九~十二

   九


 次に潜り込んだのは成人映画ブルーフィルム専門海賊映画館の地下、猥雑な区域のネット喫茶、売春宿に隣接しておりうるさく不衛生。寝てると銃声が何度か聞こえた、まあきっと映画の効果音だろう、手持ちの金はまだ結構あり、凪の所で働いてた際、依頼人からもらった土産の四十五口径銃や粗悪な義士・片脚のない老人がその場で外してくれたやつ、宝石、戦利品っぽい金歯とかを質に入れてしのいだ。縁起の悪い路地その名も〈首吊り通り〉はその名の通り首吊り縄がぶら下がってて誰でも首を括れるようになっていて時折疲れたサラリーマンだろうか、スーツ姿の死体がぶら下がってたり娼婦やギャング、希望のなさそうな若者も見かけた。新鮮なうちに誰かが部品目当てで下ろさない限り高温多湿の都市がそいつらを腐敗させるからあんまりそこを通らないようにしていた、それでも映画館から安酒場までの近道だったのでたまに通るとある夜、煙草を咥えた大柄な男が「火ない?」と聞いてきた。白はマッチをくれてやると男は代わりにワインを一瓶くれた。彼は薬間クスマと名乗る広告関係の仕事をしてるとかの暇人で、首吊り通りで死体を見るのが好きっていう悪趣味な奴だった。

「第二大陸で疫病が流行った時」薬間は新鮮な死体を見上げながら言う、「ものを言ったのは情報の力でそれで何だって売れた。磁石、バナナ、処女の生き血、寄生虫、効くって根拠は何だっていいんだ。オレは一日中のろく道を歩いてるよ、あんただってそうだろ、時間は大事にしねえと腐る。広告の中に暗号文を仕込んどくやり方についてはもう聞いたかな? カナメ財閥の好むやり口で脳拡張済みの金持ちにはよく効く方法だ。アップデートごとに何百何千万圓も大盤振る舞い、前に往来で大騒ぎした通り魔集団がいたろ? あれも暗号文の指示に従ってやったんだ。オレじゃあねえがまったく関わりがないとも言い切れない、オレたちのらくら者には縁のない話だが青霊家が新ビジネスのために探偵を雇ったそうだ、奴らは資格が要らねえからそこらの流れ者も目が良きゃ一攫千金いけるかもな、どうせ裏切り者の顔を整形した医者を探すとかそんなのだろうけどな、この前映画館でフィルムが燃えたときどさくさに紛れて何か頂こうとしたが隣の客の飲みかけのコーヒーくらいしかなくてよ。オレたちはいつだってチャンスにありつけないよな兄弟」「いつから兄弟になったんだ?」「とにかく興味があるふりをして生き続けろ、ただふりをするだけだ、番人の目を引かないように……」

 このイカれた男はその後自分も首吊り通りにぶら下がった。


   十


 それから三日ぐらいしたころ首吊り通りに足元をじっと見ている青白い顔の男がいて近づくといきなり顔を上げ白を見た、そいつの肩には二、三匹の蝶が止まっていてふと上を見上げると大量の群れもいてそれとは別にそいつの中に潮の香りと灰色の海を感じた。〈島〉の人間だ。「本質を切られた、有り体な言い方だとボラれたんだがそれはわたしの不注意もあってだから別に良いんだけど最悪な気分だよ、怪我するたびに痛みとは別の感覚があって喪失感とも違ってて指の先を切っただけでものすごい広い荒野を歩かされてる気がするんだ、それは体から根源的何かが抜けてるせいで臓器とか取られるとたぶん死ぬと思うんだわたしは。ところで君は薬間に会ったんだな?」男はまた足元を見た。「本質を切られたからその部分の空白がわたしに感じさせるから分かったんだけどやつが死ぬ前に最後に会ったのがあんたで間違いないのかな」

「どうかな」白は上の、首吊り死体と同じくらいの高さに漂ってる蝶を見ながら言った、「分かってるとは思うけど彼が死んだのは俺のせいではないよ」

「コトは連鎖的に始まってるからな別に責めるつもりもないしガキどもがドンパチやってるのが昨今の社会問題を端的に表しててそれは操られてるってことなんだな財閥とか政府とか軍とかその他のものじゃなく一個人の〈宿敵〉にだ、その戦い、聖戦、についてはまた今度話すとして今は君を同胞として感じているよ、五代前か? 四代かな、どちらにしても女性だ、自決だな? 出産の後か身篭っている最中にだ」

「五代前だ」自分が感じてるように向こうもこっちに〈島〉の名残を感じている。「その後で一族は島を出たんだ。流刑だよ。向こうが流刑地なのにそっからまた流されて帝都に来た。俺はそこからさらに流れてこの有様、あんた仕事してるか?」「ケチな工員だよ、空きがあるから紹介してもいいただ、条件があってわたしと少しばかり話をして欲しいんだ、猥談ってわけじゃないぜ創造的な話だ」

 白は承諾した。男は離火リカと名乗った。


   十一


 この都市のこの区域にしては清潔で明るい酒場、露骨に虫や害獣の死骸が転がってたり生きてるのが走ってたり肉片や死体が転がっていないという意味で、しかし半世紀以上掃除はされておらず排泄物や吐瀉物や血液、アルコールの臭いが入り混じっている。離火の宿敵と戦わなくてはいけないというアジテーション的演説が空しく響いた。虚構に過ぎない塵都において穴居人的側面を持ちながら抗争が進み、荒廃、そんで人々は今や公然と武器を持って宿敵と戦うことになるだろうという〈島〉出身者一流の幻想的思想。興味のあるふりをしながら生き続ける。暗号文で会話する背後の軍勢は活力とは無縁だ。結果あり付いたのは油工場の作業員、この都市の主流は鯨油とか蒸気機関ではなく植物油でまあいつものパターン、そこから先は困難な一日十時間の単純労働だ。足元は培養液で長靴を履いて植物の合間をうろつくアメンボみたいな作業員である。

 そのゴミ捨て場のカラスみたいな集団の中に架島カシママキもいた。架島は三十過ぎの未亡人で自分で前の旦那を殺したって評判だったが、ギャンブル中毒者とかそれこそ〈島〉出身者のならず者、ギャングとかの工員に比べれば人気があった。週末の食堂、路上に勝手に椅子とか机を置いて勝手に通行止めにして勝手に営業してる海賊酒場、そういう蝶が飛んでいる場所でこの女が言うことには深海に潜るように生活していかなきゃいけないって話、今や塵都のしみったれた空が夜勤上がりには青ざめて海の底に近い。そこで神の台詞を聞いている。台本を見ながら神々は喋れるが自分たちはそうじゃないから即興劇。海底の即興劇は息苦しくて息継ぎどころじゃない。だから旦那を殺したのか? とそこまで直接的じゃないにしろ白が言うと彼女は沈黙して酒を飲むけど実質的に是。蒔は離火や架島のグループや他のとは距離を置いていたがなぜか白とはよく口を利いた。こいつは若いが、いつだって草臥れていた。この前占い師の老婆がしたみたいにだいたい同じ場所にいればそいつらは繋がっていて何を喋っていたか、関連付けられる。互いにいくつものキーワードと命令を含ませておいてその通り行動すれば間違いはない。下級市民は見えない回線で接続されている、金持ちみたいに独自回線とはいかない。

 だから白は蒔の都市の曇り空と同じく灰色のよどんだ目を見て、彼が話す変電所爆破計画から抽出した、現在の時勢を用いながらさも他の工員の古くからの知り合いみたいに、そいつらの聞きたい台詞を用意してやったり喋りたいことを的確な相槌とともに聞いてやったりして退屈な十時間の仕事を乗り切っていた。


   十二


 珍しく晴れた日、油工場の屋上で仕事をサボって架島、離火とともに煙草を吸っていた。なけなしの青空は大部分建物で切り取られていた。「クソ人事のせいで班長の胃袋に穴が開いちまったよ」架島が言う。「それはつまり元々サボり班長のいた三班に真面目な班長が来て、サボリ班長の下で真面目にやってた奴らが真面目な班長に指示されるのが嫌だから嫌がらせをするっつう地獄の光景だな」「わたしは一日中サボってるほうがいいですがね。こんな害悪な人工着色電波の中でなんか働いてられない」

「どうすりゃいいんだか」白が言った。

「常にあんたのしたいようにしてりゃいいんだよ。常に」架島が笑いながら言った。「死んだ後もだ」

 要財閥が敵対的買収を仕掛けただか仕掛けられたかで騒ぎ。電車で事故。通勤電車が止まるのはツイてる。蝶の飛んでる量が多い日は特に電車が止まりやすい。誰かがどこかで死にたくなる日だ。もちろん誰も彼も常に死にたがってるからその決行日ってだけの話だけど。

 蒔が映画館にやって来た。「今日は誰かそこの道にぶら下がってた?」「ああ」蒔は答える、「若い女と男が一つのロープで首を括ってた。心中かな」「死ぬつもりはなくて気持ちよくなりたかっただけかも」「そんな馬鹿は死んで当然だぜ」何も上映されてない映画館の暗がりで安っちい月光酒ムーン・シャインを飲みつつ蒔は言う、「皆色々な社会問題について危惧してっけど本当に深刻なのはそれじゃないぜ、問題は月だ。月から落ちてくる塵だ。その塵の上にこの街は建ってどんどん上に拡張してってるけどそのたびに月に近づいてさらに塵の量が増えてる。いずれは塵が人類を間違った方向に進化させて最終的な聖戦の結果離火の言うところの宿敵が勝利する日が来る、それまで飲んだくれてたほうがいい。この話は覚えとくべきだぜ」

 白は与太話としか思えなかったのですぐにその話を忘れた。数秒間寝てる間蒔は映画館からいなくなっていた。通勤に時間がかかりすぎるという理由で紹介してくれた離火の恩義にも関わらず工場の仕事はすぐ辞めたが、その後も架島や離火とはたまに会っていた。電車には日々人々が飛び込み続けるので線路の血を洗う暇もなく駅は血なまぐさくなっていって蝶の羽も駅構内じゃ少しずつ赤くなっていった。

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