番外編「如月のこと」

 「今年も・・・貴方は一人なの?」

自嘲気味な笑みを口元に浮かべながら山奥にひっそりと立派な桜の花を咲かせている木の幹に触れた。

そのとき春風が桜の花弁を揺らして、花吹雪の様に一度藍色の空に舞い上がってから私の上へと降りてきた。

お盆を持つように両掌を上へと向かって伸ばし、まるで夢の中に入り込む様な動作でゆっくりと瞼を閉じて春の便りを待った。


 春風に乗って朧月の周りをまるで踊っている様に舞っている桜の花弁を眺めながら、自分よりも二回りは大きい桜の木の幹に凭れ掛かって休憩をした。

「今年も綺麗に咲いてる・・・。」

肩から下げている大量の手紙が入った鞄を抱きしめた。

「ご苦労様です。」

聞いていて心地よく感じる様な音色の声が聞こえてきた。視線を夜空から正面に立っている少女に向けた。

「会う度に言ってるだろ?ここに来るのは空が明るいうちだけにしなさいって・・・。」

溜息交じりに無邪気な笑みを顔に浮かべて腰まで伸ばしている黒い髪を揺らしながら俺の隣に座った少女に言った。すると少女は少しだけ怪訝そうな表情を見せた。

「春の郵便屋さんに会うには、この時期のこの時間帯に来るしかないじゃない。」

悪戯な笑みを浮かべながら少女は言った。その言葉に眉間に皺を寄せながらも口元に笑みを浮かべて見た。     

「それでも、この時間は危ないよ。」

そう言いながら寒く感じる暗い森の景色を見つめながら言った。初めの頃はこの少女の存在は煩わしかった。けど、俺はいつしかこの少女に会える事を楽しみに感じていた。また会いたいから・・・強く此処に来る事を注意出来なかった。

「ねえ、春の郵便屋さん。」

子供独特の笑みを顔に浮かべながら少女はじっと俺の瞳を見てきた。

「初めに出会った時に言った通り、俺はその約束をきっと守る事が出来ない。だから、約束はしないよ。」

少女の図星を突いたらしく、怪訝そうな表情を顔に浮かべた。

「如何して・・・約束が守れないの?」

哀しみに満ちた目で少女は俺の心の中を覗き込む様な目をして見つめてきた。その胸の内を抉る様な視線から逃げる様に少女から視線を逸らした。

「俺は忘れっぽいからだよ。」

精一杯の笑みを少女に見せながら俺は言った。

「それでも春の郵便屋さんは忘れずに此処に来てるじゃない。」

疑わしそうな視線で俺を睨みつけながら少女は両頬を膨らませた。

「好きと約束は違うよ。俺は此処の桜が好きだから、毎年此処に来るんだ。」

すると少女はさらに頬を大きく膨らませたが、直ぐに萎ませた。

「ねえ・・・また来年も此処に来てくれる?」

また会いたいから、少女は俺が約束をしてくれる事を欲する。でも、俺には約束が破れてしまったとき、少女に悲しい思いをさせてしまう様な事はしたくなかった。

だから・・・。

寒く感じられる暗い森の景色に視線を向けた。

「分からない。」

そう答えると少女は悲痛な思いを顔に浮かべた。

少女が帰った後、鞄の中に詰まっていた沢山の赤い折り紙を取り出して、桜の花弁に混ぜるように勢いよく撒いた。

「こんな物・・・無い方が良いのに・・・。」

ゆっくりと舞い降りてくるその赤い折り紙を見つめながら呟いた。その時、こんな俺の気持ちを察したのか答える様に桜の木が花を激しく散らしていくのが見えた。そして、その折り紙を踏みつぶすように歩きながら俺はその場所から去ろうと正面を見た。すると、見慣れた軍服を着た男の姿が見えた。

「どんなに手紙を出しても、誰からも返事が来ない筈だ。」

怒りに満ちた声で男は銃口を俺に向けながら言った。俺はそんな男を静かに見つめた。

「選択の自由が必要だと思って・・・。」

その瞬間、嫌な響きが辺りに響いた。

眩む視界の中、脳裏にあの少女の姿が浮かんだ。

やっぱり・・・俺に約束を守る事は出来ないんだ。でも、あの子が此処に居なくて良かった。

 「へぇ・・・此処の桜って他と違って綺麗に見えるな。」

感動した様子で、立派に咲き誇るその桜の木を眺めながら睦月は言った。

「桜の木の下には死体があるって話を知ってるか?」

暖かな春の日差しを晴天の下で、春風に髪の毛を揺らしながら揶揄するように言った。

「ま、まさかこの桜の木の下には・・・。」

穏やかだった表情が一瞬にして血の気の失せたような表情に変わり、美しく散っていく桜の木と俺を何度も見た。

「自転車が普及する前位の時代だったかな。その頃の考えに逆らいたくて、赤紙ばかりを集めていた男が一人居たんだ。」

桜の木を見上げた。

「その男はさ、その理想を実現する為にした行為の代償として、皆から取り上げた赤紙と桜の花弁に埋もれながら此処で殺されたんだ。」

そんな事をしても何も止める事が出来ないのに、何であそこまで必死になれたのだろうか・・・。

「如月・・・それってお前の事なんじゃないのか?」

その言葉を放った睦月の表情はあの時の少女と酷似していた。その言葉に対して、口元に笑みを浮かべた。

「そんな理由がある位に桜は綺麗に見えるっていう例え話だよ。もしかして、本気にしたのか?睦月もまだまだ子供だな。」

ピエロの様な笑みを顔に浮かべながら言った。すると睦月は顔を真っ赤にして桜の木に背を向けた。

「本気にした俺が馬鹿だった。」

怒りの感情が籠った声で吐き捨てるようにそう言うと、一人で先に帰ってしまった。そんな睦月の後を急いで追おうとしたその時、背後に立っている桜の木が無性に気になって立ち止まった。振り返ると桜の木の下は真っ赤に染まっているのだろうかという想像に恐怖を感じながら、ゆっくりと振り返った。

そこには青く生い茂る雑草の上に生えている綺麗な桜の木だけがあった。

「今なら・・・約束できるのに・・・。」

目を細めながらあの日の夜と同じように散って行く桜を見つめながら言った。

そして、右手を空に向かって伸ばした。

「君はもう、何処にも居ないんだね。」

その瞬間、伸ばした手に何かが触れた様な気がした。

実際に触られた様な感触に驚き、何度も瞬きをした。今見ている光景には桜の枝と花弁しか見えない・・・。『なら、来年も此処に来てね。約束だよ。』

何処からか聞こえるその無邪気な少女の声に涙が滲んだ。

ずっと・・・この桜の木の下に居る空っぽの俺と一緒に居たんだ・・・。

そう思うと心の底から笑みが湧きあがった。

「ああ。絶対に行くよ。」

満面の笑みを浮かべながら花弁を散らし続けている桜に向かって言った。

心残りが全て無くなったその時、君を迎えに行こうと思った。

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