第5話「睦月」
冷たく降りしきる小雨のなか、今にもこと切れてしまいそうな自分を少年が見つめている。
その少年の右手には血の付いた日本刀が握られている。
あれは私の血だ。
言わないといけないのに・・・口を動かすけど、言葉が・・・声が全く出て来ない。
少年はずっと涙を静かに流しながら自分見つめている。
吐く息が白へと変わって行く。
此処は激しく寒い・・・。
雨は段々と激しさを増していく。
視界が真っ暗になるその瞬間までその少年を見つめた。
1
静かなはずの店内に子供の泣き声が響く。
誰かがすぐにやってきて、この不快なサイレントを止めてくれるだろう・・・。
カウンターに顔を擦り付けるように、睦月は寝返りをうった。
しかし、どんなに待っても誰かがその子の相手をする気配はなかった。
「あー!くっそ!誰か居ねぇのかよ!!」
両手で思いっきり机を叩いて、泣き声のする方へと振り返った。
「お前、なんでここに来たんだよ。」
泣きじゃくる男の子を指差すと、泣き声がさらに大きくなった。
その様子に睦月は口をへの字に曲げて、少し怯んだ。
正直言って、子供は苦手だ。
何考えてるかわからないし、気分屋で・・・とにかく面倒ごとしか起こさない。
気持ちを入れ替えるように、睦月は右手で頭を抱えて、溜息を吐いた。
猫を追うよりも皿を引け・・・。
「さっきは怒鳴ったりして、ごめんね!怖かったよね?」
どこぞの、キャラクターをイメージして話しかけた。
下を向いていた男の子の視線が睦月の方へと向いた。
その目は真っ赤だった。
「お、お詫びに、ココアでも出してあげるよ!!」
しゃくりあげている男の子の背中を軽く、右手で押しながらカウンターへと誘導した。
2
トントンと力強く鈍い音を人差し指でカウンターを睦月は叩いた。
あれから一時間経ったのに、店の中は睦月と男の子の2人だけだ。
「遅すぎる・・・。」
眉間に皺を寄せて、奥歯を噛み締めながら呟いた。
その時、男の子の悲鳴にも似たような小さな声が聞こえた。
視線をそこに向けると、今にも泣きそうな顔をしてこっちを見ていた。
「大丈夫!君のことを怒ってるわけじゃないから!」
睦月は取り繕うように、無理やり口元に笑みを浮かべた。
「それよりも、もう一杯飲むだろ?」
そう言って、男の子が飲み干したカップを取って、中身を入れた。
いつもなら、師走がそろそろ入ってきて、俺の頭を殴るのに・・・。
昨日の事を振り返るように睦月は目を閉じた。
しばらくして、昨日の帰る間際で、師走が明日は休業だと言っていたことを思い出した。
その瞬間、全身の力が抜けた。
そして、睦月は力なくカウンターに突っ伏した。
「ごめんけど・・・帰ってくれるかな?お前はもともとここに来る必要がないんだよ・・・。」
投げやり気味に睦月が言うと、男の子の泣き声が聞こえた。
勢いよく起き上がって、睦月は満面の笑みを顔に貼り付けて、少年の顔を見た。
「さっきのは嘘!全部嘘だから、気にしないで!」
ウィンクをしながら睦月は手を合わせて謝った。
「このまま、ここに居ても仕方がないし・・・お兄ちゃんの家に一緒に行こうか!」
男の子に背中を向けて言った。
「それじゃあ、着替えてくるから、しばらく待っててね!」
逃げるように手を振って、店の奥に引っ込んだ。
更衣室に行くと、両手で口を塞いで笑っている如月が居た。
その直後、睦月の怒りが頂点に達した。
3
「テメェ・・・休みなのに、なんで居るんだよ。」
真っ赤な顔で睨みつけながら、睦月は如月の胸倉を掴んだ。
「む、睦月!落ち着けって!」
慌てた様子で、落ち着かせるように睦月の手首を軽く掴んだ。
「俺も今日が休みだったのを忘れてたんだよ。」
「おい、いつ来たんだよ。」
低い声で、眉間に不快皺を刻み込ませながら如月を睨んだ。
「睦月がカウンターでサボってるところから・・・。」
如月は不自然なウィンクをして見せた。
その瞬間、睦月は顔を真っ赤にして、体を微かに震わせた。
「なんで出てこないんだよ!!俺がどれだけ子供が苦手か分かってんだろ?!」
如月を激しく上下に揺さぶった。
「睦月!落ち着けって!!」
目を回しながら如月は言った。
「睦月、苦手って言ってるけど、ちゃんと子供の相手ができてたじゃないか。別に、恥ずかしがることなんてないと思う・・・・。」
その声はだんだんと小さくなっていく。
その時、扉の開く音が聞こえた。
完全に気絶した如月を掴んだまま、睦月は扉の方へ視線を向けた。
すると、今にも泣いてしまいそうな顔をした男の子が立っていた。
男の子と如月を交互に見た。
見るたびに男の子の表情は、曇っていく。
「ま、待った!!」
如月を投げ捨てるように離して、急いで男の子の元へと走り寄った。
「だ、大丈夫!!なんにも怖いことなんか、してないからね!俺は、ただ、あの悪い奴が女性従業員の制服を盗もうとしてたから、やっつけてたんだ!」
ぐったりとしている如月を指差しながら睦月は言った。
「人に害なす者には、正義の鉄槌を・・・ってね!」
無理やりな笑みを浮かべて、男の子に言った。
「本当に?」
疑わしそうな目で睦月の顔を覗き込む。
「本当!本当!」
この場所から引き離す様に男の子の背中を押した。
「さ、ここは危険だから店内で待っててね!」
男の子を店内に戻してから、また如月の居る部屋へと戻った。
崩れるように、扉の前でしゃがみこみ、睦月は頭を抱えた。
小さい子の相手は・・・本当に骨が折れる・・・。
4
目を開けると、見慣れた自分の部屋の天井が見えた。
ゆっくりと起き上がって、散らかった部屋の中を見回す。
「ここはどこ?」
隣で眠そうに目をこすりながら、男の子が起き上がった。
「現実。」
頭を掻きながら睦月は素っ気なく答えた。
予想通り、男の子は困惑した様子を見せた。
その様子を見て、睦月は男の子と向かい合うようにあぐらをかいた。
「あの場所は、簡単にいうと夢なんだ。だから、俺たちは寝ればあそこに行ける。」
睦月は目を細めた。
「仕事のないときは、こうやって現実に戻って、日常生活を送ってるんだよ。」
「なんで、そんなことしてるの?」
首を傾げながら男の子が言った。
「俺はただ、如月に呼ばれただけだから、知らねえよ。こんな、気が遠くなるような長い時間、他人の汚い欲望なんか見たって、楽しいわけがないだろ。」
「それなら、辞めたいと思ったことはないの?」
睦月は驚いた様子で、目を見開いた。
そういえば・・・・そんなことは一度も考えたことがなかった。
あそこに固執する理由なんかない。
俺は、一度も死んだことがないんだから・・・。
睦月は唇を噛んだ。
「そんなの、呼ばれてここで働けって言われたからだろう。」
本当はこんな言い方、嫌いだ。
まるで飼い犬のような気持ちになるからだ。
でも、自分でもなんて言っていいか分からなかった。
「呼ばれなかったら、どうしてたの?」
睦月は溜息を吐いた。
「そんなこと・・・されてないから分かんねえよ。」
きっと・・・あのままあの場所に居続けただろう・・・。
そのとき、男の子のお腹が鳴った。
それと同時に睦月の口元が引きつった。
5
「全く・・・貴方という人は・・・。」
物で溢れかえった部屋を見渡しながら、師走は溜息を吐いた。
師走の目の前には、ダンボールと洋服の隙間から足だけを出した睦月が居る。
そんな光景をベッドの上から男の子はじっと見つめていた。
「最後にこの部屋の掃除をして、一ヶ月も経っていないのに・・・。どうやったら、ここまで汚せるんですか?」
睦月の上に乗っている荷物を片付けながら師走は眉間に皺を寄せた。
「仕方ねえだろ!ここのところ、如月が暇さえあれば、変な恋愛ゲームしてるし!あと、仕事で忙しくて、片付ける暇なんかねえよ。」
掘り起こした睦月は、噛み付くように吠えた。
「私も息抜きをするなとはいいませんが・・・せめて、人間らしい生活ができないでしょう?」
師走は、片手で頭を抱えた。
その時、男の子のお腹がなった。
2人の視線が一斉に、男の子に向いた。
「仕方がありませんね・・・。私が、なにか作ってくるので・・・睦月、その間に食べられる場所を確保してください。」
白いシャツの袖をまくりながら、師走は物を避けながら台所へと向かった。
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師走が出て行ったことを確認して、睦月は床に寝転んだ。
それと同時に、物が潰れる音がして、背中に違和感を覚えた。
おそらく、ティッシュの箱を潰してしたのだろう・・・。
気にせず、男の子の居るベッドの方へ寝返りをうった。
「だいたい・・・お前が腹減ったなんて言わなかったら、師走なんか呼ばずにすんだのに・・・。」
睦月は不機嫌そうに唇を尖らせた。
「師走がくると、本当に面倒なんだ・・・。」
そこまで言って、男の子の目に涙が溜まっているのに気がついた。
まずい・・・。
「嘘!嘘!」
勢いよく起き上がって、男の子の両肩を掴んだ。
「さっきのは、全部うそだから!もう、俺って何言ってんだろうな!!悪いのは全部俺なのにな!!」
無理やり顔に笑みを浮かべながら、男の子の頭を撫でた。
「さて、頑張って片付けるぞ!!」
ヤケクソ気味に睦月は、力任せに物を横へと避けた瞬間、棚の上に置いてあった如月の洋服が落ちた。
お、終わる気がしない・・・。
そう思いながら、男の子の方へと、また視線を向ける。
こっちをまだ、不安そうな顔で見つめている。
「師走のご飯は美味しいんだ。食べられるように頑張るから、楽しみにしてろよ。」
口元に穏やかな笑みを浮かべて言った。
男の子は何故か安心したような顔をして、笑みをこぼした。
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「珍しいこともあるんですね。」
綺麗にされた部屋を見て、師走は目を丸くしてみせた。
疲れきった表情で、睦月は床の上で大の字に寝転んだ。
「貴方もやればできるじゃないですか。」
関心した様子で、師走はテーブルの上に料理を置いた。
見慣れないその姿に鳥肌が立った。
それを振り払うように、勢いよく起き上がって、席についた。
「う、うるさい・・・。そもそも、最初から休みだって知っていれば、こんなことにならなかったんだ・・・。」
頭を抱えながら溜息を吐いた。
「貴方がちゃんと勤務表を見て、真面目に働かないからです。要するに、自業自得ですね。」
返す言葉がなにも見つからず、師走を黙って睨んだ。
「美味しい。」
男の子は、目を輝かせながらグラタンを食べた。
「それは良かった。」
満面の笑みを浮かべて、男の子に言うと、呆然としている睦月の姿が視界にはいった。
「どうしましたか?」
すると、睦月は苦笑した。
「いや、何だか・・・前にもこんなことが、あったような気がしてさ・・・。」
スプーンをテーブルの上に置いて、昔を思い出すように睦月は笑った。
「思い出せそうで、そうでない・・・。けど、悪い感じはしないな・・・。」
「思い出せたら、その話を聞かせてくださいね。そのときは、私の話も聞かせてあげますから。」
クスリと笑いながら師走は言った。
そういえば・・・俺はコイツより早くここに来たのに・・・師走のことはなにも知らないんだ・・・。
「今、聞かせてくれないのか?」
師走は苦笑した。
「睦月は意地悪なので・・・今話してしまうと、その時に話してくれなさそうなので、話しませんよ。」
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どこからか、唸り声が聞こえる。
それと同時に、視界が揺れている。
如月は、右手を額につけながら、気持ちを落ち着けるように、深呼吸をした。
するとだんだん、さっきまで聞こえてきた声は、自分のものだったことに気づいた。
「気持ち悪い・・・。」
胃の奥からこみ上げる、吐き気を抑え込むように、顔を上に向けた。
「下が騒がしいと思ったら・・・なんで、ここに居るんだ?」
眠そうな目をして、欠伸をしているオーナーの姿が見えた。
それなのに、服装はいつもと変わらず、ピッシとした格好だ。
「もしかして、オーナーも間違えて出勤したんですか?」
オーナーはクスリと笑った。
「ここは、私の家でもあるんだ。休日の昼間に、私の部屋の床がうるさかったから、様子を見にきただけだよ。」
「ここ、二階があったんですね。」
ここで働き始めてから、今日まで知らなかった。
「まあ、二階と言っても屋根裏なんだけどね。まあ、階段は目立たない、廊下の引き戸の中にあるからね。気づかないのも、無理はないな。」
あそこは、今の時間でも暗く、不気味で、怖くて、普段から誰も近寄らない。
「他にも、誰かが来てたみたいだけど?」
オーナーは、辺りを見回しながら、言った。
「ああ、さっきまで睦月がここに居たはずなんですが・・・。どうやら、帰ったみたいですね。」
すると、オーナーは何かを考え込むように、虚空を見つめた。
「ふーん。まあ、いいや。如月、これ洗っておいて。」
カップを流しの中に入れて、オーナーは背中を向けた。
「如月!」
カップを手に取ったとき、オーナーがカウンターを指さしているのが見えた。
視線をそこに向けると、睦月がいつも持ち歩いているホルマリンの瓶が見えた。
「帰るとき、これよろしく。」
楽しそうな笑みを浮かべて、オーナーは傍にあった手ぬぐいを渡してきた。
「少し出てくるから、戸締りよろしく。」
そう言って、オーナーは外に出て行った。
流しの中に入れられた、ココアのついたカップを眺めて、如月はため息をついた。
「めんどくさい・・・。」
9
「あれがない!」
片付けたばかりの部屋を汚すように、睦月は必至な様子で探し始めた。
「一体、何を探してるんですか?」
男の子とご飯を食べながら、師走が聞いてきた。
「あれだ!俺がいつも持ってるやつ!!」
身振り手振りでホルマリンの瓶を表現しながら言った。
「あの・・・腕ですか?私は見ていませんが・・・。」
心配そうな顔をして師走は言った。
まさか・・・店に忘れてきたか?
額から流れ落ちる汗を袖口で拭い、唾を飲み込んだ。
「睦月・・・大丈夫ですか?」
いつもと違う様子を見て、戸惑いを隠し切れない顔をしながら師走は言った。
あれに何かあったら・・・。
部屋の真っ白い壁を睨み、睦月は勢いよく両手をつけた。
「開け・・・。」
そう唱えると、壁が柔らかくなって睦月を吸い込んだ。
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「あ!すごくいい匂いがする!」
睦月と入れ替わるように制服姿の如月が壁の中から出てきた。
如月も睦月と同じように間違えて出勤したのだろう・・・。
「道理で良い臭いがすると思ったら、師走が来てたんだな。」
そう言いながら如月は机に座って、私の方を見てきた。
「師走、俺の分はあるよな?」
目を輝かせながら如月は言った。
「ありませんが・・・簡単な物ならすぐに作りますよ。」
すると如月は嬉しそうな顔をした。
「じゃあ、それで頼むよ。ところで師走、睦月の奴知らないか?店にこれ忘れてたからさ・・・。」
如月はホルマリンの瓶を机の上に置いた。
あ・・・。
その瓶を掴んで、睦月が出て行った壁を見た。
あんな尋常じゃない睦月を見たのは初めてだった。
早く持って行ってかないと・・・・。
「この瓶、睦月に届けてきます。」
脇で瓶を抱えながら扉から部屋を出た。
「し、師走!」
後ろから如月が慌てた様子で付いてきたのが分かった。
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「なんだこれ・・・。」
いつもなら見慣れた店内が見えるはずなのに・・・。
睦月の目の前に鬱蒼とした森が広がっていた。
「もしかして・・・、間違えたか?」
慌ててたせいかもしれないし・・・今度は落ち着いてやれば・・・。
深呼吸を十分にして、近くに生えていた背の高い木を両手で触った。
「開け・・・。」
今度は慎重にやってみたが、店へとつながる道は開かれなかった。
「一体、どうなってんだよ!!」
怒鳴り散らすように両手で木を強く叩いた。
それでも何も変わらなかった。
息を切らせながら空を見上げると、曇天が見えた。
湿気が体にまとわりつき、ここは不快だ・・・。
「開け!開けよ!」
木を揺らして殴ったが、手が痛いだけだった。
「そこの変な童子、そんなことをしては木が可哀そうではないか。」
その物言いに苛立ちを覚えた。
振り向くと、まるで骸骨のような風貌の平安貴族が立っているのが見えた。
これが夜だったら幽霊だと思うくらいに、生気が感じられない男だと思った。
「好きでしてるわけじゃねえよ。」
吐き捨てるように答えた。
関わると面倒だ・・・。
「頭・・・。」
男は言いかけて咳払いをした。
「口の悪い童子だ。」
口元を隠すように扇子を持ち、男は不気味に感じる笑い声をあげた。
そんな男を睨んだ。
「うっさい。骸骨に言われたくねえよ。」
その言葉が男の癇に障ったらしく、みるみる顔が赤くなっていくのが見えた。
「やはり、異国の地の者は皆蛮族よのう・・・。」
体を怒りで震わせながら、腰に下げていた刀を手に取った。
「異国って・・・俺もおっさんと同じで日本人だ!おっさん、少し言われたぐらいですぐに暴力に訴えるなんて、大人げ過ぎないか?」
心臓が破裂してしまいそうな心境で、男の不健康そうな目を睨んだ。
「お主は目の上の者に敬いを持って接することを覚えよ!」
男は声を荒げながら刀を振り上げた。
や、やばい・・・。
その恐怖に固く目を閉じた。
しかし、いつまで経っても痛みを感じることは無かった。
おかしいな・・・・。
恐る恐る目を開けてみると、男は刀を振り上げたまま俺の後ろを見て震えているのが見えた。
「うわぁぁぁぁ!!化け物!来るな!来るな!」
そう叫びながら男は無様に背中から転んだ。
持っていた刀を落とし、男は背中を向けて逃げ出した。
一体・・・なんだ?
その様子に恐怖を抱きながら、ゆっくりと後ろを振り返った。
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息を切らせながら師走と如月は店の扉を開けた。
視線をカウンターに向けたが、睦月の姿は何処にもない。
「睦月!!」
静かな店内に向かって呼んでみたが、師走の声だけが響いた。
眉間に皺を寄せて、店中の扉を開けて部屋を回ったが、睦月の姿は何処にもなかった。
「師走、睦月は見つかったか?」
部屋の入口から顔をだして如月が言った。
「いいえ・・・。如月、心当たりはありませんか?」
如月は少し考える素振りをした。
「もしかしたら・・・・。」
そう言って如月は、店の奥にある廊下を進み、その先にある引き戸を開けた。
如月の後ろから引き戸の中を覗くと、階段が見えた。
「こんなものがあったなんて・・・・知りませんでした・・・。」
「俺も知らなかったんだけど、今日オーナーから聞いたんだ。」
そう言いながら如月は階段を上っていく。
「二階はオーナーの居住スペースらしいんだ。」
その言葉に驚いた。
「如月・・・オーナーは女性ですよ?勝手に入るのはどうかと・・・。」
「見つかったら謝ればいいよ。それより、睦月が居ないことの方が重大だ。」
真剣な顔をして如月は階段を上り切った。
まったく・・。
オーナーに罪悪感を抱きながら師走も階段上った。
二階に上がると、部屋の中は真っ暗だった。
如月は明かりをつけようと手探りで壁を触ったが、それらしきものはなかった。
「こんなこともあろうと、下から持ってきて正解だったな。」
ズボンのポケットから小型のライトを取り出し、如月の顔が浮き上がった。
!!
師走は突然のことに驚き、思わず一歩下がったその時、足を踏み外した。
「師走!!」
如月は慌てた様子で私の手を掴んで勢いよく引っ張った。
「あ、ありがとうございます・・・。」
胸をドキドキさせながら息を切らせてお礼を言った。
「まったく・・・・心臓が止まるかと思った・・・。」
脱力気味に如月は床に座り込んで息を吐いた。
その時、如月が持っていたライトが床を転がり、部屋の中を照らした。
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「お前は・・・。」
目を見開きながら、遠い昔に捨ててきたその人を見た。
脳裏にこの人と別れた時の情景が次々と浮かんだ。
「なぜ・・・お前は逃げない・・・。」
いびつな歯並びに口に収まりきらない牙を出した彼は、不思議そうな顔をして言った。
逃げるって・・・。
彼の腕に視線を向けると、腕はまだ2本あった。
そのとき、草木が風で揺れる音が聞こえた。
「こんなの・・・ありなのか?」
彼は俺を追い出そうと威嚇する様子を見せた。
その様子が酷く懐かしかった。
もう・・・二度と会えないと思っていた・・。
「また・・・・会えて嬉しいよ。」
あまりの嬉しさで顔に笑みが浮かぶ。
彼はそんな俺を不審に思ったのか、訝しそうな顔をした。
「俺を怖がらないなんて・・・いい度胸をしているな。」
クスリと笑いながら彼は言った。
「まあな。」
それに合わせるように、俺は返事をした。
「お前、名前はなんて言うんだ?俺は粋という。」
粋は俺が昔つけた名前を答えた。
それがとても嬉しかった。
初めて粋の名前を呼んだ時、すごい喜んでたもんな・・・。
「俺は睦月。今はそれが俺の名前だ。」
また、彼と昔の様に遊びたいと思った。
しかし、今の俺はこの時代にとっては異物でしかない。
だから、そんなことをもししてしまったら、何が起こるか分からないから、そうできない。
それを歯がゆく感じた。
「睦月か・・・。お前とはなんだか気が合う気がするよ。」
いびつな容姿をした彼は笑みを見せた。
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「これは・・・。」
師走と如月は、ライトで照らされた室内と見て驚いた。
足の踏み場もないくらいに床が本で埋め尽くされていた。
壁にはいつもオーナーが来ている服がきれいにかけられていた。
ちらほら見える日用品が異質な物と感じるほどに、この部屋に生活感を抱けなかった。
「オーナーってどうやって生活してるんだ?」
如月は首を傾げながら言った。
床に無造作に置かれている本に視線を落とすと、何冊かはホコリがかぶっている。
「想像がつきませんね・・・。」
部屋の中をじっと見つめていると、背後に誰かが立つ気配を感じた。
後ろを振り返るとオーナーが腕を組んで立っているのが見えた。
「オ、オーナー・・・。」
驚きながら、呆れたと言いたげな顔をしたオーナーを見つめた。
「そんなに驚かなくても・・・ここは私の部屋なんだから、来ても問題はないだろ?」
長い黒髪を揺らしながらオーナーは、器用に部屋の中に入って行く。
羽織っていたコートを机の上に置いた。
「如月に師走・・・この部屋に何か用か?」
薄暗い部屋の中でオーナーは言った。
それに対して私たちは、睦月のことを話した。
話を聞き終わると、オーナーはクスリと笑った。
「なるほど。見ての通り、ここには睦月は居ないよ。」
「オーナー・・・。」
如月が言った。
「こういうことは良くあることだよ。この店では・・・。」
「どういうことですか?」
師走はオーナーの顔をじっと見た。
「ここは生きてる人間にとっては夢で、死んでる人間にとっては彼岸だからね。喫茶店って名前だから、休憩が終われば自分の目指す所へ行く・・・そんな場所じゃないのか?」
「オーナーは・・・・ここの創設者では・・・。」
オーナーはクスリと笑った。
「いや。私も如月と師走と一緒の存在だよ。ただ、一つ違うと言えば・・・誰よりも長くここに居るくらいだよ。」
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「お前はこんなところで何をしていたんだ?」
普段なら人目に付かないように、洞窟の中に居るはずなのに・・・。
その疑問を深いに思ったのか、粋は不機嫌そうに顔を歪めた。
「こんな外見んだけど、俺だってお前らと変わらない存在だ。たまには、気分転換に出かける時だったある。」
「そういう意味じゃない。ただ、純粋にそう思っただけだ。もう、そうやってマイナスに物事を捉えるのをやめろよ。」
俺も腹が立った。
「マイナス?なんだ?その言葉は・・・。」
首を傾げながら粋は言った。
それを聞いて俺は渋い顔をした。
「なんでも刺々しく接してくる奴に対して使う言葉だよ。もっと、人を信用しても良いんじゃないのか?」
そう言うと、粋は驚いた様子を見せた。
「信用・・・。」
粋はそう呟くと、何かを考え込んだ。
「そうか・・・信用か・・・信用しても良いんだよな・・・。」
まるで自分に言い聞かせているように感じた。
「そうだよ。信用してくれればいいんだよ。」
俺は自然と笑みを浮かべた。
「改めて、ここでお前は何してたんだ?」
「俺は・・・」
「粋!!」
聞き覚えのある声が聞こえてきた。
粋は嬉しそうな顔をしてその声のする方を向いた。
俺はこの光景を知っている。
ここで俺は粋と遊ぶ約束をしていたんだ。
そっか・・・・あの時、誰と話していたんだって聞いて・・・粋に、座敷童に会ってたって言われたんだっけ・・・。
そこまで思い出すとだんだん腹が立ってきた。
「粋・・・俺は座敷童なんかじゃ・・・・」
訂正しようと言いかけたその言葉は、この時代の俺が登場したことによって遮られた。
俺は舌打ちをしながらその場から離れた。
粋が俺を引き留めようと手を伸ばしてきたが、後ろ髪を引っ張られる思いで無視した。
何処に行けば良いか全く分からないが、とりあえずがむしゃらに走った。
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「睦月の奴・・・一体、どこに行ったんだ?」
如月はため息を吐きながら、カウンターに突っ伏した。
いつも睦月がしているように・・・。
「そうですね。」
師走はその隣に腰を掛けた。
カウンターには、睦月が大切にしているホルマリンの瓶が置かれている。
「睦月はどうしてこれを大切にしてるんでしょうか?」
如月は顔をこっちに向けて、瓶の中の異形の腕を見つめた。
「忘れないためだって。」
苦笑いをしながら如月は答えた。
「何をですか?」
すると如月は話しにくそうに頭を掻いた。
「初めて会った時の睦月は血まみれで刀を持ってたんだ。その足元には、その腕の主が傍で死んでたんだ。それ以上は分からないし、睦月も話そうとはしないんだ。」
睦月とその人は親しい間柄だったのだろうか・・・。
最悪な想像が頭の中を巡った。
それが腕に対する異常な執着なのだろうか・・・。
腕は瓶の中で浮いている。
瓶に人差し指が触れた時のことだった。
「返して。」
この場に居るはずのない、あの男の子の声が聞こえてきた。
驚きながら如月と師走は一斉にその声の方へと振り向いた。
「ねえ、それを返して。」
睦月が連れてきた男の子が瓶を指さして言った。
「これは睦月の物なので勝手に渡すことは・・・。」
「返して!!」
語気を強めて男の子は再度言った。
「だから、これは睦月のだから渡すことは・・・。」
如月が聞き分けのない男の子に言ったとき、男の姿に驚いた。
師走は如月の服の袖を掴んでその先を制した。
「如月・・・この子の腕・・・。」
促すと、如月も驚いたように目を見開いた。
「初めから片腕でしたっけ?」
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「ここまでくれば・・・もう大丈夫だろ・・・。」
激しく息を切らせながら、睦月は膝に手をついた。
早く元の世界に戻りたいと思う反面、この世界にいつまでも居たいという自分がいる。
それに歯がゆさを感じる。
何も下げていない腰の傍で拳をつけた。
「鬼・・・鬼・・・。」
ふと、しわがれた声が少し離れた先から聞こえてきた。
顔を上げて辺りを見回すが、その声の正体は何処にもない。
「不愉快だな・・・。」
苛立ちを覚えながら、その正体を見つけるために声のする方へ歩いた。
一歩足を踏み出すごとに、不快に感じる冷たい空気が体にこびりついていく気がした。
「鬼は殺せ。」
近づけば近づくほど、不快な言葉がハッキリと聞こえてくる。
「私たちの平穏のために・・・・厄災を防ぐために・・・鬼は殺すのだ。」
老婆が何人もの男たちの前で、大きく手を広げながら叫んだ。
それに合わせるように男たちも叫ぶ。
「おい、そこのお前・・・。」
不快に思いながら、その場に水を差すように老婆に話しかけた。
老婆の焦点の合っていないような目が俺を捉えた。
「その姿は・・・・鬼の仲間か?」
仲間?
そんな風にお前らがするから・・・・粋の居場所が無いんだろう・・・。
怒りを抱き、拳に力が入った。
「そんなの関係ねえだろ!こんな変な所で何してるかって、こっちは聞いてんだ!」
「鬼が現れたぞ!早く退治しなければ!!」
老婆は傍に置いてあった、見たことのある刀を手に取り、俺に切りかかってきた。
その後ろでは、敵意むき出しの男たちが俺を睨んでいる。
舌打ちをして、俺はその場から逃げ出した。
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「これは・・・君の物かな?」
如月は気持ちを落ち着かせるように深呼吸をしてから、男の子に問いかけた。
男の子は力強く頷き、手を前に出した。
「分かりました。」
師走は半信半疑の様子で瓶を持ち上げた。
その時、その瓶がいつもより軽く感じられた。
「良いのか?そんなことをしたら、睦月が怒るぞ?」
男の子に瓶を渡すと、如月に肩を掴まれた。
「確かにそうかもしれないですね・・・。けれど、この子もいたずらでそんなことを言っているわけではないと思ってしまったんです。」
器用に片腕で瓶を抱えながら男の子は嬉しそうな顔をしている。
穏やかな様子で男の子は師走に向かって、深々とお辞儀をした。
それに合わせるように師走もお辞儀をした。
「これで・・・心残りはもうないよ。」
そう言うと、男の子は背中を向けて店から出て行った。
「如月・・・。」
男の子が出て行った後を見つめながら、如月に話しかけた。
「なんだ?」
「睦月はもしかしたら・・・もう帰って来ないかもしれませんね・・・。」
如月は驚いた顔をした。
「ど、どういうことだ?」
店長はこの店は休憩場所と言った。
「あの男の子が睦月の憂いで・・・その憂いが無くなったら・・・睦月はいつまでもこの場所に居てくれるでしょうか?」
居なくなる悲しみを押し殺して、如月に言った。
如月は視線を床に向けた。
「だとして・・・こんな突然居なくなるなんて・・・嫌だ。師走・・・俺は、諦められそうにない。」
そう言って、店の扉に向かって如月は走った。
「私もです。」
師走は如月の後に続くように走った。
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なんとかあの妖怪婆を巻くことができたが・・・体力的にもう、限界だ・・・。
降りしきる雨の中、粋を切らせながら睦月は洞窟の中にしゃがみ込んだ。
「なんで・・・ここに居るんだろう・・・。」
今更のことを呟きながら、崩れるように冷たい地面に横になった。
疲れた・・・。
少し・・・休もう。
「うるさい。」
しゃがれた声が突然聞こえてきた。
涙を拭きながら顔を上げて辺りを見回したが、辺りには誰も居なかった。
「誰?」
そう問いかけると、池の傍に生えていた草が不自然に揺れた。
「そこに・・・居るの?」
それを少し怖いと思いながら言った。
「なんで、泣いてる。」
誰だろう・・・。
それを確かめるために立ち上がると、草はさっきよりも強く揺れた。
「来るな!」
「な、なんで?」
大きな声に驚き、声が少し上ずった。
「見られるのが嫌いだから・・・。」
それが不思議だった。
その言葉の意味が分からず、俺はその草を掻き分けて声の主の姿を見た。
「見るな!!」
異形の形をした人が、必死に姿を隠そうと両手でもがいている姿が見えた。
「なんで隠す必要があるの?」
するとその人はジタバタともがくのをやめて、ゆっくりと両手を下げた。
「お前が怖がらないためだ。」
じっとその人は俺を見る。
「優しいんだね。」
笑みを浮かべてその人を見た。
「僕は・・・って言うんだ。」
その人は信じられないと言いたげな顔をしながら、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「大丈夫か?」
粋のそう言う声を聞いて、俺は飛び起きた。
視線を向けると、心配そうな顔をしているのが見えた。
「い、いつの間に・・・寝てたのか・・・。」
息を切らせながら粋を見た。
「熱がある。急に動くと、体に毒だ。」
そう言って粋は俺を引き寄せて、寄り掛からせた。
雨のしずくが水溜まりに落ちる音が洞窟内で反響した。
粋のいびつな手が俺の頬を触る。
その手が冷たくて心地よかった。
ゆっくりと、それを感じながらその手の上に自分の手を重ねた。
俺はこの手で粋を殺したんだ・・・・。
それが悲しくて、辛くて、目をきつく閉じた。
「なにかあったのか?」
その言葉を聞いて、目を開けて粋の顔を見た。
「なんで・・・泣いてるんだ?」
睦月は目を大きく見開いて、片方の手で自分の頬を触った。
そのとき、自分が泣いていることに気が付いた。
俺は目を細めた。
「唯一の友達が死んだから・・・。」
話してはいけないが・・口が・・・気持ちが止まらない。
「死んだ理由には納得がいくんだ。けど・・・・」
自分で全てを台無しにしてしまったのに、お前を見ていると・・・。
「あの時の俺の選択が本当に正しかったのか、分からなくなるんだ!」
粋に縋りつきながら、睦月は叫んだ。
20
「はい。」
ある古いアパートの2階の隅にある部屋のインターホンを鳴らすと、霜月が出てきた。
「どうしたの?こんな休日に二人そろって・・・。」
腕を組んで扉に寄り掛かりながら、如月と師走を見た。
「霜月、大変なんだ。睦月が消えた。」
慌てた様子で如月が言うと、霜月は考える素振りを見せた。
「店の床で寝てるだけじゃないの?」
「違う。どこを探しても居ないんだ。」
霜月はそんな如月の姿を見て首を傾げた。
「なんか・・・睦月がこのまま居なくなりそうな感じがして・・・居ても立っても居られなくて・・・。だから、霜月の力を借りに来たんだ。」
すると霜月は難しそうな顔をした。
「私に何をして欲しいつもりなの?」
「睦月の所に連れて行って欲しい。」
霜月は盛大なため息を吐いた。
「いつ?何処?てがかりは?」
まくしたてるように霜月が言うと、二人は視線を泳がせた。
「何も分からないなら、無理。」
二人は落胆した様子を見せた。
「まあ・・・こんなの、日常茶飯事なんだからそんなに気を落とすことでもないと思うわよ。あの店から居なくなることは、光栄なことだと私は思うけど?」
「霜月は・・・何か知ってるんですか?」
師走が言った。
「何も。」
21
「まさか・・・。」
洞窟の入口の辺りから嫌な気配を感じた。
何かが・・・こっちに向かってくる。
唾を飲み込みながら睦月はじっと入口を見つめた。
「粋・・・急いでここから離れよう。」
粋の腕を力強く握りながら言った。
「なにかあるのか?」
俺は視線を粋から逸らした。
「ただの・・・勘だよ・・・。」
そう言った瞬間、粋に勢いよく抱きかかえられた。
「お、俺は時分で歩けるから大丈夫だ!」
突然のことに驚きつつ、恥ずかしいと思いながら粋の腕の中でもがいた。
「風邪を引いているときは油断したらダメだって、俺の友達が言ってた。」
それを聞いた瞬間、恥ずかしい気持ちが少し抜けた。
なんなんだか・・。
その思いを汲み取り、俺は体を粋に預けた。
すると粋は俺が濡れないように大きな葉をかぶせてきた。
「これなら大丈夫。」
優しい声で粋は言った。
懐かしくて・・・心地の良い声だ・・・。
もう一度・・・この世界で粋とともに過ごすことができたらどんなにいいだろう・・・・。
少し目を閉じた。
俺が粋を殺さないように・・・運命を変えたら・・・・。
粋を殺したときの情景が思い浮かんだ。
いつもと違う顔つきをして俺を襲う粋・・・。
それを怖いと思い、あの刀を俺は手に取って・・・・。
自然と奥歯に力が入る。
仕方がなかったなんて・・・思いたくない。
22
扉を開けると、店内にカランと鈴の音が響き渡る。
『いらっしゃいませ・・・。』
気だるげな不愛想な声がいつもなら聞こえてくるのに・・・それが今はない。
如月はそんな現実に自嘲しながらカウンターに座った。
この店に今居るのは俺と師走しかいない。
同じように椅子に座って考え事をしている師走を横目で見た。
睦月、初めのころは素直で礼儀正しかったな・・・。
今はそんな面影はないし、髪も茶髪で・・・・なんであんなのになっちゃたんだろう・・・。
ため息を吐きながら、顔を上げて正面を見た。
でも一緒に過ごして、楽しかったのは嘘じゃないんだ・・・。
嫌だ・・・こうやって諦めるのは・・。
如月は奥歯を噛みしめながら、ズボンのポケットの中に入れていた手袋を取り出した。
「如月?」
「俺はやっぱり・・・霜月があんなこと言っても、諦められないんだ。だから・・・その・・・。」
手袋を片手にはめながら、次に言う言葉を考えた。
けど、うまい言葉が思い浮かばなくて俺は・・・。
「だから、とりあえず行ってきます!!」
叫ぶようにそう言って、店内に向かって手袋をはめた手を突いた。
無理やり空間を掴むように引っ張った。
先のことを全く考えずに作った空間の亀裂に飛び込んだ。
「如月!」
師走の声に反応して振り返ると、睦月の持っていた瓶を抱えた男の子が後に続いて入ってくるのが見えた。
23
「睦月!!」
森の中を粋に抱えられながら逃げていると、如月の声が突然聞こえてきた。
辺りを見回してみたが、その姿は何処にもない。
「どうしたんだ?」
息を切らせながら粋は言った。
「誰かが・・・俺を呼ぶ声がして・・・。」
「睦月!」
今度はすぐ傍でした。
「お前は誰だ?」
それと同時に粋の腕に力が入った。
警戒している粋の視線の先を見ると、ずぶ濡れの如月の姿が見えた。
激しく息を切らせながら目の前に立っている。
「如月・・・。」
「睦月の仲間なのか?」
ゆっくりと頷いて答えた。
如月はゆっくりとした足取りで、粋に近づいてきた。
「怖いのか?」
ニヒルな笑みを浮かべて粋は如月に言った。
「こんなの初めてだから・・・正直に怖いって思ってる。」
粋は落胆した様子を見せた。
「けど、睦月がお世話になってるのは事実だ。だから、ありがとう!」
緊張した様子で如月は勢いよくお辞儀をした。
粋はそんな如月を黙って見つめている。
「手を・・・両手を出せ。」
重くずっしりと感じられる声で粋は言った。
その通りにすると、粋は俺を如月に渡した。
「俺といるよりは安全だ。」
穏やかだが、少し泣きそうな声で粋は言った。
「そんなこと・・・言うなよ!勝手に決めんな!!」
これを逃してしまえば・・・・粋はあの妖怪婆のせいで人を殺して・・・そのあとは・・・。
何とかしないといけないのに、如月の抱きしめる力は増していく。
「一人で行くな!!」
叫ぶがその思いは届かず、粋は走り去ってしまった。
「俺を・・・置いていくな・・・。」
その呼ぶ声が・・・俺の胸を深くえぐった。
24
ちゃんとした理由があれば・・・俺がしてしまったことは、仕方がなかったで済むのだろうか・・・。
見知った大人たちの悲鳴に・・・暴れる粋を切った感触・・・。
それが・・・俺の耳や手にいつまでも残っている・・・。
如月に背負われながら俺はそんなことを考えていた。
「あの時、粋と一緒に無理してでも行けば未来は変えられたはずだ・・・。」
ぽつりと睦月は呟いた。
「確かにそうだな。」
如月の首筋を見た。
「ここに残ってたら・・・何か見えたんだろうか・・。」
ため息交じりに言うと、如月は盛大なため息を吐いた。
「そうなってみないと分からないけど、睦月はこっちを選んだんだ。それが、睦月にとっての正解じゃないのか?」
「こんな後悔ばっかりのが?」
「後悔のない選択なんてしたことがないから分からないけどな。」
如月は笑いながら言った。
「ただ俺の時は、生きていく方法なんて誰も教えてくれなかった。だから、ご飯食べるために盗んで人を悲しませたことだってあるよ。そんなの続けてたらさ、本当にこれで良かったのかって思うんだ。」
睦月は黙って聞いている。
「今から考えると酷いことばっかりしてたけど・・・俺は生きたかったんだ。」
「何が言いたいんだ?」
それを聞いて如月はクスリと笑った。
「やったことは何も変えられない。けど、これからは変わっていくことは出来るだろ?」
それを言った瞬間、睦月に殴られた。
「何だよ・・・。」
彼はそう小さく呟くとまた背中に顔を埋めた。
そんな睦月を見て如月は苦笑した。
25
神無月は欠伸をしながら出勤をすると、目を疑うような光景が店先に見えた。
自分の面倒さえ見れなさそうな睦月が、花壇の隅っこに座って何かをしている。
その隣には水の入ったバケツもある。
ゆっくりと睦月の傍に近寄った。
「頭でも打ったのか?それなら病院に・・・。」
声をかけると、睦月は屈託のない笑みを顔に浮かべて振り返った。
しかし、眉間にはいつものように皺が寄っている。
口を両手で押さえて、静かに睦月の隣に座った。
すると睦月は作業を続行させた。
「どうしたんだ?」
改めて、今度は真剣に聞いてみた。
「いつまでも一緒に居たら、こいつも疲れるだろうなって思ってさ・・・。」
そう言いながら、盛り上がった土を園芸用ミニスコップで軽く叩いた。
疲れるのか・・・。
一体何がだろうか・・・。
そう思いながら、空を眺めた。
「だから、少しの間だけ休んでもらうんだ。」
そう言うと、睦月はスコップをバケツの中に放り込んで立ち上がった。
「俺も・・疲れた。」
いつもそんなことばかり言っていて、珍しくもないはずなのに、その言葉だけは睦月らしくないと感じた。
「昨日は休みだったのに、疲れが取れなかったのか?」
睦月は口元に笑みを浮かべるだけで、何も答えなかった。
「おかえりなさい。」
そんな話をしていると、後ろから師走が穏やかな声で声をかけてきた。
睦月は気恥ずかしそうな顔をして見せた。
「なんだよ・・・。別に旅行に行ってたわけじゃないから、土産なんかないからな。」
師走から視線を逸らしながら睦月は言った。
「貴方が帰ってきただけで、私は十分です。これからもよろしくお願いしますよ。」
クスリと笑いながら師走は言った。
「一体・・・どうしたんだ?」
二人の状況に付いて行けず、俺は首を傾げることしかできなかった。
「そこでなにしてるんだ?」
疲れた様子の声でオーナーが現れた。
「別に・・・。」
いつも通りの不機嫌そうな声で睦月は答えた。
そのまま店の中に入ろうとする睦月を師走は腕を掴んで引き留めた。
「睦月、挨拶は大事なことです。ちゃんと挨拶をしないと、ちゃんとした人にはなれませんよ。」
笑顔なのに怖い雰囲気を漂わせながら師走は言った。
「うるさいな・・・。」
その光景が小学生の悪ガキを叱る母親に似ていると思った。
「別に今日くらいはかまわないよ。睦月だって、大変だっただろうから・・・。」
クスリと笑いながらオーナーは店の中に入って行った。
師走と睦月がそれに続くように入って行った。
俺もその後に続こうとしたとき、睦月がいじっていた花壇が視界に入った。
そこには達筆な字で粋と書かれた木札が埋められていた。
それに苦笑した。
まあ、目立つような場所でもないし・・・良いか。
そう思いながら店の中へと入った。
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