助手席の人
じんくす
第1話
シルバーのセダンが、私の運転する軽自動車の横すれすれを、私への不満をぶつけるように追い越していきました。「きゃあ!」と、思わず声が出てしまいました。
「今日はこれで三回も追い越されちゃった……」
ため息ついて、つぶやきました。
休日の楽しいドライブのはずが、どうにも緊張続きで参りました。
初めての道を走る緊張はあるものの、それを差し引きましても、若葉マークがようやく外れた先月から、私の運転に対して他車の容赦がなくなってしまったと感じるのは、気のせいではない気がします。けれど、私だって、この片側一車線、制限速度四十キロの道路を五十キロ近くまでがんばっていますし、自動車の流れに合わせようと努力もしているのです。それでも、私の自動車のお尻にみなさん、じりじりと近づいては、しびれを切らしたといわんばかりに追い越していくのですから。
みなさんがどれくらいの速度で走っていらっしゃるのかは、分からないけれども、追い越すときの、あの、タイヤノイズはとても鋭利で、心が剃刀で刻まれるように痛みます。大きなトラックに越されるときは、また別の怖さがあって、小さな私の軽自動車なんて、ぶつからなくたって、うちわで仰いだ紙風船みたいに、ころんと簡単に転がってしまうのではないかと、恐怖します。
これですからね、臆病と、よく言われるのです。
他の運転手さんたちは、私と同じような思いをしないのでしょうか?
お思いならば、どう対処されているのでしょうか?
ある日のおしゃべりのとき、この悩みを、お友だちに相談しました。
「そんなの無視すればいいのよ。無理にスピード上げて事故をしたり、お巡りさんに捕まったら面白くないでしょう。放っておきなさい」
いつもしっかりしていて正義感の強い依子さん、私もあなたくらい自分を強く表現できたらいいなと思います。
「あたしだったら、ブレーキランプを点灯させたり、エンジンブレーキを効かせたりして、驚かせてやるね。そうすりゃ、大抵は車間距離をうんとあけてくれるよ」
男勝りで頼もしい明日香さん、それはちょっと恐ろしくてできません……。
「音楽やラジオを聴いて気持ちを紛らわせるのはいかがでしょう?」
清楚でおっとりされていて、多分、私と感覚が近い尾乃井さんのご意見が、私には合っているようでした。
これまで私は、運転中に音楽もラジオも聴いたことはありませんでした。初心者の私では運転の集中力が削がれそうでしたから。けれど、免許を取得しまして一年も経ちましたし、運転そのものにはもう、自信はついていました。今日こそは尾乃井さんのアドバイスを実践してみましょう、と、それにまた、この日は他車から受ける圧力によっぽど参っていました。
交差点の赤信号に止められると、カーオーディオを操作して、音楽チャンネルを探しました。でも、操作にもラジオにも慣れないため、受信して流れはじめたのは、落語家さんと女性アナウンサーがパーソナリティを務める談話番組でした。
「あぁ、音楽だけを私は聴きたいの……」
しばらく機械と格闘しましたが、対向車線の信号が黄色に変わったのに気が付いて、操作を諦め、談話番組がBGMとなりました。
はたして、私の気はちゃんと、紛れるのでしょうか…… いいえ、お二人のお話はとっても愉快で、しっかり楽しみたいと興味をどんどん惹かれるのですが、それでも後続車が気になります。リラックスはできません。
それでも、ラジオを流し続けてドライブしていると、リスナーのお便りに答えるコーナーがはじまりました。毎回テーマごとにお便りが寄せられるようで、その日は“ドライブで感じる不満”がテーマでした。これは今の私にとっても参考になりそうではありませんか、と、音量を上げて、運転への注力を損なわない程度に耳を傾けました。
「左折したいのに歩行者が我関せずとのんびり歩いているとイライラする」
「ウインカーを出さずに車線変更する車がいると気遣いがないとイライラする」
「自転車が右側を走っていると危なっかしくてイライラする」
「理不尽な取り締まりで警察官に捕まってイライラする」
みなさん、ドライブにイライラがつきもののようです。私はといいますと、イライラする余裕なんてないほどに、ただただ、臆病で困っているというのに。そういう私は、イライラさせる、原因側なのでしょうか。そう思うと、余計に周りが気になって緊張が増してしまいました。
コーナーも終盤になったとき、私と同じ悩みを投稿されたかたがピックアップされまして、自分だけじゃないと安心はしませんけれど、驚いて、注目しました。
「安全な速度での運転をしていると、後続をイライラさせるようで困ってます。それに対して私もイライラすることもあります。どうしたらよいのでしょうか?」
このリスナーの不満について、パーソナリティのお二人は「よくあるよね」と、お話を繰り広げて、落語家さんは最後に自論を語りはじめました。
「結論から言うとね、安全な速度での運転は一番偉いと僕は思うよ。だって速度が増すほど事故は絶対増えるし、絶対大きな事故になるんだから。それを避けようという意識から生まれる安全運転は、誰かが責めていいものじゃないよ」
私に直接おっしゃっているように感じて、ありがたく思いました。
落語家さんは続けます。
「後続に近寄られてプレッシャーを感じて、自分がどうしようとか、どうしてあげればじゃないよ。安全な運転を続ける心を持ち続ければいいだけ。先を急ぎたいからって危なっかしい運転する相手も気にする必要はなし。それに、小心者にありがちなんだけど、プレッシャーを与えられてると思っていても、実は向こうにはその気はないことって結構あるのよ。車間距離の感覚ってのは、運転手によってそれぞれ微妙に違うものだし、車種によっても違うものなのよ」
とっても感心しました。けれども、彼のお話の一番の深いところは、ここからでした。
「でもね、小心者というのは、それでも自分や相手を気にして運転に疲れてしまうものなんですよ。そこはどう対処して運転に集中すればいいんですか?」
女性のアナウンサーが落語家さんに質問しました。すると、その質問を待ってましたといわんばかりで、学校の先生のような口調で答えたのです。
「その考えがね、まずからして違うと思うんだ僕は。あのね、『自分』と『相手』は気にしなくてもいいの。自分の車に乗ってる『大切な人』を考えてごらんなさいよ。恋人や家族や友達を乗せて運転していたら、同乗者の安全を一番に考えなきゃ。これさえ考えていれば、どんなに嫌がらせを受けたって何も気にならないで運転できるんだから」
落語家さんはさらに続けて、それはもう、私に教えてくださってるに違いなくて、私は彼の熱心な生徒になっていました。
「お一人で運転していても考えは同じですよ。想像してみてごらん。あなたの助手席に、あなたにとって一番大切な人が乗ってますよ。あなたはその人に『怖いなぁ……』 『大丈夫かなぁ……』なんて心配される運転はしちゃいけませんよ。安心させようとがんばらなきゃ。そうしていたら、後ろの車に緊張してる暇ないから」
目から鱗なお話とは、まさしくこのことでした。
落語家さんのお話を聞き終えた後の私の運転は、ちょっぴり軽くなりました。心が軽くなると、体も軽く感じるのです。肩の力も抜けてくるのです。肩の力が抜けると、安心感が増すのです。運転の集中力があがりました。速度は変わらないので、相変わらず、車間を詰められているのではないかと、感じました。「私の横には大切な人がいるのだから」と、圧力に押され負けしそうになる度に、念仏のように頭の中で、そう唱えました。
しばらくはそうして運転していたのですが、ふと、思いました。
「私にとって、一番大切な人って、誰でしょう? 今、誰もいない助手席に誰がいて、私は誰を安心させようと、運転しようと、がんばっているのでしょう?」
一番の人を選ぶのって世界一の難題です。だって、一番の人を選ぶということは、誰かを二番、三番に落としてしまうわけでもありますから、一番になれなかったどなたかが可哀そうなのです。競争ではないのだから、人に順番なんて、誰がつけられるのでしょうか。だから私、結婚できないのかしら、なんて頭に浮かんだけれども、それは関係のないお話なので、すぐに消えました。
一番の人は選びたくありません。けれど、今回はどうしても選ばなければいけません。だって、助手席は一つしかありませんから。
そうして考えました。うんと、考えました。すると、少しだけ開けて外気を取り込んでいた窓から、とっても甘い、ふんわりと軽い、キンモクセイの香りが風に乗って車内に訪れました。
キンモクセイの香りと、その香りに合わせた思い出が、微笑みを誘いました。
「お母さん」
私は呼んでみました。呼んでみたら、嬉しくなって、「お母さん! お母さん?」と、その後も、何度もいろんなふうに、呼んでみました。お母さんを呼ぶことは嬉しいけれども、目の奥はかぁっと熱くなりました。お母さん、もういないのですから。
……
大変、遅くなりましたが、私、吉美(よしみ)といいます。
幼い頃から大変な臆病でして、たとえば親戚のおじさんが、「ぶわっくしょん!」と、盛大なくしゃみを私のそばでされただけで、叱られたと勘違いして、その人が一生苦手になってしまうくらいです。大声も、喧嘩も、悪口も、ちょっとのことで、気に病んでしまいます。もう、一生の性格なのだと臆病とお付き合いしています。
名前は“よしみ”ですが、お母さんは私のことを「きっちゃん」と呼んでいました。それは、小学生のときに私の名前を読み間違えた男子が「きちみ!」と言っていたのがはじまりでした。それをお母さんに伝えましたら、「きちみって面白い名前だねぇ。そっちにすればよかったかしら?」なんておっしゃって、それから、「きっちゃん」と呼ぶようになったのです。そんな呼び方をするのは、あれから随分と経った今でも、お母さんだけです。
お母さん、ちょっと変わっていたと思います。
私は、自動車を必要としない家庭で育ちました。お父さんは電車で通勤して、お母さんは自転車で買い物にお出かけできるので、自動車はいりませんでした。ですから、家族でドライブ旅行、なぁんて、一度も経験ありません。
小学三年生のときです。学校で、夏休みの旅行作文の発表会がありました。そのとき、お友達の由香ちゃんが、栃木の那須高原に家族でドライブに行ったお話を楽しそうに披露してくれました。由香ちゃん、とっても作文がお得意で、今は作家さんなのも当然です。その由香ちゃんのドライブ旅行のお話に魅了された私は、その日、お母さんと二人で自転車に乗ってお買い物に行く中、聞いてみました。
「私も由香ちゃんちみたいに、自動車で旅行してみたいな」
するとお母さん、簡単に答えました。
「うちには自動車ないでしょう」
私はそれ以上、お母さんに聞けませんでした。
まだ子どもだったけど、うちは、あんまりお金がないことを知っていました。自動車には、うんとお金がかかることも、知っていました。物を大切にして、無駄遣いを徹底的に嫌うお母さんは、自動車なんて、私たちの家族には考えられない贅沢品だったのです。
お金はないけれど、清貧な暮らしでした。お母さん、やりくり上手で、世渡りもうまくて、お話もうまいから、毎日が楽しく過ぎていきました。ときどき、寂しいことは、それはあったけれども、一言であのころを表現するならば、“幸せ”でした。
キンモクセイのお話をしてみます。
お母さん、「花なんて枯れるんだから、お金を出すなんて勿体ないわ」と、言うものだから、うちの花瓶は空っぽのことが多かったです。でも、お花は好きなんです。ご近所さんたちからお花をもらうと、大変喜んでいました。花瓶に差して、居間に飾ると、ずうっと居間から離れなくて、ただお座りになって、うっとり顔で眺めているのだから、枯れてしまうまでお母さん、家事を放ったらかしにしちゃうんじゃないかというほどでした。お手軽にお花を飾れない分、誰よりもお花を愛おしく感じていらっしゃったのです。
秋のことです。しばらくの間、花瓶が空っぽで寂しいときがありました。私はお母さんを喜ばそうと、小学校からの帰り道、どこかで野花を摘んでみようと考えました。でも、いいお花が全然咲いていませんでした。
ちょっと帰宅路を離れて公園に寄ってみたら、園芸のおじさんが、公園を取り囲むキンモクセイの枝を切っていました。枝にはオレンジ色のお花がたくさんついています。「勿体ないことしちゃうんだなぁ……」なんて思いながら眺めていました。そうして、いくつか切った枝をいただくことにしました。
「おじさん。お花のついた枝を少しもらってもいいですか?」
「あぁ、いいよ。美味しい香りだもんな。勿体ないもんな」
長い年月のお仕事で日焼けたおじさんの顔は、アンパンのようでした。シミはふりかけたゴマで、脂と汗で照る感じは、焼く前に塗った卵黄の照りそのものでした。袖をまくった二の腕は、コッペパンです。一目見てそう感じた私は、「パンおじさん」と、名前が浮かびました。
園芸のパンおじさんは、くしゃっとした笑顔で答えてくれて、枝を厳選してくれました。それを私に手渡す前に、集めた枝を顔の前にして、すーっと、キンモクセイのお花がおじさんのお鼻に吸い込まれるんじゃないかってくらいに、大きく大きく香りをかぎました。
「あぁ美味しい。ほんと勿体ないよなぁ。でも、枝を伸びっぱなしにしたら、公園で遊ぶお嬢ちゃんみたいな小さい子を突っついて危ないからな、仕方ないんだ」
キンモクセイを切っちゃうなんて可哀そうなことをする、とちょっぴり思ったけれど、優しさから仕方なく切り揃えていたのでした。「酷いこと」なんて思った自分を恥じました。「パンおじさん、ごめんなさい」と、口にはしなくても、お伝えしました。
キンモクセイの香りに包まれてお家に帰り、お母さんにプレゼントしました。とっても喜んでくれて、空っぽの花瓶に差してくれました。
「今までで一番素敵な花瓶になったねぇ!」
本当に幸せそうにおっしゃったので、なんでしょう、私、泣いちゃいました。嬉しくても涙が出るんだって、このとき知りました。
私が中学生になっても高校生になっても、あの公園で毎年秋になると必ず、パンおじさんからキンモクセイをいただいては、お母さんにプレゼントするようになりました。ですから、キンモクセイの香りには、お母さんとの思い出が詰まっているのです。
面白い思い出、嬉しい思い出、そうして、悲しい思い出も。
お母さんに、自動車について、もう一度尋ねてみたことがあります。それは私が大きく成長して、大人になったときです。私は大きくなったけれど、お母さんは、病気なさって、小さくなってしまいました。治る病気と治らない病気がありますが、お母さんは、治らない病気でした。
私は実家を離れていましたし、お父さんが働きながらお世話をするのは大変でしたから、お母さんは病院で生活するようになりました。節約が趣味といえるくらいのお母さんです。「病院なんて勿体ない。治療費なんて勿体ない。何をやってもどうせ……」なんてことを考えたことかもしれませんが、口にしませんでした。お母さん、自分や周りを追い詰めるだけの酷い言葉は、決して口にしない強い人だったんです。
お母さんが入院して、秋が近づきました。
「もうすぐ、キンモクセイが咲くね、お母さん」
「そうねぇ。でもこの近くはキンモクセイがなくてね、病院には香ってこないらしいの。だから、きっちゃんが持ってくるの楽しみにしているわね」
「うん。山ほどいっぱい持ってくるから」
「そんなに持ってきたら病院が大きな芳香剤になってしまうから駄目よ。ちょっとでいいの。私が香れるくらいでね」
二人で笑いました。この年のお母さん、まだまだ元気でいらっしゃった。
「あのね、お母さん」
笑いがひと終えて、尋ねました。
「なぁに?」
「私ね、運転免許を取得しようかなって思うの」
「どうして急に?」
「ほら、私が運転できれば、お母さんをキンモクセイのところまで連れて行ってあげられるじゃない? ううん、キンモクセイだけじゃなくて、行きたいところ、私、どこへでもお母さんを連れていけるよ?」
元気とはいえ、お母さん、歩いたり座ったりすること以上は難しくて、生活は病院の周りか、一時帰宅できても自宅の周りしか景色を見ることができませんでした。タクシーは乗れましたが、嫌がりました。お金がかかるからです。親戚たちにも頼りません。自分に手間をかけられることを、極力避けたがったのです。お父さんは、理由がありまして、自動車を運転しませんでした。
「きっちゃん。無理しないの。きっちゃん、小さい頃から臆病でしょう。自動車って凄く危険なのよ。それに、お父さん、若い頃に交通事故で足に大けがして大変なことになってしまったのよ。母さん、きっちゃんが運転してるなんて想像したら、恐ろしくてかなわないわ。絶対やめてちょうだい」
真剣な顔をして、心の底からそうおっしゃって、私は、運転免許を諦めました。
お父さん、お母さんとお付き合いしていたときに、不幸な交通事故に巻き込まれて、命を失いかけたことがありました。亡くなったかたもいます。お父さんは助かりましたが、足に後遺症が残りました。事故以来、お父さんは一度も運転していないそうです。お母さんを心配させたくなくて、お母さんもお父さんに無理をさせたくなくて、二人はお互いを想って自動車を避けていたのです。お金だけではなくて、不幸な思い出が、自動車を避ける私の家の理由にあったのです。
翌年の初秋、お母さんは、もうすぐという状況でした。
私は仕事に向かう途中にお父さんから「母さん、吉美に逢いたがってるよ」と電話をいただいて、急いでかけつけました。お母さんはたくさんの親戚に囲まれていました。
「お母さん、来たよ」
「きっちゃん…… 忙しいところ、ありがとう」
微笑んで答えてくれましたが、私と目が合いません。少し前に病院の先生がおっしゃっていました。耳はまだよく聞こえるのですが、目はほとんどもう見えていないのです。お鼻の方も、味覚も、耳以外は駄目なのだそうです。私は、お母さんの視線に顔を持っていきました。
お母さんの横に座って、お話をしましたが、十分もしないうちに苦しそうなお顔を一瞬、見せまして、「少し休んでね。まだ私、いるから」と、伝えました。私も、もう、涙をこらえるのが限界でした。
お母さんにお話ししたいことならば、無限にありました。もし私がお話続ければ、お母さんがどこにも行かないとしたら、私、死ぬまでお側を離れなかったでしょう。こんなお話をどこかで聞きました。無実の罪で王様に死刑を言い渡された男がいました。男には姉がいて、姉は弟に死刑の前の最後の望みで、「姉の話を聞きたい」と答えるように伝えました。そうして姉は弟の死刑の日にお話を披露しました。姉のお話はとても面白くて、王様は興味を惹かれました。姉のお話はとてもとても長くて、陽が暮れてしまいました。話を聞きたい王様は死刑を翌日に延ばし、その翌日も話が終わらず、次の日、また次の日と永遠に伸びていきました。最後には王様は弟の死刑を取り消して、姉と結婚して幸せになる、というお話です。私も母を連れていく死神様の心を惹かせることができましたら、どれだけ幸せだったでしょうか。
「お母さん、何か欲しいものある?」
席を離れる前、一言かけました。どんなにお話できてもお母さんを救えません。この場で私がかけられる適切な言葉は、たったこの一言しかありませんでした。
「……そうねぇ…… キンモクセイ…… もう咲いてるかしら……」
「きっと咲いてるよ。私、持ってくるね」
大泣きしたい気持ちをいったん引っ込めて、お母さんを喜ばせようとキンモクセイが咲いている場所を探しに行きました。
でも、病院から一番近いところにありましたキンモクセイの木はまだ開花していませんでした。ご近所さんに「このあたりでもうキンモクセイが咲いているところはありますか?」と、尋ねてまわりました。歩きまわって、お散歩中の方を見つけては、とにかく尋ねました。
期待は叶わぬまま時間が過ぎていきました。初秋の強かった陽光はいつのまにか大きく傾いていました。私は大汗をかいて、前髪は額に張り付いて、みっともない姿をしていました。泣いてもいたと思います。鼻もすすっていました。声も震えていました。強く強く思いました。自動車を運転できれば、もっと広くを探せるのにと、悔やみました。あのとき、お母さんに反対されても運転免許を取得していたら、私がお母さんを横に乗せて、キンモクセイのところまで元気なうちに運んであげられたのにと、悔みました。
こうして悔んでいるうちに、陽は消滅の途に向かって西を赤く染めていきます。お母さんに残された時間もどんどん短くなっていきます。今にも携帯電話が鳴って、最悪の知らせが訪れるのでは、と、恐怖しました。
それでも通る人に諦めずに声をかけていましたら、自転車で帰宅中の中学生の女の子が「今日、学校のキンモクセイが咲いていましたよ」と、教えてくれました。
歩いてはとても時間がかかりすぎる距離でしたので、電話でタクシーを呼び、中学校へと向かいました。学校の方に事情をお伝えしましたら、開花したてのキンモクセイの枝をいくつか切ってくださり、丁寧に花束にもしてくださいました。急いで病院に戻った頃には、もう、陽は沈み終えていました。
「お母さん、遅くなっちゃってごめんね! キンモクセイだよ、ほら!」
「まぁ……、優しい色、甘い匂い、たくさん。きっちゃんが持ってきてくれたキンモクセイの中で、一番じゃない?」
「……そうだね。一番、素敵だよね……」
そんなことありません。お花はぽつりぽつりで、香りもしっかり匂わなければ感じられません。私がお母さんにプレゼントしたキンモクセイの中では、一番寂しいものでした。それに、お母さん、優しい色も、甘い匂いも、もう感じられません。
「お母さん…… ごめんね……」
私は我慢できず、泣き崩れました。
お母さん、何も言わずに、軽く手を、私の頭に乗せてくれました。
それから三時間後に、お母さんは逝ってしまいました。
……
私が小さい頃から、お母さん、人よりうんと臆病な私に、何度も何度も私に言っていた口癖がありました。ときには笑って、ときには呆れて、ときには泣いて、臆病だと言いました。
でもね、私、臆病だけど、がんばり屋さんですよ。だから今、好きなお仕事をして、楽しく過ごしているのです。あんなに強く反対された自動車の運転も、できるようになったんですよ。それは、運転中に後続車両とか、周りから圧力を感じるたびに、ドキドキし過ぎてしまうのですから、とんでもない臆病に見えるでしょう。悩んでたくさん、ため息もついちゃいましたよ。でも、私、どんなときだって安全運転を決して忘れませんから。
それでもきっと、お母さん、私を臆病に、心配に思うことでしょう。構いません。お母さんに心配されるの、私、嬉しかったんですから。口癖を聞くたびに、ちゃんと愛されているのだと、感じられたのですから。だから、お母さん、自動車がお嫌いなお母さん、そろそろ私の助手席に座っていただけませんか? 私の一番の人になってください。
ラジオの落語家さんがおっしゃったように、お母さんを安心させることはできないかもしれません。何かしら、心配して、ぶつぶつと、横から私に言うことでしょう。私、それを喜んで聞きたいのです。
どうぞ心配してください。お母さんが助手席から心配してくれると、私、心配させまいと、それだけに、がんばれるんです。
ほどなくして、商業トラックが私を追い越していきました。
びくり、と、肩に一瞬、ちょっぴり力が入りました。
助手席からお母さんの口癖を感じました。
「きっちゃんは、ほんと、臆病なんだから、母さん、ずっと心配だよ」
助手席の人 じんくす @jirennma
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