小さな社会です。人が集まれば衝突はあるものでしょう、柴田君?」

「それとこれとじゃ、話が違うだろ!」


 俺が眉村尊と一悶着あったのには、それなりの理由がある。ただ気に入らないからと一方的に物を壊したり、水を浴びせたりするのと同じではない。


「入学以来、和さんはあなた以外に怪我を負わされたことはありません。被害がない。証拠もない」

「いや、証拠なら……!」

「あったとして、彼女が否定してしまってはどうにもなりません。学校側も父母会も聞く耳は持ちませんよ。未熟な未成年のイタズラとイジメに明確な境界線を引くのは、それぞれの主観でしかありませんからね」

「じゃあ、放置するということですか」

「和さん自身が対処するしかありません」

「誰かが手助けするのは?」

「……」


 院華子はなにも言わず微笑んだ。

 勝手にやればいいが、トラブルは起こすなということだろう。

 ずるいやり方だ。


「……わかりました。ありがとうございます」

「どういたしまして」



☆★☆★



 眉村和は入学前から、眉村尊の妹として期待された。

 モデルばりの目を引く容姿で、運動も抜群の才能。明るく誰とでも仲良くなれる性格で、校外でさえ知られている人気者。学校のスター。


 そんな人物に一歳下の妹がいたとしたら、誰しも興味を持つものだろう。

 芸能界でもよくある話だ。


 眉村尊ファンクラブの女子たちならば、同性の妹と仲良くなって兄のほうともお近づきになりたいとか、自分のグループにイケてる仲間を増やしたいとか、俺にはバカバカらしいと思える下心だって持つかもしれない。


 だが、眉村和はまるでそんなものとは無縁の存在だった。

 目立つのを嫌い、人と話すのも苦手だった。

 読書を好み、物静かで、兄の話題を避けすらした。


「なんなの、あいつ」

「調子ノってんじゃねえよ」

「根暗ブス」

「残念ハーフ」

「血つながってないんじゃないの?」


 メッセージのやり取りは吐き気がするような悪口で埋められていた。

 1年生だけでなく、グループつながりで2年生、3年生にまでその悪意のメッセージ交換は続いている。


 さらに始末が悪いのは、彼女たちが巧妙に眉村尊からそれを隠しているということだ。眉村和が兄に言わないのを確認して、それを悪用した。

 そんなことになっているとは知らない眉村尊が妹を構えば構うほど、眉村和への風当たりはきつくなった。


『あ、サッカー部とかならまだ練習してるし、救急箱とか──』

『大丈夫ですから……!』


 図書館でぶつかったときのあのきつい口調は、そういうことだったのだ。

 自ら関わりを持たず孤立していたあの眉村和が、放課後2年の男子生徒と一緒にいる。それは格好の餌食だった。


 眉村尊に教えてぶつければ面白いことになると、すぐ思いついたに違いない。

 なるほど、俺の名が売れるわけだ。


「とばっちりもいいところだわ」

「どうしますー? とりあえずスマホハックして、恥ずかしい個人情報とか流出させちゃいます?」

「スナック感覚で犯罪助長すんな」


 俺の気分はスッキリするかもしれんが、それじゃ何も変わらない。


「んー。これがマンガなら、F4みたいなハイスペック美少年が颯爽と現れてワッショイで解決するんですけどねえ……」

「いや、俺財閥の跡取りじゃねえし」

「天パぐらいなら、なんとかできません?」

「解決せんわ! ──まあ、配られたカードでやるしかないな」

「あれ、カード配られてましたっけ?」

「まさかのノーカード!? そこは『柴田さんらしく、コツコツやりましょう』とか励ますもんだろ!」

「でへへ、甘えてるんですかぁ?」

「お前じゃバブみも感じんし、オギャることもできんわ!」


 俺はパンをミルクで流し込んだ。

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