9.未来の話
案の定、小野さんは二人前をぺろりと平らげた。
小野さんとコウが二人前ずつ、あたしと前田さんが一人前ずつ。あたしの読みに狂いはなかった。
前田さんは一口一口にやたら時間をかけている。本当はもっと食べたそうだけど、節制が身についているんだろう。本能の赴くままに食べ物を吸い込んでいくこのちょっとだけ親子とは正反対だ。
「やー、やっぱり北山さんの作った食事は美味しいね。うち、言っちゃいけないんだろうが家内が料理得意じゃなくてね」
小野さんは満足げにそっくり返った。
「俺の婚約者も料理出来ないって言っていました。しかも努力する気もないみたいです」
そんな話をしている中、いち早く食べ終わったコウは、前田さんの持ってきた資料を見て不機嫌そうな顔をしていた。
「これ、別に私が入社してからでも間に合う用件ですよね。まさかとは思いますが、ミキさんのごはん目当てで来たんじゃないでしょうね」
「コウ、食卓でものを読むんじゃない。行儀が悪いぞ」
小野さんが素晴らしくへたくそに話をそらした。
「そうだ、小野さん、前からお聞きしたかったんですけれど」
今日の仕事の話は大したことなさそうなので、ちょっと雑談に入れてもらおう。
「なんであたしにアイ君の事話したんですか? 『会社』の人だって総合職の人しか知らないような事を、コウを匿っていたとはいえただの庶民のあたしに」
まあ小野さんが教えてくれたおかげで、しょうもない誤解が解けたんだから感謝しているんだけど、いち庶民としては、とんでもない重荷を背負わされた、とも言える。
「……えーとね、私はこの、自分の遺伝子なんかほんの一部で、瞳の色以外何も似ていない上に、私の『子供』としては少々歳を食っているこの子が、息子としか思えなくてね」
ふふ。分かってないな、小野さん。結構コウと似ているよ。
いっぱい食べるところとか、何か説明するときに本筋から離れたところからスタートするところとか。
「その息子がさ、ある時大好きな仕事をほっぽり出して行方をくらませたんだ。そりゃ心配だったよ。純粋培養の世間知らずが、『外』で生きていけるわけがない。あと自分の事になるけれど、昇進して仕事を引き継いだはいいが、私では絶対さばききれない量の仕事を抱えていてね。もう、色々な意味で早く帰って来いと」
総合職なのに、またえらい情けないことを言うな。
「そうしたらある日、いきなり電話が来てね。もうとっくに行き倒れているかしていると思っていたから嬉しかったよ。まあ電話の内容の九割が仕事の件だったけれど、のこり一割が、北山さん、あなたの事だった」
「……あの、もう一時ですから打ち合わせはじめませんか」
コウが素晴らしくへたくそに話をそらそうとした。
「でね」
小野さんはコウのことを完全無視だ。
「この、木本サキのことを、ファンが聞いたら刺し殺されかねない酷い振り方をしたこいつが、まあ凄い褒めようだったんだよ、北山さんのことを。それこそ脅迫されて言わされているんじゃないかっていうくらい、背中の痒くなるような表現満載で。そこで私はこれは一度、見に行かなければと思ったんだよ。世間知らずのコウが、悪い女に騙されているんじゃないかって思ってね。その時は『会社』も脱走理由を把握していなくてコウへの批判が凄かったし、警察の目もあったから会うのは危険だったんだが、息子の危機だ、とばかりにここへ来てみたんだ。そうしたら出てきたのが、北山さんだったんだよ」
コウはいたたまれなくなったのか、台所に行って食器を洗いだした。
あ、ごめん、シチュー鍋、底を焦がしちゃったからからきれいにしておいて、と心の中で呟く。
前田さんを見ると、目を輝かせて身を乗り出していた。
……本当に彼ら、今日は仕事する気で来ていないな。
「でね、北山さんとコウの様子を見ていたら、お父さんは気がついたわけだ。ああ、コウはこの子がもの凄く好きなんだなあ、ってね。常識がないから愛情表現が変だけれど、あの冷血漢がここまで一途に人を愛せるようになったのなら、お父さんとしては一肌脱ぎたくなったんだ。でも、どうも私の出番は必要なさそうだと分かった。北山さんと会っている途中からね。北山さん、君、あのときすでにコウに惚れていただろう」
「えっ!」
あたしが叫ぶのと同時に台所からも叫び声が聞こえた。食器を洗いながら聞き耳を立てていたらしい。前田さんが声を殺して笑った。
「私はね、仕事の出来は今一つだが、人を見抜く目は誰にも負けない自負があるんだよ。だから思い切って君にコウを託そうと思った。その当時君には婚約者もいたし、コウに至っては脱走管理品だった。でも、なんとかなると思ったんだよ、不思議とね。それで、ならば会社の機密事項とはいえコウにとって最も重大な事項、『アイ』について話すべきだと判断した。結果として、私の考えも、やったことも、間違っていなかった」
小野さんは長く話して疲れたのか、ふうと大きく息をついてのけ反った。
……やだ、もう一時半じゃない。
前田さんは、自分にも話させろという勢いで割って入って来た。
「でもね、もう『アイ』が生み出されることはないよ。それだけじゃない。『管理品』制度だって、そのうち揺らぐ。コウさんは小野さんの話くらい回りくどい作戦を練っているんだよ」
食器を洗い終わって戻って来ざるを得なくなったコウは、不機嫌そうな顔をして椅子に座った。
「今回、『技術職』っていう人達が雇用されることになってね。……あ、知っているか。この人達、今は数百人単位だけど、地上の安全調査がある程度終わって、土地の整備とかが始まると、一気に必要な人数が増えるんだ。それこそ本社の管理品だけじゃとても足りないから、各支店からもどんどん雇用する。そうですよね」
「そうです。最終的には万単位の人材が必要になります」
やっと自分も一緒になって話せる話題になったと安心したのか、コウが相槌を打った。
「その頃には機能増進用や美容用なんかの身体機械市場はぐっと縮小しているだろうから、研究所の主な仕事は空気や土地の汚染検査とか、そんなのになるだろうね。でさ、そうやって『管理品』の仕事が実験サンプルから技術部門にシフトすれば、そのうち世論は『人を人として扱わないのはどうか』っていう方向に傾くだろうね。そうなれば『アイ』だけじゃなく『特管』だって生み出せなくなる。やがて『管理品』という発想自体消えていく。そこまで行くには何十年もかかるかもしれないけれど」
そこで今まで真剣な表情で話していた前田さんが、いきなりあたしにウィンクをした。
「『運命のもう半分』と一緒のコウさんなら、きっとそんな未来が見られると思うんだ」
結局、小野さんと前田さんは仕事の話をほとんどせずに帰って行った。
帰り際、家の前できゃあきゃあ言っているおばちゃん集団に向かって、前田さんはぬかりなくうさんくさいスマイルを投げかけていた。
「あのさ、素人の思いつきなんだけど」
「何? ミキの思いつきは時々怖い」
以前あたしが思いついた、「若林さんに機械取ってもらう」というのが、よっぽど嫌だったらしい。
「そんなこと言わないでよ。前に移住準備室設立と地上移住PRの映像作るって言っていたじゃない。あれさ、いつものつまんない『会社』っぽい映像じゃなくて、コウと前田さんがばーんって出るのはどうだろう」
「なんで俺と前田さん?」
「見た目」
「……前田さんは移住の担当じゃないよ。それに……俺やだよ自分の顔が世間に知られるのなんか」
「いいじゃない。細かい事気にしないでさ。前田さん、まだ結構ファンがいるみたいだし、コウはインパクトが大きいよー。元管理品だし、十八で課長だし、人形みたいだし。……うーん、でもあんまり若くてきれいだから、主におじさん方面から、こんなのに任せられるかって思われちゃうかも。ならボス役で環境部長に出てもらうなんてどうだろう」
「確かに前田さんはいいかもしれないね。でも俺は絶対やだ。やだやだやだ」
「もー。使える駒はばんばん使わなきゃ。それにあんたが出れば、世間の『管理品』に対する偏見が変わるかもよ」
最後の一言は本当に考えなしの思いつきだ。コウは少し考えた後、広報室へ提案すると言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます