10 ボリューム・メモリー

『兄が失礼なことをしてしまって、本当にごめんなさい。怪我とかありませんか?』


 午後の授業が始まってすぐ、眉村和まゆむらやまとからメッセージが来た。

 俺はぼんやりとそのスマホ画面を見ていた。


「そうですよ、あっちだってぼーとしてたんですから。あれは事故ですよ」


 エレクトラが横槍を入れてくる。それがちょっと嬉しかった。調子に乗りそうなので本人には言わないけどな。


『大丈夫です。お兄さんの言っていることは、もっともだと思います。今日の放課後、眉村さんの家に謝りに行くつもりです』

『これ以上謝罪なんて必要ありません。私の不注意が原因です。兄には私から言っておくので、気にしないでください』

『お兄さんはそれじゃ納得しないと思う』

『でも、こんな大袈裟にするようなことじゃないです』

『とりあえず放課後、話しませんか?』

『……わかりました』


 俺の斜め前の宮原さんは背中からも分かるぐらい、ションボリとしていた。

 なぜ弁当が机の中にあるのか、理由は明らかだ。眉村が俺を探し出すため、食堂に来なかったせいだ。

 彼女もすでにそのことを知っているに違いない。今朝、宮原さんと話していた女子生徒二人が、昼休みのあと教室に帰ったとき、俺にきつい視線を向けてきたからだ。


「エレクトラ、俺の起点マーカーレベルいくつになった?」

「……15、です」

「ははは、眉村すげえな」


 たったあれだけのやりとりで5も増えた。

 俺はセリフもないモブから、主人公とヒロインに嫌がらせをするわき役ぐらいになったのか。


 ため息が漏れた。

 教室の隅に、またあのがいる。

 なんであいつは俺の前に出てくるくせに、いつも袋を被ってるんだろうか。ああいうのって、なにか訴えたいものがあるんじゃないのか。何がしたいのかわからん。ツンデレなのか?

 まあ、エレクトラいわく害があるほどのものでないらしいので、放っておけばいいんだろう。ていうか、慣れてきた。そういや昨日の電車で見たやつ、今朝もいたな。


『用事があって今日インできんかもしれん。伝言頼むわ』


 男衾おぶすまにメッセージを送ると、


『りょ』


 と短い返事が来た。

 憂鬱な午後だった。あの一瞬の不注意を未練がましく振り返っては、後悔した。現実ってのは、ほんとどうにもならないな。リセットもできないし。ゲームの世界に帰りてえ……。


「柴田さん、悩んでも仕方ないですよ」

「そうだな。現実はクソゲーだしな!」

「いや、そうではなくてですね」

「……お前、こうなること分かってたの?」

「えっ!? いえ、起点マーカーレベルの増え方がおかしかったので、推測といいますか」

「ふーん」

「私、そこまで意地悪じゃないですよ! もう!」


 エレクトラは俺についてはかなり監視できるようだが、学校程度の人数の電子的やりとりを把握するのは無理ってことか?


「お前、俺のスマホとかパソコン覗いてるみたいだけど、他のやつのも見れるんだよな?」

「お供えと神格ゴッドランク次第ですが、できないことはないですよ。それはもう検索した単語からログインIDとパスワード、フォルダの中身からカメラのライブハックまで……」

「うん、やめとこうか」


 まんまウイルスなんだが。

 もしこいつが下手にハックとかして俺の端末にデータ送ったりしたら、これ俺が疑われるんじゃないか?


「もう少し早めに私がこの事態を想定していれば、よかったかもですね」

「いや、たぶん教えられてもどうしようもない」

「どっちにしろ、私は柴田さんの味方ですよ?」

「俺、弱ってるときに声かけてくるヤツには用心することにしてるんだ」

「柴田さんの将来が心配です!」


 気を遣ってくれてるのか。

 はたまた別の理由があるのか。 

 どっちにせよ、それを考えるのはまた今度。正直、俺のちっさい心の器は眉村兄妹のことでいっぱいいっぱいだ。



☆★☆★



 放課後、俺は図書室で眉村和を待った。

 ここが人の少ない場所として、なんとなくそうなっただけだ。

 遅れてやってきた眉村和は、昨日よりも硬い表情をしていた。手首の白い包帯が目に入って、胸が痛む。


「……なんか悪い」

「いえ……。でも、本当にいいんです。兄には私が言いますから」

「それで収まるような雰囲気とは思えないんだけどな。眉村が怒るのももっともだし」

「そんなこと……」


 眉村和はこうなることがわかっていた。

 だから、ぶつかった当初、あれほど頑なに保健室に行くことを拒んだ。それはもちろん俺をかばうためなんかじゃなくて、この兄妹の間にある何かのせいなんだろう。


「俺は一人っ子だから分からないけど、妹が怪我させられたら怒るのは当たり前だと思う」

「……」

「だから眉村を止めないでほしい。火に油を注ぐだけだし」


 眉村和はうつむいて何も言わなかった。

 メガネごしに見える、まつげが長い。


「ただ、ちょっとだけフォローしてほしいっていうか、うちの親──」


 俺はそういいかけて、思わず息を呑みこんだ。

 図書室の本棚の影。夕日の入らないその領域に、


 それは塊だった。

 巧妙にをしているが、ゆっくりと脈打っている。見間違いじゃなくて、たしかに暗がりに紛れ込んで青黒いものがいる。あれもと同種のやつなのか……? いや、なにかもっとヤバいような。

 ポケットのスマホが震えた。

 嫌な汗をかきながらそっと画面を見る。


『ニゲロ』


 やっぱヤバいやつじゃねえか!

 もちろん、眉村和には見えていないのだろう。


「あ、あっと、そういうことなんで、またあとで」

「……」


 俺はそそくさと図書室を出ようとしたが、一人きり眉村和を残していくことに気が引けた。見えないと言っても、あの不気味なやつと一緒にほっておくのはダメだろ。


「で、出よう」

「えっ」


 俺は眉村和の手を引いて、図書室を出た。


「わ、悪い。他意はない」

「……はあ」


 ちょっと驚いたようだが、眉村和は相変わらずうつむきがちで言葉少なだ。


「なんて言ったらいいのか!」


 やべ、声のボリューム上げすぎた。

 眉村和がびっくりして顔を上げた。

 普段あまり喋ってないぼっちは、こういうときほんと上手くできない。しかも相手が落ち込んでる女子だから余計コントロールが利かない。俺のオーディオを設定したやつがいたら、文句言ってやりたい。


「……あの、なんていうか。眉村さんは気にしなくていいと思うんだ」

「……」

「無責任なこと言うけど、もうこれ眉村さんと関係ない話だから。俺と眉村の話だから。つまり他人事だから俺に謝らなくていいし、眉村にも何も言わなくていい。今日のことなんて放っておいて、遊びに行ったらどうかと思う。カラオケとか? 映画とか? わからんけど。──明日には俺の顔なんて忘れて、アドレスも消せば何もなかったことになってるはず。あ、もちろんケガのほうは責任持つよ?」


 なんだか言葉が止まらなかった。支離滅裂。やたら早口だし、裏返ってるし、必死すぎる。自分で言いながら、キモさに鳥肌が立った。

 見ろよ、眉村和の顔!

 ドン引きだよ!


「……カラオケって一人でも行けるんですか?」

「あっ……え?」

「カラオケ、あまり行ったことがなくて」

「ぼっちなんで……俺はよく一人で……アニソンとか」


 アニソンは余計だろ!

 なんで俺、女子の前でセルフ公開処刑になってんの。

 さっきの暴走早口もあって顔が熱い。


「そうですか。一人で行ってもいいんですね」

「イイヨ」

「じゃあ、今度行ってみようかな……」


 ほのかに眉村和は笑みを浮かべた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る