ひとりぼっちの虫眼鏡

熊野 豪太郎

ひとりぼっちの虫眼鏡

虫眼鏡。小学校の時に、理科の実験で使って以来、触ったことも見たこともないようなアイテムだ。黒いものや、紙を、天気がいい時にうまく日光を集中させて、発火させることもできる。立ち寄った雑貨屋で、1番に目に入ったものだった。

これを見ていると、小学校の実験の時の記憶が蘇ってくる。

小学校三年生。忘れもしない。保護者を呼び出され、校長室で叱られた日だ。その日は、雲ひとつない快晴だった。僕は理科の実験で配られた虫眼鏡を、じっと見つめていた。

両親は、僕が小さい時に、交通事故で亡くなった。幼稚園に入ってすぐのことだった。身寄りが他になかった僕は、そのころから、施設に引き取られて、小学校、中学校の現在まで、施設で暮らしている。

みんなと同じ、白い紙に一点を鉛筆で黒く塗りつぶした紙を持って、校庭に出てきた僕は、その紙を握りつぶしてしまった。

普通に両親がいて、家に帰って、兄弟や両親とケンカをして、時には褒められて・・・。

そういう生活が、羨ましかったわけではない。物心がついた時には、すでに施設に居た僕にとって、それが当たり前で、平凡だったのだ。しかし、学校のみんなにはあるものが、ない。それだけのことのはずだった。

気づいた時には、列を作って歩いている蟻たちを、虫眼鏡を使った日光の熱で、焼き殺していたのだ。それも、一匹ではなく、たくさんの数を、だ。

それに気づいた先生は、可哀想と思って抱きしめてはくれなかったし、「いけないことだよ」と叱ってくれることもなかった。ただ、校長先生にそのことを報告して、それに過敏に反応した校長が、施設の人間を呼びつけて、僕を校長室の真ん中に立たせて、生命はかけがえのないものだ。とか、そんなことを平気でやる子供はあり得ない。と、ひとしきり僕を否定した後に

「親がいない子供は、こんなことをしてしまうんだね。」と言った。

そのあと施設の人には、特別怒られたり、優しくしてくれた覚えはない。僕はそのあと「気味の悪い子供」というレッテルを貼られ、避けられてきた。中学に上がっても、その状況は変わらなかった。

そして、いつものように施設に帰っている時に、ふとこの雑貨屋に立ち寄って、虫眼鏡を見つけて、昔のことを思い出した。というわけだ。


「親がいない子供は、こんなことをしてしまうんだね。」


「親がいない子供は、こんなことをしてしまうんだね。」


「親がいない子供は、こんなことをしてしまうんだね。」


その言葉だけが、僕の中で反芻されて、やがて消えて無くなっていく。僕に親がいたら、あんな事件は、起こらなかったのだろうか。僕にみんなみたいな日常があれば、こんな気持ちにはならなかったのだろうか。気付くと、僕の目には、大粒の雨が溜まり始めていた。なんで僕ばかり。その気持ちが膨れ上がった途端、虫眼鏡で集めた日光の光は、僕の心を焼いていく。みんなにあって、僕にはない「日常」は、日光となって、僕の黒い心に降り注いだのだ。涙は、心についた黒い炎を消すどころか、ガソリンとなって、さらに火の勢いを強くしてしまう。

「どうした。君。」雑貨屋の主人であろうおじいさんが、僕の背中をさすりながら、声をかけてくる。

人に優しくされたのは、いつ以来だろうか。それすら今の僕の孤独を煽って、僕はさらに泣き続けた。その間おじいさんは、ずっと僕の背中をさすっていてくれた。

どれくらい時間が経っただろうか。僕は泣き止むと、おじいさんに、まずお礼を言った。

「いいのさ、この店にふらりと立ち寄って、泣く方もよくいらっしゃる。」そう言うと、おじいさんは虫眼鏡を見ながら続けた。

「君が最初に目に入ったものは、これかい?虫眼鏡はな、本来は、ものを拡大して、対象を観察するものだ。これは、物を焼いたり、目を傷つけたりするものでは、断じてないんだよ。」おじいさんは、まるで僕を見透かしたように語ってくる。その言葉は、乾いたスポンジに水滴を垂らした時のように、僕の心に染み込んだ。なにも見えていなかった。ずっと、虫眼鏡を目にかけていて、一点しか見えなくなっていたのかもしれない。僕は、そのおじいさんの言葉に頷くと、立ち上がって、虫眼鏡を指差して「いくらですか」と聞いた。

「お代はいらない。持っていくといい。君にとって、必要なものだ。」おじいさんはそう言うと、虫眼鏡を僕に差し出した。

虫眼鏡は、対象を観察するものだ。対象を傷つけるものでは、断じてない。僕はその言葉と共に、虫眼鏡を受け取った。


その店を出たあと、店の方を振り返ると、そこは空き地だった。


虫眼鏡。僕にとって虫眼鏡は、ものを焼くためだけのものでしかなかった。だけどこれは、ものを大きく見るために必要なものなのだ。僕は虫眼鏡を目の前に持っていくと、住んでいる施設に向けて、覗き込んだ。

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ひとりぼっちの虫眼鏡 熊野 豪太郎 @kumakuma914

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