19 深碧レイン

 既読スルーされた……。

 眉村やまとにメッセージを送ったのは3限目直前だったが、4限、昼休みに入っても返事は来ない。


「柴田さん……」

「ちょっとまって、いま耐えてるから! 潰れそうなの耐えてるから!」


 なにこれ辛い! えぐられるようにきついんだが!

 食欲もゼロ。むしろ吐きそう……。


「何か事情があってのことかもしれませんよー?」

「だっておまえ、身に覚えがありすぎて……」

「手をギュッとしたり、ハンカチをクンカクンカしたり、つねに挙動不審だったからですか?」

「やめろ! ふさがってない傷を抉るな!」

「しょうがないですねー。私がちょっと見てきてあげますよ」

「いや、いいって! やめとけ、なっ?」

「さーちんなーう」

「もういいんだってー……」

「んー……ん?」

「ブロックされてたら、そっとしといてね……」

「予防線張ってもダメージ変わらないんじゃないですか?」

「……うん」

「……柴田さん、これ」

「え?」


 エレクトラが俺のスマホに送ってきたのは、一枚の画像。

 木の茂みで切られた空が見えている。そして端にはわずかに建物が入っていた。間違いなくうちの校舎だ。このアングル、人が持ってる高さじゃないよな。


「外だな、これ」

「位置はあっちです」

「1年学舎か」

「落とされたんでしょうかね?」

「っぽいなあ」


 既読スルーじゃなかった。ホッとした。

 しかし、違う疑念が湧く。落としたなら別のスマホやPCを使って位置情報で探すことができるはずだ。ただし、それを貸してくれる友達がいればの話。

 俺は辛うじて男衾おぶすまがいるので頼めるが、眉村和はどうなんだろう。


「これ、今撮ったの?」

「ですよ」

「ふー……。行くか」


 俺は弁当の匂いと楽しそうな会話に満ち満ちた教室を出て、1年学舎の裏へと向かう。外は生ぬるい風が吹いていた。

 俺は上を見上げ、足元を見下ろしと交互に繰り返しながら目星をつける。


「この辺りか?」

「位置はだいたい」


 眉村和のスマホへメッセージを送る。


 ポロン♪


「お」


 茂みの影にぽつんとスマホが落ちていた。

 見覚えのある眉村和のスマホだ。俺のメッセージを受信して、画面が光っている。

 拾い上げると、その液晶にぽつ、ぽつ、と雨が落ちてきた。すぐ雨足は強くなり、本降りになる。


「天気予報外れだなー」


 俺は急いで校舎に戻ると、眉村和のスマホをポケットに入れた。

 廊下を進んで、横目でチラチラと1年の教室を見て回る。眉村和はたしか1-Dだったか。


「雨が降る前でよかったですね~」

「あのへん、でかい水たまりになるからな」

「あら、お詳しい」

「水はけ悪りぃし、ヤブ蚊は多いし、トイレの窓近いし、飯食うのには向いてないんだよなー」

「……お察し」

「勘のいいガキは嫌いだよ」


 俺が目立たないよう1-Dの教室をチラチラ見ていると、一角で小さな笑い声が聞こえた。そして交互にこちらへ視線を送ってくる女子生徒のグループ。

 わざとらしく違う方向を見たりしているが、口が動いてるんだよ! しまいには堪えきれなくなったのか、顔を寄せてくすくす笑ってやがる。


 俺はなぁ、俺の噂話をしている奴らのことは声が聞こえなくても分かるんだよ!

 俺は歩きだした。眉村和はいないっぽい。


「なんだ、あいつら!」

「柴田さんもある意味、顔が売れてきましたからねえ」

「いや、でもなんで笑うんだよ。俺が加害者だろ! 眉村は被害者なんだよ! 不審者が来たんだろ! 警戒しろよ! なんで笑うんだよ! 何が面白いんだよ!」


 嫌な予感がする。

 だが、そんな予感はクソだ。俺は勘なんて信じない。そんなものは特大のそびえ立つクソだ。

 俺は苛立ちながら図書館へ向かう。そこぐらいしか、思い当たらない。


「エレクトラ、あいつらのスマホハックして撮った画像とメッセージ調べろ」

「かまいませんが、お供えのたまった分なくなっちゃいますよ?」

「いい。あとで見るからありったけ集めとけ。足りなけりゃ、またお供えしてやる」

うけたまわりです!」


 図書館の前に眉村和が立っていた。下を向いて。


「あ、やあ」

「こんにちは……」

「あのさ、これ」


 俺はスマホを取り出して、眉村和に差し出した。


「あっ……。あの?」

「え、っと。……拾った。うん。たまたま見かけて、このスマホ見覚えがあるなっていうか。俺……1年の時からあそこらへんよくウロウロしてたから」

「ありがとうございます。本当に。……お返事できなかったので、ここで待っていました」

「あ、そうだった!」


 俺はポケットから出してちょっと後悔した。よく考えてなかったけど、ハンカチをコンビニのレジ袋に入れるってダメダメだろ。せめて紙袋とかさあ……。

 ガサガサとレジ袋から出して、ハンカチを渡す。


「なんか雑で悪い」

「いえ。私も先輩に謝らなければいけなくって……」

「……え?」

「お借りしていたハンカチ、なくしてしまいました」

「俺のって、なにかあったっけ?」

「ぶつかったとき、お借りしていたんです」

「そうだったっけか」


 ああ。

 図書室でぶつかった時、眉村和の肩が濡れてたんでてっきり俺は飲み物をこぼしたのかと思ってハンカチ出したな。動転してて気づかなかったけど、ハンカチ渡したのか。


「ごめんなさい……」

「いや、いいって。まだハンカチあるし」

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 眉村和は消え入りそうな声で繰り返すと、黙ってしまった。

 上履き、ずぶ濡れなんだよな。雨……じゃないよな。今さっき降ってきたばかりだし、雨に濡れるぐらいなら制服も濡れてるはず。


「……ちょっと場所移さない?」


 眉村和はうつむいたままコクリと頷く。

 俺たちは階段を上がり、特別教室の階へ移動する。その廊下の端っこ、非常階段の踊り場に出た。


 ここは各学年の学舎から遠いし、グランドからも死角。フェンスの向こうは山だ。昼休みにここで誰かと出会ったことはいままで一度もない。


「イエスかノーかだけでいいんだけどさ」

「……」

「もしかして、嫌がらせされてる?」


 イジメ、とははっきり言えなかった。その言葉は軽すぎる気がしたし、重すぎる気もした。

 雨が激しいせいで非常階段のあちこちにぶつかった雨粒が飛沫しぶきとなって、眉村和の髪を濡らした。


 うん、と言って欲しい。

 そう思った。

 言われても、俺に何ができるかなんてわからないが。何もできないのかもしれないが。


 ──眉村和は小さく首を振った。


「……そう、か」


 なぜ苦しいんだろう。ただ、いつものことなのに。


 ポケットで俺のスマホが震えた。一度、二度、三度。

 非常階段から見える裏山。手入れもあまりされていなさそうで、ボロ布になった衣類や腐りかけた家具が捨てられている。雨の白い筋の向こうに見えるその山の木々が揺れた。


 木々には若葉が生えていたが、そのかげがじわりと動いた。

 じわり、じわりと動きだした陰は固まり、重みに負けたように枝々からぶら下がる。あちらに、こちらに、向こうに。


 わだかまる陰のような、青黒い肉の塊のような、それがクリスマスの飾りみたいにあちこちで吊り下がって膨らんでいく。いびつに膨らみながら脈打ち、あちらこちらと破れ潰れながらそれでも無理に膨らんでいく。

 その泥のような肉の動きのなかで、あえぐように動く口が見えた。それが溺れるように埋まり、また別の箇所から出てきては肉塊のなかに溺れる。


「……っ!」


 全身から冷や汗が出た。

 前に図書室でみたヤツか?

 数が違う。でかさも違う。たぶんエレクトラのメッセージを見なくても分かる。これダメだ。逃げたほうがいい。


 しかし……あれはなぜいま出てきた。なぜ眉村和といると出てくる。

 いや、街で会ったときはいなかった。

 なぜ。


 俺はもちろん、眉村和も避難させるべきだ。

 でも、できるだろうか。きっと。なら────


「ま、眉村さん。この学校ってクソだよな!」

「………」

「2年目だから分かる。この学校はクソだ。学校だけじゃない、この世界もクソだ。この世にはクソか、もっとクソしかない。俺はそう思う!」


 俺は冗談めかした口調で言ったが、和は微動だにしない。

 どうやれば、彼女を慰められるんだろう。


「────誰も見向きもしない。そのくせ、放っておいてくれない。近づいてくるのはウソばっかりで、汚くて醜くて酷くて最悪だ。怒鳴って殴って相手を黙らせようとする連中しかいない最低最悪の世界だ」


 どうすれば伝えられるんだろう。


「でも……俺もクソなんだよ。そんな世界で意地汚く自分の事しか考えないで、心のなかでは他人を殺して生きてるんだから。そんなの分かり合えるわけがない。分かり合えるわけないのに、みんな分かり合えてるフリをしてる。みんな知ってるくせに、誰もそれを教えてくれない。それがやっと分かったときには……一人になってる。どうしようもない自分しかいない。ほんと終わってる。腹が立って仕方がない。でもさ────」

「……」

「最近、コミュ障のくせに会話しようとしたり、伝えたいって思うことがあって。自分なんかじゃ、無理なのはわかってる。でも、その無理を通したいっていうか。あとで思い出しては落ち込むんだけど、そのときは吹っ飛んでるんだ。夢中になって必死になってバカになって、許せないこの世界も、救えない自分のことも、ころっと忘れてる。分かり合えないのが当たり前なのに、なんとかしたいってさ。どれだけ話しても、通じていないかもしれないって怖くて仕方ない。なのに……」


 どれだけ言葉を重ねても無意味だろう。

 俺の空虚な言葉なんてきっと通じない。

 それでも何かを言わなければ気が済まない。ただ何かを察して行動するなんて立派な人間じゃないから。


「────カラオケ案内できなかったし。情けなくて逃げ出したし。それなのに、すっかり自分は気を良くしてる。まんざら世界も悪くないんじゃないかって。仕方ない、今日も目を開けて起きるかって。学校に行けば、もしかしたらまた話せるかもしれないから、次のときは聞こうと思ってたんだけど……」


 眉村和が顔を上げた。

 初めてちゃんと見たその目は、深い緑色をしていた。


「一人カラオケ、楽しかった?」

「はい……!」


 眉村和の瞳から涙がこぼれだした。

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