11 終末ハンバーグ

 俺は帰宅すると部屋で着替えてから、一階へ降りた。さらに地下へと降りる。

 地下一階があると話すと、さぞかし大きな家だろうと誤解する人がいるが、そうではない。この地下室はあとで工事をして無理矢理に作ったものだ。


 急な階段を降りてすぐに扉がある。

 コンクリート製でバカみたいに分厚くてアホみたいに重い。それを押すように開けると、狭い小部屋があってまた鋼鉄製のゴツい扉がある。

 そこを通るとコンクリート打ちっぱなしのだだっ広い部屋に出る。壁には太いパイプが走っていて、所狭しとスチール棚が並んでいる。


「父さん」


 スチール棚には缶詰や瓶詰、そのほかダンボール箱がびっしりと並んでいる。それを点検しているのが俺の親父である。


「……ああ」


 親父は保存食の消費期限を一つ一つ確かめては、期限間近のものを段ボール箱に入れている。あれがこれからしばらくの夕飯だ。


「あのさ、学校で女の子怪我させちゃって」

「……症状は」

「手首の捻挫」

「応急処置は」

「昨日の話だよ」

「なら湿布とサポーターか」


 親父は缶詰を置いて、医薬品の棚を漁り始める。


「いや、それはもうたぶんある」

「サポーターはアスリート用のほうが使いやすい」

「わかった、言っとくから。……俺、謝りに行こうと思う」

「上手く交渉しろよ。弱みは見せるな」

「……それで小遣い前借りできないかな」


 親父は手を止めて、初めて俺を見た。


「金を要求されているのか?」

「いや、そうじゃなくて。手ぶらで行くのも、さ」

「そうか」


 親父はポケットから折りたたんだ紙幣を出して俺に渡した。


「ありがとう」

「いいか、金は貯めるなよ。必ず物に替えておけ」

「わかってる」


 俺は階段を上がった。



☆★☆★



 さて。

 もしかして親父が一緒に来てくれるのではという一縷の望みはあっけなく断たれた。初めから可能性はないと思ってたけど。


「あのー、カメラがなかったので見えなかったですけど、音の反響からして地下室ですか?」

「核シェルターな」

「はあ。なんというか用意周到なんですね』

「うちの親父は近く世界の破滅が来ると思ってる、それに備える人プレッパーなんだよ」

「なるほど。──えーっと、ネット検索するとそういう人たちがけっこういると出てきますね」

「そ。変わり者だけど珍しくもないってことだ」


 俺はコンビニで贈答用のクッキーを買い、立ち読みで時間を潰す。8時に眉村家に行くと伝えてある。


「お、これ」


 俺は雑誌の横に並んでいる厚手の雑誌の一冊を手に取る。いわゆるコンビニ本てやつだ。気になったタイトルがあったが、立ち読み防止にがっちりテープで封じられている。裏返して価格を見ると、1100円とある。


「く、微妙に高ぇ……」


 残金3000円でこれはきつい。しかも前借りなわけで。エレクトラにタカられ続けていれば、いつかマイナスになるぞこれ。バイトとかしたくねえし……。

 俺はそっと本を棚に戻して、他の雑誌を漁る。


 そうするうちに時間が近づいてきた。

 俺はコンビニを出て、眉村やまとに教えてもらった住所を目指した。幸い最寄り駅は定期券を使える範囲だった。

 住宅街の中のごくごく普通の一軒家に、「眉村」という表札がかかっていた。


「押したくねえなぁ……」

「あれだけ毎日マウスやキーボード連打してるのに、インターホンのボタン一つ押せないって皮肉ですね」

「と、皮肉しか言えない女神(ランク7)が申しております」

「……ボッチバタさんのためにボタン、ハックしてあげますね」

「おい、心の準備!」


 ピンポーン。


 こんの違法女神め……。


「あー、えん!」


 咳払いして俺がインターホンの問いかけに答えようと顔を近づけていると、ドアが開いてムスッとした眉村が出迎えた。

 時間指定してるんだから、そりゃそうか。てっきりインターホンでやり取りしてからだと思っていたので、すごい間抜けだ。


「……どうも」

「入って」

「お邪魔します」


 眉村の背に従って玄関に入る。


「まーまーま、いらっしゃい」


 廊下の向こうからやたら明るい声がした。ほっそりとした優しそうな女性──眉村兄妹の母だろう──がやってきて上がりかまちで膝をつく。スカートにブラウス、ストッキングの姿は、俺の思う「お母さん」というより、駅で見かける「お姉さん」といった感じだ。

 俺も自然と腰が低くなった。


「どうも。……あの、これつまらないものですが」

「あら、お気遣いなく。いいのよ、そんな大したケガでもないし、ぶつかっちゃっただけなんでしょ」

「いや、僕が不注意だったせいというか、眉村さんには申し訳ないというか。昨日のうちにお伺いするべきでした」

「私も昨日の夜遅く話を聞いたところだったのよ」


 階段から眉村和が降りてくる。


「本当に改めてすいませんでした」


 俺は眉村和に謝り、それからその兄にも頭を下げた。

 眉村母は眉村和を振り返る。


「和?」

「不注意なのは私のほうです。色々とごめんなさい」

「柴田くん」

「はい」

「学校から連絡も頂いてるし、お互いに不注意だったんだからこれで終わりね」

「でもその、病院とか」

「大きなケガでもないし、学生なんだから。たけるだって部活でケガばっかりよ。あなた一人が悪者にならなくていいの」

「……ありがとうございます」


 ほっとした。情けないが、高校生にもなって涙が出そうになった。

 眉村は尊という名前らしい。ハーフにしては兄妹そろって和風だ。このお母さんはどう見ても日本人だから、お父さんが外国人なのだろうか。


「柴田くん、ご飯はもう食べた?」

「あ……はい」

「今日は頑張ってハンバーグ作ったんだけど、ちょっとぐらい食べれるでしょ?」

「いえ、あの、すいません」

「でも美味しいのだったら別腹よね? 二人とも大好きなの」

「お「母さん!」」


 兄と妹がそろって声を上げた。



☆★☆★



 帰宅。

 俺は自室の椅子にぶっ倒れるように腰掛けた。


「はー、終わったー!」

「まさに杞憂でしたね」

「……どうだろうな。眉村兄は気が済んでないんじゃないか」

「えー。自分から家に呼んでおいてですか?」


 怖いのであまり見なかったが、眉村はなにか苛立っていたように思う。

 昼間に校庭で会ったときは満身の怒りを抑えている感じだったが、夜はその延長ではない気がした。


 普通に考えれば、眉村は昼の怒りを開放して俺にぶつけてくるはずだ。すぐ謝罪に来なかったことなどを責めて、それに俺が謝るという筋道を俺も予想していた。ところが眉村はほとんど何も言わず、俺にとって幸いというべきか、母親が応対してくれた。とても優しく。


「……ああ、そうか」


 眉村母は言っていた。

「私も昨日の話を聞いたところだった」「頑張ってハンバーグ作った」


 言い換えれば、眉村母は夜遅くに帰ってくるような人で、普段は頑張ってハンバーグなんて作らないということだ。


 なぜならブラウスやスカート、ストッキングを履いて、駅で見かける「お姉さん」のように仕事しているからだ。──まあ、家事を放棄して深夜まで遊び歩いているOLコスプレが趣味のお母さんという可能性もあるが、それより前者の確率のほうが高いだろう。


 つまり眉村母はいつもより早く帰宅し、俺が訪れる8時までにハンバーグを頑張って作った。着替える間もなく。なぜなら急なことだったから。急に俺が謝りに来ると知ったからだ。


 なら、それをどうやって知ったのか。


 言うまでもなく。

 眉村和が告げたからだ。逆説的に言えば、眉村兄──眉村尊は母親が不在の状態で俺を待つつもりだったのだ。

 ところが母親の帰宅によって阻止されてしまった。思惑が外れた。


「これでよかったんだろうか」

「え、どういうことですか?」

「ちょっとな」

「ちょっとなんです?」

「いや、気のせいかもしれないから」

「だから、なんです?」

「言うほどのことじゃないって」

「もったいめかして、わざとらしいですよ! 推理ものならここでペラペラ喋りだす場面ですよね?」


 エレクトラのことだ、どうせ好奇心から食いついてるんじゃなくて、自分だけ除け者にされるのが気に食わないだけだろ。


「せっかく私が聞いてあげると言ってるんですから、話してくださいよ。何か力になれるかもしれないじゃないですか」


 あれ、意外と親切心からなのか?

 まあこいつなりに励ましてくれてるのかもしれんな。


「わかったわかった」


 俺は簡単に自分の気がかりを話した。


「あっはっはっはっは! 気にしすぎですよ! そんなちょっとしたことでクヨクヨ悩んでるなんて、さすがボッチバタさんですね!」

「こんの野郎……」


 やっぱりこいつダメなやつだ!

 清々しいほどに爆笑しやがった……。


「いいですか、たとえ事実がそうだったとして、眉村のお兄さんにこれ以上できることはありません。眉村和さんが了承して、母親ももういいと言ったのですから、解決ですよ」

「……そうだといいけどな」

「もー、ほんとに心配性というか、そんなビクビクオドオドしてるから人と仲良くなれないんですよ、柴田さんは生まれながらのボッチですねー。ナチュラルボーンボッチですね」

「……ペンペン」

「あれ、どうしたんです? ボッチだからっていまさら浅はかなキャラ付けですか? 柴田人鳥ぺんぎんとでも改名でもするんですか?」

「えーっと、御神前……」

「お気を確かにお持ちください。ボッチでも人と話してるとき妄想に逃げるのはよくないですよ。まして神を前に……え?」

「柴田獅子虎……と」


 筆ペンで紙に書く。

 それを夕飯である乾パンの缶詰──親父が地下室から持ってきたもの──に貼り付けた。


「それはいったい何のマネですか、柴田さん」


 エレクトラがスマホごしに尋ねてくる。

 俺は帰り道にコンビニに再び寄って、一度は諦めたコンビニ本を買っていた。それを電車で読んだ。本のタイトルは「これ一冊でわかる! 神道のすべて」である。


 神へのお供え物はどうすればいいのか、それが知りたかったのだ。が、本は神道の歴史やら神々の解説、各地の神社などの情報がほとんどで、神様に供える作法などの詳しい方法などはなかった。ただ奉納そのものがイベントとなっている事が多いので、そういった紹介のコラムや写真などでなんとなく察しはついた。収穫物を捧げたり、歌や踊りを見せるというように千差万別としかいいようがないが、「神を喜ばせるため」に「自分たちにとって価値あるものを捧げる」ということで共通している。

 なら俺にとって大事なメシを神様に捧げりゃいいんじゃね? というわけで、乾パンをお供えしてみた。


「よろしくお納めください。かしこみかしこみ申す、と……どう?」

「あまりに安直です! そんなもので私が……パリパリ……随分これ固いですね」

「保存食だからな」


 どうやら無事、神界あっちにも届いたらしい。現物は俺の目の前にあるんだが。


「あ、そうではなくて! まだ柴田さんは神への敬意というものが分かっていないようですね。今時の神である私が……この結晶はなんですか?」

「氷砂糖だな」

「まったくこんなもので私が懐柔できると思っているなら……ンン、これはこれで優しい素朴な味わいが……」

「砂糖だからな」

「なるほど、こうやって乾パンを食べて乾いた喉を潤すという知恵ですね……ふふ、人間、やりますね」


 女神はまんざらでもなさそうだった。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る