09 アサシン弁当

「みんな、おっはよ~♪」


 「天使が通った」というフランスの言葉がある。皆でわいのわいのと会話していて、ふとしたタイミングで会話が途切れて全員が黙ってしまうこと。そのなんとなく気まずい沈黙を、「天使が通ったからだよ~アハハ」という事で流してしまおうとする粋な発想である。


 それはそれとして、だ。

 普通さあ、クラスメイト一人ぐらいが挨拶したからって、教室にいる全員がこっち見るとかないよね? 朝のホームルーム前でバタついてるし、課題の見せあいっことか、それぞれ仲良しグループでおしゃべりしてるでしょ? だから俺のぼっち化が進んだわけでさあ。


 教室は静かにざわめいている。

 寝てるか、本読んでるか、スマホいじってたクラスの片隅ぼっちが、入室一番で挨拶したのを、なぜかバッチリのタイミングでみんな見ていた。


 なに、俺が挨拶する直前に天使が通ってたの? 露払いしてくれたの? 交通規制かな? 迷惑だよ! なんでこんなときに通っちゃうわけ? しかもクラス全員黙らせるとか、天使長でも来たんですかねっ!?

 昨日の食堂のサッカー部の連中のとき通れよ! 気まずくなって腹の探り合いが始まって、「まてよ? 俺、こいつらと仲良かったっけ? よし、殴ろう!」「あれ? 私、この人のこと好きじゃないかも? よし、弁当に毒を入れてやれ!」とか思えばいいんだよ! そういや昨日の愛妻弁当ちゃん、カラアゲ作ったのかなあ! お父さん、美味しいカラアゲ食べてションボリして出勤したのかなあ? そんなことより、いま! 俺!


 俺は……俺は、せいぜいドア近くの5人ぐらいがなんとなく俺を見てくれりゃいいと思ったんだよっ! それで戸惑いながらも「お、おう」とか言ってくれれば、十分な収穫だと思ったんだよ! だってそれだけで2ぐらいレベル上がるなら、8だよ? ちょっと恥ずかしいけど、「やったぞ、俺は!」って思えるだろ!

 俺はこんな視線の十字砲火クロスファイアなんて求めてないんだよ! 飽和攻撃オーバーキルすぎるよ! ねえ、なんで、全員が見てるの……。


 俺はいつも通り電車に乗って男衾と合流して、校門の人だかりをチョップでかき分けて、いつも通りギリギリで登校したわけだけど。ギリってことは、クラスにほぼ全員が揃っているわけでね。


 俺と同じ電車で登校してきたクラスメイト数人が、廊下でこの光景を見ているのもわかる。

 俺は見なくても大体の人数が──ダメだ! 40人に見られるって、1対40ってこんななの? 300対20万で戦ったテルモピュライのスパルタ軍すごい。一人で何人相手にしたんだよ。えっと、300で20万を割ると……。


「あ……っす」


 俺は割り切れない暗算を小終点以下えんえんと続けながら、席についた。

 失敗した失敗した失敗した、俺は失敗した。穴があったら入りたい。このまま掘り進んでギリシャまでレオニダス王に会いに行くから。それよりまず死にたい。


「ぷっ、おはよ」


 俺の席の斜め前から声がした。

 顔をあげると、それは愛妻弁当ちゃんだった。いや、名前は宮原さん、だったか。


「おはよ」

「おはよー」


 宮原さんの机に集まっていた他の女子も挨拶してくれた。


「あ……ども」


 宮原さん、「よし、弁当に毒を入れてやれ!」とか想像してゴメン。あなたが天使でした! 通ったんじゃなくて、そこにいらっしゃったんですね! ありがとう天使!

 覗き見るわけじゃないけど、その机に入ってるの愛妻弁当ですよね! カラアゲですか! 眉村が喜ぶといいですね! お父さんのことは大丈夫、お母さんがフォローしてくれますよ! 何も心配はいりません! グッドラック!



☆★☆★



「こっちまで共感性羞恥でいたたまれなくなりましたよ」

「いやあ、ギリ致死量だったわ。致命傷で済んでよかったー」

「死んでますね、両方」


 現在、昼休みの校庭。

 たぶん朝の出来事は30秒もなかったただろう。オレのライフはジェットコースターみたいに乱高下したけど。


「で、レベルいくつになった?」


 俺はコンビニで買ってきたスナックパンを開ける。今日はこれが昼飯だ。


「えーっと……10です!」

「すげえ! え、すごくないか? あの朝の挨拶で4もあがったのかよ。よし、あれを繰り返せば……うん、無理だね」


 宮原さんが挨拶返してくれたから決定的敗北は免れたものの、あんな紐無しバンジー毎朝やれるか!

 こりゃもっとリスクが低くて、効率的な方法を考えないとダメだ。


「そうだ。院華子いんはなこが校門でやっている朝の挨拶とか」


 ああいう「そういうものだし」という形なら、俺も自然とやれるし、相手も戸惑ったりしない。出たとこ勝負の辻斬りみたいなのは怖すぎる。


「あの、柴田さん」

「待て。ちょっと今考えごとしてるんだよ」

起点マーカーレベル──存在感のありかたというのは人それぞれですし、私が口を挟むことで柴田さんらしさがなくなってはと言いませんでしたけど」

「ん?」

「朝の挨拶作戦も悪くはないと思いましたが、少し勘違いされているようです」

「もっといいアイデアあるなら教えろよ」

「そうではなくてですね、昨日レベルが上がった大きな要因は、たぶん眉村和まゆむらやまとさんとの会話ではないというか。そりゃゼロではありませんけどねー」

「はあ? お前が言ったんだろ」

「ええ、『眉村和さんの件で』と言いましたよ?」

「……待て」


 眉村和との会話ではない?

 じゃあ、誰が俺のことを注目していたんだ?

 保険医の先生? でも眉村和よりはるかに会話は少ないし、保険医からしてみれば怪我をした生徒なんて特別なものじゃないだろ。

 あとは食堂。食堂で目撃してた生徒たちか? でもあんな程度、それこそ冷やかしじゃないか。


「じゃあ、そもそも俺の挨拶する作戦は間違ってたってこと? あんな赤っ恥で?」

「ムダというわけではないですよ。ボッチ柴田さんのは生徒会の方々がやってらっしゃる慣習的なものより、はるかに有効だったはずです。なにせあのボッチバタさんが突然明るく挨拶とか、インパクト大のはずです」

「だったら、なおさらおかしいだろ。眉村和との会話より、食堂の冷やかしのほうがポイント高いって、どういうゲームバランスなんだよ! あとボッチバタさんって呼び方、心に来るからやめてよ!」


 そりゃ眉村和が俺に好印象を抱くはずはない。しかし、それよりクスクス笑ってた奴らのほうが、俺の存在を感じるってどういうことだよ。悪意ある好奇心のほうがレベル上がるとか、そんなもんクソゲーだろ。


「今朝の挨拶だけで6から10になるなんてありえないです。一時的には可能かもしれませんが、しょせんは挨拶です。珍しい人物が、いつもと違う行動をした。びっくりした」

「それが狙いだろ」

「でも、昼休みに周囲で話題になるでしょうか。SNSで発信するでしょうか。学校から帰って、家族に話すでしょうか」

「……俺ならしない」

なんですよ。印象に残ったとしても、自分の日常には関係がありません。時間がたてば薄れていきますし、大半は忘れてしまうはずです。もし柴田さんが全裸で挨拶をしていたなら、話は違うでしょうが」

「別の意味で話が違ってくるだろ、それ! 俺の日常が終わるわ!」

「つまりはそういうことですよ」

「じゃあ……」


 印象の薄れない出来事。昼休みに話題にして、学校から帰っても家族に話すような──。


「きみ、柴田ってやつ?」


 いままで校庭の片隅、芝生の上で俺はエレクトラとチャットしていた。ここは日当たりがいいから好きなのだが。

 いつもサッカー部は食堂で集まっているはずだ。なぜここに来るのか。そしてなぜ、俺に話しかけてくる。俺はお前のことを知っていても、お前は俺のことを知らないはずだ。なにか理由がない限りは。


「妹を怪我させたってのは本当?」


 ハーフイケメンの眉村だった。


「あ……うん」

「うん、じゃないよね」

「……はい」

「妹はおとなしいから話したがらなかったけど、他の子が教えてくれたんだよね」


 眉村が俺に向けたスマホには、俺と眉村和が食堂を歩く姿が映っていた。


「あのさ。──右手なんか怪我して、勉強に差し支え出るでしょ」

「すいません」

「保健室連れて行くだけでハイ終わりとかおかしいよね」

「ちゃんと家に謝りに行こうと思ったんですけど、眉村さんにいらないと言われて」

「だから?」

「だから、それで済ませてしまいました」

「顔蹴っていい?」

「それは──」

「あとで保健室連れていけばいいよね。きみ、同じことやったんだよ」

「そう、ですね」


 俺は正座した。

 色々と合点がいったよ。

 俺のレベルが急に上がったのは、眉村が俺に憎悪を向けたからだ。そして周囲は眉村が怒る対象として俺を見た。薄まることのない感情。忘れようのない記憶。それが、俺の起点マーカーレベルを上げた。

 昨日のも眉村の妹だから、その妹を怪我させたやつだから、スマホで撮った。拡散した。次の日にも話題になった。印象が残った。

 つまり眉村和との会話や、朝の挨拶なんて関係がない。


「もし──」


 俺に落ち度があったのは間違いない。未成年である以上、学校と保護者が最終的に事の顛末を確認しなければならないのだ。


「それでお詫びできるなら、蹴ってください」


 それに眉村は一人で来た。人気者なんだから、一声かければ何人でも付いてきたはずだ。そいつらをけしかけることだってできる。冷静を保とうとしているが顔は紅潮しているし、声は震えている。暴力を振るわないまでも、もっと荒っぽく脅して俺に怒りをぶつけることだってできるはずだ。

 どういう理由かはともかく、少なくとも眉村は俺と一対一で対面している。


「……ちゃんと家に謝りに来い」

「わかりました。今日」

「マジで蹴っちゃいそうだから行くわ」


 眉村が去ると遠まきに見ていた連中も引き返していった。

 予鈴が鳴るまで俺はそこで座り込んでいた。

 教室に戻ると、宮原さんの机の中には弁当が残されたままだった。

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