10.心は決まっている

 目が覚めると、あたしは薄暗い部屋の中にいた。

 寝かされていた梯子付きの固いベッド、その下に机。それだけでいっぱいの狭い部屋。

 しばらく使われていなかったのか少し埃っぽいが、以前は結構衛生的に使われていたらしい。空調も快適だ。

 どうしてそんなことに気がついたかというと、不釣り合いだからだ、この部屋の雰囲気に。

 この部屋にはドアがない。代わりに壁の一面が鉄格子になっている。

「個室」というより「独房」だ。


「あ、気がついた」


 鉄格子の向こうに一人の男の子が立っていた。七、八歳くらいか。半袖の灰色の制服を着ている。

 その子は鉄格子を開けて中に入ってきた。鍵はかかっていない。あたしは別に捕まったわけじゃないらしい。


「お腹痛い? 大丈夫?」


 そう言って心配そうにあたしの顔を覗き込む。

 どことなく、雰囲気や仕草がコウに似ている。

 脇腹はまだ痛むし、吐き気もするが動けないわけじゃない。頬や口は大丈夫そうだ。ここはあんまり楽しい場所でもないので、さっさと作業に戻ろう。


「藤田さんの右足が違法だって、どうして分かったの?」


 男の子は唐突にそう尋ねてきた。


「え? ああ、まあ、力の入れ方とか、動かし方とか。あたしもともと整備師だし、えーと、そういうの見極めるコツみたいなの教えてくれた人がいて」

「コウ兄ちゃん?」

「兄ちゃん? ああ、コウのこと? なんで今ここでコウ?」

「だって寝言でずっと兄ちゃんの名前を呼んでいたから」


 ぎゃー! まじか! 恥ずかしい! 

 ……って、あれ? 「コウ」って、そんなに変わった名前じゃないよね。だから名前だけで誰か分からないよね? この子の言う「兄ちゃん」と同一人物とは……。


「若林さんがさ、この人はコウ兄ちゃんの世界で一番大切な運命の人だから、きちんと面倒見るんだよって言ってた」


 若林さんんんんん!


「ここね、前、兄ちゃんが使っていた部屋。せっかく係長になって立派な個室に移れたのに、アイのことでトラブル起こしてここに戻ってきちゃった。俺はここの隣だよ」


 あたしにとって結構大問題な世界で一番大切な運命の人発言を、さらりと流して男の子は壁の右側を指差した。


「こういっちゃなんだけど、独房みたいだね。ここ、何かやらかした人が入るわけ?」

「違うよ。俺や兄ちゃんみたいなのは、大部屋じゃなくてここで監視されるの。だから俺らは生まれたこと自体が何かやらかした、ことなのかな」


 男の子は鉄格子を大きく開けた。


「怪我、大丈夫そうだね。もう作業に戻んなよ」


 後ろを向いた彼の首の付け根には、何本ものコードが突き刺さっていた。




 お昼休み、マサキさんに呼び出されてこっぴどく叱られた。


「コウ君が係長待遇になっても正社員と雑談しなかったの知っているでしょ! それをアンタ二日目であっさり破って、しかも相手は男性の総合職って、いくら向こうから話しかけてきてもだめなの。いいね!」

「はい。ごめんなさい」


 ひとしきり説教が終わった後、マサキさんは腰に手を当ててにやりと笑った。


「研究所の藤田さんは違法改造がばれて減給と支店に異動だってさ」


 え、もしかしてそれ、あたしのせい?


「『会社』は機械の元締めだもん。法的には大したことじゃなくても、違法改造は社内では御法度なんだよ。それを見つけ出したってことで、アンタ、私語の件はチャラになったから。だからもういいよ。午後は空調管理課の作業だからはりきっておいで。今回のことは、並の整備師じゃまず分かんないような改造を見抜く目をくれた人に感謝するんだね」




 夜、マサキさんの部屋にまた呼び出された。何事かと思って部屋に入るなりあたしの電話が鳴った。


『ごめん北山さんんん!』


 ああ、若林さんか。


「いえ、仕事中は話しちゃいけないのは知っていたのに話したのはあたしですから。あの、別にいちいちコウさんに告げ口したりしませんって」

『そうじゃなくて顔! 顔! 殴られた上に唇切れていたでしょう!』


 え、あ、そういやそうだったな。すっかり忘れていた。


「たいしたことないですよ。もう痛くないですし」


 電話の向こうからほっとしたように大きく息をつくのが聞こえた。

 本当は少し腫れているけれど、そのうち引くし。それに顔って言っても、そう大騒ぎしなきゃいけない程の顔でもないし。


『北山さんの大事な顔に残るような傷でもついていたら、俺もうどうしたらいいのか』

「そんな大げさな。ちょっとくらいの傷でどうこう言わなきゃいけないような顔でもないですし」


 あたしの言葉に若林さんは答えず、しばらく沈黙した後、いきなり変なことを言い出した。


『髪の毛、マサキリーダーに切り揃えてもらって』

「へ?」

『その髪の毛、適当に切ったものでしょう。マサキリーダーは器用だって聞いたことある。切ってもらって』


 まさかここで若林さんにきれいにしろと云われるとは思わなかった。


『古い考えかもしれないけどさ、自分の運命のもう半分のために、どんな状況でも女性はきれいにしておかなきゃいけないと俺は思う』




 その後、今の電話の内容を伝えてマサキさんに髪の毛を切り揃えてもらった。


「護身用のナイフで切ってそのまんまって、いくらなんでもひどすぎでしょ」


 ばさばさだった髪の毛がみるみるうちに形になる。こうなると、短くてもこれはこれでいいな、なんて思ってしまう。


 髪の毛に触れられると思い出す。

 がっしりとした大きな手で繊細な編み込みを作ってくれた時の、彼の表情。

 髪の束一つ一つを慈しむような。抱き締めて髪を撫でるような。穏やかで優しくて甘い顔。


 あれを、あたしは存在もしない人に向けられたものだと思い込んでいた。

 そしてその思い込みは、どろりとした黒い嫉妬に変わっていった。

 あれは。あの表情は。


「マサキさん」


 そうだ、今なら訊けるかも。


「マサキさんはどうして、あたしがコウさんの、こっ恋人だと思ったんですか」


 んもう、いちいち噛むなよあたし。


「どうしてかね。それよりアンタにとってコウ君って何なの。その答えによっては教えてやらんこともない」


 あたしにとってのコウ。もう、この際だからこの人には言ってしまおうか。


「遺伝子の相性を見てもらったら、百パーセントだって言われました。だから運命のもう半分だー、なんて。でも」


 それはそれで嬉しいよ、勿論。でも、そんなもの、あたしにとっては占いでいい結果が出た、くらいのものだ。

 そう。もう心は決まっている。

 言葉にするのは初めてだけど。


「あたしにとっては、遺伝子なんかどうでもいいんです。管理品だなんだっていうのもどうでもいいんです。将来なんか知ったこっちゃないです。彼があたしをどう思っているかは分かりませんが、あたしはただ彼が好きだから、絶対に離れたくないし、ずっと一緒にいたいし、彼のためならなんだってします。だって世界で一番大好きだし、大切だし、それはきっと一生変わらないですから」


 結構、冷静に言えた。

 言葉にして改めて思う。あたし、いつの間にかこんなに好きになっていたんだ。

 マサキさんはハサミを片付け、こちらを見て複雑な表情を浮かべた。


「……その気持ちの行きつく先が、私達みたいなのを生み出す結果になるのかも知んないんだけど」


 微笑むような、悲しむような表情。


「コウ君はね、言葉の端々に色々挟んできたんだよ。私の美しい人。優しい人。勇気のある人。聡明な人」


 上を向いて思い出しながら続ける。


「私にとって世界で一番大切な人。かけがえのない人。命に代えても守りたい人」


 まだあるよ、と一息つく。


「もしもすべての垣根がなくなるならば、ずっと一緒にいたい人。そしてね」


 マサキさんはあたしを真っ直ぐ見据えた。


「たとえ垣根がなくならなくても、私が一生愛し続ける人」

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