5.大切な「人」

 あたしはコウの上に馬乗りになり、何かを話そうとしていたコウの口を塞いだ。警察官二人が路地裏にいるあたし達に目を止め、こちらに向かってくる。

 背中に汗が伝う。


 何しようとしているのあたし。警察に早く引き渡さなきゃ。それが、善良な市民の務め……。


「……そんなこと言ったって、あたし絶対別れないからね!」


 コウの口を塞ぎながら、あたしは警察官に聞こえるような大声で叫んだ。


「何よ、今までのことは全て遊びだったっていうの!」


 意味は分からないけれど、戦前の映画で聞いたセリフを適当に叫んでみる。そんなあたしを見て、コウは口を塞がれたまま呆けたような顔をした。


「ひどい、あなたそんな人だったのね!」


 騒ぎ立てるあたしの姿を見て、警察官たちは肩をすくめて別の方へ行ってしまった。


「奥さんに全部言っちゃうか」

「俺どんな役回りだよ!」


 警察官の姿が見えなくなったのを見て、あたしはコウの口から手を離した。途端にコウはあたしを突き飛ばして後ずさる。


「ミキ、こんなことしちゃだめだよ! 早くさっきの警察官の所に行って、俺が逃げたって言ってきなよ!」

「出来るわけないじゃん、こんな世間知らずのガキ、放っておけないよ!」


 周りに聞こえないよう、小さな声で叫ぶ。

 脱走した「管理品」をかくまうのは犯罪だ。しかもコウはリーダー格らしい。竹田さんにも見られている。匿ったりしたらどんな目に遭うか分かったもんじゃない。

 だけど、それでもあたしは、見捨てたくないんだ。


「あのさ、さっきの竹田さんの態度に対する反抗なら、それは意味のないことだよ。俺は全然気にしていないし。『管理品』は人間じゃないんだから、当然の反応だよ」


 多分あたしの心の隅に引っ掛かっていたものを掬い上げて、コウは微笑んだ。


「でも」

「法律は守んなきゃいけないし、大切な人を裏切るのもよくないんじゃない? でも俺は、死んでも捕まるわけにはいかないんだよ。だからミキは通報して、俺は逃げる。本当に、たくさん迷惑を掛けちゃってごめん。じゃあね」


 どうしよう、反論のしようがない。だけどこんな気のいい世間知らず、このままにしていたらきっとつらい目にあう。

 それに、「死んでも捕まるわけにはいかない」って、何事?


「……匿うんじゃない。ギブアンドテイクだよ!」


 離れていくコウを追いかけながら、咄嗟に思いついた物凄く適当なことを叫んでみた。


「ただ匿うほどあたしはお人よしじゃないよ。あのさ、ごはんと住むところは提供してあげるから」


 コウは立ち止まって振り返り、怪訝そうな顔をしてこちらを見た。あたしは言葉を続ける。


「コウの持っている知識とかをあたしにちょうだい。さっき見ていたら、知らないこといろいろやっていた。あの技術が生かせたら、竹田さんももっと体が楽になると思うし、あたしの仕事の役にも立つ。だからコウが一人で『外』の世界で生活できるくらい常識が身につくまで、えーと、『ビジネスパートナー』になろうっていう話なんだけど」


 ビジネスパートナーって、こういう時使う言葉なんだろうか。よく分かんない。それに多分コウが食いつくのはそこじゃない。


「俺、竹田さんの役に立てるのかな。ミキの大切な人が元気になるための」


 ほら、やっぱりここに食いついた。


「勿論だよ。だからさ、むしろお願いしますって感じ。ね。ほら、うちにおいで」


 あたしの思い付きの言葉を受けてコウはしばらく考えていたが、やがて顔を上げた。


「じゃあ、万が一の時は俺がミキのことを脅して無理やり居座った、ってことに」


 なんだそれ。でもまあいい。そう思うことでコウが納得するなら。




 タクシーのマイクに向かって自宅の住所を言い、シートに体を沈める。タクシーは一度ふわりと揺れてから、家に向かって滑るように飛び始めた。

 コウと並んで座りながら、あたしは自分の言動を振り返っていた。

 確かに最初からこのガキが『外』で生きていくのに不安はあった。だけどなんで、法を犯してまで匿う気になったんだろう。

 竹田さんを裏切ってまで。

 匿う理由に、竹田さんを利用してまで。




「ここがお父さんの部屋。で、ここがあたしの仕事部屋で、コウはお父さんの部屋使って。服とか日用品は、とりあえずお父さんの貸してあげる。で、ここがあたしの寝室。入ったらその場で殺す」


 たいして広くない家の中を案内した後、今後のことを話し合った。


「ずっと家に籠りっぱなしってわけにもいかないと思うんだけど、どうしようかな。コウ目立つんだよね」

「そうかな。別に特徴のない顔だと思うけど」

「特徴ないっつーか、欠点なさすぎて変なんだよ。個性って、ちょっと基準からずれたもののことじゃない。例えばあたしのこの大きすぎる目とかさ」

「ミキの大きな目はきれいだよ。それをずれているっていうのかな。俺ずれていてもその目が好きだ」


 どうしてこいつはこういう歯の浮くようなセリフがぽんぽん出てくるかな。話が続かないよ!


「あああたしの目はどうでもいいんだよ。で、普段あたしが仕事しているときは……」




 気がつくと随分遅い時間になっていた。明日も仕事があるし、早く休まなきゃならない。でも、これは訊いておこう。


「あのさ、言える範囲でいいんだけど。その制服ってことは、コウって『管理品』のリーダーなの?」

「違うよ。非常勤の係長」


 なんだそりゃ。係長なんて、総合職しかなれない、めちゃめちゃ偉い人だろうに。そしてリーダーじゃないのか。


「俺、管理品の中でも変わっているんだよ。とりあえずリーダーじゃない。それにリーダーってひとことで言っても色々だし、何体もある。『管理品』は数が多いからね」

「管理品って、全体で何人くらいなの?」

「本社だけで大体2160体」


 そこでコウは言葉を切ってあたしを見た。


「『管理品』は人じゃないでしょ。だから数えるときはね、『何人』じゃなくて『何体』」


 うわあ。なんだろう、この感覚、凄く気持ちが悪い。


「えっと、じゃあ、脱走した理由は教えて……」


 その質問をした途端、コウは一気に表情を失った。

 長い時間が過ぎる。やがて彼は口を開いた。


「……アイの実験で、失敗したから」


 低い声で呟く。

 アイ。そういえばうわごとで何度も口にしていた。


「アイの実験が失敗したのに、俺には何もできなかった。で……」


 震える声に苦しげな表情。これ以上訊くのがつらくなる。


「ごめん……。もういいよ。今日はもう休もう。えっと」


 訊かなきゃいいのに、思わず口が滑る。


「『アイ』って、人の名前?」

「人っていうか、『管理品』。でも」


 そこで彼は言葉を切り、遠くを見てふっと微笑んだ後、俯いた。


「俺にとって……凄く、凄く、大切な『人』」

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