7.希望の始まり

 人事部長は、部下の人に研究所の奴を引きずらせて帰って行った。


 気がつくと、もうお昼を過ぎていた。もうすぐ次の来客がある。あたしはぐちゃぐちゃになったリビングの片付けに入った。


「あのー……」


 テーブルの汚れをふきおわった直後、玄関から声がした。

 やだもう次の人、来たの?


「この部屋の惨状はアレですかね、いわゆる夫婦喧嘩の後、なんですかね」


 ……ああ、そうだ。午後のお客さんは小野さんと佐々木さんだった。




 顔馴染みの気安さもあり、三人が話をしている脇で片付けを続けていた。

 コウは部屋の惨状の理由を話しているらしい。


「――そこまで酷いこと言われたんなら、一発ぶん殴ってもよかったんじゃないすか」

「私は腕力がありますから、下手すると命に関わりますので。それに彼はもう、一生仕事に就けません。そのことの方がダメージは大きいでしょう」


 そう言ってコウは俯いた。そのまましばらく無言の時が過ぎる。

 やがて顔を上げ、息をひとつ飲んでから言葉を続けた。


「このことが示しますように、過剰な機械依存は様々な問題を抱えています。だからこそ、私は今回の移住事業を『会社』の新たな基幹事業に育てたいのです」


 いきなり大きな仕事の話が始まったので、あたしは退散することにした。


 あたしもお父さんも整備師だ。「会社」の機械で食べている。けれども、あたしは知ってしまった。

 今の人々の機械依存はおかしい。

 勿論必要な機械はいっぱいある。だけど、機械に依存しすぎると却って体は弱くなる。竹田さんの内臓とか、よく知らないけど木本サキの肌とか。


 あと、最近嫌というほど分かった。機械依存は、「弱い」人を違法改造や違法機械なんかの犯罪に走らせる。

 多分、そのうち皆がそれに気づく。そうすれば身体機械の市場規模はぐっと縮小するだろう。

 そうしたら今の「管理品」制度は揺らぐだろう。そして……。

 そして……。


 えーと、あたしの頭ではこれ以上考えられない。頭痛くなってきた。

 もういいや。あたしが考えたって仕方ない。多分コウは、それらの事全て見通した上で動いているんだろう。だったら全部コウを信じて任せよう。


 あたしは心の中で東京の未来を全てコウに丸投げして、昼食代わりの軽食作りのために台所に立った。




 あたしはいつも四人前の食事を作る。コウが三人前食べるからだ。ただ、実験後、体調がまだ戻りきっていないらしく、以前より食が細くなった。とはいえ二人前は食べる。なのに。


「お二人とも、昼食は摂りましたよね……」


 三時になり、仕事の話は終わったのに、小野さんと佐々木さんは帰らない。

 で、何しているかというと、うちでごはんを食べているのだ。

 自分の取り分の食事を取られ、コウは大人としてどうなのというくらい、露骨に不機嫌そうな顔をしている。


「いや、食べていないよ。だって今日はコウとの打ち合わせだろ、斬り倒されないよう資料をチェックしていたら食べ損ねてね」


 ちょっとだけお父さんの小野さんは、あまりにも情けない事を言って食べ続けた。

 見た目からは想像できない食べっぷりだ。コウの大食ぶりは、小野さん譲りなんだろうか。


「いやー、うまいっす。こりゃコウさん、胃袋掴まれちゃうわけだ」


 よほどお腹が空いていたのか、それとも本当においしいからなのか、佐々木さんも物凄い勢いで食べている。


「そうですね。生まれて初めて口にした『ごはん』がこれですから、まあ、掴まれましたね」


 珍しく軽口に乗っかってコウは微笑んだ。




「あのー、佐々木さん」


 あっという間になくなった軽食の皿を片付けながら訊いた。


「前にちょろっと聞きましたけど、若林さんの実家って病院やっているんですよね」

「そうだよ。A区にある若林病院って、聞いたことない?」

「へえ、A区にあるんですか。凄いな……って、あ、若林病院って、まさかあの芸能人とかがよく出産のときに使う、あれのことですか?」

「そうそう。総合病院なのにそこばっかり有名になっちゃってね。でもなんでいきなり若林んち?」


 実は少し前から考えていたんだけど。今日、決心した。


「あたし、自分の体に入っている機械、全部取り外そうと思うんです」


 ほう、と小野さんが呟いた。


「『会社』の皆さんの前で、整備師のあたしが言うような話じゃないですけど、機能増進用の機械って、要らないんじゃないかと思いまして。それに今までは婚約者だった人が頼りにならなかったし、一人で生きるのに必要でしたけど、もう、必要ないし……」


 あたしの言葉に小野さんと佐々木さんはにやりと笑ったが、コウは怪訝そうな顔をした。


「わざわざ病院なんか行かなくても、私が外しますけれど」


 まあ、そう思うよね、あんたならね。

 でもさ。


「やだよ、だって……恥ずかしいもん……」


 あたしがもじもじしているのを見て、佐々木さんは愉快そうに喉の奥で笑いを噛み殺していた。


 あ。

 そうだ、じゃあこれならどうだ。


「ねえ、じゃあ若林さんは? 研究所の人だし外せるよね? お休みの日にお願いするとか」

「なんで俺じゃ恥ずかしくて若林さんならいいんだよ! 何言ってんの、そんなの俺がやだよ!」


 コウは顔を真っ赤にして椅子から立ち上がった。額から汗がだらだら流れている。素の状態丸出しだ。


「うん……。あのさ北山さん、その恥ずかしがる感覚は普通逆だと思う。それに若林だって命が惜しいから絶対引き受けないよ」


 えー、そうなのか。いい思いつきだと思ったんだけど。


「うーんと、北山さん、例えば、ご近所の友達に立ち会ってもらってコウに外させる、というのはどうだろう。機械口以外、このドラ息子が見ないように手伝ってもらう、とか。若林の病院は無駄に高いからやめたほうがいい」


 コウはまだ何か言いたそうだったが、頷いて椅子に座った。その様子を見て、あたしは小野さんの意見に従うことにした。

 コウは処置が丁寧だ。きっときれいに外してくれる。


 次のお客さんが来たので、小野さんと佐々木さんを見送った。小野さんは、帰り際にと微笑みながら囁いた。


「可愛らしい嫁で嬉しいよ」


 そうか。

 小野さんは、ちょっとだけお義父さんになるのか……。




 翌日の朝、あたしは背中の機械を取り外してもらった。

 立ち会ってくれたのはなんと上野君だ。めったにない機会だから見てこいとお母さんに言われたらしい。


「コウ、お前ミキちゃんに信用されてねーなー。なんで機械取るのに俺の見張りが必要なんだよ」

「なんでなんだろうなー」


 コウはぶつくさ言いながらも手際よく外してくれた。相変わらず処置の時、あたしには直接触れない。それでもあきれるほど丁寧だ。機械口の傷痕はほとんど残らないだろう。


「できたよ。時間ないから腕の受信機は夜取ろう。数日で体も馴れるよ」

「ありがとう。忙しいのにごめんね。でもなんか体が軽くなった」

「ミキちゃんもとから軽いじゃねーか」


 上野君は腹の立つことを言い放ったが、彼の目はあたしではなくコウのことをじっと見ていた。


「……コウ、すげえな」

「何が?」

「こんなのできるんだ。でもこれでメシくわねーんだろ」

「ごはんのために取った資格じゃないからね」


 上野君のコウを見る目は、さっきまでとは明らかに違っていた。


「あ、お客さん来た。確か環境部長達だよ」

「地質調査の機械、出しておいてくれる?」

「了解……おっと」


 作業台から降りるとき、いつもと違う体の重心のせいで、バランスを崩してよろめいた。

 落ちそうになったあたしを、コウはそっと抱きかかえて降ろしてくれた。


「気をつけてね。しばらくは何か持つときも両手を使って」


 玄関を開けると、大量の資料や機械を持ったお客さんがいた。


「お待たせ致しまして申し訳ないです。ご足労頂きましてありがとうございます」

「うむ。北山君が作成したあの調査レポートだが……」


 挨拶もそこそこに仕事の話が始まる。居間にお客さんを案内し、ドアを閉めると、上野君が玄関先で今の様子をじっと見ていた。


「……ね。あれがコウの仕事の時の顔だよ」


 上野君は黙って頷き、居間のドアから目を離さなかった。


 **


 かつて、制服姿の小野さんを見て、お化けに遭ったかのように逃げ出した上野君は、十三年後の入社式で、真新しい黒ずくめの制服を着て、入社の動機に今日の日の事を語ったそうだ。


 **



 夜、コウの作業が終わった後、あたしの腕の受信機を外す処置をした。外すの自体は一瞬だが、傷口の処理に結構な時間をかけていた。


「多分、傷痕は残らないと思うよ。ミキの腕がこんなになったらやだからね」


 袖をまくって右腕を出す。識別コードを消した跡は、赤いひきつれになっていた。


「ありがとう、忙しいのに。これですっきりしたよ。でも、機械なくなっちゃったから、これからはコウにしっかり守ってもらわなきゃねー、なんて……」


 話が終わる前に、コウの唇が言葉を塞いだ。

 そのあまりに熱くて力強い感触のせいで、唇が離れたときに思わずあたしの唇から吐息が漏れた。


「当たり前だよ。ミキは俺が守る」


 柔らかく抱きしめられ、耳元で低い声が囁く。


 ああ、なんだろう、

 この、甘い沼に堕ちていく感じ……。


「……じゃあね、おやすみ」


 コウは急に照れたようにあたしから離れると、部屋に戻った。

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