第2話 いつでもオオカミ
「店長、両替機を蹴って直してたんですけど」
午後9時、シフトチェンジの時間。私は店の制服を着崩して、スタッフルームの真っ白なソファでメロンソーダを飲みながらそう呟いた。
「ふふ、あんなの前からだよ?」
スタッフルームにある自販機からペットボトルを取り出す女性が言う。彼女は私を見てにこりと微笑んだ。可愛い、ふわふわした雰囲気。
童顔でまだ高校生に見えるが彼女は実は24歳。作家を目指しているフリーターの野田さんは、このゲームセンターの古参だ。
「初めて見ましたよ」
「最近調子良かったからねー」
「あんなに蹴って、壊れないんですか」
「店長だからいいんじゃない?」
なんだか腑に落ちない。あの店長、オオカミだからか何をやっても許される。
まあ、自由人だから言っても聞かないだろうけど。
「あの被り物の下、どうなってるんでしょう?」
「ふふ、顔があるだけだよ」
「そうですけどー」
顔を隠されていい気はしない。人間が相手の感情をはかりとる手段の8割は相手の目を見ることなんだから。
言葉はさほど意味をなしてない、と聞いたことがある。どこかで。野田さんは買ったばかりのミネラルウォーターをもう飲み干した。
「最初は私もびっくりしたよ。ずっとかぶってるんだもん」
「ですよね!?」
「でももう馴れたし」
野田さんはキュッとペットボトルの蓋を閉めて、ゴミ箱へ放り投げた。見事ペットボトルはゴミ箱に入る。
「波瑠(はる)ちゃんもあと1ヶ月ぐらいしたら馴れるよ」
「…どうでしょう」
馴れるのか。できれば馴れたくない。野田さんは私に可愛く微笑んで仕事場に向かってしまった。 学生は10時すぎにここへいてはいけない。私は急いで更衣室で着替えることにした。
自分の学校の制服に着替えて、リュックを背負う。メロンソーダの缶を捨てようと、スタッフルームに向かうと、大上店長がちょうど入ってきた。
「あ、一ノ瀬さんおつかれー」
「…おつかれでえす」
なんとなく気の抜けた返事をして、私は缶をゴミ箱へ捨てた。その姿を狼の被り物はじっと見ている。
…怖い。だってリアルな狼の被り物だもの。ファンシーなんてものじゃない。
「なんですか」
「いーえ、なんでも」
「飲み物、買いに来たんじゃないんですか?」
「そうだけど…」
渋る店長。はっはーん、さすがに被り物をとらないと飲み物は飲めないもんね。
私は店長に近づく。
「買ってくださいよー。そして飲んでください」
「や、やっぱやーめた」
「店長、」
私は店長の制服を掴む。表情の変わらない被り物が私の方へ振り返った。
「…一ノ瀬さん、離して?」
「被り物、とってください」
「なんで?」
「ただの私の好奇心です」
気になって気になってしょうがない。例えばボタンがあって、『押すな』と言われるほど押してみたくなるのと同じだ。
店長が隠してるから、もっと見てみたくなる。狼のつぶらな瞳に仏頂面の私の顔が映った。
「一ノ瀬さん」
「はい」
「襲うよ?」
「……」
「……」
「……」
「……」
長い長い沈黙のあと、私は「ぎいやあああ」と叫んで、店長から手を離した。
その瞬間、店長は私から距離をとる。
「何があっても一ノ瀬さんには見せないもんね!!」
「子供ですか!!私、何かしましたか!?」
「男の理性を乱すようなことをした!!」
私そんなことをした!?というか、
「あなた、狼じゃないんですか!?」
「男に決まってるでしょ!!」
被り物と一体化してると言ったり、男だと断言したり。なぜ“コレ”が店長なのか、世も末だ。大上店長は「まったくっ」と鼻を鳴らして仕事に戻っていってしまった。
私はバタンと乱暴に閉まったスタッフルームのドアを眺めたまま、さっきの言葉を思い出した。
『一ノ瀬さんには見せない』
なんて、私の好奇心に火をつけることを言ったな、あのオオカミ。
明日は土曜日。学校の無い日だ。それに私は午前中からシフトが入っている。あの店長より早くここで待ち伏せをして、素顔を見てやる!!
私は大股歩きで、裏口から出たのだった。
――――――――――――…
―――――……
「おはよー、一ノ瀬さん。早い出勤だね」
「なんで!?」
開店の10時の3時間前の7時。私は予定通り、早くにゲームセンターに来た。
しかし既に裏口の鍵は開いていて。不思議に思って、スタッフルームに行くと当たり前のように大上店長は店の制服を着て、ストレッチをしていた。
「なんでこんな早くに!!」
「それはこっちのセリフだよね。あのね、俺は店長だから早く来てんのよ」
店長はストレッチをやめて腕を組んで仁王立ちをする。元から身長が高いのか被り物がでかいのかは分からないが、私は彼を見上げてると首がいたくなる。
「一ノ瀬さんのことだからどうせ俺の顔見たかったんでしょ?」
「ぐっ…」
ち、ちくしょう。見透かされてる。私を指さしてるこの狼、今絶対にやけてるよ。
お互いひとしきりにらみ合って、店長は私に言った。
「まあ、早く来てくれたのは嬉しいや。下準備手伝って」
―――ああ、眠い。店の制服に着替えた私は店の掃除を任された。モップで煙草で黄ばんでいる床を拭いていく。
店長はクレーンゲームにぬいぐるみを詰めていた。
「店長、」
「んー?」
「もうちょっとで夏ですよ」
今は6月中旬。湿っぽい空気が続いている。これが終われば世間で言う夏だ。店長はそーだねえ、と適当に返事する。だから何、と言いたそうだ。
「夏でもそれですか」
「なに言ってんの。俺は春夏秋冬、四六時中、この格好だよ」
「……」
そうですか、とも言えなかった。私はモップを持って、違うフロアへ移動する。
そこには一人の男性がいた。もちろん店の制服を来ている。
「よう、一ノ瀬」
「おはようございます、椿さん」
バイトの先輩の椿さん。とある大学の二回生だ。とある大学でどこの大学かは知らない。
「椿さん早いですね」
「何言ってんだ俺はいつもこんぐらいだ。お前こそどうした」
黒い綺麗な髪の毛はサラサラと綺麗に整えられている。しかし、椿さんはスロットの一部分の金属の所を見ながら、しきりに前髪を整えていた。
彼はいつもそうだから今更気にしない。
「椿さんが来る頃には既に店長はいるんですね?」
「おい、質問に答えろよ。当たり前だろ」
質問をスルーされて怒る椿さんだが、そんなの気にしない。常にこの時間に出勤しているのか。もしかしたらここで寝ているんじゃないのか?
椿さんは前髪がまとまったらしく、私に顔を向けた。イケメン、というより美形な端正な顔立ちをしている。
「まあいい。お前、店長の顔見たがっているらしいな」
「なんでそれを…」
「野田さんから聞いた」
ああ、なるほど。まあ別に隠し事ではないからいいけど。
「なんで店長は顔を見せたがらないんでしょうか」
「ブサイクなんじゃねえの?」
「は、」
「それに俺という美形がいたら尚更顔出せないんじゃねえ?」
キラッ、そんな擬音が聞こえてきた気がした。椿さんが超ナルシストなのは、ゲームセンターの従業員には既知の事だ。
私ははは、と笑ってその言葉をスルーした。すると、椿さんはスロットのフロアから去っていった。私はその場でせっせと床を拭く。
野田さんも椿さんもなんでそんなに店長の顔が気にならないんだろう。私がおかしいのだろうか。おかしいのかもしれない。そう思うほど私は店長の顔が見たかった。
「一ノ瀬さん」
スロットの後ろからひょっこりと狼の顔が覗く。私がそちらへ向くと、いきなり缶が飛んできた。私は慌ててそれをキャッチする。黄緑色の缶、大好物のメロンソーダだ。
「早くに出勤してきたご褒美」
少し笑みを含んだ低い声でそれだけ言って、店長は去っていった。なんで私がメロンソーダ好きって知ってるんだろう。
……ああ昨日帰る時だ。怒ってたけど、あのつぶらな瞳は私の手元まで見てたんだ。私は缶のタブを開けて、それを一口喉に通した。甘い、爽やかな味。
「ただの、狼じゃないんだなぁ」
たくさんのスロットの中で私はそうひとりごちた。
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